清掃員さんとバックステージ イン プレイフルランド(3/3)

03

 深夜の麓の街を彷徨いながら、ヒトハはジャミル、デュースと共に港で感じた魔法の気配を辿っていた。いつもなら人で賑わっている街も、今はシャッターだらけで物静かだ。たまにひとりふたり見かけても、暗がりの中で顔を見ることもなくすれ違っていく。
 魔法力も魔力もない自分にできることは多くはない。空を飛んで生徒を探すこともできないし、イデアのようにオルトと連絡を取る方法を探すこともできない。今できるのは、自分の足を使い、感覚を頼りに有るか無いか分からない手がかりを探すことくらいだった。

「ヒトハさん」

 街中でようやく同じ魔法の気配を見つけた時、ジャミルはヒトハを呼び止めた。
 彼はカリムが居なくなってからというもの、焦りのせいか酷く疲れた顔をしていた。守るべき主人が消えたのだ。従者としての責任が問われる彼にとっては、芳しくない状況であることは間違いない。
 それでも彼は、深夜の街を駆けずり回るヒトハを気遣った。

「俺たちや先生たちならともかく、ヒトハさんはもう帰ってもいいんじゃないですか?」

 消えた生徒たちは友人でもなければ主人でもない。それにヒトハ・ナガツキはただの清掃員であり、日頃の生活を指導する教師でもない。ここで帰ったとしても誰からも責められることはないのに、どうしてそんなに必死なのか。
 改めて問われると、そうかもしれないと思った。自分の仕事は掃除であって生徒の指導ではないし、こうして生徒を探し回ったところで、誰に評価されるわけでもない。だからといってこのまま家に帰れるかと言うと、それは無理だろうと思う。
 ヒトハは静かに首を横へ振った。

「だって、心配なんです」

 みんなの命はお金には代えられない。王族は大事、一般の生徒は大事じゃない、なんて話でもない。凄い魔法士だから心配ない、なんてこともない。

「みんなが大切だから、心配なんです。無事な姿を見るまで帰れません」

 言いながら、ヒトハはあの苦い夜のことを思い出した。あの時グリムに言ったことは、大人として──学園職員としてのただの建前だったのではないか。

(こう言えばよかった……)

 下手に大人ぶって叱るべきではなかったのだ。大切だから守らなければと思う。大切だから危ない目に遭っていないかと心配する。心配させないで欲しい。ルールを守って欲しい。たったそれだけのことだったのに。
 ヒトハは落ち込んだ気持ちを振り払うように微笑んだ。

「お二人こそ、大丈夫ですか? 今日も授業ですよ?」

 そう言われて、デュースとジャミルは不意を突かれたように目を見開く。どうやら今日が平日で、朝が来れば授業が始まることを忘れていたらしい。
 それでも二人は力強く頷いた。

「僕もまだ探します! ダチを放って帰るなんて出来ません!」
「もちろん、俺も一緒に手がかりを探します」

 ジャミルは「それに」と少しばかり呆れた顔をした。

「俺たちが女性を夜道に一人残して帰るわけないでしょう」

 生徒だからと思って忘れていた。彼らだって立派な“男の子”なのである。

「それを言われると、確かにそうですね」

 ヒトハは面映く笑った。
 それならもう少し一緒に探しましょうか。そう言って、三人は再び夜の街を駆け回る。
 それから数時間。三人の頑張りも虚しく、何の手がかりも得られることはなかったのだった。

 魔法の痕跡を見つけたのは港と、もう一か所だけだった。
 たったそれだけの結果を携え、ヒトハたちは学園長室に戻った。学園長室は生徒捜索の基地となっていて、街や海を捜索する生徒や教師たちが出入りし、時に休憩をしている。クルーウェルは港に残っていた魔法の痕跡が気になるとのことで、何人か生徒を引き連れて魔法解析に当たっており、ヒトハとはまったくの別行動だ。バルガスは飛行術が得意な者を集め、海へと探しに行った。トレインも共に探しに行くと主張したが、クルーウェルが「年長者は座って報告を待っていればいいのです」「何かあっては困ります」と、嫌味っぽく言いながら阻止したらしい。要するに「体力仕事は若い者に任せろ」ということなのだが、どうにも喧嘩腰な言い方をするせいで気遣いが台無しである。けれどそれが彼らなりのコミュニケーションらしく、そのことをヒトハに聞かせてくれたトレインの顔は、ほんの少し嬉しそうに見えた。
 そういうわけで学園長室で指揮をしているトレインと学園長に街でのことを報告していたヒトハは、ゾロゾロと複数人で戻って来た集団に目を向けた。
 箒を手にした式典服の生徒たちと、マジフト仕様のしっかりとしたローブを纏った男だ。黒い前髪がしっとりと鼻筋に落ち、隙間から覗く垂れ目がちな瞳が猛烈な色気を放っている。
 ヒトハはそれを目を細めながらじっと観察した。

「……誰?」
「俺だ俺」

 バルガスはパッと前髪を掻き上げた。いつもの濃い顔が現れて、ヒトハは指をさしながら「バルガス先生!?」と驚く。

「海風がひどくてな。どうだ? 惚れたか?」
「はぁ、まぁ……いいえ」

 ヒトハが顔をしかめながら言うと、バルガスは大口を開けて「お前は見る目がないな!」と笑った。一体どこからその自信が湧くのか……と普段なら思っただろうが、今日ばかりは自分の見る目を疑うしかなかった。あの色気と男らしさを前にして何も思わない方がおかしい。
 彼は引き連れていたラギーとエペル、ルークに休むように言い、学園長とトレインに何も見つからなかったことを報告すると、ヒトハの顔をじっと見つめた。

「お前も少し休め!」

 パン、と元気よく肩を叩かれる。予想外にも足元は簡単にふらついた。
 驚いているヒトハに、学園長が「そうですよ」と頷く。

「ナガツキさんには後でやってもらうことがありますからね」
「やってもらうこと?」

 何か役に立てることでもあるのだろうか。
 ヒトハは首を傾げながらも、その機会があるならと素直に頷いた。

「分かりました。少し休憩してきます」

 とは言っても仮眠を取る気にはなれなかった。体は鉛のように重く、日の出も近いほどの時間帯だったが、頭は妙に冴えている。せめて風に当たろうと、ヒトハは廊下に出て校舎の隅へ向かった。
 渡り廊下の先に屋根も壁もない箒の乗降場がある。そこへ行けば少しは気が晴れるだろうかと思ったのだ。

 夜空の遠く向こうに淡い紫が滲み始め、水平線が次第に形を取り戻していく。なだらかな海の曲線をぼうっと眺めながら、ヒトハは深くため息を吐いた。
 このまま何も見つからなかったらどうしよう。
 やることをやったのだから、誰からも責められることはないだろう。生徒たちは勝手に授業をサボり、遊ぶために学園を出て行ったのだ。自業自得とも言える。
 けれどこのまま彼らを見つけることができなければ、深い後悔が残る。
 まだ沢山話したいことがあるのだ。彼らに教わりたいことがあるし、きっと教えたいこともある。グリムの誤解も解けていないし、謝れていない。あんな悲しそうな顔が最後だなんてあんまりだ。
 ヒトハの頭にはいなくなった生徒たちがぐるぐると浮かんで、そしてグリムのところでいつも止まった。「お前なんかに心配される筋合いはない」と言い放った時の顔は怒っていたけれど、悲しい目をしていたと思う。

「ごめんね……」

 ぽろりと言葉が零れるのと同時に、一粒の滴が落ちる。しおらしく泣いている場合ではないと分かっているのに、体は勝手に涙を流した。

「ナガツキ」

 ハッとして、ヒトハは慌てて袖で頬を拭った。クルーウェルが長い毛皮のコートを風で揺らしながら、こちらへ向かっているところだった。
 彼は振り返ったヒトハの顔を見て一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐにいつもの澄ました顔に戻って隣に並んだ。先ほどヒトハがそうしていたように地平線を見つめ、それから静かに口を開く。

「あのユニーク魔法の正体がわかったぞ」

 港で使われていた魔法だ。ヒトハはクルーウェルを仰ぎ見て、その先を促した。
 彼はこれと言って勿体ぶる様子もなく、世間話のように続ける。

「〈ちょっとだけ楽観的になる魔法〉だ」
「……なんです、それ?」

 思わず聞き返したものの、彼もよく分かっていないらしい。
 クルーウェルは「さぁ?」と言って小さく首を傾げた。

「ないと信じたいが、調子に乗らせて船か何かに乗せて連れ去った……とかだろうか? もし三年生が一緒にいながら引っかかったなら躾け直しだな」

 それはあり得るのだろうか。
 一年生ならまだしも三年生も一緒にいたはずである。耐性もある強い魔法士の彼らが、そんな子供だましのような魔法に引っかかるなんて。
 ヒトハの疑いを読んだようにクルーウェルは「ただの憶測だ」と言い添えて、「つまり、何の成果もない」と肩をすくめる。学年トップのリドルとアズールを引き連れておきながらこの結果が出てきたのだから、本当に何も分らなかったのだろう。
 ヒトハはがっくりと肩を落とした。

「その魔法、今欲しいです」
「だろうな」

 クルーウェルはおもむろに赤い人差し指を伸ばし、ヒトハの前髪を少しだけ持ち上げた。曝け出された額に夜明けの風が冷たくしみて、ぎゅっと目を細める。彼はフ、と小さく吹き出した。

「思い詰めているな? 何があった?」

 これだけのことが起きているのだ。思い詰めるのは当然である。
 というのは分かり切ったことだから、彼は別のことを言っているのだろう。

「……怒りませんか?」
「場合によるが……まぁ、今回ばかりは怒らないと誓おう」

 クルーウェルはヒトハの前髪から指を離し、おどけるように言った。普段の彼ならば間違いなく怒る話だが、今はそれよりも酷いことが起きているのだから、信用してもいいのかもしれない。
 ヒトハは夜明け色に染まり始めた目を見上げ、小さく息をついた。

「この前の休日に、生徒たちが門限を破ったんです。だから叱ったんですけど、途中でグリムくんが逃げて……」

 ぴくりと黒い眉が動く。

「……ほんとに、生徒たちが帰ってきた時に怒らないでくださいよ?」
「わかった、わかった」

 両手を上げて「怒らない」と再び誓いを立てる。その姿を疑り深い目で見つめ、ヒトハは続けた。

「で、私すごく怒っちゃって。酷いことを言いました。私たちは親御さんから預かっている大切な生徒を守る義務があるんだ……って。それで、グリムくんから『親なんかいない』って言われた時にハッとしたんです。無神経でした。それに、心にもないことを……私は仕事だから生徒たちを心配していたんじゃないのに。グリムくんと最後に話したのがこれだったから、どうにも頭から離れなくて……」

 言うことをきかせたいばかりに口にした言葉には、心がなかった。仕事だから、義務だから、それが大人の責任だから。そんなのはこちらの都合でしかない。

「私、先生たちみたいになれると思ってました。でも、向いてなかったみたいです」

 どこか夢を見ていたのかもしれない。この学園にいて、大人として生徒と接して、自分にもできるのだと。現実はそんなに甘くはないのに。
 クルーウェルはヒトハが話し終えると「ふむ」と腕を組んだ。

「確かに、お前は俺たちみたいにはなれないだろうな。そもそも向いていない」
「う゛っ」

 クルーウェルの率直すぎる言葉が胸に突き刺さる。最近同僚にも似たようなことを言われたような気がするが、そんなに教育者に不向きなのだろうか。
 彼はしおしおと萎れるヒトハを見て笑った。

「お前はお前のやり方で分からせてやればいいんじゃないか? 素直に伝えて分からない奴らではないはずだ。今回は言い方を間違えたが、次は間違えないだろう。そうだな?」

 クルーウェルの確かめるような問いに、ヒトハはぎこちなく頷く。
 今回は間違えた。だから次は間違えない。間違えたくない。

「まずは早くグリムを見つけて誤解を解いてやらなければな。あいつはああ見えて繊細だろう?」
「……そうですね」

 帰ってきたら、ぎゅうぎゅうに抱きしめて「心配していた」と言おう。嫌がられるかもしれないけど、それが一番伝わるような気がした。
 それにはまず、彼らを見つけなければならないのだ。捜索への意欲を高めたところで、ヒトハはふとこちらに向けて両腕を広げている男を見つけた。固まって動かないヒトハに、彼はそのままのポーズで言った。

「なんだ? 来ないのか? せっかく慰めてやろうと言うのに」
「え……ええ……?」

 もしかして、ハグ? ハグですか? と腕と顔を交互に見ながら無言で問いかける。もうだいぶ気持ちが上向きになってきたので不要と言えば不要だが、とはいえあのふわふわコートである。疲労でヘトヘトかつ一睡もしていない今、ふわふわに包まれたら、さぞ気持ちが良いことだろう。
 ヒトハがこのままふわふわに飛び込むか無視して学園長室に戻るかで悩んでいると、視界の隅に灰色のものが見えた。それは海からゆっくりと広がりながら、空に向かって昇っていた。

「あれ? 煙……?」

 なにか大きなものが海に浮かんでいて、そこから濛々と煙が上がっている。船だろうか、と目を凝らし、そして剥いた。

「なにあれ!?!?」

 そこに見えたのは大きな観覧車、ジェットコースター、鯨のオブジェ。
 賢者の島を囲む海に、派手な色をした巨大な遊園地が浮かんでいた。

 麓の街に再び降り立ったヒトハは箒を放り、駆け出した。そこにはなぜか大勢の人たちがいて、喜びに抱き合ったり慰め合ったり、深く落ち込んだり焦ったりしている。ようやく日が出てきた早朝には似つかわしくないほどの数だ。ヒトハは彼らには目もくれず、人垣を掻き分けながら進む。

「みんな……!」

 急に開けたその場所に、彼らはいた。
 港から遠く離れていく遊園地を眺めていた生徒たちは、突然現れたヒトハに驚いて飛び上がる。彼らは皆やたら派手な服を着ていたが、ヒトハは構わず突っ込んで行った。一番近くにいたオンボロ寮の監督生に飛び込んで、ぎゅうと強く抱く。監督生は驚いて硬直していたが、ややあって、戸惑いながらもヒトハの背に腕を回した。
 ──偽物じゃない。本物だ。
 実感した途端に、ぼろぼろと涙があふれた。

「しっ、心配、したんですよ」

 しゃくり上げながら声を絞り出す。監督生はそれに、「ごめんなさい」と落ち込んだ声で答えた。
 顔を上げて監督生の後ろを見れば、生徒は誰一人として欠けることなく、そこに立っていた。彼らはヒトハのずるずるの顔を見て、なんとも気まずい顔をしている。
 でも今は、それでよかった。

「よかった……よかった……」

 自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返す。ひとつ口にするたびに、心が落ち着いていく気がした。

「ヒトハ」

 突然足元から声が聞こえ、ヒトハは監督生を手放した。視線を落とすと、そこには灰色の大きな猫がいて、もじもじとしながらこちらを見上げている。
 グリムは監督生の後ろで大きな目を潤ませ、囁き程度の掠れた声で言った。

「……オレ様のことも、心配してくれてたのか?」
「当たり前です!」

 ヒトハはすかさず答えた。
 しゃがみ込み、グリムのふわふわとした体をぎゅうと抱きしめる。温かな体毛に顔を埋め、ヒトハは言った。

「グリムくんも、監督生さんも、みんな私にとって、大切な生徒です」

 だからもう心配させないで。
 それは言わなかったけれど、グリムにはちゃんと伝わった。
 ごめんね、ごめんなさいと言い合いながら、一人と一匹はひたすらに泣いた。

 しばらくそうしていると、ついに学園の教師たちがヒトハに追い付いた。

「この駄犬ども!!!! 覚悟はできているんだろうな!?!?」
「ひっ!」

 クルーウェルの身が縮むような怒号を浴び、エースと監督生は顔を真っ青にし、ジャックは耳をぺたりと倒した。グリムはヒトハに爪を立ててへばりつこうとしたが、さすがにこれは庇ってあげることができない。
 ぺりぺりと爪を剥がして地面に立たせてやると、グリムは「オレ様のこと大切じゃないのか!?」と早速の調子のよさである。それとこれとはまったく別だ。
 クルーウェルは「逃げるなよ」と鬼の形相で生徒たちを威嚇し、続いて現れたバルガスとトレインはヒトハが見たこともない顔で生徒たちを睨んだ。なるほど、確かにクルーウェルが言ったように、これにはなれなさそうだ。
 バルガスは「いくらなんでも羽目を外し過ぎだ!」と腰に手を当てて怒った。

「お前たち全員、明日のホームルームまでに必ず反省文を提出するように!」
「半端なものを提出したら再提出だ。心しておくように」

 トレインの声は静かだったが、それが逆に恐ろしく聞こえる。生徒たちは観念して「はーい……」と素直に罰を受け入れた。
 最後に現れた学園長は「私は朝帰りを許した覚えはありませんよ!」とぷりぷりと怒っていて、杖を硬い地面に強く叩きつける。

「まったく、とんでもない生徒たちです! 全員、罰として放課後の掃除を命じます! 一週間毎日ですよ! 監督はナガツキさんにお願いしますからね!」
「私!?」

 突然のとばっちりに驚いて、ヒトハは生徒たちと同じように動揺した。なんと一週間毎日、生徒たちの掃除に付き合うのである。しかも放課後に。

「いや、あの、ほ、放課後? もしかして私、残業……?」
「おや? 私、『やってもらうことがある』って言いましたよね?」

 さらに学園長は「ヒトハさん、『分かりました』って言いましたよね?」と顎をさすりながら迫る。それはあんまりでしょう、と言いかけて、ヒトハは生徒たちが嫌そうな顔をしていることに気がついた。
 彼らはヒトハを懇願するような目で見ていて、罰を軽くしようと目論んでいるようだった。この期に及んで、そんな都合のいい話はない。

「……わかりました、やりましょう」

 ヒトハは教師サイドに立ち、眉を吊り上げた。エースと監督生、グリム、ジャック、オルト、ジェイドにフロイド、それからカリム。ケイト、トレイ、ヴィル、レオナ、そしてリリア。一人ひとり目をやって、そして大きく息を吸い込む。

「私からいつも優しくしてもらえると思ったら大間違いですからね! 明日の放課後から中庭に集合! みんなに迷惑かけた分、たっぷり働いてもらいます!」
「うえ〜!」
「うえ〜〜じゃない!」
「はぁーい」

 その情けのない声は早朝の麓の街に響き、しばらく街の住人達の笑い話となったのだった。

***

 人で賑わう麓の街。休日の今日は特別に騒がしく、子どもたちも石畳の上を駆け回り、楽しそうな笑い声を上げている。
 埃臭い魔導書店から出たエースは外の眩しさに目を細め、そして近くの時計を仰ぎ見た。続いて出てきたデュース、オンボロ寮の監督生、グリムを「なぁ」と呼び止める。

「まだ時間あるし、ケーキ食べて帰んない?」

 学園に帰る時間までは少し余裕があり、今ならぎりぎりヒトハから教えてもらったカフェに入れるかもしれない。彼女はフルーツタルトが絶品なのだと写真を見せながら教えてくれて、それがずっと気になっていたのだ。
 しかし一番に飛びつきそうなグリムは、ギザギザ歯の口を曲げて「食べない!」とピシャリと言った。

「え!? グリム、なんか悪いもんでも食った!?」
「んなわけねぇ! 門限に間に合わなかったらどうすんだ! オレ様、もう窓拭きは懲り懲りなんだゾ!」

 グリムが言う窓拭きとは、あのプレイフルランドの一件で生徒たちに課された重い罰のことだ。みんなに心配と迷惑をかけたという名目で、毎日毎日放課後に集められ、窓ふき、雑巾がけ、グレートセブン像の隅々まで磨く仕事をさせられた。サボろうものなら監督の清掃員がカンカンになって飛んで来る。普段使わない筋肉を使ったせいで毎日筋肉痛で、酷い一週間だった。グリムはこの件で、さすがに懲りたらしい。
 グリムは「それに」と続けた。

「オレ様がいなくなったら、あいつまた心配して泣くじゃねぇか。まったく世話が焼けるんだゾ!」
「それ、グリムが言う?」

 デュースとエースは呆れ、監督生は苦笑した。あの時のグリムは、このままもう一つ海ができるんじゃないかと思うくらい大泣きしていたのだ。彼女のことを言えたクチではない。
 しかしエースもこの件で懲りていたから、今日は潔くケーキを諦めることにした。

「ま、それもそうかもね」

 デュースも監督生も頷く。みんなそれぞれ懲りていたし、反省していた。もうあんな一日はこりごりだ。

「早く帰ろう。みんな心配するからな」

 デュースが言って、二人と一匹は頷いた。それからみんなで並んで、学園へ戻るバス停へと向かったのだった。

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