short

かまってほしい

「ナガツキ」
「…………」
「おい」
「…………」

 1だったか3だったか、はたまた9だったか。
 ヒトハは鉛筆の先を紙の上で彷徨わせた結果、それをぽいと机の上に投げた。魔法薬学室のだだ広い空間に、軽い木の棒が転がる音が響く。

「あとちょっとで思いつきそうだったのに!」

 むしゃくしゃして叫んだ声に応えたのは、外で走り込みをしているマジフト部の掛け声だ。ヒトハは正面でつまらなさそうに片肘をつき、拳に顎を載せる男を睨んだ。

「もう! 先生、邪魔しないでください!」

 クルーウェルは予想以上に腹を立てたヒトハに少し驚き、しかしすぐに深い笑みをたたえる。

「三十分以上もかかってるじゃないか。いい加減諦めろ」
「嫌です!」

 クルーウェルが書きかけの紙を指でトントンと叩く。その紙には九列九行のマスと、いくつかの数字が印刷されていた。
 これはヒトハが魔法薬を受け取りに魔法薬学室へ来てからずっと必死で解いている、〈ナンバープレース〉というゲームである。規則に従って数字を埋めていくだけの単純なゲームだが、やってみると、これがなかなか難しい。暇を持て余した生徒にやらされてからというもの、ヒトハの中でちょっとしたブームとなっていた。 
 再び黙り込んで紙を睨み始めたヒトハの前で、クルーウェルは三十分間ずっとそうしていたように、つまらなさそうに口を噤む。ヒトハは彼が何か言いたげにしていることに気づいてはいたが、ずっと知らないふりをしていた。あと少しで解けそうなのだ。終わってからでも遅くはない。
 ヒトハは前髪のあたりに視線を感じながら、転がした鉛筆を拾おうとして──宙を掴んだ。

「あっ」

 赤い指先につままれた鉛筆を目で追っていると、目の前に置いた紙までスッと奪われてしまう。その辺に放っていた消しゴムを拾って、クルーウェルは無言でヒトハの書き込みを消していった。

「ちょっと……」

 と、手を伸ばそうとしても鬱陶しそうに払われてしまうのだから、もうどうしようもない。
 結局、瞬く間に数字で埋まっていくマス目を眺めることしかできず、ヒトハはクルーウェルがそうしていたように頬杖をついた。苦戦していた問題の答えを突然見せつけられるのは面白くないし、こうも簡単に解かれては、やり甲斐がないというものだ。
 クルーウェルはあっという間に問題を解くと、それをヒトハに返しながら「簡単だったな」と鼻で笑った。

「もー、せっかく頑張ってたのに」
「ほとんど間違えてたぞ」

 机の下で足を蹴ってやろうとして空振る。つま先は上等なスラックスに掠りもしなかった。

「それで、何か言いたそうにしてましたよね? 何ですか?」

 クルーウェルはヒトハのジトリとした目を微笑で躱し、「なにも?」と言ってのけた。なにもないわけがないのだ。あれだけの視線を寄越しながら。

「気になる! 何ですか!?」

 ヒトハは身を乗り出してクルーウェルに詰め寄った。だというのに、返ってくるのはどこか意味ありげな笑みだけだ。
 ますます気になってどうにか答えを吐かせようとするヒトハに対し、クルーウェルは頑なに答えを教えようとはしなかった。

「ちょっと! 教えてくださいよ!」

 その攻防はついに解散の時間まで続き、脇に追いやられたナンバープレースはすっかり忘れ去られ、ヒトハのブームは、その日に終わりを迎えたのだった。

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