清掃員さんとお正月Ⅰ(2/4)

炬燵

 ヒトハは雪が降り積もる校内の一角で、雪合戦に勤しむ生徒たちを眺めていた。
 いつものオンボロ寮の監督生とエースにデュース、ジャックとエペル、今日はなんとセベクもいる。この手放しに仲が良いとも言えない一年生たちが集まって雪合戦をしているのは、当然みんなで遊びたかったからではない。

「グリム、てめぇ!」
「──ふなっ!」

 グリムは後頭部で砕けた雪を振るって落とし、丸い手のひらで器用に雪を搔き集めた。彼の黒く短い毛並みは今や雪が絡まり斑色である。グリムの投げた雪は緩い弧を描いてデュースの裾で粉々に弾けた。
 どうやら彼らは誰ともなく始めた「雪を投げつける」という行為に対抗して、あるいは巻き込まれ、巻き込んだ結果、六人と一匹という大混戦となったらしい。
 右へ左へと飛び交う雪の塊と怒号とも罵声ともつかない声。そしてたまに笑い声が混じるこの光景を遠目に見つけて、ヒトハは足を止めたのだ。なんだかおもしろそうなことをしているな、と。

「おい! 見ていないでお前も手伝え!」

 ヒトハが少し離れたところで眺めているのを見つけたセベクは、広い肩に降り積もった雪を叩きながら叫んだ。ずんずんと大股で近づいてくる道すがら、頭に雪をぶつけられて「誰だ!?」と振り返るも全員が知らないふりをする。ヒトハには見えていたが、あれはエースの仕業だ。

「私は雪合戦に参加するよりも、みんなが楽しそうにしているのを眺めていたいんですよ」
「楽しそうもなにもあるか! これは勝負だ! 若様のためにも負けるわけにはいかん!」
「さっきセベク君も笑ってたじゃないですか」
「笑ってなどいない!!」
「う、うーん……」

 先ほど白い犬歯を見せて笑っていたように見えたのだが、彼が言うにはこれは気のせいらしい。ヒトハは素直にセベクに引っ張られながら、雪が飛び交う中へ向かった。段々と楽しくなってきたのか、さっきから笑い声が多くなってきている。

「この光景、まさに『犬は喜び庭駆け回り』ってやつですね」

 彼はそれを聞くと、ふと足を止めて振り返った。

「なんだそれは?」

 セベクの特徴的な眉が歪んでいるのを見て、ヒトハは「ああ」と気が付いた。これは故郷である極東の小さな島国では有名な童謡だが、この地でそれを知っている者は少ないだろう。
 ヒトハはリズムに合わせて人差し指を振りながら、「雪やこんこ」とその歌を最初から歌ってみせた。

「犬は喜び庭駆けまわり、猫は炬燵で丸くなる〜っていう故郷の歌です」

 雪の降り積もる中ではしゃぎまわる犬の姿が目に浮かぶ、とても可愛い曲だ。今度あの教師にも教えてあげよう、とニコニコと微笑むヒトハを見て、セベクは少し間を空けると、小首を傾げて言ったのだった。

「…………コタツ?」

 極東以外の国々出身の人たちの多くは炬燵を知らない。ヒーター付きのテーブルを布団で覆った、一度入れば抜け出せなくなる“人を駄目にする”文明の利器──炬燵を知らないのだ。分かってはいたが、衝撃的なことである。

「炬燵は人を駄目にするんです」

 ヒトハは雪合戦をやめた六人と一匹に囲まれて“炬燵とは”の講義をしていた。セベクが「コタツとは何か知っているか」と問い掛けた全員が首を横に振り、その答えを知りたがったからだ。
 いつもなら上向きにピンと張っている耳を傾けて、ジャックが真剣な眼差しで「人を、駄目に……?」と呟く。

「ええ、怠惰にしてしまいます。周りにはお菓子と漫画、テレビのリモコン、スマホ、ゲームが散らかり……気がつけばその中で……寝ているんです……」

 恐ろしいことに炬燵は一度誘い込んだ人間をちょっとやそっとでは離さず、そのまま眠りに誘う。しかも誘い込まれた人は最悪風邪をひく。らしい。
 それを聞いて、セベクは小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「ふん、軟弱な! 自制心が足りていないのではないか?」
「まぁ、結局はそうなんですけど」

 最終的に炬燵から抜け出せるかどうかは個人差があるだろうから、もしかするとセベクは簡単に抜け出せるかもしれない。そんな余裕をかましている彼にこそ、炬燵の魅力を知ってもらいたいものだが。

「ていうか、ヒトハさんの部屋にはないの? コタツってやつ、極東では大体の家にあるんでしょ?」

 寒さに鼻を赤くしたエースが両手を脇で温めながら問う。随分雪をぶつけられたのか、耳まで真っ赤だ。

「そういえばないですね。家具は備え付けのものを使ってるから……」

 この学園へ越してきてからというもの、まともに家具を新調したことがない。備え付けで足りているし、インテリアも悪くはないから不満がなかった。けれど言われてみれば、この寒い冬を過ごすには少し物足りない気もする。
 ヒトハは寒さで顔を赤くしている生徒たちをぐるりと見渡した。

「じゃあ、せっかくだしみんなで入ってみませんか? 炬燵」

 ──とは言ってみたものの、ここは極東ではない。賢者の島では超マイナー家具と言っても過言ではない炬燵を調達するには、少し骨が折れる。サムに頼んで東方支店から取り寄せてもらわなければ、通信販売でしか手に入らない珍しいものだ。
 週末休みに入ったその日、ヒトハはサムから炬燵を一台引き取った。大型家具に分類される炬燵は本来であれば自室まで送ってもらうところだが、今回の配送場所はオンボロ寮である。粉雪が舞う中、ヒトハはオンボロ寮の扉を大きく開いてサムと配達の仕事をしているゴーストたちを迎え入れた。荷物を中に運び込むゴーストを横目に、受け取りのサインをするべく、かじかむ手でペンを取る。
 サムはサインを終えてペン先が紙から離れたのを確認すると「届け先はここで良かったのかい?」と小さく首を捻った。

「ええ。使い終わったら私の部屋までみんなが運んでくれるらしいので」
「使う?」
「“炬燵の会”です。私の故郷のこと、みんなに知ってもらいたくて。私の部屋でもよかったんですが、前にセベク君を部屋に入れたことを先生に言ったら怒られちゃったんですよね」

 以前セベクを部屋でもてなした話をしたら、クルーウェルから思いっきり渋い顔と共に「二度とするな」ときつく言い付けられたのだ。それ以降は生徒たちと節度ある関係を持とうと反省して、誰も入れてはいない。
 ご両親にも悪いですもんね、と肩を竦めるヒトハに、サムは片眉を跳ね上げて「そうかもね」と呆れた声で答えた。

「今は丁度ニューイヤーセール中でみんな東方に関心があるからね。今度オススメのものがあったら教えてよ」
「そうですねぇ。美味しい物とか考えておきます」

 よろしくね、と最後にウインクをひとつ残して、サムと配達員のゴーストたちが帰って行く。冷え冷えとしてきた玄関から冷気を締め出すように扉を閉じ、ヒトハはトントンとオンボロ寮の階段を上った。それにしてもこのオンボロ寮はたまに木床が軋むが、まさか底が抜けたりしないだろうか。階段を登る最中に壊れたりなんてしたら洒落にならないのに、どうして改修の手が入らないんだろう……なんて怯えながら、騒がしい部屋の扉に手をかける。

「みんな、準備できましたか──って、なっ……なにしてるんですか!?」

 ヒトハは扉を開け放って、その惨状に目を剥いた。

「センセー! セベク君が足曲げてくれませーん!」
「それは僕ではない! 誰だ! 今蹴ったのは!?」
「お前たち、大人しくしないか。壊れたらどうするんだ」
「あっ、痛……!」
「わっ! すまない、エペル!」
「全然ゆっくりできねーんだゾ……」

 入念に掃除がされた部屋の中心に厚みのある広いラグ。そこに大きな天板のローテーブルが置かれている。ゴーストたちが設置してくれたのか、はたまた彼らで設置できたのかは不明だが、布団も挟み込まれてきちんと炬燵の形になっていた。広くなった自室に合わせて買った大きめの炬燵だ。
 しかし自由奔放な生徒たちにはこれでも狭すぎたらしい。布団に覆われたテーブルの下で再び大混戦となっているらしく、ガタガタと揺れて天板が傾いている。

「もう! ちゃんとみんなで譲り合ってください! 初日で壊れちゃったらどうするんですか!!」

 これは新年の空気に押されて奮発した炬燵だ。初日に壊されてはたまったものではない。通常ではこんなことで壊れるのは考えられないが、そこはナイトレイブンカレッジ生である。油断は禁物だ。
 珍しく大声で怒るヒトハに怯んで、彼らはいそいそと座り直した。きっちり座れば多少狭くても六人と一匹はちゃんと収まる。そのつもりで購入したのだから。

「どうです? 結構あったかいでしょ?」
「駄目になるっていうの、ちょっと分かるかも」

 ヒトハが問うと、エースが布団を鼻先まで引き上げて深く長い息を吐いた。
 部屋の結露とも汚れともつかない曇った窓からはちらちらと雪が舞っているのが見える。こんな寒さの厳しい日は家でゆっくりと温まるのが一番だ。それはどの国にいたって同じだけれど、故郷での過ごし方をしていると懐かしさに心まで温かくなる。故郷のみんなは、両親は今頃どう過ごしているだろう。
 ヒトハはスマホを取り出して、炬燵を囲む生徒たちにレンズを向けた。

「故郷の両親に見てもらいたいので、記念に一枚撮ってもいいですか?」

 スマホの画面に映るのは男子生徒たちが揃って炬燵を囲む、なかなかに微笑ましい光景だ。奮発して良かった、と頬を緩ませつつピントを合わせていると、デュースが思い出したように言った。

「ヒトハさんのお母さんってどんな人なんですか?」
「母ですか?」
 
 ヒトハはスマホを手にしたまま首を捻った。改めて「どんな人か」と聞かれると答えに困る。奥ゆかしいとか物静かなんてこともないし、どちらかと言うと、静かな父とは対照的によく喋る人だ。両親は正反対の性格だからちぐはぐのようにも見えるけれど、逆にそれで上手く噛み合っているようにも見える人たちだった。

「ううん、騒がしくて明るいですね。落ち着きがないというかなんというか……」

 ヒトハは悩みながら答えた。すると生徒たちは一瞬顔を見合わせてヒトハに視線を戻すと「分かる……」と声を揃えたのだった。

「え?」

 どこかで母親のことを話したことでもあっただろうか。生徒たちに話す機会はなかったはずだけれど。
 まぁいいか、と再びスマホを構えようとすると、今度はエペルが「あれ?」と疑問の声を上げた。

「グリムクンは?」
「そういえばいないな」

 セベクが不思議そうに監督生の方を見る。先程までそこにいたはずなのだ。
 監督生も言われて気づいた様子で、きょろきょろと左右を見渡した。グリムは猫に近い姿をしているが、そこそこの大きさがあるし耳の青い炎はよく目立つ。この部屋にはあまり家具もなく、隠れる場所もないはずだが──

「まさか……」

 ヒトハはスマホを下ろして炬燵の前で膝をつくと、厚い布団をぺろりと捲った。それに倣って生徒たちもそっと身を屈めて布団を持ち上げる。
 そこにあったのはヒーターから出る赤い光に照らされながら、もぞもぞと身を捩る黒い塊だ。

「なるほど、これが『猫は炬燵で丸くなる』ということか」

 セベクが嬉しそうに言い、ヒトハは苦笑した。極東出身でも、この状況を生で見るのは初めてだ。
 雪やこんこ、霰やこんこ。こんなに雪降る寒い日には、グリムも炬燵で丸くなろうというものである。

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