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十年後の話
「今回の授業で使用した星屑草は深い森の奥地、主に湖の近くなどの水場に群生する。十年に一度だけ淡く発光する花をつける珍しい植物で、その様子が星屑を散りばめたように見えることから星屑草と名付けられた。この星屑草は我がナイトレイブンカレッジの植物園でも栽培されているわけだが──」
そこまで言って、クルーウェルは手にした指揮棒の先で手のひらをトントンと叩いた。
「実は先ほど、植物園の管理人から今夜開花する予想との連絡を受けた。興味のある者は寮長の許可を得て、本日午後七時に植物園の入り口に集合すること。一生のうち一度見れるかどうかも分からない貴重な機会だからな。用事がなければ見ておくといいだろう」
教室に授業終了の鐘が鳴る。生徒たちが教科書やノートを片付け始める音を遮るように、クルーウェルは声を張った。
「それでは本日の授業は終わり! 課題は明後日の放課後まで受け付ける。忘れず提出するように。いいな」
***
ナイトレイブンカレッジの植物園には、ツイステッドワンダーランド中の貴重な植物が集められている。主に魔法士にとって必須の技能である魔法薬や毒薬の調合に使われる植物で、とりわけ大規模な温室では、賢者の島の環境では栽培できない植物も多い。
星屑草もその温室で育てられている植物の一つで、本来なら森の奥深くまで行かなければ見ることすら叶わない。しかし、この学園であればそれも難しいことではなかった。
クルーウェルはその日の夜、指定された時間に集まった生徒たちを連れて、植物園に入った。夜中に足を踏み入れることがなかなかないということもあって、生徒たちはざわめき、どこか遠足気分である。そんな彼らを連れて回るのは一苦労だったが、しかしクルーウェル自身も浮き立つ気持ちがないわけでもなかった。
なんせ十年に一度。場所もタイミングも合わなければ、まずお目にかかることはない。魔法薬学の教鞭を執る者として、「ぜひ見ておきたい」と思うのは当然のことだろう。
目的としている星屑草のある場所は日中でも薄暗く、ひんやりとした湿気を感じるエリアにある。普段から鬱蒼とした森を思わせる環境ではあるが、月が昇った夜であればなおのことだった。足元にライトが点いているから歩くのに不便はないが、辺りを見るには心もとない。
だからこそ、その神秘の輝きが映えるのだ。星屑草は植物園の一角で、地上に夜空を落としたかのような美しさをもって、そこに咲き誇っていた。
「星屑草は一度開花すると約七日間で枯れてしまいます。十年に一度咲く理由もいまだに解明されていなくて、こうして見ることができるのはとても貴重なことなんですよ」
「へぇ〜。ヒトハさん、何で知ってんの?」
「魔法士養成学校を卒業しているからです。……前も言いましたよね、これ」
そんな会話を耳の後ろで聴きながら、本来いるはずのない人間の存在に、クルーウェルはいつも通りのため息をついた。
「何でお前がここにいる」
ヒトハは数人の生徒に囲まれながらクルーウェルのほうへ振り返ると「先生、こんばんは」と呑気に挨拶を返してきた。
「生徒たちに教えてもらって、面白そうだから来ちゃいました。あ、管理人さんには許可を貰ってるので、私のことはどうぞお気になさらず!」
そう言いながらちゃっかり生徒に混じっているのだから、気にしないでいるのは無理がある。どうせ近くをうろうろしていたら、仲のいい生徒にでも呼び止められたのだろう。断らずに解説までし始めるあたり、相変わらず生徒たちへの世話焼きっぷりは相当なものである。
クルーウェルは生徒たちにしばらく自由に見て回るように伝えると、しゃがみ込んで花を眺めているヒトハのそばへ寄った。
彼女は何となく気配を察したのか、特に驚きもせず、見上げることもなく、ただため息をつくように「綺麗ですね」と呟く。
「次に見れるのは十年後ですね。……十年後、私、何してるかなぁ」
「さあな。またここで花を見てるんじゃないか?」
それはなんとなく、そんな気がしたから口にしてみた言葉だった。遅れてその光景を思い描き、「これはなかなかあり得るかもしれない」と、ひとり納得する。これだけ生徒たちと楽しそうに過ごしていながら、どこか違う場所にいるとは思えなかった。
「先生は?」
ヒトハはクルーウェルを見上げながら、膝の上で頬杖をついた。淡く発光する星屑草に照らされて、彼女の大きな瞳がいっそう子どものように輝く。
自分はどうだろうか。クルーウェルはヒトハの質問に少しだけ眉根を寄せた。
この仕事を続けているかもしれないし、辞めているかもしれないし、薔薇の王国に帰っているかもしれないし、いないかもしれない。大人の身ではあまりに選択肢が多く、不確定な未来を予想するのは難しい。
「またここで花を見てるかもな」
ヒトハはクルーウェルの答えを聞いて、悪戯っぽく笑った。
「じゃあ私たち、十年後も一緒ですね」
「俺はお前と十年も一緒にいなければならないのか」
「いいじゃないですか。ひょっとすると、二十年後も三十年後も一緒にいたりして」
可笑しそうに笑いながら、ヒトハはそっと花に視線を戻した。十年に一度、たった七日間しか咲かない花の姿を、目に焼き付けるかのように見入っている。
どうせ十年後もここで見るだろうに、と思うと無性におかしく思えた。先ほどの会話からすると、そこに自分もいる予定なのだ。
「あー! 先生とヒトハさんがいちゃついてる……!」
「はぁ!? 違います! 私と先生は、お話をしているんです!」
ヒトハが慌てて言い返すと、どっと生徒たちの笑い声があがる。
思春期の彼らは男女の仲を詮索するのが楽しくて仕方がないのだろう。クルーウェルは無視を決め込んでいたが、ヒトハは毎回懲りずに反論している。それが生徒たちにとって、余計に面白いのだということも分からずに。
しかし今日の彼女は、いつもなら延々と戦うところを切り上げて、彼らに諭すように言った。
「私に構ってないで、ちゃんと花を見ないといけませんよ。これが人生で最後かもしれないんですから」
そして思いついたように「でも」と続ける。
「もしどうしてもまたこの景色が見たくなったら、十年後に学園に遊びに来たらいいですよ。私と先生がいますからね」
管理人さんに話をつけてあげましょう、と胸を叩く。勝手に他人を巻き込んでいながら、ずいぶんと大口を叩くものだ。
「ですよね、先生?」
不意に振り向いた彼女は、地上の星々を背に、花が綻ぶように笑ってみせる。
その先も、そのまた先も共にいることを信じているのだろう。子どもならまだしも、大人の身であれば、そんな曖昧な未来を信じることなど、できないだろうに。
「……そうだな」
お利口にできるのなら聞いてやってもいい。そんなことを口走りながら、その瞬間、彼女と同じ未来を見た。
十年後のこの場所で、並んで花を眺めている。そんな曖昧で優しい未来だ。
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