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手袋の話

 日常の大半を布で覆われている部分を曝け出すという行為は、少なからず緊張を伴う。
 そしてこの手を覆う布はファッションのためでもなければ実用性のためでもなく、人の目から隠すためのものだ。ほとんどの者はその中を見ることが出来ず、触ることの出来る者はさらに限られる。ヒトハにとって手袋は、もはや服と同じようなものだった。

「しばらく様子見だな」

 やや声に難色を滲ませながら、クルーウェルはそう言った。指先から手首の先まで酷い火傷痕のようなものに覆われた手を離して、「今日はここまで」とあっさりとしたものである。
 週に一度、ヒトハはこの災難にも怪我の痕を残した手を他人の目に晒す。今はもう慣れたとはいえ、手袋の先を引っ張って手首から外気に晒されていく瞬間は、いつも言いようのない緊張が伴った。この手の持ち主である自分ですらも風呂に入るか就寝するときくらいしか素手を見ることはない。ヒトハにしてみれば“何も纏わないこと”こそが特別なのだ。普段隠しているものを晒すとき、それがどの部位であろうと人は緊張もしくは恥ずかしさ、あるいは躊躇いを感じるものなのだと知ったのは、つい最近のことである。
 そういえば、とヒトハは目の前の男に目をやった。彼も彼で常に赤い革手袋をしている。しかしベストのボタンやスラックスから覗く靴下の色を見るに、差し色としてファッションを楽しんでいるだけのようだ。
 ――あの手袋の中が気になる。
 ふとそんな興味が湧いてきて、ヒトハはクルーウェルの手元をじっと見つめた。体格差ゆえに自分より一回りは大きく、指は細く長いように見える。年中隠されているようなものだから、肌の色はもしかしたらとても白いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
 クルーウェルは無言で一点を見つめるヒトハを不審に思って、魔法薬の効果を書き留めていた手を止めた。

「どうした?」
「いえ、なんというか……ええっと、その……」
「なんだ、言ってみろ」

 ヒトハは自分がまるでいけないことを言おうとしているような気がして、もごもごと言い淀んだ。そう、たかが手のひらである。特別恥ずかしいようなことでもない。ただこうして怪訝そうな目を向けられると、自分がとても変態的な考えを持っているような気がしてならないのだ。
 しかしここまで言って今更引き下がることもできなかった。彼は一度不審に思ったらとことん追及してくるタイプの人間で、適当に誤魔化そうものなら吐くまで揺さぶってくるに違いない。

「……手を、見せて欲しくて」
「手?」

 案の定クルーウェルは眉を顰めたものの、ややあって「構わんが」と片手を差し出した。
 ヒトハはまさかこうもあっさりと許されるとは思わず、その手を取るべきか悩んだ。さっきまで自分を触っていた手を触り返すとなると、どうしてこうも緊張してしまうのだろう。

「いいんですか?」
「自分で言ったんだろう。好きにしろ」
「好きに……」

 突然変なことを言い出したのに寛容なことである。もしかしたら面倒に思って、早く終わらせたいだけなのかもしれないけれど。
 ヒトハはそっと両手でクルーウェルの手に触れた。上下で挟み込むようにして片手を下に重ね、もう片方を上に乗せる。革の柔らかな肌触りから滲む体温はいつもより温かい。酷い怪我をしたこの手でも、幸いにして感覚は人並みに残っていた。むしろ普段は布で覆われているせいでわずかな刺激にも敏感になっているくらいだ。
 ヒトハは片方の人差し指を手袋の入り口に引っ掛けて、親指の腹に力を込めながらゆっくりと引いた。

(男の人の手だ)

 するりと抜けた手袋を手に、そんなごく当たり前な感想が真っ先に思い浮かんだ。自分にはない関節の凹凸、筋張った甲、浮いた血管の肌触り。肌色は普段見ている顔や首筋とそう変わらず、体温は自分よりもわずかに高い。
 クルーウェルの手は想像していたよりも遥かに男性的で、ヒトハは自分が随分と思い違いをしていたのだと知った。唯一、爪が程よく切り揃えられて磨かれているのは想像通りだったが。

「まさか手袋を取られるとは思わなかったな」
「だめでした?」

 ヒトハが片手を握ったままクルーウェルを見上げると、彼は眉を寄せ、擽ったさに耐えるような表情をしながら答えた。

「だめではないが」

 そうは言いながらも声には緊張が混じっている。けれど抵抗する様子もない。
 意地悪な気持ちが湧いてきて、ヒトハはするりと手袋を持たない手を甲に滑らせた。指の付け根から手首に向かって収束する骨をなぞり、そのまま腹の柔らかさを感じて、感触を楽しむようにやわやわと優しく力を込める。擽ったいのか、ぴくりと反応した親指を自身の親指と人差し指でスッと捉えると猫にでもなったような気分だった。

「おい」

 咎める声を聞きながら「好きにしていいって言ったじゃないですか」と反抗すると、重いため息が返ってくる。
 珍しく優位を取れた気がして無遠慮に触り続けた手が止まったのは、不意に彼が指を摩り返してきたときだった。全く想定外で、指先のことなのに上半身からびくりと跳ねる。
 慌てて手を離すとクルーウェルは「なんだ、もう終わりか?」と嫌味ったらしく笑った。

「で、俺の手を触って何がしたかったんだ?」
「だっていつも手袋してるし、気になるじゃないですか。それより先生の手、やっぱり綺麗ですね。ちゃんとお手入れしてるからですか?」
「まぁ、それなりにな。お前もそう悪くはないぞ」

 クルーウェルはヒトハの手を掬い上げて、いつもするように裏返したり傾けたりしながら説明口調で語った。

「指は細長い方だろう? 甲は薄いな。爪は形が良いからネイルが映える。……このペンだこは変わらんな」

 指の不自然に硬くなったところを爪で擦られてヒトハは「ひゃあ」と上擦った声を上げた。

「懲りたなら他人の手で遊ぼうだなんて思わないことだ」
「だ、だって治療のためとはいえ私ばかり触られてるし、たまにはいいじゃないですか」
「なるほど。仕返しをしたくてこうなったわけか」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「それなら、もっと丁寧に扱ってやらんとな」

 掴まれた手の指を挟みこむように太い指が割り込んできて、指先に向けてじっとりと撫で上げられる。ヒトハはぞわぞわと背筋を震わせた。
 もしかして――もしかしなくとも、自分はとても変態的なことを彼にしたのかもしれない。

「ごめんなさい! もうしません!」

 ヒトハは掴まれた手を素早く引き剥がして、奪い取っていたクルーウェルの手袋を代わりに押し付けた。そして慌ただしく制服のポケットから引っ張り出した自分の白い手袋に手を通すと、暴れる心臓が落ち着くと同時に、ようやく身体の一部が戻ってきたような気がしたのだった。
 やっぱりこの手は布に覆われている方が安心する。もしかしたら、怪我の痕が治っても手袋はやめられないのかもしれない。
 私も良い手袋買おうかなぁ、と苦々しく呟くヒトハを見て、クルーウェルは「調子のいいやつだな」と呆れながら手袋に手を通したのだった。

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