四月生まれのあなたへ
4月16日
「どうです。最高のプランでしょう」
ヒトハは目の前に広げられた紙から顔を上げた。向かい側に座るアズールは指で眼鏡を押し上げ、レンズをきらりと光らせている。両脇に控えるウツボのうち一人はニコニコと笑い、もう一人はめんどくさそうに欠伸をしていた。
ヒトハはスッと小さく片手を上げた。
「ひとつよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「帰っていいですか?」
まぁまぁまぁ、と椅子に押しとどめられる。ここで契約書にサインをしなければ、帰してもらえないらしい。
四月十六日。ヒトハは相も変わらず悩んでいた。
“プレゼントが決まらない”。
ネットショップで目ぼしいものをカートに入れたり出したり入れたりして、結局出してしまうような無駄なことを夜な夜な行っていたら、あと四日になってしまった。いまさらネットで買っても当日までに届くか怪しいくらいにはギリギリである。ならばと麓の街に行くことも考えたが、連日ほぼ残業が確定している状態では難しい。
そんな時、ヒトハはオクタヴィネルの寮内で二人のウツボに出会った。と言うよりは、掃除をしている最中にウツボが声を掛けてきた。ヒトハは掃除を放棄してすぐさま逃げようとしたが、しかし進行方向にさりげなくつま先を伸ばした片割れ──フロイドは囁く。
「誕生日プレゼント、迷ってるんでしょ?」
反対側に逃げようとしたら、これまた長い足が行く手を阻んだ。
「アズールもフロイドもセンスは悪くないですし、相談相手としては適切かと。購入の代理も受け付けますよ」
購入の代理。プレゼントを買いに行く時間もないヒトハには魅力的な提案だ。その隙を目ざとく察知したフロイドは、ぽんとヒトハの肩に手を置いた。
「じゃあ話だけでも聞きにいこっか?」
「うう、ぜったいダメなやつじゃないですか……」
こうして「ちょっとだけですからね」と念を押しに押して押しまくったにもかかわらず、ヒトハはVIPルームに三十分閉じ込められた。モストロ・ラウンジ考案、“アニバーサリープラン”のプレゼンが実に壮大なものだったからである。
「あの、私はプレゼントを考えているだけで……」
いいえ、ときっぱりと言って、アズールは首を振った。
「プレゼントを渡すのなら、まずはシチュエーションを考えるべきです」
「私はプロポーズでもするんですか……?」
アズールのプランはざっくり言うと、モストロ・ラウンジを丸ごと貸し切りにしたうえで内装をアニバーサリー仕様に変更し、店内音楽をムードに合わせ、特別なコース料理を用意するというものだった。学生向けの運営をしているモストロ・ラウンジにしては、かなり大人向けのプランである。イメージ画像も添付されているが、確かに特別な日に特別な人へプレゼントを渡すのにぴったりなシチュエーションのように見える。
しかしヒトハが今求めているのはプレゼントの案──そして、それを用意する手立てだ。ここまでしてムードを高める必要はなく、そこに割く予算もない。
頑なに話に乗らないでいると、アズールは仕方ないと言わんばかりに小さなため息を吐いた。
「それでは正直にお話ししましょう」
そう言って、彼は足を組み替えた。
「この学園では誕生日は重要なイベントです。友人同士でもお祝いをすることはありますが、所属する寮では談話室を飾り、ご馳走を用意し、寮生を盛大に祝う──しかし、それには膨大な手間が掛かります」
ヒトハは以前お邪魔したセベクの誕生日を思い出した。確かに、かなり手の込んだ誕生日パーティーだったと思う。魔法を使ったとしても毎回やるとなると大変だ。
「で、それをモストロ・ラウンジで引き受けて一儲けしようと」
「いいえ、僕はみなさんの“手間”を引き受ける代わりに、少しばかりの報酬をいただきたいだけです」
だんだん透けてきた魂胆に、ヒトハはジトリと瞼を落とした。そういうことだろうとは思っていたが、こうもあけすけだと逆に清々しさすら感じる。
不信感を滲ませるヒトハとは反対に、アズールは「ですので」と再び笑顔を輝かせた。
「まずはレビューが欲しいのです。今回の先生の誕生日には、ぜひモストロ・ラウンジのアニバーサリープランをご検討いただけないでしょうか? もちろんヒトハさんには特別に半額でご提供いたします。どうです? 悪い話ではないでしょう?」
ヒトハはテーブルの上にある紙に目を落とした。プランの内容を思えば半額は破格だ。喜んで話に乗る人もいるだろう。祝う相手にもよるけれど。
「私がよくても先生は来ないかと」
そう、相手はあのデイヴィス・クルーウェルである。自ら進んで危険な場所──完全なる生徒のテリトリーにやって来るものだろうか。いや、絶対に来ない。しかしアズールは確信を持っているようだ。
「ヒトハさんが可愛くお願いすれば来ます」
「可愛く……?」
可愛く「モストロ・ラウンジに行きたい」とおねだりしている自分を想像しただけでも鳥肌が立つが、それにほいほいついてくるクルーウェルもなかなかに恐ろしい。「行くわけないだろう。もう仔犬どもの仕打ちをわすれたのか、この駄犬が」と吐き捨てられるほうが想像しやすいくらいだ。
すると今まで黙って聞いていたジェイドが唐突に口を開いた。
「アズールが言っているのは、ヒトハさんが想像しているようなことではありませんよ」
穏やかな笑顔を浮かべたまま、彼はゆっくりとヒトハに説く。
「『誕生日のお祝いをしたいから、先生の一日が欲しい』と言って誘えばいいのです。特別な日を欲しがる貴女に、先生はノーとは言いません」
「そんなこと……」
ヒトハは言いかけて、口を閉じた。そんなこと、あるのだろうか。一年にたった一度の特別な日をくれるなんてことが。
誕生日のお祝いをしたいから、先生の一日が欲しい。
それを口にする自分を想像して、ヒトハはいたたまれなくなった。言葉にするのも恥ずかしいけれど、つい数日前に誕生日を知った分際でそれを欲しがる自分が、何よりも恥ずかしかったのだ。
俯いていると、フロイドの「ていうかさぁ」と気だるげな声が降ってくる。
「そもそもイシダイせんせぇって誕生日の予定空いてんの? その日、休日なんだけど」
アズールとジェイドの視線が集まる。ヒトハは慌てて顎を引き、背筋を伸ばした。
言われてみれば四月二十日は休日だ。用事があって一日中留守でもおかしくはない。プレゼントを渡して「おめでとう」と言えたらいいと思っていたから、そもそも一日を貰おうという発想自体がなかったのである。
「き、聞いてないです。空いてない、かも……」
「え~? じゃあさ、他の人と過ごしてるかもしれないってことじゃん」
「他の人と……」
そうかもしれないと思った。自分の知らない誰かと特別な日を過ごしているかもしれない。その人は彼の誕生日を知っていて、さっきまでアズールから延々と聞かされていたような特別なディナーを用意しているのかもしれないのである。
(や、やだ……)
猛烈な忌避感が胸の中で渦巻く。けれど同時に、自分にそんなことを思う資格があるのかとも考える。誕生日すら知らなかったくせに。今さら慌てて準備をしようとしているくせに。
「フロイド」
アズールの咎めるような声が聞こえる。ばつの悪い顔をしたフロイドが、首の裏を掻きながら「ごめんね?」と言ったような気がした。
(私にも教えてくれなかった誕生日に、私の知らない人と?)
思考が同じところをぐるぐるとしていて、頭が上手く回らない。
気がついたときには、ヒトハはモストロ・ラウンジの出口に立っていた。
「あれ……解放された……」
寮の敷地にぼうっと立っていたヒトハは、はっと思いついたように両手を見下ろす。
片手には仕事道具、もう片方の手には『何かありましたらご連絡ください』と書かれたモストロ・ラウンジのカードが握らされていた。
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