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四度ある話

 〈なんでもない日のパーティー〉は、白い薔薇を赤く塗らなければならない。そうハートの女王がお決めになったのだ。
 だからエースとデュースは丁度無くなってしまった赤いペンキを補充しに、校舎近くの倉庫へやって来た。

「げぇ、重すぎんでしょ、これ」
「さすがに重いな……」

 備品管理のゴーストから受け取った缶にはなみなみと赤いペンキが注がれていて、腕が千切れんばかりに重い。浮遊魔法をまだうまく使えない二人は魔法に頼ることもできず、人選ミスだと文句を垂れながら寮へ戻るしかなかった。

「校舎突っ切って行こうぜ」

 寮への道は外を大回りするよりも突っ切ったほうが早い。ただでさえ鏡舎まで長いのに、悠長に回り道なんてしていられない。
 裏口を指差しながらエースがそう主張し、デュースはそれに反対する理由もなく、そうだな、と頷いた。

***

 週末のゴミ捨て当番は、くじを引いて決める。そう先輩が決めたのだ。
 最近の流行りは運試し。そしてちょっとした罰ゲームである。先輩ゴースト達はヒトハを巻き込んで気まぐれに仕事を楽しんでいた。
 少し前までお堅い会社で働いた身としては多少緩いくらいが働きやすいと思うものだが、ゴースト達はたまにびっくりする緩さで働き始めるものだから、本当にこれでいいのか不安になる。それでも仕事はきっちりこなせているから誰も文句は言わないのだけれど。
 そういうわけで、ヒトハは四回目のハズレに肩を落としながら両手にゴミ袋を持って校舎を歩いていた。あれだけの数のゴーストがいながら四回もハズレを引くとは、もはや呪いにかかっているとしか思えない。
 今度呪術の先生に見てもらおう、とぶつぶつ文句を垂れながら丁度曲がり角に差し掛かった時、本日二度目の不幸がヒトハを襲った。

「あーっ!」
「わぁ!」

 突然何かにぶつかり、足を滑らせ、腰を強かに床に打ち付ける。それだけでも最悪なのに、床についた手がぬるりと滑るのだ。
 ヒトハはわけもわからないまま手を目の前に広げた。

「ぎゃー!!」

 手が真っ赤に濡れている。
 それどころか胸から足元までべったりで、ヒトハは既視感に叫び声を上げた。
 血を見る羽目になったのはここ最近で何度目か。いささか多すぎやしないか。
 と、経験の多さゆえに「なんかよくわからないけど大量に出血した」と信じたヒトハの肩を揺さぶったのは、同じく真っ赤に制服を染めたエースだった。

「ごめん、ヒトハさん! これペンキ! ペンキだから!」
「ぺ、ペンキ……?」

 そこでようやくヒトハはこの赤色がなんなのかを理解した。

(残業確定……)

 真っ先に思い浮かんだのは、“自分の仕事があと何時間増えたか”である。
 ゴミを捨てたら終わりだと思っていたのに、今日はこのぶちまけられた赤いペンキの片付けまでしなければならない。残業は免れないし、今日のマジフト観戦と晩酌はお預けだし、まずもってこの体についたペンキが落ちるか分からない。

「はは、確かに、これ食堂で吐いたやつより多いですね」

 あまりのことに笑いが出る。これが本物ならとっくに失血死だ。
 冗談まじりに力なく笑うヒトハを見て、エースは引き気味に「笑えないっしょ」と呟いた。意外と冗談の線引きはきっちりとしているらしい。

「ていうか、なんでペンキ……」
「あー、それは」

 エースは気まずそうに目を逸らして、背後で律儀にペンキの缶を抱えているデュースに振り返った。彼もまた気まずそうに眉をハの字に下げて「すみません……」と答える。
 聞くところによると今日は〈なんでもない日のパーティー〉で、白い薔薇を赤く塗るために足りないペンキを取りに来たのだという。そもそも赤い薔薇を植えればいいのに、とヒトハは思ったが、そんなことは目の前で足りないペンキと赤く塗れた制服をどうするかで頭を悩ます二人に言ってもしょうがない。
 寮長がそうと決めたら白い薔薇を赤にしなければならない。それがハーツラビュル寮である。
 それにしても、と改めてこの酷い光景を見てヒトハはため息を隠し切れなかった。床は言わずもがな、よく見たら壁にも飛んでいるし、全て綺麗に落とすのは魔法の力をもってしても難しそうだ。
 そもそも、この血濡れのような真っ赤な状態で掃除道具を取りに行かなければならないのだ。靴は捨てて素足で行くか、などと考えていると、恥ずかしいというよりなんだか惨めな気がした。

「そんなにいっぱいのペンキが入った缶を持って歩いたら、落とさなくとも溢すくらいはあるかもしれません。次からは外を回ってくださいね」

 エースとデュースは「はぁい」としおらしく答えた。普段の元気良さから比べるとずいぶんと落ち込んでいて、今回ばかりは彼らも反省したようだ。
 ヒトハはそんな二人を見て「そういうこともあるか」と気持ちを納得させた。肝心なのはこれからのことで、起きてしまったことをとやかく言うのも無駄なことだ。

「さて、そろそろ片付けましょうか」

 そう言って立ち上がろうと片手を床について前屈みになった時、「あっ」とデュースの驚いた声が聞こえた。
 それとほとんど同時に強く両肩を押され、ぐんと上半身を起こされる。目の前に血相を変えたクルーウェルがいて、ヒトハは「へ?」と間抜けな声を上げた。

「大丈夫か!?」

 そのあまりに切羽詰まった様子は、まるで今にも死にそうな人を見ているかのようだ。

「…………ん?」

 クルーウェルは赤いペンキの上に片膝を着いてヒトハの頭の天辺から足元まで視線を走らせると、すん、と匂いを嗅いだ。険しく寄った眉間の皺が緩み、徐々に表情を無くしていく。

「おい、まさかとは思うが、これはペンキか?」
「……はい」

 ヒトハはエースたちがそうしたように気まずく視線を反らした。思えば血を見る羽目になった回数はクルーウェルも同じで、「なんかよくわからないけど大量に出血した」状況を咄嗟に信じてしまうのも無理のないことである。
 が、この状況は眩暈がするほどに悪い。彼が今まさにペンキで濡らした服は、自分のような代替が利く制服ではなく、ファッション好きが選ぶ仕立ての良い私服。到底ペンキなどで汚していいものではない。

「お前は知っていると思うが、俺は、この服を気に入っている」
「いつも着てますもんね」
「そうだな」

 肩に置かれた手に力が込められる。至って静かな声には抑揚がなく、尋常ではない怒りが垣間見えた。

(やばい……)

 何も悪いことはしていないはずだ。むしろ自分は被害者で怒られることは何もないはずなのに、どうしてこうも逃げ出したくなるのだろう。
 だらだらと冷や汗を流しながら、ヒトハは気が付いたら「でっ、でも!」と言い訳を口にしていた。

「これはエースくんたちがペンキを運んでいて、うっかりぶつかっちゃったからで……! ね、エースく……い、いない!?」

 いつから!? と叫ぶが当の本人たちは知らぬ間にどこかへ行ってしまって当然分かるわけもなく。
 あんなにしおらしくしていたのが嘘かと思うほどの逃げ足の速さである。エースはともかくデュースまでいなくなっているのは、エースに引っ張られたからだろうか。そうだと信じたい。

「おい、こっちを見ろ駄犬。理由によってはただでは済まさんぞ」
「ううっ、私悪くないのに……」

 本日三度目の不幸にヒトハは力なく項垂れた。
 説明したら分かってくれるだろうか。分かってくれたところで彼の怒りを静めなければならないから、どのみち大変な目に遭うことは間違いないが。
 ──さすがにもうこれ以上の不幸はないだろう。
 そう思った瞬間、ヒトハはそれは大きな間違いだと悟った。
 曲がり角から現れたバルガスが「うお!?」と叫び声を上げたところでついにやって来た四度目の不幸は、考えうる限り最悪の形で降りかかったのだった。

「ヒトハ!? 大丈夫か!! ──あっ」

 ズッ

「あ゛」

 クルーウェルとヒトハは駆け寄ろうとしてペンキで足を滑らせたバルガスを見上げた。
 二度あることは三度あるのなら、三度あれば四度もあるのだろう。
 その後のことは推して知るべし、である。

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