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清掃員さんと統一試験
──好きな食べ物を教えてください。
「サザエの壺焼きです。渋い? 大人ですからね」
──学生時代のことを教えてください。
「んー、何も面白いことなかったですよ。ちょっと人より喧嘩が多かったかも? 実は私、負けたことないんですよ。すごいでしょ?」
──彼氏はいるんですか?
「いません。なんです、その顔は?」
──次の魔法薬学のテストの予想を教えてください!
「私が知るわけないでしょう。あ、でも先生が宵闇草の状態をやたら気にしてたから、実技はそれ関係かもですね。保証はしませんよ?」
──クルーウェル先生の休日の過ごし方を教えてください。
「ええ? 知りませんよ。本人に聞いてください。というか、なんで私が知ってると思ってるんですか?」
──クルーウェル先生に彼女っているんですか?
「だから知りませんって。本人に聞いてください」
──クルーウェル先生って結婚願望あるんですか?
「さぁ? あれだけの趣味をお持ちなので、ないんじゃないですか?」
──実は先生と付き合ってます?
「は……はぁ!? 付き合ってないです! 失礼ですよ! やめてください!」
──この前のホリデーの夜はどんな熱い夜を過ごしたんですか~?
「あの日は記憶がなくて……じゃない! こら、エースくん! あなたは質問禁止です! まったく、これだから男子学生は!」
ヒトハは食堂のテーブルを手のひらで叩きながら、ニヤニヤ顔のエースを睨みつけた。脇には金色に輝くメダルが積まれていて、テーブルを叩くたびに不安定に揺れる。
これは〈クロウリーメダル〉と呼ばれる、この学園で現在行われている統一試験の報酬だ。試験に報酬というのも奇妙な話だが、この学園の一癖も二癖もある生徒たちのやる気を起こすには、これが一番なのだろう。集めたメダルはサムのミステリーショップで好きなものと交換ができると聞けば、一部のマドルに困らない生徒を除いて、頑張らない生徒はいない。
そして今、ヒトハのテーブルにはこのメダルが積まれている。これはメダルの交換内容に“クルーウェル先生にプライベートな質問ができる権利”という奇妙かつ誰が得をするのか分からないものが存在していることが原因だった。生徒が交換で余ったメダルを面白半分に持って来て「これ一枚で一つプライベートな質問に答えてください」という遊びを始めたのだ。昼休みに暇を持て余していたヒトハは「面白そう」と二つ返事でそれを受け、今に至る。
「大体ですね、私に先生の質問をしないでください! その集めたメダルで先生のところに行ってくださいよ!」
「だってクルーウェル先生のところに行くと最低四十枚もかかっちゃうし」
「体よく節約に使われてるの、腹が立ちますね……」
ぺろりと舌を出して悪びれる様子もないエースを見て、ヒトハは奥歯をギリギリと噛み締めた。居合わせたエペルがまぁまぁとふたりをなだめる。
いくらプライベートな質問をしてもいいと言っても、相手は彼らの飼い主ことデイヴィス・クルーウェルである。踏み込みすぎるとどんな仕打ちが待っているか分からない。とあれば、あまりにプライベートな話題はメダル一枚で何を聞いてもちょっと腹を立てるだけの清掃員に聞いたほうが効率がいいのである。
ヒトハもそれは理解できたが、このテーブルに積まれた数十枚にわたるメダルのほぼ半数以上が彼の話題となってくると「いい加減にして」という気持ちも湧いてくる。自分も知らないようなことを憶測で喋るのは疲れるし、何より、勝手にあれこれ言うのは彼に申し訳なかった。
「でも僕もクルーウェル先生とヒトハサンが一緒にいるのをよく見るし、何でも知ってるって思っちゃうかな?」
エペルは小首を傾げながら遠慮がちに言った。
「それは、みなさんよりは知ってるとは思いますけど……」
ヒトハは答えに詰まった。彼と一緒に過ごす時間は、生徒たちと違って雑談をしていることのほうが多い。その分たくさんのことを知っているはずだが、エペルの言葉に自信を持って頷けるほどでもなかった。
自分は彼のことをどれだけ知っているのだろう。考えたこともない問いを突き付けられて、ヒトハは急に不安になった。知っているようで知らないことは山ほどあるはずだ。
そうこうしてる間にメダルはついに四十枚に到達し、食堂内に昼休み終了の鐘が鳴ったのだった。
「と、いうわけでここにメダル四十枚があります」
「仔犬どもの行いは不問とするが、それも学園の備品のようなものだ。回収させてもらうぞ」
クルーウェルがメダルの入った袋に手を伸ばそうとしたのを、ヒトハはサッと回避した。ぴくりと形の良い眉が動いて「どういうつもりだ?」と苛々した声で問われる。
「せっかく四十枚あるし、私も何かプライベートな質問、してみたいと思って」
「お前には包み隠さず色々と話しているつもりだが? まぁ、いいだろう」
クルーウェルは思っていたよりもすんなりと引き下がった。しかし改めて考えると、日々の雑談で聞きたいことは大体聞いているから、これといって思いつかない。強いて言うなら、昼間のエースが言っていたような色恋沙汰だろうか。かといってその辺りの話はお互い自然に聞くこともなかったし、今更聞くのもなんだか気が引ける。興味がないわけではないが。
「んー、何にしようかな……」
「なんだ、考えてこなかったのか? 俺は試験真っ只中で忙しいんだ。手短に話せよ」
悩み始めたヒトハに対してクルーウェルはどうやら急いでいる様子だ。ちらちらと時計を見ては「早くしろ」と急かすので、忙しいのは本当らしい。
「せ、急かさないでくださいよ。思いつかなくなっちゃう」
「挙手したのなら質問は手早く、簡潔に」
「そうは言いましても」
「ないならメダルは回収させてもらうが? いいな?」
「ま、待って」
クルーウェルが口早に、半ば言葉に被せるようにして畳み掛けてくるのを慌てて制しながら、ヒトハは必死に頭を捻った。普通に考えれば何ともないことなのに、こうも急かされては出てくるものも出てこない。
「あっ」
考えているうちにサッと袋を取り上げられて、ヒトハはいよいよ焦った。そして焦った勢いで、咄嗟に浮かんだ質問を口にしたのだった。
「すっ、好きな食べ物は、何ですか……」
言うに事欠いて好きな食べ物である。エレメンタリースクールの子どもたちでもまだましな質問をするだろう。ヒトハはまったく無駄なことにメダルを消費したことを後悔しながら、顔を覆った。
「………………レーズンバターだ」
クルーウェルはたっぷりと間を置き、静かに答えた。声に呆れが滲み出ていて、ただでさえ恥ずかしいのに耳まで熱くなってくる。こんな質問こそ日々の雑談で聞くべきなのに。
「手を出せ」
「はい」
ヒトハは顔を覆った手をそろそろと前に差し出した。先ほど取り上げられた袋が載せられ、ずしりとした重みに手のひらが沈む。
「え?」
「さて俺の質問だが、『俺のことをどう思っている?』」
実に模範的な質問である。普段の雑談では聞きにくく、こういう特殊な場面では聞きやすい。かつ多少なりとも強制力があり、興味がある質問。
ヒトハは口を曲げた。こちらには大した質問もさせなかったくせに。
「嫌味で意地悪な教師」
ヒトハが不貞腐れた声で返すと、クルーウェルは露骨にがっかりした様子でため息をついた。
「そうか、残念だ。俺はお前を躾甲斐のある間抜けで愛らしい駄犬だと思っているんだがな」
「そういう言い方がまた嫌味っぽいんですよね。というか、それを言いたかっただけでしょう?」
クルーウェルは口の端を吊り上げながら「よく分かったな」と笑った。
「そのメダルはサムのところに持って行くといい。まぁ、大したものにはならないだろうが、菓子ひとつくらいにはなるんじゃないか?」
ぽん、と肩を叩かれたかと思うと、彼はそれだけ言い残して仕事に戻って行く。ヒトハは呼び止めるタイミングを見失って、手のひらの重い袋に目を落とした。
要するに、どうせサムのところに持って行くメダルだからお前が持って行け、ということである。これも聞かなくたって分かる。
「仕事、押し付けられちゃった……」
ヒトハはぶつぶつと文句を言いながら購買部へ赴き、メダルの袋を片手に扉を叩いた。そしてカウンターで暇を持て余すサムの前に、ドンと置いて一言。
「レーズンバターください。……あと、あればワインも」
当然メダルの交換対象になるわけもなく、不要な出費になってしまったのは言うまでもない。ただ少し、彼の好きな食べ物がどんなものなのか気になったのだ。
その日の夜。晩酌をしていると昼間の失態がじわりと思い出されて、ヒトハはグラスを片手にぼんやりと思った。
(そういえば先生、彼女いるのかな……)
なんだかんだで、やはりこれが一番気になる。次に四十枚集めたなら絶対にこれを聞こう。でももし彼女がいたらどうしよう。どういう顔をすればいいのか分からない。──やっぱり知らないほうがいいのかもしれない。
もやもやとしながら摘まんだレーズンバターは甘酸っぱく、彼の好物らしい品の良い味がした。
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