清掃員さんとバルガスCAMP!(5/5)
05
その後のことはよく覚えていない。
ヒトハは坑道から脱出した後、バルガスが拠点にしているドワーフの小屋に担ぎ込まれた。そのときにはもう眠気で朦朧としていて、かろうじて魔法薬を飲まされたことと回復魔法を施されたことくらいしか記憶にないのだ。
こうして次に目を覚ましたときには、ヒトハはドワーフ用の小さなベッドで縮こまっていた。無理な姿勢をしていたせいか関節がやたら軋んだが、意外にもすっきりとした心地なのはバルガスの回復魔法と魔法薬のおかげだろう。
そしてわけも分からず窓から外を見てみればキャンプは終了していて、生徒たちが小屋の前に集まっている。
バルガスキャンプ三日目。寝坊どころの話ではない。
「起きたか!」
「お、おはようございます……」
「ああ、おはよう!!」
小屋の前で学園長と立ち話をしていたバルガスはヒトハがそろそろと扉から顔を出すのを目ざとく見つけ、寝起きには眩しすぎる笑顔を浮かべた。
「あの、キャンプって終わったんですか……?」
「終わりましたよ。ナガツキさんは怪我をされて休んでいると聞きましたが、もう大丈夫なんですか?」
学園長は軽い口調でそう答えて、「本当に怪我が多いですねぇ」と余計な一言を添えた。
やはりキャンプは終わってしまったのだ。ヒトハはまだ寝起きで重い頭をがくりと落とした。これまで尽力してきたキャンプがこうも呆気なく終わってしまうとは思っていなかった。せめて最終課題はこの目で見たかったのに。
キャンプの最終日、正確には二日目の夜から翌朝にかけて、生徒たちには一番難しい課題が与えられることになっていた。バルガスが正体不明の怪物に扮して生徒たちに夜襲をかける、というなんともユニークな課題で、生徒たちはこれに知恵と筋肉で打ち勝たなければならない。ヒトハも一芝居打って“怪物に襲われた可哀相な清掃員”を演じるはずだったのだが──それもぐっすり眠ってしまっていたせいで、“騒動の中ただ居なくなっていただけの人”になってしまった。大変不名誉なことに。
しかしこうして生徒たちが晴れやかな顔をしているということは、彼らはこの課題に合格したということである。この目でその終わりを見ることはできなかったが、生徒たちの課題の達成は誇らしいことだ。
(『意外とあいつらは放っておいても上手くやる』……確かにそうかも)
バルガスの言葉がふと蘇ってきて、ヒトハは誰にも悟られないように小さく微笑んだ。まだ成長途中の不安定な彼らを信じること。それもきっと、彼らを見守る大人の大切な役割なのだ。
キャンプの片づけが終わりヒトハもようやく帰る準備が整った頃、集合時間間近に慌ただしく戻ってきた生徒たちがいた。ラギー、フロイド、エースとデュース、ジャック、セベクにオンボロ寮の監督生とグリム、それからあまり急ぐ様子を見せないレオナ。ナイトレイブンカレッジを代表する問題児の集団である。
バルガスは腰に手を当てて彼らに時間ギリギリになった理由を尋ねた。
「バケモノが出たんス!」
ラギーは必死の形相でバルガスに訴えた。二日目から行方不明になっていたデュースを探しに坑道へ行ったところ、ヒトハが遭遇した“バケモノ”とそっくりそのまま同じものに会い、戦ってきたのだという。
坑道にいたのは自分が最後だと安堵していたのに、まさかその後ツルハシを探しにデュースが坑道に入っていたのは想定外だった。幸い彼は得意の大釜を出す魔法を使い、中に隠れて難を逃れることができたのだと言うが、一晩そこで過ごしていたのかと思うと胸が痛む。もっとも、一晩経たないと存在に気が付かない生徒たちも生徒たちだが。普通、友人が夜になっても戻らなかったら大人に報告するものではないのか。
しかし学園長もバルガスも、生徒たちの訴えを時間ギリギリになってしまった言い訳だと思い込んでいた。
「バルガス先生! バケモノ、やっぱりいるんですよ!」
ヒトハは思わずバルガスの隣で挙手をした。生徒たちが嘘を吐いていると思われたままなのはあまりに不憫だし、なにより自分自身も未だ坑道から落ちて頭を打った末の妄言と思われている。
しかし二人は顔を見合わせて、やれやれと肩をすくめた。
「あまり生徒を甘やかしすぎるのは良くないぞ」
「そうですよ。たまには厳しくしないとダメです!」
「ええ!? 違いますってば!」
結局、奮闘の末にヒトハは彼らの考えを変えることは出来なかった。歯痒いことだったが、自分も坑道の奥に行く前に忠告を受けながら半信半疑だったことを考えれば、それもきっと無理のないことなのだろう。
「ごめんなさい。信じてもらえませんでした」
それぞれが部活動ごとのグループに帰って行く前に一言そう告げると、レオナは「最初から期待してねぇよ」と鼻で笑った。
「ま、誰も信じてくれないよりいいっスよ」
ラギーもすっかり諦めたのか、疲れを顔に滲ませている。何か酷く落ち込んだ様子もあるから、今度ドーナツでも差し入れてあげなければならないかもしれない。
セベクは唯一バケモノの存在を信じたヒトハに感激して、両手を取って叫んだ。
「ヒトハ! お前は信じてくれるか!」
「ええ、私も遭遇しましたし。みんな無事で良かったです」
ヒトハがそう答えると、一瞬だけ時が止まった。
「ってことは普通に逃げ切ったんスか……?」
「タニシちゃんの生命力、やっぱスゲーじゃん」
過酷なバルガスキャンプの終わりに。
ほとんど全員が引き気味の状況に対してフロイドの心底面白がっている顔だけが、やけにヒトハの印象に残ったのだった。
***
ナイトレイブンカレッジに戻り「全員解散」の号令が出ると、ヒトハはバルガスと学園長と共にひとまず職員室へ向かった。ヒトハは単に方面が同じなだけで、この後はそのまま帰宅となる。
長いようで短かった一週間と三日間。クルーウェルとの喧嘩がこうしてキャンプに繋がり、学園での思い出の一つとなった。不幸中の幸い、あるいは怪我の功名ともいえるかもしれない。しかしどうせなら、残った最初の問題も解決して本当の良い思い出にしたい。
バルガスと学園長がキャンプの話に花を咲かせている中、ヒトハはどこか彼らの話に集中できないままでいた。校舎の曲がり角、半分開いた扉の先、柱の向こう、窓ガラスに映る生徒たち。その一つひとつに気を取られて、あの印象的な姿を探している。いつも通る道を通らなくて、いつもいる場所にいなくて、それがどうしようもなく寂しいのだ。
「ヒトハ」
それは窓の外に見える中庭に気を取られていたときのこと。バルガスの肘がヒトハの腕を小突いた。見上げると彼は垂れ気味の濃い目元を片方ぱちりと瞑って、顎で前を指す。
ナイトレイブンカレッジの長い廊下のその先に特徴的なコートを揺らして歩く人の姿を見つけて、ヒトハは思わず駆け出した。「廊下は走るな」とはよく教師たちが口にする文句だが、バルガスは今日ばかりはそれを口にすることはなかった。アシュトン・バルガスとはそういう男だ。彼はナルシストでたまにキザで、筋肉を愛し愛された、最高に世話焼きなヒトハのマブである。
「──先生!」
その柔らかなコートの袖を引っ張ったとき、彼は長い脚を止めていつものように振り返った。
「帰っていたのか」
「えっと、さっき帰りました」
ヒトハは気まずくクルーウェルを見上げた。全くいつも通りの姿なのに、その目からはいつも以上に感情が読み取れない。
でもここまで来たのだから、いくら怖くても言わなければならない。この三日間で得たものを伝えたくて探していたのだから。
「その……ごめんなさい、この前は。言いたいことだけ言って逃げちゃって。先生が私のこと気にかけてくれてるの、分かってたのに。私、先生ともっとちゃんと話をしなきゃいけなかったんです」
呆れられただろうか。子供っぽく逃げ回った末に、こうして都合よく目の前に現れることを。
胸の前で控えめに組んだ両手を見下ろして、クルーウェルは息を吐くと眉を下げて小さく笑った。
「いや、お前がまさかあんなに溜め込んでいたとは知らなかった。……悪かったな」
次からはもう少しお前の話に耳を傾けるとしよう、と添えられた言葉は優しく、ヒトハはようやく強張った口元をゆっくりと解いた。
「はい」
こんなことならもっと早く言っておけばよかった。想いを伝えて、そして返してもらうことは考えていたよりもずっと簡単なことだったのに。けれどそうでなければ得られなかったこの経験も気持ちも、やっぱり大切なものだから、きっと必要なことだったのだろう。
ヒトハはふと初日に貰った魔法薬のことを思い出した。バルガスにクルーウェルが預けてくれた“声が大きくなる魔法薬”である。使ったときは恥ずかしくて仕方がなかったが、あれがなければ山で遭難をするところだったのだ。
「それから魔法薬、ありがとうございました。鉱山で、その、信じてもらえないかもしれないけどバケモノが出て──」
クルーウェルはヒトハが言葉を続けようとするのを遮って、「バケモノ?」と聞き返した。
「怪我は?」
「ちょっとだけ打撲とか切り傷とか……でも、バルガス先生に見てもらったから大丈夫です」
服の袖をさっと捲る。確か転がったときにぶつけて青くなっていたはずだが、もうすっかり元の色に戻っていた。回復魔法と魔法薬を併用したことで治りが早かったのだ。治療を受けていなければ即保健室行きだったことだろう。
クルーウェルはヒトハのまっさらな腕を見下ろすと、「ならいい」とそっけなく返した。
「信じてくれるんですか?」
ヒトハはクルーウェルの答えに目を瞬いた。
学園長にもバルガスにも信じてもらえなかったバケモノという存在を、彼がすんなりと受け入れたのは意外なことだった。性格からして真っ先に否定しそうなものなのに。
「この俺に嘘を吐こうとでも?」
「そんなまさか」
疑う気持ちがないわけではないだろうに、否定もなく受け入れるのは先日自分が要求した通り、話を聞いてくれているということなのだろうか。ヒトハは擽ったそうに微笑みながら嬉しさを噛みしめた。
一方でクルーウェルは何かに気がついたのか、おもむろに手を顎に添えた。
「いやまて、それで魔法薬を……飲んだのか?」
「え、ええ、まぁ。なんか大きな声が出て恥ずかしかったですけど」
すると彼は顎に添えた手をさっと口元に持っていき、突然肩を震わせながら顔を逸らした。
「で、周りの反応はどうだった?」
「周りの反応?」
口の中で籠ったような声は、やはり震えている。それはまるで何かに耐えているような不自然さだった。
例えば、爆笑を堪えているかのような。
「ま……まさか……」
ヒトハはある可能性に行きついて唖然とした。
「まさか、嫌がらせ!? 腹いせに!?」
「い、いや、役に立ったならいいんだ。今度ぜひ俺にも披露してくれ」
「なな──なん、なんて捻くれた性格してるんですか!?」
何かおかしいと思っていたのだ。魔法薬に詳しい魔法士相手ならまだしも、効果を伝えないというのはいかにも怪しい。しかも「どうにもならなくなったら」という酷く曖昧な使い所である。おおかた使っても使わなくてもいいから変なものを持たせて溜飲を下げようという魂胆なのだろう。憂さ晴らしに。
クルーウェルは耐えるのをやめて珍しく壁に体を預けて笑い続けると、呼吸を整えながら言った。
「助けを呼ぶのが下手なお前に、おあつらえ向きの魔法薬だったろう?」
「はぁ!? それならもっとマシなものがあったんじゃないですか!? 最低! 信じらんない!」
もう何を言われても馬鹿にしているようにしか聞こえない。
この一週間と三日間、考えに考え、悩みに悩んで過ごしていたというのに、この男ときたら真っ当に喧嘩しているつもりでいたのだ。さすが生徒たちに「怒らせたら人としての生活が終わる」「やらかしたら泣いて伏せをするまで躾けをする」とまで言わしめただけある。彼はやられたら絶対にやり返す、驚きの執念深さをここぞとばかりに発揮したのだ。
ヒトハはぶるぶると震えながら声を荒げた。
「もう、先生なんか知りません! 馬鹿!!」
その様子を遠くから眺めていた学園長は「あーあ」と呆れた声を上げた。
最近喧嘩をしたらしいと聞き及んではいたものの、いずれ彼女が折れて収まるだろうと思っていたものだが。どうやら一度反抗を覚えてしまったらそう簡単にはいかないらしい。
「なんか始めましたけど。いいんですかねぇ、あれ」
「いいんじゃないですか? 『喧嘩するほど仲がいい』と言いますし」
「ああ、たしかに」
まぁ、こういう賑やかなのも我が校らしいですかね。そんなことをバルガスに言うと、彼は逞しい上腕二頭筋を胸の前で組み、気持ちよく笑ったのだった。
学園長とバルガスが「やれやれ」と言いながら別ルートで職員室へ向かい始めた頃、ヒトハはバシバシと遠慮なくクルーウェルを叩いていた。ふわふわのコートを素手で攻撃したところで何のダメージもないが、サンドバッグのごとく、ストレス発散くらいにはなる。
しかしいい加減鬱陶しくなってきたのか、クルーウェルはヒトハの手首を取って動きを封じると「お前な」と呆れた。
「大体、使うなんて思ってなかったんだ。どうにもならない状況になるなんて思わんだろう、普通。キャンプだぞ?」
「そっ、それはそうですけど! それはそれ、これはこれ! ──ん?」
カツン、と何か硬いものがリュックから滑り落ちたような気がして、ヒトハは背後に振り返った。
そこに落ちていたのは真っ赤に燃えるような色をした拳大の魔法石だ。採掘したての歪さがあるものの、その大きさからして一目見て価値のあるものだというのが分かる。
「なんだそれは?」
クルーウェルはパッとヒトハの手を離すと、その魔法石を拾い上げた。
「ほう、これはたいした魔法石だな。……キャンプ中の副業か?」
「ち、違います!」
手のひらの上で傾けながらよく見ようとするのを取り返して、ヒトハはじっと魔法石を見つめた。
わずかにオレンジがかった炎のような赤は、鉱山での出来事を思い起こさせる。それはこの色が、あの火の妖精が纏っていた色に近いからかもしれない。
「ふふ、自己満足じゃなかったってことですね」
「自己満足?」
ヒトハは魔法石を大事にリュックに仕舞うと、クルーウェルに向き直った。そういえば、とても大切なことを忘れていた。
「先生、相談したいことがあるんです。このあとお時間ありますか?」
「……いいだろう。コーヒーでも淹れるか」
クルーウェルはそう言うとコートを翻した。ヒトハはその横に並び、ゆったりとした歩調に合わせて歩く。
「それで、キャンプでのことなんですけど──」
学園に帰って仲直りが出来たら伝えようと思っていたこと、知って欲しいことがたくさんある。今度こそ気持ちを込めて、冷静に話してみよう。そうすればきっとその先に、お互いに納得ができる答えが見つかるはずだから。
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