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清掃員さんと先生のお悩み相談室
「ん?」
サッサッサ、と木の葉を掻き集める音の中に誰かの声が聞こえたような気がして、ヒトハは手を止めた。
放課後、購買部の周辺はいつもなら生徒たちが行き交うが、今日は生憎の曇天。雨が降りそうな中わざわざここまで来る生徒も職員もおらず、仕事がある自分ひとりだったはずなのだが。
きょろきょろと左右を見たが、相変わらずゴーストひとりいない。「気のせいか……」と仕事に戻ろうとした矢先、背後からその人は現れた。
「ヒトハさん……」
「うわっ!?」
バッと振り返るのと同時に、せっかく集めた木の葉が散り散りになる。ぴゅうと飛んでいく葉を見て慌てたヒトハだったが、それよりも、いつの間にかすぐ近くにいた生徒に驚いた。
イグニハイド寮の生徒だ。何度か言葉を交わしたことがあり、彼とは顔見知りの間柄である。元々大人しい性格の子なのだが、今日は何やら思いつめた様子だ。
「ど、どうしたんですか……?」
恐るおそる問うと、生徒は意を決したかのように、ぱっと顔を上げた。
「あ、あの! ヒトハさん!」
「はっ、はい!?」
「相談があるんですけど!」
「そ、相談!?」
あまりにも突拍子のないことだが、しかしこれだけ深刻な顔をしているのだから、軽い悩みではないのだろう。あえて大人の自分に声を掛けたのだ。きっと勇気も必要だったはずだ。
ヒトハはひとまず生徒を落ち着かせようと、彼を近くのベンチに座らせた。購買部に飛び込み、温かいココアを手に戻る。それを生徒に握らせ、隣に腰を下ろした。
「それで、相談って……」
聞かされたところで答えられるかは分からない。けれど聞かせることで晴れる気持ちだってあるはずだ。
生徒はしばらくもじもじと言い渋っていたが、最後にはしっかりとヒトハの目を見た。
「あ……あの!」
ヒトハも真剣な顔をして、うんと頷く。すると生徒は白い肌をポッと赤くして言ったのだった。
「どうすれば女性にモテますか……」
うっかりベンチから滑り落ちそうになったのは、言うまでもない。
生徒は最近、故郷の友人に彼女ができて焦っていたのだと言う。幼い頃から一緒に遊んできた仲なのに、友人は青春を謳歌、かたや自分はむさ苦しい男子校で過ごす日々。素直に羨ましいと思う一方で、周りには異性がほとんどいないから、自分をどう磨けばいいのかも分からない。どうすればモテるのか。どうすれば彼女ができるのか。
ヒトハは生徒の切実な悩みに、なんとなく「分からなくもないな」と思った。この学園にいる生徒は一部を除きティーンの生徒たちばかり。恋愛に憧れ、悩むこともあるだろう。かくいう自分も学生時代はドラマや漫画に淡い憧れを抱いていたものだ。
問題は、彼がこの相談を持って行く相手を間違えたことである。異性にモテたいから異性にアドバイスをもらおうと決めたことまでは英断だが、少しばかり詰めが甘かったようだ。
二十数年生きてきたが、モテを習得した覚えはない。他人に高説垂れるほどのものを持ち合わせていないのである。“モテ”とは。こっちこそ教えてもらいたいくらいだ。
「先生」
「ん?」
だからヒトハは、翌日の放課後に、魔法薬学室でゆったりと魔導書を読みながらハーブティーを嗜む男に声を掛けた。
彼は片手でページを摘まみ、もう片方の手でティーカップを摘まんでいる。視線は本に向けられたままでこちらを見もしないが、耳だけは向けてくれているようだった。
これはいつものことなので、ヒトハは構わず続けた。
「どうすればモテるんですか?」
「んぐっ!?!?」
クルーウェルはハーブティーを噴き出しそうになりながら寸でのところで踏み留まり、激しく咳き込んだ。
「いっ──いきなり何だ!?」
はぁはぁと肩で息をしながら、彼は目をカッと開いている。それほどの衝撃だったのだろう。
まさかそこまで驚かれると思っていなかったヒトハは「いやぁ」と頭を掻く。
「先生に聞けば分かるかと。得意そうじゃないですか、そういうの」
「それは褒めているのか……?」
当然褒めているのだが、クルーウェルは嫌そうな顔をしながら杖を振り、溢したハーブティーをカップに戻す。それをスッと机の隅に押しやって、魔導書を閉じた。
彼は机に両肘をついて身を乗り出し、真剣な目で言った。
「どういうつもりか知らんが、モテたいだとかなんだとか言って無理に変わろうとするより、ありのままが一番だ。大体、下手に取り繕ったところですぐにボロが出る」
「まぁ、そうですよね」
それもそうだ、とヒトハは頷いた。
自然体の自分を受け入れてくれる人に好かれるのであれば、不特定多数に好かれる必要はない。そういう人とこそ恋愛をするべきで、これこそ生徒の最終到達地点と言えるだろう。
「どうすればモテるかなんて考えなくていい。お前はそのままで十分に魅力的だ」
「そ……」
頷きかけた頭を固まらせて、ヒトハは「いや、あの」と、まごまごした。
なんだか凄いことを言われたような気がする。
(こ、これが、“モテ”……)
危うく心臓を掴まれるところだった。なんて恐ろしい。こういうことをナチュラルに言える人が恋愛で無双するのだ。たぶん。知らないけど。
しかし今回は自分の相談をしたいわけではない。ヒトハは一旦彼の発言を横に置いて、本題に入るべく恐々と口を開いた。
「そ、その……実は、私じゃなくて……生徒が……」
と言うと、クルーウェルは神妙にしていた顔をへにゃりと崩し、そしてみるみるうちに怒りに変えたのだった。
「──それを! 先に! 言え!」
「なるほど、そういうことか」
ことのあらましを聞いて、クルーウェルは椅子に深く座り込んだ。勘違いさせられたことは不服なようだが、仔犬の相談に対しては真剣に考えるつもりらしい。
「で、お前は何と返したんだ?」
「私?」
ヒトハは昨日のことを思い出しながら指をひとつふたつと折った。
「えーっと、清潔感とか気配りとか……真面目で……優しいとか……」
モテとはよく分からないが、好ましい人物であればいいのではないかと思ったのだ。それを素直に伝えたわけだが、クルーウェルはそれを聞いて鼻で笑った。
「それはお前の好みの話じゃないか」
む、と口を曲げる。
「じゃあ、百戦錬磨の先生は何て答えるんです!?」
「その呼び方はやめろ」
彼は不愉快そうに言って、こちらにピッと指揮棒の先を向けた。
「そもそもだが、その仔犬の悩みは時期尚早だ」
「時期尚早?」
ヒトハが首を捻ると、彼は指揮棒を手のひらにトントンと叩きつけながら答えた。
「仔犬が現状目標にすべきことは小手先のテクニックの習得などではない。薬草を百種類覚え、成績上位で学園を卒業することだ」
「それは先生の願望では……」
「まぁ聞け」
クルーウェルはヒトハの言葉を遮り、赤い指を二本立てた。
「賢者の島の主要な施設は二つの魔法士養成学校だ。お前も知っての通り男子校で、当然女性は極僅かだな。この時点でおそらく島の半分以上は男だろう」
ヒトハは頷いた。この学園の生徒は言うまでもなく男性。職員もほぼ男性。調理、清掃などの職員はゴーストだし、この学園の女性は極端に少ない。そのうえ、同じようなロイヤルソードアカデミーまでもが存在するのだ。
「そもそも賢者の島は狭く、人口が少ない。その仔犬の恋愛対象になるであろう女性はかなり絞られる。つまり、今モテてもあまり意味がない!」
「た、たしかに……」
盲点だった。そもそも、生徒もヒトハも、この島には対象となる異性が少なすぎるという事実を考えていなかったのである。
クルーウェルはヒュンと指揮棒をしならせた。
「そうであるならば、この島の外に出る日までの下準備をするべきだ。学問に励み、部活動に精を出し、多くの友人を作り、経験を積んで立派な成犬になれば、卒業後には自ずと良いパートナーに出会えるだろう」
「さすが百戦錬磨の」
「やめろ」
つまり卒業後には嫌でも島の外に出ていくのだから、それまでに豊かな人間性を身につけろ、ということである。勉強に励めば自ずといい仕事にも就けるだろうし、良いことづくめだ。少々教師側の願望もあるような気がするが、将来的にモテるための一つの方法であることは間違いない。
そこでヒトハは気がついた。
「で、先生は出会えたんですか? その、良い人と……」
聞きたいような聞きたくないような気がするけれど、せっかくなら聞いておきたい。ドキドキしながら問うと、クルーウェルはヒトハの顔をじっと見て「さぁ?」と首を傾げた。
そして「人生は長い。タイミングは人それぞれだ」と、妙に達観したようなことを言って、再び魔導書を開いたのだった。
「と、いうわけで、モテる方法を聞いてきました」
後日、一度持ち帰った“モテるにはどうすればいいか”の問題に答えるべく、ヒトハは生徒とベンチに座っていた。
元々生真面目な性格らしい彼は、真剣な顔をして頷く。
ここで「勉強しなさい」「学生生活を楽しみなさい」なんて言うのは気が引けるが、現状これしか案がないのだから仕方がない。男子校で恋愛対象外の男にモテたって意味がないのだ。
そしてヒトハがクルーウェルから聞いたことを伝えようと口を開いたその瞬間、
「モテたいのか!?」
と、大きな声が割り込んだ。
ビクッとベンチの上で跳ねるようにして驚き振り返る。隆々とした胸筋が飛び込んできて、二人はさらにのけぞった。
たまたま通りかかったらしいアシュトン・バルガスは、なんとヒトハの「モテる方法」というわずかな単語を拾い、飛び込んできたのである。
彼はガッチリと生徒の細い肩を掴み、力強く言った。
「答えはひとつしかない!」
「いや、あの」
そう、答えはひとつしかない。彼の中では。
分かりきっているから、ヒトハはなんとか軌道修正をしようと口を挟もうとした。
しかしそれも彼の確固たる自信と筋肉に弾き飛ばされてしまう。
「──筋肉だ! 筋肉は裏切らない! 見ろ、この逞しさ! 強い男の象徴だ!」
ずい、と二人の間に上腕二頭筋が割り込む。確かに立派ではあるが、盛りすぎではないか。この生徒の顔はどちらかといえば甘めの仔犬顔で、こんなものが両腕にくっついていたらミスマッチもいいところだ。
ヒトハが待ったをかけようとしたのを見計らったかのように、バルガスは突然、生徒に向けていた顔をぐるりとこちらへ向けた。
「お前も筋肉のある男は嫌いではないだろう!?」
「わ、私!?」
生徒の真剣な目とバルガスの自信満々の目を交互に見ながら、ヒトハは狼狽えた。彼らは女性としてのヒトハ・ナガツキの意見を聞きたがっているのである。
自分とて筋肉は嫌いではない。逞しい男性は頼り甲斐があるように見えるし、バルガスの言うことも分かる。
どうにも嘘はつけず、ヒトハは仕方なく頷いた。
「え、ええ。そうですけど、でも……」
見た目だけではなくて内面も大事で……と、言おうとしたが、その時にはもう遅かった。
「というわけだ! 筋トレをすれば間違いなくモテる! 筋肉をつけて、お前も俺のように逞しい男になれ!」
バルガスに肩を叩かれて気合を入れられた生徒は、強くてモテる男を前に目を輝かせた。
「はい!」
「よし、まずは初心者向けのトレーニングだ! ついてこい!」
「はい!!」
生徒は立ち上がり、意気揚々とトレーニングに向かうバルガスを追いかけて行く。ヒトハはベンチに残されたまま、二人の背が見えなくなるまで見送った。
これでよかったのだろうか。本人が目指すものが決まったのなら、よかったのかもしれない。欲を言えば、話くらいは聞いて欲しかったけど。
ヒトハはベンチに深く座り込んで空を見上げた。夕暮れ時の空で群れをなす鳥たちの中から、一羽だけ乗り遅れた子がいる。
ひょっとして、島の人口の多くが男性である今、モテのために頑張るべきなのは自分なのでは──
「……ま、いっか!」
クルーウェルもタイミング云々言っていたことだし、彼の言うことが本当なら、自分らしく生きていればいつか白馬の王子様が現れるはずだ。
そこまで考えて、「白馬も王子も何だかちょっと嫌だな」と思い至り、ヒトハは目先の欲──今夜の夕食のことを考え始めたのだった。
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