四月生まれのあなたへ

4月14日

「てか、ヒトハさんは来週の先生の誕生日、なにすんの?」

 ヒトハは苺が刺さったままのフォークを中途半端に持ち上げたまま、エースに顔を向けた。オンボロ寮の談話室でローテーブルを囲んでいたデュースとグリムとオンボロ寮の監督生も、きょとんと目を瞬いている。

「誕生日……?」

 はて、先生とはどの先生のことだろうか。この学園には大勢の“先生”がいて、関わりのある“先生”は少なくはない。

(……バルガス先生?)

 ツイステッドワンダーランドは少し前に春を迎えた。花と緑が大地を彩る、このにぎやかな季節にふさわしい人物と言えば──バルガスだろうか。黄金の太陽の下で上腕二頭筋を膨らませ、白い歯を見せつけてくる姿が容易に想像できる。しかし彼はどちらかといえば、夏のような気がしないでもない。
 ヒトハが考え込んでいると、エースは赤い目を見開き、「まさか……」と呟いた。

「もしかしてヒトハさん、クルーウェル先生の誕生日知らねーの!?」
「えっ」
「四月二十日!」
「えっ」

 ぽろり。苺がタルトの上に落っこちる。ヒトハは頭の中で慌ててカレンダーの数字をなぞった。
 今日は四月十三日。週の最後にある休みの日だ。エースによると来週──ちょうど一週間後の休日に、クルーウェルは一つ年を重ねるのだという。
 四月二十日が誕生日だなんて初耳である。なぜなら、聞く機会がなかったから。彼自身も言わなかったし、知らないことを疑問にすら思っていなかったから。

「というか、エースはなんでクルーウェル先生の誕生日を知ってるんだ?」

 放心状態に陥ったヒトハの代わりにデュースが問うと、エースは「それはまぁ」と背凭れに沈み込んだ。

「トレイ先輩が『来週の部活の日にサイエンス部でお祝いするから、ヒトハさんがケーキを用意するなら何にするか聞いておいて欲しい』って。まぁでも、気にしなくてよかったみたいね」

 休日である今日、エースがオンボロ寮に遊びに行くと知ったトレイは、彼に手土産を持たせた。オンボロ寮のふたりとエースとデュース、それからたまたま遊びに誘われていたヒトハのためのワンホール。濃厚なカスタードの上に甘酸っぱい苺が敷き詰められた苺タルトである。そのついでに持ち込まれた情報は、なんとも苦いものだったが。

(い、一週間後……)

 知ってしまったからには何かしなければならないだろう。けれど、考えて準備して行動するまで、たったの一週間しかない。それに何より、相手は“デイヴィス・クルーウェル”だ。あのセンスを人の形にしたような男に一体何を贈れというのだろう。あまりにも難易度が高すぎる。

「ど……どうしよう……」

 幸せそうに苺タルトを堪能していた顔から一転して青ざめるヒトハに、生徒たちは「うーん」と悩ましげに返すばかりだった。

 誕生日。それはこの世に生まれ落ちた記念すべき日。一年で一度きりの特別な日。その良き日を、自分は今の今まで知らなかった。当たり前と言えば当たり前の話である。恋人や家族であればまだしも、知人や友人程度であれば話題にならない限り知ることはない。
 とはいえクルーウェルとはほとんど毎日顔を合わせ、週に一度は一対一でじっくりと話す時間まであり、休日やホリデーまでも共にする間柄だ。知る機会はいくらでもあったはずなのに、それがどうして誕生日だけピンポイントで抜け落ちてしまっていたのか。
 いつかの日に「ひょっとしたら学園で一番先生のことを知ってるのは私かもしれないですね」なんて軽口を叩いたことがある。あの時、彼はどんな顔をしていただろう。呆れた顔をしていたかもしれない。
 誕生日すら知らないくせに。なんて。

「つーかさ、自分で聞けばいいじゃん」

 翌日の昼休み。生徒たちがひしめき合う大食堂の片隅で、エースはテーブルに頬杖を突いたまま呆れた顔で言った。正面に座るヒトハは「だ、だって」と口をまごつかせる。

「『誕生日プレゼント、何がいいですか?』って、一週間前に何言ってんだって話ですし、慌てて用意されるのも遠慮しちゃうじゃないですか」
「じゃあもう知らないことにしたら?」

 ヒトハは「ええ?」と眉を顰めた。

「そんなの……ダメですよ。当日どんな顔をして会えって言うんです?」
「普通の顔以外になんかある?」
「な、ないですけど……」

 たしかに器用で要領の良い彼ならば、知らないふりなんてわけないだろう。でもきっと、自分には無理だ。挙動不審になって怪しまれ、洗いざらい吐かされた末に大恥をかくに違いない。
 だからヒトハはエースとデュース、それからオンボロ寮のふたりに頼み込んだ。「クルーウェル先生の欲しいものを聞き出してくれませんか」と。ターゲットは三つ先の長テーブルで黙々と昼食を食べていて、これが終わったら慌ただしく次の仕事に向かうのだから、チャンスは今しかない。

「とにかく!」

 ヒトハはテーブルにある四つの包み紙を指差した。

「カツサンド、買ってあげたでしょう!? 報酬分は働いてもらいますからね!」

 カツサンド。通称“デラックスカツサンド”は学園の生徒たちに大人気のパンである。昼休みになれば争奪戦が起き、そしてちょっといいお値段がする。ジューシーな豚肉をサクサクの衣で包み込み、さらにそれをふかふかのキャベツと甘めのパンで挟み込んだ逸品だ。ヒトハはこれを彼らへの報酬としてツテ──大食堂のゴーストから秘密裏に入手したのだった。

「エース、オメー往生際がわりーんだぞ。『奢ってくれたら手伝う』って約束したじゃねーか」

 グリムが言うと、エースはムッと唇を曲げた。

「そうだけど……っていうか! それを言い始めたのはグリムだろ! 大体、こういうの、結局オレが一番働くことになるんじゃん! それに……」

 エースは言いかけた口をキュッと結んで、首を振った。何か言いたげな目でこちらを見つめ、はぁ、とため息を落とす。

「……いや、やっぱいいわ。約束通り、ぱぱっと聞いてきますか」

 エースがやれやれと立ち上がり、グリムが「どーんと任せとくんだゾ!」と威勢良く椅子から飛び降りる。その後ろを、心配そうな顔をしたデュースとオンボロ寮の監督生が追いかけた。
 彼らはテーブルの間を縫うように標的に近づき「せんせ〜!」と愛らしい仔犬の顔をして、彼の目の前にある椅子に腰を下ろしたのだった。

「どうした」

 クルーウェルは飲み終えたグラスをトレーに置くと、目の前に現れた仔犬たちに怪訝な目を向けた。担当するクラスのエースとデュース、オンボロ寮の監督生とグリムである。エースはともかく、その他二人と一匹は媚びたような声色とぎこちない笑みが怪しい。
 先週出した課題のヒントでも貰いに来たのか。それとも間に合わなくて泣きつきに来たのか。それとも来週の小テストの問題でも探りに来たのか。いずれにせよ、ろくなことではなさそうだ。

「先生、ここいっすか?」

 エースが人懐っこい顔で目の前の席を指さした。
 三人と一匹は揃ってパンの包みを手にしているから、席を探していたのだろうか。──いや、怪しい。ちらほら空席がある大食堂で、わざわざ教師の目の前に席を取る生徒は稀だ。しかし断る理由があるわけでもない。

「好きにするといい」

 クルーウェルが答えると、彼らは「ありがとうございまーす!」と目の前の四席を陣取った。
 早速エースがパンの包みを開け、続いて少し緊張した様子のデュースとオンボロ寮の監督生が慌てて包みを開け始める。その間にもグリムがかぶりついたのは、カツサンドだろうか。四人揃って同じものを選ぶとは仲のいいことである。
 エースは一口目を飲み込むと、「あ! そうそう!」と前のめりになった。

「先生、今週末が誕生日だって聞いたんですけど!」
「そうだが……誰から聞いたんだ?」

 想定外の質問に、クルーウェルは片眉を上げた。確かに今週末──四月二十日は誕生日だが、生徒に言いふらしたことなどあっただろうか。するとエースの隣にいたデュースがすかさず「クローバー先輩です」と答える。

「ああ、クローバーか」

 サイエンス部なら納得だ。部員のトレイ・クローバーは菓子作りが得意で、前回の誕生日には部員たちとケーキを作ってくれたのだった。学生時代に比べて存在感の薄い誕生日だが、生徒たちに祝われるのは悪い気分ではなかった。今年の新入生にも教えたということは、まだ誕生日を覚えてくれているのだろう。

「せっかくの誕生日だし、欲しいものとかないんですか? オレ、去年は前から欲しかったバッシュを買ったんすよ」
「欲しいものか……」

 クルーウェルは顎を摩りながら考えた。欲しいもの。服やらアクセサリーやら欲しいものは尽きないが、すぐに上げろと言われると難しい。

「そうだな……今欲しいのは“アヴェントラ”だろうか」
「げ」

 答えた瞬間、エースの顔が歪む。
 何のことか分からずきょとんとしているオンボロ寮の監督生とグリムに、デュースは慌てて耳打ちをした。「アヴェントラ・モーターズ。高級自動車のブランドだ」。ふたりの顔がピタリと固まる。

「そう、エントリーモデルでも五百万マドルからの高級ブランドだ。ハイエンドモデルは五千万マドルを超える。その中でも俺が今欲しいのは──“アヴェントラ・ベレッツァ”。七十年前に発売されたクラシックカーだ。セレブや著名なデザイナーたちに愛され『走る芸術』とも称された車だが、生産台数はたったの二百台。一生に一度で構わないから、俺の手で走らせてみたいものだ」

 まだお目にかかったことすらない、世界に数台しか現存していないというクラシックカー、アヴェントラ・ベレッツァ。ロングノーズ・ショートデッキの美しいプロポーション。上質なレザーシートに高級感のあるウッドパネルの内装。クラシカルなレッドのボディ。どれを取っても最高級にふさわしい仕様であり、世界中のコレクターの憧れの的だ。

「一応聞きますが、お値段は……」

 エースが上目がちに恐るおそる問うので、クルーウェルはニヤリと笑った。

「二億マドルだ」
「たっけ〜! そんなの、一生働いても無理なんだゾ!」

 グリムが尻尾をピーンと張り、「買えないんだゾ!」と怒り始める。怒りたくなるのも分かるが、価値がなければ買えないほどの高額にはならないのだから仕方がない。しかし確かに、これは現実味のない“プレゼント”だ。いくら名門校の教師をしているとはいえ、到底手が届く額ではない。
 クルーウェルは考えて、「そうだ」と人差し指を立てた。

「もっと現実的な“欲しいもの”もあるぞ。それは……」
「それは……?」

 グリムが食べ終えたパンの包みを握りしめながら、テーブルに身を乗り出す。三人と一匹の視線が集まる中、誰かが息を吞む気配がした。

「それは、“お前たちの満点の答案用紙”だ」
「げ!!」

 椅子から転げ落ちそうになる生徒たちを見て、クルーウェルは大きく笑った。

「ああ、仔犬たちに誕生日を祝ってもらえるなんて、俺はなんて幸せ者なんだろうな。来週の小テストでお前たちの満点の答案が見れるとは」
「いや! それはちょっと、難しいというか……!」

 エースが慌て、デュースが首をブンブンと縦に振る。あわあわとしているオンボロ寮の監督生は迷い犬のように哀れだが、その光景がクルーウェルの笑いをさらに煽った。お世辞にも成績優秀とは言えないし、お利巧ともほど遠いが、素直な仔犬たちだ。

「聞いたからには、俺のためにプレゼントを用意してくれるよな?」
「む、無茶なんだゾ……」

 しょんぼりと捨て犬のように萎れる仔犬たちを置いて、クルーウェルはランチのトレーを手に立ち上がった。

「今すぐに対策を始めれば不可能ではないだろう。期待しているぞ」

***

「あ、帰ってきた」

 ヒトハは落ち着きなく揉んでいた両手をテーブルに突いて立ち上がった。
 パンを握りしめてクルーウェルの元へ旅立った生徒たちは、それほどの時間も経たないうちに帰ってきた。しかしその姿は行きに比べ、とぼとぼと元気がない。グリムなんて耳と尻尾が地面につきそうなくらいにぺちゃんこに下がっている。欲しいものを聞くだけなのに、一体どうしてそんな顔をしているのだろう。

「ど、どうでした……?」

 ドキドキしながら訊ねると、三人と一匹は暗くどんよりとした顔で首を横に振った。エースに至っては「はぁ~」と長いため息をつき、どこか遠くを見るような目をしている。ただ事ではなさそうだ。

「え? な、何があったんです?」

 ヒトハが戸惑いながら問うと、エースは肩をすくめ、「ちょっともう、協力できないかも……」と弱々しく答えたのだった。

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