清掃員さんとバルガスCAMP!(2/5)

02

「いち、にい、さん、し……」

 よし、と備品を数え終わり、手にしたプリントにチェックをつけてヒトハは小さく息を吐いた。
 ここはドワーフ鉱山にある静寂の森。その名の通り、森の中は時折葉擦れの音がさざ波のように響き、近くの小川から微かに清涼な音が聞こえるくらいのもので、随分と静かだった。辺りは空を包み込むように高い木々に覆われていて、差し込む木漏れ日が優しく森の中を照らしている。
 バルガスの言っていた豊かな自然というのも、存外悪くないものだ。澄んだ空気で肺をいっぱいにすると、細かな悩みがどうでも良くなっていく気がする。

 バルガスキャンプ。この三日間にわたる運動部限定の合宿に半ば強制参加させられることになったヒトハは、一週間前から清掃員の仕事を半分放棄してバルガスと共に仕事をしていた。
 彼の言う「キャンプに参加しろ」というのは、「キャンプを成功に導くために手伝え」という意味だったのだ。当然ながら、生徒たちとキャンプファイヤーを囲むようなこともない。
 とはいえ気分転換には丁度良く、適度に忙しいお陰で難しいことをあれこれと考えずに済んだ。ただ学園長の「事務員の才能、あったんですねぇ」というしみじみとした言葉には、さすがのヒトハも眉を寄せたが。

「こちらの準備は終わりました」
「ご苦労様です。いや~、ナガツキさんがいてくれて助かりましたね」

 生徒たちの到着を待つ学園長は大袈裟に言いながら両腕を広げた。
 バルガスが彼らを率いてやってくるまで、細かな雑務のほとんどをこなしたのだから褒められて当然である。自分がいなければ、こうして撮影係を任命されたオンボロ寮の監督生やグリムとのんびり自然を満喫することもできなかっただろう。

(でもこの人なら、魔法でパパッとやっちゃうかもな……)

 ヒトハは気づかれないようにため息をついた。

「こっちも終わったよ~」

 これからの予定でも確認しておこうかと脇に挟んだファイルを広げていると、遠くから間延びした声が聞こえてくる。今回、ヒトハと同様にキャンプを手伝うゴーストたちがキャンプ場から帰ってきたのだ。あちらの最終確認も済み、あとは生徒たちを待つだけらしい。

「おつかれさまです。最後にみんなで今日の予定を確認しましょうか」

 今回“ドワーフ鉱山のゴースト”としてヒトハと同様に手伝いをすることになった三人のゴーストたちは、ぞろぞろとヒトハが手にした予定表を囲んだ。
 生徒たちは三日間のキャンプの中で、バルガスの課題をこなしながら〈バルガスバッジ〉なるものを集めることになる。その課題をクリアしたかどうかを確認するために各所への人員の配置が必要で、この予定表には担当場所とそのシフトが書き込まれていた。
 基本的にはキャンプ場と湖と鉱山が待機ポイントで、余った一人は渡り歩きながら伝達や見回りを担当することになっている。なんせここでは生徒たちにとって厄介な者が現れる。用心するに越したことはないだろう。

 全員で今夜の見回りまでの確認を済ませたところで、ようやく森に賑やかな声が響き始めた。監督生とグリムが手を振りながら走っていく先を見やると、バルガスを前に大勢の生徒たちが集まっている。
 多種多様な部活動、同好会を抱えるナイトレイブンカレッジだが、運動部はどの部も強豪と名高い。その中でも花形とも言えるマジフト部は特に規模も大きく、学園からやって来た生徒たちの中でもよく目立っていた。
 その先頭に立ち、小柄ながらも彼らを率いている生徒──ラギーは、ヒトハを見つけると不思議そうに声を上げた。

「あれ? ヒトハさん何してるんスか?」
「ラギー君、おはようございます。今日はバルガス先生のお手伝いに来たんですよ」

 声を張り、小石の混じった土をスニーカーで踏みしめながら歩み寄る。森の中で声は反響するようによく響いた。

「クルーウェルのやつと喧嘩したからってバルガスに鞍替えとは、お前もなかなかやるな」

 そんな意地悪そうな声も容易に耳に入ってしまうくらいに。
 ヒトハはラギーの隣でニヤつくレオナをじとりと睨め付けた。運動部全員参加の合宿で大半の生徒が運動着なのに、彼は上等なブランド服を着込んでいる。

「違います。私はあなたたちのキャンプがちゃんと成功するようにお手伝いしているだけです。だいたい、一体どこからそんな話を……」
「うちの寮生が居合わせたもんでな」

 すかさず返ってきたレオナの言葉に、ヒトハは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 あの日確かに視界の隅に生徒を見たが、まさかサバナクローの寮生とは思っていなかった。どうせ今日見た面白い話として寮にでも持ち帰ったのだろう。それがレオナの耳にまで入っているということは──絶対に碌なことにならない。これから生徒たちに噂について根掘り葉掘り聞かれると思うと憂鬱だ。

「もう、最悪……」

 と思わず呟くと、ふと頭上に大きな影が落ちた。反射的に見上げたが、それでは胸元までしか視界に入らない。リーチ兄弟の片割れ、フロイドはヒトハを見下ろして面白いおもちゃを前にしたような無邪気な顔をしていた。

「え~? なになに? タニシちゃん、イシダイせんせぇと喧嘩したの? ウケる」
「ウケません!! もう、散った散った!」

 何かと思えば、もう噂話を餌に生徒が釣れてしまった。気分の浮き沈みが激しいフロイドの今は“噂話が気になる気分”だ。
 ヒトハが躍起になって手にしたファイルをバタバタと振りながらフロイドを追い返していると、バルガスが痺れを切らしたように大声を上げた。

「──お前たち、静かにしろ!!」

 再び森が静寂に包まれる。これには多種多様に制御が困難な生徒たちも、大人しく従うほかなかった。

***

 学園長のドワーフ鉱山のゴースト紹介と、監督生やグリムの説明、そしてヒトハの簡単な挨拶が終わると、いよいよキャンプが始まる。
 彼のキャンプは曰く、筋肉と知識で乗り越えなければならない。よってマジカルペンもスマホも最初に没収だ。
 この魔法なし、文明の利器なしの状態でスタートした最初の課題はテント作り。キャンプの基本だが、制限時間付きなところがバルガス流である。
 予定通り見回りに行こうと生徒たちを追いかけようとしたヒトハを、バルガスは肩を叩いて引き留めた。

「どうしました?」

 振り返りバルガスを見上げると、彼は突然ヒトハの目の前に紫色の液体が入った瓶を差し出した。

「クルーウェル先生からこれを預かってきたぞ。先に渡しておこうかと思ってな」
「先生から……?」

 ヒトハはその瓶を受け取ってしげしげと眺めた。瓶自体は魔法薬学室でよく見かけるものだが、この液体は初めて見る。紫色の透き通った液体で、何かの魔法薬であるのは一目瞭然だ。
 栓を抜いて匂いを嗅ぐと、ほのかに甘い匂いがした。

「『どうにもならなくなったら使え』とのことだ」

 バルガスはヒトハにそう言って腰に手を当て、胸を張っている。

「まさか、私がキャンプに行くことを言ったんですか!?」
「一応三日も留守にするわけだから、断りを入れておかないと悪いだろう? 『なんで俺に言うんですか?』とは言っていたが……まぁ、お前のことを気にしてるってことじゃないのか?」

 良かったな! と叩かれた背がじんと熱くなる。ヒトハは手にした魔法薬をじっと見つめた。
 この一週間、仕事が忙しいからと言い訳をしながらクルーウェルと向き合うことから逃げていた。逃げれば逃げるほど戻ることが難しくなると分かっていたのに、もしかしたら嫌われたかもしれないと思うとつい足が遠のいたのだ。
 いつも通る道を通らなくて、いつもいる場所にいなくて、彼はどう思っただろう。やっぱり自分と同じように、少し寂しいと思ってくれたのだろうか。

「ありがとう、ございます」

 瓶を両手に包み込んでポツリと呟くように伝える。バルガスはそれに満足したように笑って、ヒトハの頭を小さく撫でたのだった。

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