清掃員さんとバックステージ イン プレイフルランド(1/3)
01
静かな秋の夜のこと。ヒトハは高いアーチ門──ナイトレイブンカレッジの名が掲げられた正門を背に、麓の街へと続く道をじっと睨んでいた。
道の先は暗闇だった。麓の街へと続く長い道には自然以外に何もなく、辺りを照らすのは月と星の光くらいのものである。
そんな中、道の先からうっすらと光が射した。それはすぐに白い光の点となり、重いエンジンの音と共に近づいてくる。
学園と麓の街を繋ぐバスは正門の前で停まり、プシューと空気が抜けるような音を立てながら扉を開いた。
「──遅い!!」
ヒトハが怒鳴ると、バスからコソコソと降りてきた生徒たちは「げ!」と驚く。咄嗟に逃げ道を探すも、学園に戻るための正門は塞がれている。逃げられないと悟った彼らは、渋々ヒトハの元へやって来たのだった。腕に赤いリボンの腕章をした、ハーツラビュル寮の一年生たちである。
「門限から一時間以上過ぎてます! 一体何をしていたんです!?」
ヒトハが再び怒鳴りつけると、生徒たちはばつの悪い顔でチラチラと視線を交わした。誰が先に口を開くか互いに押し付けあっているのだろう。それが余計にヒトハの怒りを煽った。
「先輩方からあなたたちが戻らないと聞いて心配していたんですよ! あと少し遅ければ麓の街へ探しに行くところでした!」
休日の今日、ヒトハは購買部へ寄った帰りにケイトとトレイがメインストリートで話し込んでいる現場に遭遇した。日が落ち切った校内で敢えて立ち話をしているのも珍しく、声をかけてみたところ、寮生たちが麓の街から戻らないのだと言う。
学園は厳しく人の出入りを管理していて、生徒は許可がなければ学園を出ることすら叶わない。当然門限があり、申請した時間内までに戻ることを義務付けられている。これを破れば、寮長と教師たちに大目玉を喰らうことになるのだ。
とはいっても、五分や十分の遅れは珍しいことではなかった。寮長によっては軽い注意で済むこともある。しかし規律を重んじるリドルは、コンマ一秒の遅れも許さない。だからケイトとトレイは寮内が大荒れするくらいならと、先回りして後輩たちの帰りを待つことにしたのだった。
それなのに、後輩たちは三十分経っても戻らなかった。もたもたしていたらリドルに自分たちの留守を怪しまれてしまい、苦労が水の泡になってしまう。
ヒトハが彼らに出会ったのは、どうしようかと話し合っている最中のことだった。
「ていうか、なんでヒトハのやつが待ち伏せしてんだ?」
不満の呟きを聞いて、ヒトハはその声の主を素早く睨んだ。生徒たちよりも一際背の低いグリムはびくりと跳ね、隣にいたオンボロ寮の監督生の後ろに逃げ込む。
よくよく見てみれば、ハーツラビュル寮の生徒だけではなく、オンボロ寮の生徒も混じっているようだ。隣には気まずそうなエース、しょんぼりと反省しているデュースの姿もあった。
「あなたたちの先輩が困っていたから、私が代わりにここで待っていたんです。全然帰ってこないから誘拐でもされたんじゃないかと思いましたよ!? いいですか、門限はきちんと守ること! 遅れるなら連絡をすること!」
「はぁい」
生徒たちがパラパラと返事をする。ヒトハは深いため息をついた。話を素直に聞くくらいには反省しているようだが、これを繰り返さないとも限らない。なんせ彼らはナイトレイブンカレッジの生徒なのである。
ヒトハはズキズキとし始めた額を抑え、静かな声で続けた。
「先生方も今日は出勤されてませんし、今日のところは私だけに留めておきます。ですが、次に同じことをしたら──あっ」
ピュンと脇を黒い塊が通り抜ける。ヒトハが驚いて振り返ると、説教から逃げ出したグリムが四つ足でメインストリートの先へ突っ走っている最中だった。
「こら! グリムくん! 話を最後まで聞きなさい!」
「やなこった! オレ様、もうたーっぷり反省したんだゾ!」
「なっ……!」
むかむかむか、と怒りが込み上げてきて、プツンと何かが切れる音がした。
休日の夜に、秋の肌寒さに晒されながら彼らを待っていたのだ。遅れても連絡ひとつ寄越さないなんて、何か事件に巻き込まれているのではないか、危ない目に遭っているのではないかと散々心配していたのに。
「こらー! 待ちなさーい!!!!」
ヒトハは生徒たちを置いてグリムを追いかけた。
おかげで解放された生徒たちは急いで寮に滑り込むことができ、寮長の罰を免れたのだった。
***
「ヒトハのやつ、ちょっと帰るのが遅れたくらいでクルーウェルみたいにガミガミうるさいったらありゃしねぇ! クルーウェルは二人もいらねーんだゾ!」
グリムがぷりぷりと怒りながらグリンピースを口に放り込む。向かい側に座っていたエースは、「確かに先生は二人もいらないかも」と笑った。
「そう言うなよグリム。ルールを破ったのは僕たちじゃないか」
デュースが窘めると、グリムの隣に座っていたオンボロ寮の監督生が頷く。
それでもグリムの怒りはおさまらず、頭をぽこぽこと茹で上がらせながら言った。
「だいたい、あんなやつよりグリム様のほうがずーっと強いのに、誘拐の心配なんてされる筋合いねーんだゾ!」
「そんなこと言って、ツナ缶に釣られて誘拐されちゃったりして」
んなわけねぇ! と言い返され、エースは面白そうに大笑いした。
グリムはあの逃走の後、しっかり捕まっていた。あの清掃員は魔法力も魔力もないくせに、そういう器用なことだけは得意だったのだ。
縄で木に吊るされたグリムは、そこから更に長いこと説教を受けた。ルールを破れば誰それに迷惑がかかるだとか、みんなが真似してしまうだとか、本当に困った時に誰にも助けてもらえなくなるだとか。とりわけ「事件に巻き込まれたのではないかと心配する」というのは三度聞かされて、耳にタコができそうだった。もしそんな状況になったとしても、自分より弱い彼女が役に立つとは思えない。グリムにしてみれば余計なお世話である。
それに「親御さんから預かっている大切な生徒」としきりに言うのも気に食わなかった。グリムの記憶に親などという存在はなく、当たり前にいるものだという態度が腹立たしかった。「オレ様に親なんかいねぇ!」と言い返すと、はっとした顔で押し黙ってしまったけれど。
とにもかくにも、それからグリムはヒトハのことが嫌いで、ヒトハもグリムを避けているように思えた。だから苛々が収まらなくて、こうして食堂で愚痴を吐いている。
エースもデュースも監督生も、グリムの気持ちを理解できないわけではなかった。一方で、ヒトハの言うことも理解できた。学園に来る前に、親や教師たちから口酸っぱく言われたことがあるからだ。グリムにはそれがないから、余計に腹が立って仕方がないのだろう。
グリムの消化しようのない苛立ちを遮るように、エースは「それよりさ」とテーブルに身を乗り出す。
「今週末にバスケ部の練習試合があるんだけど、応援に来てくんない? ロイヤルソードアカデミーでやるから、応援は多いほうがいいし。終わったら街で遊んで帰ろうぜ」
エースの週末のお誘いに、デュースは残念そうに「部活の練習があるから行けない」と首を振る。用事も部活も何もない監督生は喜んで頷いた。これにはグリムもすっかり怒りを忘れ、「行く!」と飛び跳ねたのだった。
「はぁ……」
「ありゃ、悩みごとかい?」
同僚のゴーストが窓ふきの手を止めて問うと、ヒトハは箒を動かす手を止めて「ええ、まぁ」とぼんやりとした返事を返した。仕事なのだからしっかりしないと、と思えば思うほど、悩みが大きくなっていく気がする。ヒトハが悩んでいるのは、他でもないグリムのことだった。
ちょうど前々回の休みのことである。門限を破った生徒たちを叱った時、グリムを傷つけてしまったことがずっと気にかかっているのだ。私たちは生徒たちの安全を守らなければいけないのだと言いたかったのに、言い方が悪かったせいで悲しませてしまうことになってしまった。あの時のグリムの顔を思い出しては、「考えが足りなかった」と落ち込むばかりだ。
彼が自分に怒っているのも当然で、見かける度にツンと顔を反らされてしまうのも辛かった。謝るタイミングが掴めなくて、モヤモヤとしたものを抱えたまま、もう一週間が過ぎている。
「実はこの前、生徒たちを叱ったんです。でも上手くできなくて、傷つけてしまったみたいで……。先生たちって本当にすごいですよね。これを毎日やってるんですから」
はぁ、と頬に手を当てて嘆く。同僚ゴーストは「なーんだ、そんなこと!」とけらけらと笑った。
「ヒトハちゃんは叱るの苦手そうだもんねぇ」
「ううっ」
同僚の指摘が胸に突き刺さる。
彼の言う通り、誰かを叱るのはあまり得意ではない。それに、この学園では生徒たちとの距離が近すぎて、大人ぶった態度を取るとどうにもきまりが悪いのだ。
「案外ケロッと忘れちゃうかもよ?」
「そうだったらいいんですけど……。でも、誤解をされたままも嫌ですし、嫌な思いをさせたのも事実ですし」
親がいないと言うグリムに「私たちは親御さんから預かっている大切な生徒を守る義務がある」と言ってしまったのだ。無神経な言葉だった。自分だけ除け者にされたと思われても仕方がない。本当は、全員等しく大切な生徒なのに。
グリムのこともそうだ。同じように大切に思っているのだと分かって欲しい。それを伝えなければと思うのに、現実はなかなかうまくいかない。
「ナガツキ、ちょっといいか」
突然名前を呼ばれて振り返る。少し離れたところで、クルーウェルが手招きをしていた。
今はちょうど授業の合間の移動時間である。呼び止められることは珍しくはないが、今日の彼は少し困った顔をしていた。
ヒトハは考えるのを止めて、クルーウェルの元へ駆け寄った。
「どうしたんですか?」
問うと、彼は一枚の紙を差し出した。白いメモ紙には走り書きで複数人の名前が連なっている。
「今日の欠席者だ。体調不良も考えられるが、少々怪しくてな。全員の様子を確認してきて欲しい」
「へぇ……。なんというか、意外な面子ですね」
クルーウェルのメモには一年から三年生までの欠席者が書かれていた。学園全体で見れば欠席者がいてもおかしくはないが、寮長と副寮長までもが複数人欠席しているのは、確かに怪しい。特にトレイとケイトが同時に欠席なのは珍しいし、オルトの欠席理由として体調不良は考えにくい。整備不良くらいはあるのかもしれないけれど。
レオナはいつも通りとして、エースやオンボロ寮の監督生、グリムまでもが欠席なのは気になった。クルーウェルの言う「怪しい」というのは「サボっているのではないか」という意味だろう。
「オンボロ寮は監督生とグリムのふたりきりだからな。揃って体調不良なら看病も必要だろう」
「そうですね」
「そうでなければ徹底的に躾けてやらねばならん。この俺の授業をサボりなどと……」
「そ、そうですね……」
クルーウェルは顔に強い怒りを滲ませながら唸った。九割はサボりだと思っているようで、残りの一割で怒りを堰き止めているらしい。
「そういうわけだ。仕事中に申し訳ないが、頼んだぞ」
そう言って彼は次の授業へ向かった。
取り残されたヒトハは白いメモ紙を見下ろし、再び欠席者の名前に目を通す。ヴィル・シェーンハイト、リリア・ヴァンルージュ、カリム・アルアジーム……そうそうたる顔ぶれである。
(なんだか嫌な予感がする……)
ただ授業が嫌でズル休みをしているだけならいい。けれどそれだけではないような気がして、ヒトハは急ぎ鏡舎へと向かったのだった。
クルーウェルに言われた通り、ヒトハはハーツラビュル寮からディアソムニア寮まで渡り歩き、欠席者たちの部屋を訪れた。中には本当に体調不良の生徒もいたが、怪しいと踏んでいた生徒たちは部屋にはいなかった。保健室も考えられたが、保健室の先生はリストアップされた生徒は来ていないと言う。
そして最終的に“行方不明”となったのは、トレイ、ケイト、エース、ジャック、レオナ、ジェイド、フロイド、カリム、ヴィル、オルト、リリア、そしてオンボロ寮の監督生、グリム。この顔ぶれである。絶対に何かある。
しかしこの面子で一体何を──という疑問の答えは、すぐに分かった。
「“プレイフルランド”?」
クルーウェルに報告をしに職員室へ訪れたヒトハは、ざわつく教師と生徒たちに出会った。しょんぼりとしたデュース、顔を真っ赤にしたリドル、そこはかとなく顔を青くしているジャミル。彼らを前に険しい顔をしているクルーウェル、バルガス、トレイン。
彼らは口を揃えて言った。“プレイフルランド”と。
「ああ、幻の遊園地って言われてるやつですよね。そこに謎の獣人属から招待されて、みんなで遊びに行ったと……」
ヒトハが言うと、空気はズンと重くなった。
トレインが三倍は老け込んだ顔で嘆く。
「そんな訳も分からない所に行くとは……」
「トレイン先生はご存じないかもしれませんが、プレイフルランドは今話題の遊園地。どこにあるのかも公表されておらず、訪れることができるのも一握りとあれば誘惑に負けるのも分からなくはありません」
まったく許し難いことですが、とクルーウェルが返すと、トレインはピクリと眉を動かした。
「そうやって生徒たちの肩を持つから、こういうことになるのでは?」
「とんでもない。俺は事実を述べたまでです」
クルーウェルがツンとした声で言い返すと、トレインはもともと険しかった顔をさらに顰めた。犬猫論争に始まり、トレインとクルーウェルは度々言い争う仲である。
ヒトハは彼らを交互に見ながらハラハラとしていたが、バルガスは分かっているのかいないのか、平然と二人の間に割り込んで悩ましげに言った。
「しかし困りましたな。どこにあるのか分からないのでは、生徒たちがどこにいるのかも分からないということでしょう?」
それを聞いて、全員がはぁ〜と大きくため息を落とす。
プレイフルランドの噂はヒトハの耳にも入っていた。時が経つのも忘れるほど楽しい最高の遊園地。けれどどこにあるのかは誰も知らない。別名、幻の遊園地とも呼ばれる。
その希少性が話題を呼び、話を聞けば誰もが「一度は訪れてみたい」と口を揃える。ヒトハもその一人で、つい最近クルーウェルとその話をしたばかりだった。
これが休日のプライベートな時間であれば文句はない。問題は、生徒たちが謎の人物に誘われ、学校をサボってまで行ったということだ。
「ボクは止めたんです! それなのに、ケイトとトレイまで! これでは寮生たちに示しがつかない!!」
リドルは顔を真っ赤にしながら憤っていた。彼はエースから誘われたデュースに誘われるというややこしい経緯でプレイフルランドのことを知ったという。当然許すわけもなく、デュースはリドルの指示に従った。ジャミルはカリムに誘われたが胡散臭いと断り、さらに彼を引き留めた。けれどそれも無駄に終わり、結果的に一緒に話を聞いていたケイトとリリアが同行してしまったのである。
彼らは友人たちの不在に気がついて、まさかと思いながらここへやって来た。その予感は的中し、こうして教師たちの前で事情を洗いざらい説明している。
「幸い三年生が同行しています。何かあったとしても、彼らが一年生や二年生の世話をするでしょう」
クルーウェルは眉間を摘まみながら、深々とため息をつく。
「バッドボーイどもも夜までには寝床に戻るはず。各寮の寮長か副寮長に、彼らが戻ったら必ず報告するように言いましょう。今は我々も仕事があります。帰って来たらたっぷりと躾け直してやればいい」
彼の意見に反対する者はいなかった。トレインは頷き、集まった生徒と教師たちを見渡す。
「生徒たちが戻ってきたらすぐに報告するように。先生方は生徒の無事が確認できるまで学園で待機です。学園長には私から報告します」
残業か……と更に重い空気が漂う。社会人が嫌うものトップ3には入る残業である。
ヒトハは教師ではないが、彼らと同じように生徒の帰りを待とうと思った。トレインの様子から見てどうやら頭数に入っているようだし、やはり生徒たちが無事に戻って来るか心配だ。
「やれやれ、困ったものだ」
「まぁまぁ、生徒たちもたまには羽目を外したくなるんでしょう」
トレインとバルガスが話しながら職員室を出て行く。
ヒトハは彼らと共に退出しようとするクルーウェルのコートを引っ張った。
「先生」
彼は足を止めて振り返ると、不安そうにしているヒトハを見て片眉を上げた。
「私、その……凄く嫌な予感がするんです。レオナくんもヴィル様も強い魔法士ですけど、でも、何かあったらと思うと……」
レオナもヴィルも素晴らしい魔法士だ。それにリリアも、ケイトやトレイもいる。癖はあるがしっかり者の彼らがついているなら、危ないことにはならないかもしれない。
けれど彼らだってこの学園の生徒だ。寮長、副寮長の肩書があるからといって、危険な所にポンと飛び込ませていいわけではない。
「心配するな。俺たちも柔な鍛え方をしているわけではない。お前だってよく分かっているだろう?」
「そう……ですよね……」
ヒトハはぎこちなく頷いた。クルーウェルはあやすようにヒトハの頭をぽんと叩き、職員室を後にする。
仕方なく、ヒトハはどこか胸に引っかかったものをそのままに、仕事に戻ることにしたのだった。
(早く帰って来るといいけど……)
しかし彼らは、夜になっても帰って来ることはなかったのだった。
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