清掃員さんとお正月Ⅰ(3/4)

 真っ黒な炭にオレンジの光が滲む。周囲がほんのり暖かくなるのと同時に炭の薫りが強くなったのを確認すると、ヒトハは手にしたトングで金網を持ち上げた。これは口が外側に広がった円柱型の炉、七輪である。
 購買部の隣にある空いた場所で、ヒトハは何をどうしてかオクタヴィネルの寮長、副寮長とその兄弟に囲まれていた。目の前には七輪、両脇には人魚たちという不思議な光景だ。

「これは七輪と言って、炭で食べ物を焼く道具です。肉や魚を焼くこともあるんですが、今日はお餅を焼きます」
「オモチ?」
「はい。お米を叩いて潰して練ったものですね。私の国ではこの時期によく食べられます」

 ほう、と興味深げにしているのはアズールだ。モストロ・ラウンジという飲食店を経営しているだけあって、食べ物には興味津々である。隣にいるジェイドは長い足を折って七輪を観察すると「用途はキャンプで使うコンロに似ていますね」と山を愛する彼らしい感想を口にした。

「重たいから携帯は難しいですけど、野外で食べものを焼けるところは同じですね」

 ヒトハはサムに頼んで用意していた切り餅を金網に並べた。アズールが四角く硬い形の餅を「これ、食べられるんですか?」と言って指差す。見た目で言えばただの白い塊だから、何も知らなければ食べ物に見えないのも仕方ない。

「これ、焼いたら柔らかくなって膨らむんです。美味しいですよ」
「膨らむ? 普通焼いたら硬くなるんじゃないの?」

 七輪の横で膝を抱えていたフロイドが指先でまだ硬い餅を突く。

「そう思いますよね。お米のデンプンが関係してるらしいんですけど……私もよく知らないので、クルーウェル先生に聞いてみたらいいんじゃないでしょうか」

 なんて適当なことを言ってみたりして。
 ヒトハは適当に話を濁した。理系科目に強いんだから知っているのではないかと勝手に想像してみたが、魔法が関わらない理系科目に強いかどうかは不明である。
 ヒトハの丸投げの回答に、フロイドはにっこりとして

「じゃあ今度イシダイ先生に『タニシちゃんが先生に聞けば分かるって言ってた』って言ってみよ〜」

 と返した。それはあまりに意地悪ではないか。後から誰が「お前はとりあえず俺に全部丸投げすればいいと思ってるだろう」と責められると思っているのか。
 当然、このフロイド・リーチがそこまで頭が回らないわけがないので、からかっているつもりなのだろう。ヒトハは無視を決めて、餅に視線を落とした。 

 先日の一件でサムを通して炬燵を手に入れたヒトハは、頼まれていた通り極東の食べ物について考えることにした。そして「正月にふさわしい食べ物を」と考えた結果、今まさに目の前で少しずつ形を変え始めている白い塊──餅という結論に至ったのだ。ちょうど鏡餅の鏡開きも近いことだし、なんといっても調理が簡単なのがいい。
 そういうわけで、物は試しとまずは自分用に取り寄せたアレコレで故郷の味を再現することにした。オクタヴィネルの彼らは購買部での用事ついでの見物といったところである。

「そろそろかなぁ」

 ヒトハは膨らんで薄くなった表面をトングで突いた。いい具合に焼けてきたのではなかろうか。料理は口が裂けても上手いとは言えないが、“何かを焼くだけ”ならそれほど下手でもないらしい。
 こうして幼い頃に父親が庭先で焼いてくれた思い出をなぞりながら餅を焼くのは楽しく、なかなか感慨深いものがあった。極東の小さな島国から遥々やって来て、今度は自分が生徒たちのために焼いてあげるのだ。

「お餅はとてもシンプルな味なので、お醤油につけたりして食べるんですよ」
「オショウユ……ああ、大豆を使っているという東方の調味料ですね」
「そうそう。餡子とかきな粉とか、甘いものにもよく合います。デザートとかにもいいですね」

 アズールが話を聞きながらさらさらとメモをしていた手を止めて、さっと顔を上げた。

「アンコ? キナコ?」
「色々種類はあるみたいですけど、餡子は小豆、きな粉は大豆。どっちも豆からできたものですよ。デザートにいいと思うんですよねぇ。サムさんにお願いしてお取り寄せできないかな……」

 例えばモストロ・ラウンジで極東デザートフェアなんてやってみたらいいのではないかと思うのだ。プロ顔負けの料理を提供する本格派の彼らのことだから、きっと美味しく作ってくれるはずだ。
 ヒトハが故郷の味を思い出していると、アズールがメモ紙から顔を上げ、メガネを指先でクイと押し上げた。

「なるほど……東方には豆を使った食べ物が多いということですね」
「え? あ、ああ、言われてみればそうかもしれないですね」

 確かに、豆腐だったり味噌だったり、豆を使ったものは多い。あまり気にしたことがなかったけれど、他国の──とりわけ海からやってきた人魚たちにとっては印象に残りやすいのだろう。海では豆は採れないものだから。

「どこの駄犬が火遊びをしているのかと思っていたら、お前か。一体何をしているんだ?」
「あら先生、こんにちは」

 ヒトハが皿に餅を移している最中、頭上から影が落ちた。大きく見上げると、白黒のベストに赤いネクタイ。予想通りクルーウェルが教科書数冊を抱えて背後に立っている。
 ヒトハは熱々の餅が載った皿を軽く掲げた。

「サムさんに極東の食べものを教えたついでに私も食べたくなっちゃって。餅焼いてます」
「モチ? ああ、この前言ってた鏡餅とやらの……」

 米を練ったもの、と説明したのを覚えていたのか、彼はすんなりと理解した。
 するとヒトハから皿を受け取ったフロイドが「ねぇ」とニコニコと餅を指差しながら言う。

「イシダイ先生ぇ、なんで餅って焼いたら柔らかくなんの?」
「……なぜ俺に聞く」
「タニシちゃんが先生に聞けば分かるって言ってた」

 するとクルーウェルはくるりとこちらに顔を向けて、切長の目をうっすらと細めた。

「お前、とりあえず俺に全部丸投げすればいいと思っているだろう?」
「へへ」

 バレバレどころかピッタリ予想通りの発言である。このところ一緒にいる機会が多いせいか、少しずつ思考と行動が読めるようになってきた気がする。
 誤魔化すように笑うヒトハをじとりと睨め付けながら、クルーウェルはそのまま足元に視線を落とした。

「これは何だ? コンロ?」
「そんな感じですね。これは七輪って言います」

 ヒトハは先ほど生徒たちにした説明を繰り返した。炭を使って食べ物を焼くのだと言うと、彼は「バーベキューの道具か」と頷く。大きく間違えてはいないが、何か違うような気がしないでもない。

「この前から先生も東方に興味津々ですよね。もしかして、ご旅行の予定でも?」

 ヒトハは少し焦げ目がつきはじめた餅を皿に載せて、ジェイドに差し出した。彼はいつもと変わらない静かな笑みを貼り付けたまま「ヒトハさん、それは野暮というものでは」と嗜めるように言いながら皿を受け取る。
 野暮? と聞き返す間もなく、クルーウェルはヒトハの問いに平然とした声で答えた。

「この学園には世界中から魔法士が集まるわけだから、どの地域の知識もあるに越したことはない。極東出身者なんかは特に出会うことがないからな」
「ああ、なるほど」

 最後に皿を受け取ったアズールが「貴女、本当にそれでいいんですか?」と眉間に皺を寄せながら、やはりメガネを押し上げる。いいもなにも、ナイトレイブンカレッジの教師として模範的かつ理想的な回答なのだから、文句があるはずもない。
 ヒトハは頬に手を当てて「そういえば」と思い出した。この学園で年始を過ごしてから思ったことがある。

「私、この学園に来るまでこんなに色々な国の人たちに出会うことってなかったんです」

 地元のミドルスクールを卒業して、それから魔法士養成学校に通って、働き始めて。その全てを極東の小さな島の中で過ごしてきた。この世界の片隅にある辺鄙な場所だから、他国出身の人がいてもほんの僅かだったし、関わりなんてほとんどない。
 でもここは、自分の知っている国からも、知らない国からも生徒たちが集められる。教師だって世界中から集められた優秀な人たちばかりだ。

「この七輪も、炬燵も、着物も、みんな知ってて当たり前の世界にいたから、こうやって説明する機会があるなんて思ってませんでした。故郷のことを知ってもらえるって、結構嬉しいことなんですね」

 知って貰えるのも、興味を持って貰えるのも嬉しいことだ。喜んでもらえたらもっと嬉しい。それに、自分の知らない世界のことも知りたいと思えるようになる。当たり前のように感じていたことを教えただけでこんなに驚いてくれるなら、自分の知らない“みんなの当たり前”だってたくさんあるはずなのだ。

「今度はみなさんの国のこと、私に教えてくださいね」

 食べ物でも、服装でも、行事でもいい。この学園にいる間、もっとたくさんのことを知りたい。
 ヒトハの言葉に、オクタヴィネルの彼らもクルーウェルも快く頷いたところで「あ」と少しばかり間伸びした声が届いた。

「いたいた。キミがナガツキさん?」
「あ、はい。ナガツキです」

 声の主は白くてふわふわのゴースト。姿を見るに、先日コタツを届けに来た宅配を仕事にしているゴーストのようだった。
 彼は両手いっぱいに抱えても有り余るほど大きくて平たい箱を携え、ヨロヨロとやって来て「荷物届いてまーす」と箱を下ろした。

「ここにサインください」
「はいはい」

 反射的にサインをしてしまった後にハッとする。こうやって気軽にサインしてしまうから、とんでもない失敗をしてしまうというのに。
 まさか詐欺では、と恐る恐る送り主を見ると、意外にも見知った極東の住所からだった。

「ん? お母さん……?」

 すらりとした筆跡は故郷にいる母のものだ。
 しかし何か仕送りをするという話もなかったし、まったく身に覚えがない。それにこんな大きな箱に一体何が入っているというのか。
 ヒトハは訝しみながら、箱の縁に手をかけた。

「──あっ!」

 恐る恐る開いた箱の隙間から鮮やかな色を見て、大きく開く。

「これ、私が成人のお祝いで着た振袖です!」

 引っ張り出したのは大小さまざまな花に彩られた上等な着物だ。袖は長く色鮮やか。祝い事のために用意したこともあって、一段と華やかなものだった。
 懐かしさに興奮しきったまま、ヒトハは様子を観察していた生徒たちの前で広げてみせる。
 アズールはヒトハの両手にある着物を覗き込んで、ため息をつくようにしみじみと言った。

「これはこれは、見事な柄ですね」

 以前クルーウェルが振袖に興味を持った時、母親に「振袖の写真を撮って送ってほしい」とお願いしていたのだ。それから東方風のミステリーショップの外観や生徒たちと撮った写真を送っていたから、生徒たちにと実物を送ってくれたのかもしれない。
 ヒトハはそれを一番興味を持っていた人に見てもらおうと、顔を上げてその姿を探した。真っ先に何か言いそうなものだが、どうしてか静かで、気配がないのだ。

「先生! これ、先生が見たがってた振袖──ん?」

 ヒトハは少し離れたところに立ち尽くす白黒と派手な男が手にしているものを見つけて、目を細めた。アルバムのような大きな冊子だ。表紙は革のように滑らかで厚みがある。

「そ、それ、まさか……」

 ヒトハが着物を手に震える声で言うと、彼は冊子から顔を上げてニヤリとした。

「振袖、よく似合っているじゃないか」
「はぁ!?」

 何かと思えば成人のお祝いで撮った写真である。しかもスタジオで撮った、過去最高におめかししていると言っても過言ではない写真。当然よく撮れてなければならないから、普段絶対しないポーズも、表情もしているはずだ。
 近くにいたフロイドに着物を押し付けて爆走すると、ヒトハはサッと掲げられた冊子にジャンプしながら手を伸ばした。身長180センチ相手では冊子の角にも掠らない。背も高いくせに腕も長いとは、つくづく天は二物も三物も与えすぎである。

「返してください!! だめだめだめだめ!! 恥ずかしい!!」
「これは俺宛だろう? 大体、なにを恥ずかしがる必要があるんだ? 美しく着飾っているのだから堂々とすればいいものを」
「う゛っ……!」

 クルーウェルは先日から熱望していた振袖写真を見てご満悦の様子である。ヒトハはどう足掻いても手が届かないのを悟って地団駄を踏んだ。
 勝手に見ておきながら自分宛など、一体どの口が言うのか。しかも美しいだなんて言われたら、照れが突き抜けて恥ずかしさのあまりに頭がおかしくなりそうだ。
 顔を真っ赤にして唸るヒトハに追い打ちをかけるように、またもや勝手に写真を覗き込んだジェイドとアズールは口を揃えて言った。

「とてもお似合いですよ」
「ええ、お化粧も華やかで美しいです」
「うっ……う゛うぅう……!!!」

 親族からの大袈裟なお世辞はよく聞いてきたものだけれど、他人にこれだけ言われることなんて今までなかった。言われたことがないから、どう処理したらいいのか分からない。
 唸りながらブルブル震えるヒトハを見下ろし、フロイドが「あーあ、タニシちゃん壊れちゃった」と呟く。彼の発言は一言も二言も余計だ。
 結局、最後の一枚までじっくり観察したクルーウェルが大変満足な顔で「いい写真だった。東方文化、実に興味深いな」と感想を述べるまで写真が返ってくることはなかった。
 異国の澄んだ冬空に立ち込める炭火の匂い。冬の寒さに反して猛烈な顔の熱さと、ミステリーショップの派手な東方飾り。ヒトハの新年の幕開けは、こうして締めくくられたのだった。

 翌日、クルーウェルのスラックスから「先生へ♡」と母直筆のメッセージカードがぽろりと出てきたのをバルガスが目撃して一悶着起きたりしたのだが、それはまた別のお話。

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