四月生まれのあなたへ

4月15日

(まさか先生の欲しいものがクラシックカーだなんて……)

 ベッドの上でころりと仰向けになって、ヒトハはスマホの画面を睨んだ。クラシカルなものを好む彼が誕生日に欲しいと言う車、“アヴェントラ・ヴェレッツア”。一体何がいいのか素人には分からないが、金額の桁が恐ろしいことになっているのはよく分かった。その額、なんと二億マドル。平凡な社会人には想像もつかない金額である。
 その他の欲しいものも聞き出せたが、こちらは打って変わって“満点の答案用紙”だ。車に比べれば遥かに現実的だが、そもそも生徒ではないヒトハには逆立ちしたって用意はできない。
 生徒たちをけしかけて欲しいもののヒントでも聞き出せたらと思っていたのに、ますます分からなくなってしまった。
 彼は一体何が欲しいのだろう。何が好きなのだろう。何を贈れば喜んでくれるのだろう。
 考えれば考えるほど分からなくなって、憂鬱になってくる。誕生日はこの世に生まれ落ちた記念すべき日。一年で一度きりの特別な日だ。こんな気持ちで祝いたいわけではないのに。

(どうしよう……)

 ヒトハは部屋の時計を見上げ、大きなため息をついた。秒針がついにてっぺんを超え、時計の針は新しい一日に向けて傾き始めたのだった。

「ヒトハちゃん、おはよ〜」

 のんびりとした声を聞いて、ヒトハは眠たげにしていた目をぱちぱちと瞬いた。朝の光に照らされ、白いカーテンのごとく薄く透けた先輩がゆっくりとこちらに向かってきている。始業まであと三分。いつものことながら、ギリギリなのに余裕の出勤だ。

「先輩、おはようございます」

 ヒトハは左にちょっとだけずれて、先輩ゴーストが隣に並ぶのを待った。倉庫の前では同僚たちがぞろぞろと集まっていて、いつものように円を作っている。いわゆる朝礼である。

「あれ? 今日は少ないような……」

 ヒトハが首を捻ると、先輩はのんびりとした口調で「あ、気がついた?」と笑った。

「実は今日から一週間、休みの人がいるんだよね。五人ほど」
「ごっ……五人!?」

 ぐるりと並ぶ清掃ゴーストたちを見渡す。言われてみれば、ハーツラビュル寮担当のゴーストたちがごっそりといなくなっているような気がする。

「みんなで旅行に行くんだって」
「旅行? 私、初めて聞いたんですけど……」
「うん、昨日決まったし」
「昨日!?」

 さすがにマイペースすぎる。普通の会社だったら大問題になるところだが、しかしここはナイトレイブンカレッジ。死者を労働力として数えているような職場には、生者の常識などあってないものだ。

「だからこれから一週間、みんなの分も頑張ろうね」
「はーい」

 先輩の言葉に元気よく応える同僚たち。ヒトハはまた一つ増えた悩みに、静かに頭を抱えたのだった。

「はぁ……」

 とぼとぼと廊下を踏みしめる足が重い。同僚たちの穴埋めのために駆け回っていたら、あっという間に一日が終わってしまった。
 ヒトハは重いため息を吐きながら、窓の外を見やった。オレンジ色の夕日が、学園を囲む木々の間に沈み込もうとしている。

(先生の誕生日プレゼント、どうしよ……)

 はぁ、と再びため息が落ちる。廊下の絵画たちが鬱陶しそうな目をしているが、それを気に留めるほどの余裕もない。
 誕生日、どうしよう。まだ残業も終わってないのに。このままではあっという間に週末だ。
 ヒトハはのろのろと教室の扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「あれ、ヒトハさん? どうしたの?」

 不思議そうな声が聞こえて、ヒトハは頭を起こした。そこにいたのは、スマホを持った手をひらひらとさせているケイト。そしてその隣で机に肘を突いているカリムと、お菓子を摘まんでいるリリアだった。彼らの近くにはドラム、ベース、ギターと楽器が並んでいる。
 ここは軽音部の部室だ。楽器を演奏していないということは、休憩中なのだろうか。

「ちょっと残業で。今から掃除してもいいですか?」

 片手に持った箒を少し掲げてみせると、ケイトは「ええ!?」と驚いた。

「残業!? もう部活動の時間だし、今日くらいはいいんじゃない?」
「いえ、お仕事ですから。そういうわけにはいきません」
「え~真面目~……」

 真面目も何も、お給料が出ているのだから仕事はきっちりとこなすのが社会人というものである。ヒトハが教室に足を踏み入れると、「まぁまぁ」とリリアが手招きをした。

「掃除はいいが、少し休憩してはどうじゃ?」
「そうそう……って、なんか思いつめてないか? オレでよければ話聞くぜ」

 カリムがにっこりとしながら隣にずれて席をひとつ空ける。ここに座って休めということだろう。
 そんなに顔に出ていたのだろうか。ヒトハは自分の眉間をぐりぐりと指の腹で揉んだ。確かに、少し硬いような気がする。それに気がついたら体も怠いような気がしてきて、ヒトハはとぼとぼと彼らの元へ行くと、カリムの隣にすとんと座り込んだのだった。

 ヒトハの一昨日から続く悩みを聞き、ケイトは「んー」と困ったように笑った。

「たしかにクルーウェル先生に渡すプレゼントって難しいかも」

 流行りものに詳しい彼にも難しいらしく、「でも先生ってこだわり強そうだし」「香り物は好き嫌い分かれるし」「もう持ってそうなんだよね~」と頭を悩ませている。ちなみにカリムとリリアは金額的にぶっとんでいる物か面白グッズに走るので、検討にも至っていない。

「あ、そうだ。先生ってまだ楽器演奏してるのかな? せっかく軽音部に来たんだし、音楽にちなんだものもいいんじゃない?」

 ん? と首を捻る。

「楽器演奏? 音楽にちなんだもの?」

 彼がサムのピアノを好んで聴いていることは知っている。以前ふたりで演奏を聞いたことがあったが、それは見事なジャズだった。しかし、楽器のことに触れたことはあっただろうか。
 ヒトハが困惑していると、カリムがニカッと笑った。

「クルーウェル先生、学生時代は軽音部だったらしいぜ!」
「軽音部!?」

 軽音部──これも誕生日と同じく初耳である。そもそも、彼の口から“軽音部”という単語を聞いたことがあるかどうかも怪しい。
 ヒトハの知るデイヴィス・クルーウェルは理系科目の先生であり、サイエンス部の顧問だ。だからそれ以外の部活に所属していたこと自体が意外だった。思いつくのは、せいぜい手芸部くらいのものである。

「し、知らなかったです……」

 ヒトハは糸が切れたように、へにゃりと机に突っ伏した。一昨日から、まったく知らない情報が当たり前の顔をして目の前に並べられている。それも彼の口からではない、他の誰かの口からである。それがどうしようもなく腹立たしく──そして悲しい。
 どうして私には教えてくれなかったの。
 理不尽な問いだと分かっていても、考えずにはいられない。
 落ち込むヒトハに、カリムは慌てて言った。

「そんなに落ち込むなって! クルーウェル先生が軽音部だったなんてオレも最近知ったしさ。そんなことより、ヒトハしか知らないことが他にいーっぱいあると思うぞ! オレ、先生の嫌いな食べ物とか知らないし!」
「……………………」

 そっと肩に手が触れる。ケイトが耳の後ろから「プディングだって」と囁くと、ヒトハは机に額を引っ付けたまま「う゛う~~っ!!!」とくぐもった悲鳴を上げたのだった。

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