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先生を潰してしまう話
「バルガス先生、私、潰しちゃいました」
『なにを?』
「……クルーウェル先生を」
『先生を? それは一体どういう……?』
ヒトハはスルスルと腰に伸びてきた腕を片手で抑え、もう片方の手でスマホを握りしめた。じっとりと手汗が滲んで嫌な感触がする。
「潰したんです。──お酒で、クルーウェル先生を」
「この俺をさし置いて、一体誰と話しているんだ?」
耳元のささやきに驚いて、ヒトハは「ンヒッ!?」と奇声を上げた。高さのあるカウンターチェアは不安定で、スマホを置いてバランスを取らなければ落っこちてしまいそうだ。だというのに、隣に座る男は驚くほど積極的なスキンシップを試みてくる。
ヒトハは誰がどう見ても真っ赤な顔をして、片手でぐいぐいと胸を押しやった。顔が近すぎる。声が近すぎる。
「ちょ、や……この、バッドボーイ!」
ヒトハは半泣きでカウンターに置いたスマホをひっ掴み、マイクに向かって切実に叫んだ。
「たすけて! バルガス先生!」
***
──あの駄犬どもが。
その一言から始まった延々と続く仕事の愚痴。生徒の無謀な実験で壊れた器具とダメにした素材の後始末による残業について。長すぎる会議について。部活動のトラブル。薬品庫の盗難。夏の気配が残る夜に誘われてか、威勢よく始まった話は次第に湿っぽさを増していく。
ヒトハは「まぁまぁ」と隣で荒む男を宥めながら片手でカットグラスを引き寄せ、隣に押しやった。いつの間にか半分になってしまった氷がカラカラと軽い音を立てる。
「先生、毎日頑張ってますもんね」
暖色のライトの下。カウンター席の隣に座る男は、いつもの鋭い目尻を気弱に下げて熱っぽく呟いた。
「お前だけだ」
両肘が触れるほどの近さで視線を上げ、ヒトハは思わず目を逸らした。彼は元々肌が白い人だ。ひょっとすると、自分よりも。だから尖った鼻の先から頬まで広がる赤色が際立っていて、とても──色っぽく見えてしまう。しかも銀の冷たさを持つ瞳は潤み、彼の瞼のように繊細な輝きをたたえていた。
(やばい……)
対して、ヒトハは珍しく素面で冷や汗を垂らしていた。「付き合え」と仕事上がりに引っ張られてやってきたバーで、珍しく小言を言われず注文を果たした最初の一杯が空になって、もうどれくらい時間が経っただろう。
日々のストレスを吐き出したいと思う彼の気持ちは痛いほどよく分かった。誰かに聞いて欲しい、共感して欲しい、慰めて欲しい。自分だって嫌というほど経験してきたから、彼の求めるものを与えたかった。
その結果、愚痴のお供にと注文したグラスの数が、もう分からない。何杯飲ませたのか覚えていない。普段クルーウェルは酒に酔い潰れることはないから、完全に油断していた。
(酔ってる……)
ヒトハはもう空になったクルーウェルのグラスを色のない目で眺めながら途方に暮れた。酔ってる。やばい。
「お前だけだ……俺には」
ずしりと肩に重みがあって、ヒトハは蛇に睨まれたカエルの如く硬直した。多分肩に乗っているのは彼の額だ。頬に髪が当たってくすぐったかったが、振り向く余裕などない。片側に体温を感じながら、苦し紛れに答える。
「ほ、他にもいると思います。先生には……」
言いながら、ヒトハはひっそりと後悔をした。もっとましな言葉はなかったのか。
ほんの少しの間考えてみたが、こんな時に相応しい言葉を選べるほど人生経験があるわけでもないことに気が付いて、潔く考えることを諦めてしまったのだった。
さて、問題はこれからのことである。
うつらうつらと眠りに片足を突っ込み始めたらしいクルーウェルの頭を、退けなければならない。そのあと、家に帰してやらなければならないのだ。いつも自分がそうしてもらっているように。
彼は酒でふわふわとしている自分を毎回家まできっちり送り届けてくれる。だから当然、自分も同じようにしてやる義務がある。
とはいえ、身長が頭一個分は高い男を女ひとりで家に帰してやるのは容易ではない。魔法が人並みに使えるならさておき、途中で魔力が枯渇して道端で立ち往生となれば目も当てられない。浮遊魔法でどうにかするのも却下だ。不恰好だし。
ヒトハは沈黙しているクルーウェルを肩に乗せたまま慎重にスマホを取り出した。こうなったら応援を呼ぶしかない。一番力持ちで、今一番頼りになる“彼”だ。
「もしもし、バルガス先生? ナガツキです」
『おお、ヒトハ。……急にどうした?』
想像していたよりも早く電話に出たバルガスは、ヒトハの緊張した声を聞いて、心配そうに問いかけた。
ヒトハは余裕のない頭で出来るだけ早く要点を伝えようとした結果、こう答えた。
「──バルガス先生、私、潰しちゃいました」
そして、冒頭に戻る。
バルガスは友人の必死のSOSを聞き、さすがに状況を察しただろうに腹から声を上げて笑った。スピーカーから音割れした笑い声が聞こえてきて、ヒトハはスマホを摘まんで耳から離す。もう片方の耳には鬱陶しそうに「うるさい」と文句が聞こえてきたから、これは半分寝ていたクルーウェルも目を覚ます程の声量である。
バルガスはヒィヒィと笑いをなんとか堪えようと努力した後、『オレ様は今、忙しい!』と息も絶え絶えに言った。
『トレーニングの最中でな、今は手が離せん。悪いな』
「えっ、マブの危機なんですよ……?」
『タクシーを呼んで家まで送ってやればいいじゃないか。クルーウェル先生は紳士だから大丈夫だろう』
「紳士って、勝手に女の子の腰に手を回したり耳元で囁くんですか?」
『お前も酔ったら似たようなことをやってるじゃないか。おあいこだ』
そしてバルガスはヒトハが言い返す前に、落ちついた声で続けた。
『そんなに心配するな。クルーウェル先生はお前が嫌がることは絶対にしない。絶対だ。じゃあな、健闘を祈る』
「え! ちょっと!?」
──プツッ
ヒトハは一方的に通話を切られたスマホを見下ろし、ちらりと白と黒の入り混じった頭を盗み見た。穏やかに上下しているということは、もう眠りの最中だろうか。背中に引っかかった彼の指先を解いて、ヒトハはひとつ、ため息を落とした。
店の前に呼んだタクシーにクルーウェルを押し込んで十分程度。中年の運転手に気安く「彼女さんも大変だねぇ」と笑われたのを、ヒトハは愛想笑いを浮かべて乗り切った。クルーウェルの身体を支えながら店外に運ぶのにほとほと疲れて、誤解を解く気力もなかったのだ。
酔っ払いとはどうしてこんなにもめんどくさい生き物なのか。分かってはいたが、実感すると猛烈に申し訳なさが湧いてくる。だから居た堪れず視線を手元に落としていたのだが、絶賛酔っ払い中の彼は、ぼんやりとした目をひたすらこちらに向けていた。これも日頃の罰なのかもしれない。
アルコールで火照った視線を全身に浴びながら、ヒトハはただ背を丸めて黙り込んでいて、気を遣った運転手もまた、会計まで再び口を開くことはなかった。
「先生、ほら、着きましたよ」
肩を揺さぶる手を見やり、クルーウェルは顔を上げた。頭が痛むのか、眉間には深い皺が刻まれている。はぁ、とため息を吐いて、彼はヒトハの差し出した手を取った。
ぼんやりとしているのは変わらないが、眠気から覚めてきたのか、彼は思っていたよりもしっかりと歩き出した。けれどたまに地面の出っ張りに足を引っ掛けていたから、酔いが覚めているわけではないらしい。
大して役立つ気はしなかったが、ヒトハはピッタリとクルーウェルの横に付き、腕を伸ばして広い背に回した。
「鍵、持ってますか?」
「ん」
目の前にぶら下げられた銀の鍵を受け取って、鍵穴に手を伸ばす。扉を開いた拍子でずるりと崩れかけた身体を慌てて支えてやると、クルーウェルは腕をヒトハの肩に回し、何が面白いのか喉でくつくつと笑った。
「仔犬たちに見られたら卒業まで弄られますよ……」
家主のいない暗い家に「はっ」と小馬鹿にしたような短い笑いが響く。
「あいつらに見せてやるものか」
クルーウェルはヒトハの肩に回していた腕を伸ばして玄関の灯りを点け、一時間ほど前に言った言葉を繰り返した。
「お前だけだ」
するりと腕が離れていく。
彼は相変わらず熱のこもった目でヒトハを見下ろし、ほんの少し頬を上げる程度の笑みを浮かべたのだった。
「……それは、どうも」
ヒトハは不貞腐れた声で返して、玄関先から伸びる廊下に視線を落とした。
彼は「お前だけ」と特別かのように言うけれど、それも夜が明けたらなかったことになる。だって彼は“正気ではない”。自分と同じように、酔った勢いで普段と違うことをしているだけだ。これは「あれは酒に酔っていただけ」と一言言えば終わってしまうだけの話なのだ。
今更バルガスの「おあいこ」という言葉が思い出されて、ちくりと胸が痛む。彼はいつも、どんな気持ちで家まで送り届けてくれていたのだろう。
クルーウェルは家の中に入ると、ここまで付き添ってきたヒトハを置いて、勝手に廊下の先へ歩き出した。歩きながら脱いだ毛皮のコートはくるりと宙を舞ってハンガーラックに、ヒトハが手にしていた鍵は釣り糸で引っ張られたかのようにクルーウェルの手に。ついでに背後からは鍵が閉まる音がした。
「──え!? ちょっと先生、私、帰りますからね!?」
ヒトハの叫びを聞いているのかいないのか。クルーウェルは一室の扉を開いて、その中へするりと消えて行く。
「もうっ!」
彼の帰宅後のルーチンがどうなっているのかは知らないが、これだけはっきりした行動を取るのだから、それほど酔っているわけでもないのだろう。もしくはもう覚めてしまったか。だとすれば、ここに来るまでに散々振り回してきたのは、わざとかもしれない。
ヒトハはふつふつと湧いてきた怒りのままに扉を開け放った。
「先生、まさか酔ってないんですか!? ──あれ?」
威勢よく飛び込んだ部屋には、どうしてか誰の姿も見当たらない。灯りの点いていない真っ暗な部屋だ。ぼんやりと見える木製の家具を目でなぞり、気配を感じて視線を落とす。
そこにはこと切れたようにベッドに突っ伏している男がいた。
「ね、寝てる……」
ヒトハはそろそろと近寄ってベッドに埋もれた横顔を覗き込んだ。完全に寝ている。あれだけハキハキと動き回っておきながら、数分も経たないうちに夢の中だ。
(本当に疲れてたんだ……)
この部屋に入る光といえば廊下の照明くらいのものだったが、それでも穏やかとは言いがたい寝顔がはっきりと見てとれた。いつも平然と仕事をこなしているから、こんなに疲れた顔は見たことがない。
ヒトハはふと、クルーウェルの襟元が喉に食い込んでいるのを見つけた。よく見ればネクタイは締めたままだし、ベストもしっかり着込んだままだ。
これではさすがに寝苦しかろうとネクタイの結び目に指を伸ばす。
「なんか、みんなこのへんを引っ張ってたような。──えい」
「ぐっ!」
クルーウェルは唐突に首を引っ張られて訳も分からず目をチカチカとさせた。生徒たちがよくネクタイを緩めるのに結び目を引っ張っていたから、これで少し緩むと思ったのだけれど。
彼は半分寝ぼけたまま忌々しげな声で「貴様、タイが傷むだろうが……」とネクタイを気遣うと、むくりと上半身を起こした。おまけに舌打ちまで付けて「いいか」といつもより数段低い声で言う。
「乱暴に引っ張るな。正面に引くな。こうだ」
結び目を緩め、下がっている部分を引き抜く。クルーウェルはその動作をジェスチャーでやってみせて、真似るように促した。
ヒトハは仕方なく屈んで首元に手を伸ばした。誰がどう見たって自分でできるはずなのに、どうして手伝わされているのか。自分よりずっと太い首に目が行きそうになるのを引き戻しながら、ヒトハは見せられた通りネクタイをほどいた。
「もう、自分でできるなら自分でやってくださいよ……」
「眠い」
片手で顔を覆ってあくびを噛み殺す。
これ以上は自分では何もしないだろうと悟って、ヒトハはついに自棄になった。
どうせ夜が明けたらなかったことになる。どうせ覚えていない。酔っていたのだから仕方ない。──そして明日には全てが元通りになるのだ。
「せっかくネクタイ取ったんですから、ボタンも外してください!」
ヒトハはクルーウェルの黒い胸倉を引っ掴んでボタンを無理やり外してやり、ベストにも手をかけた。ここまできたらボタン一つも二つも同じことである。
「ベストも! ほら脱いで!」
シャツと同じ赤いボタンを五つ外して襟を引っ張る。意外なことにクルーウェルはされるがままで、ベストはすんなりと脱げた。
彼はぼさついた前髪を面倒そうに掻き上げて、気だるい声で言った。
「ベルトは外してくれないのか?」
ヒトハは一瞬、ベストを手にして考え込んだ。
ベルト。確かにスタッズがついた彼のベルトは硬いし重いしで寝るには邪魔だ。でもなんでわざわざ自分に──理解ができたと同時に、ヒトハはベストを勢いよくクルーウェルに投げつけた。
「私が帰ったら一人で外してください!!」
酔ってもないのに顔を真っ赤にして、声をひっくり返しながら怒鳴る。クルーウェルはそれが愉快でたまらないのか、再びベッドに突っ伏して肩を震わせた。
せっかく家まで送ったのにタチの悪い酔っ払いに絡まれた気分だ。やはり酔っ払いは面倒くさいし、ろくでもない。たとえ“おあいこ”であったとしても。
憤慨して寝室の扉に向かっていくヒトハを、クルーウェルは笑いたいのか眠たいのかよく分からない声で呼び止めた。
「行くな。今日はもう送ってやれん」
「酔っ払いに送ってもらわなくても大丈夫です!」
「帰らなければいいだろう」
ぐっと後ろ襟が引っ張られる。ヒトハはその場で踵をつるりと滑らせた。
「わ!?」
魔法だと気が付いた時には引き戻されたベッドにダイブしていて、勢いで跳ね上がった布団に紛れながら無防備な体に何かが巻き付く。
「今日は俺を慰めてくれるんじゃないのか?」
「はぁ!? い、いや、そうですけど、こういうことではなく!」
じたばたとスプリングをしならせながら暴れるヒトハを、クルーウェルは片腕で抑え込んだ。後ろから抱きすくめられて小さな悲鳴が漏れる。
嗅ぎ慣れた香水とアルコール、火照った体に滲んだ汗の匂い。酔っ払いの介抱に駆け回ったロマンチックの欠片もない夜に、どうしてこんなことに。どうせ忘れるくせに。
もしも。もしも、こんな時に相応しい言葉と行動を選べるほど人生経験があったなら。もっと自分に余裕があれば、もっとマシな言葉が選べただろうか。
あまりの羞恥に脳が溶けてしまいそうになりながら、ヒトハは辛うじて言葉を声にした。
「よ、酔った勢いは、嫌です……」
彼は数拍空けて喉の奥からじわじわと笑いだし、「分かってる」と掠れた声で言った。
「テディベアを抱いて寝るようなものだ。今日だけ付き合え」
「え? ぬ、ぬいぐるみ……?」
ヒトハは不本意に抱きすくめられた自分の腹回りを見下ろし、もうどうすればいいのか分からなくなった。彼にとってはここに綿が詰まっているらしい。ひとりで勝手に恥ずかしがったり怖がったりしていたのが急に馬鹿らしくなってきて、頭が一気に冷めていく。
いっそ振り切って家から出て行ってやろうか。でも、そうしたらテディベアはいなくなり、何やら人恋しいらしい彼をひとり置いて行くことになる。
強張った体から力を抜いて、ヒトハは深いため息を吐いた。背後に穏やかな呼吸を感じていると、もうこのままでいいかと諦めが勝ってくる。
どうせ夜が明けたらなかったことになる。どうせ覚えていない。酔っていたのだから仕方ない。今夜のことはなかったことにして、明日には全て元通りになるのだ。
「“私だけ”ですか?」
ん、と微睡んだ声が返ってくる。どうせもう、ろくに聞こえてはいないだろう。
ヒトハはベッドに頭をうずめた。
「……私だけなら、付き合ってあげてもいいですよ」
***
最初に感じたのは額の奥から響く頭痛。そのあとに温かさ。それから寝苦しさと気怠さ。何か柔らかいものを抱いていることに気がついて、ゆっくりと目を開いた。
頭だ。柔らかな髪には見覚えがあって、少しだけ甘い香りがする。
彼女がここにいるはずはない。ここは自宅の寝室で、明るさからして朝の時間帯だ。
「なんだ。夢か……」
頭痛と普段着の寝苦しさを除けば、随分と穏やかな夢である。
クルーウェルはまさしく目と鼻の先で縮こまる身体を引き寄せて深く息を吐いた。夢の中で二度寝というのも悪くはないだろう。瞼を下ろし、再び微睡の中に沈んでいく。
「夢ではありません」
と、げっそりとした声が聞こえるまでは。
「は?」
意識が急浮上して、視界が一気にクリアになっていく。よくよく考えてみれば、こんなにはっきりと思考ができる夢というのも珍しい。
ここにいるはずのない彼女──ヒトハは、のっそりと起き上がって、うねった前髪の隙間からクルーウェルを見下ろした。ハイライトのない目の下に、濃いくまが浮かんでいる。
「私、昨日仕事終わってから、お酒を一杯しか飲んでないんです。ご飯も食べてなくて。それで、酔った先生をここまで連れて来て、全然寝れなくて、頭痛くて、気持ち悪くて」
ヒトハの恨み節が続くにつれ、クルーウェルは失っていた記憶を少しずつ思い出した。延々と愚痴を言いながら酒を飲んでいた気がする。隣で聞いてくれていた彼女はグラスが空になるタイミングで新しいグラスを差し出してくれていたから、気が利くなと思っていたものだが。
それ以降がどうしても思い出せず頭を抱えていると、ヒトハは青い顔をさらに青くして口元を手で押さえた。
「はきそう……」
「なんだと?」
「きもちわるい」
「いや、待て」
ヒトハは虚な目をして両腕をベッドの上に彷徨わせ、ぐしゃぐしゃになったベストを手に取った。
「も……吐く……」
「まてまてまて! それに吐くな! やめろ!」
慌てて立ち上がるのと同時に頭痛と吐き気が襲ってくる。身体に重い二日酔いの気配を感じて、クルーウェルは昨日の行いを深く後悔した。それよりも、今は目の前で死人のような顔をしている彼女をどうにかするのが先決だ。
とにかくベストも寝室も汚されるわけにはいかない。その一心で抱き上げた身体を踞らせ、ヒトハは唸った。
「う゛うーっ!」
「やめてくれ!!!!」
その日、疲れ切った顔で働くクルーウェルを見て、少しだけ仔犬たちがお利口になったという。
秋風が吹き始めた、穏やかな日のことである。
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