清掃員さんとハロウィーン(3/5)
秘密の任務
楽しいハロウィーンウィークも明日までと迫った今日。学園を荒らしゴミをまき散らす不遜な輩こと“マジカメモンスター”のせいで予想外の激務を課され続けたヒトハは、誰がどう見ても疲弊しきっていた。
いくら掃除をしてもゴミは湧いてくるし、スカラビア寮の使用している購買部に至っては、黒くて素早くて大きなアレがやって来るほどには酷い有様だ。ジャミルがアレを燃やし尽くそうとしたところをなだめ、命の尊さを説きつつも裏でこっそり駆除するというハードでクレイジーな仕事は、ヒトハのメンタルまでをも削った。魔法薬学室を炎上させる事件さえ経験していなければ、ジャミルと一緒になって燃やしているところである。
もはやヒトハは、当初のハロウィーンの楽しさを忘れかけていた。
「ナガツキ、ちょっといいか」
そんな荒れに荒れた状態のヒトハを、クルーウェルはそうとも知らずに呼び止める。
ヒトハが冷めた気持ちのまま振り返ると、彼は気まずそうに口を噤んだ。
「なんでしょうか?」
「い、いや……忙しいならいいんだ。頑張れよ……」
そそくさと去ろうとするクルーウェルの様子がおかしいことに気がついて、ヒトハは慌てて眉間の力を抜いた。
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってください! なんでしょうか!?」
ふわふわのコートを引っ掴み、必死で引き止める。心が荒れているのは確かだが、威嚇をしたつもりはない。それになにより、半端に声を掛けられては内容が気になるというものだ。
「いいと言っているだろう! コートを引っ張るな!」
「だって気になるじゃないですか!」
クルーウェルはコートが悪くなるのを恐れたのか、はたまたこれ以上逃げようとしても無駄と悟ったのか、結局「分かったから離せ!」と観念した。ヒトハが手放したところの毛並みを整えながら、小さくため息をつく。
「マジカメモンスターが学園中を荒らしているのは知っているな?」
「ええ、もちろん。もしかして、やっと叩き出せるんですか!?」
ヒトハは期待で前のめりになった。先日のマジカメモンスターから逃げて以来、仕事を大いに邪魔されている。ずっとどうにかならないかと思っていたのだ。このまま彼らを野放しにしていては百害あって一利なしというものである。
途端に目を輝かせるヒトハを見て、クルーウェルは苦々しい顔をした。
「分かりやすく喜ぶな。何でお前はいつも急に過激になるんだ」
そしていつもの指揮棒を肩に叩きつけながら、クルーウェルはとても曖昧に説明を始めた。
「いいか、俺は今日一日、他の教職員全員と共に来客の対応をしなければならない。つまり、誰も仔犬どもの世話ができんということだ」
「え? いつもそんなに世話してないじゃないですか。……いえ、なんでもないです」
躾はしているが世話らしい世話をしているところはあまり見ない。ヒトハはそう思って疑問を口にしてみたが、鋭い目を向けられて、それを素早く取り消した。もしかしたら自分の見ていないところでよく世話をしているのかもしれない。
「そこで、だ!」
クルーウェルはビシッと指揮棒の先をヒトハの鼻先に突き付けた。
「比較的自由に動けるお前に、バッドボーイどもの世話を任せようかと思ってな」
「バッドボーイ……どもの……?」
そこでやっと、ヒトハはクルーウェルの言わんとすることを理解した。
彼は生徒たちを「仔犬」呼ばわりこそすれ、何もしていない生徒を「バッドボーイ」と呼ぶことはない。つまり今このとき、もしくはこれから、バッドボーイになる生徒がいるということだ。そしてそれは恐らく──大人たちが関知しないところで起きなければならない。
「なるほど。先生もとんだバッドボーイですね」
「さぁ? 何のことか分からないな」
ふたりは顔を見合わせ、悪い笑みを浮かべた。
立場は違えど思うことは同じだ。かたや大切な魔法薬学室を荒らされた教師、かたや学園を汚されて激務続きの清掃員。いくら彼らをもてなす側の人間とはいえ、マジカメモンスターたちに思うことがないわけではない。
「お前なら上手く立ち回るだろう。仔犬どもが困っていたら助けてやれ。ただし、ひとりで突っ込んで行くような真似はするな。身の危険があれば仔犬どもを頼れよ。いいな」
クルーウェルはヒトハの肩に手を置いた。
「任せたぞ」
ヒトハは元気よく片手を上げ、数日ぶりの清々しい笑顔で答えた。
「はーい!」
こうして、ヒトハの秘密の任務が始動したのである。
日が暮れて、ジャック・オ・ランタンにオレンジの光が点る頃。ヒトハは各寮の担当するエリアを一つひとつ巡っていた。教職員でもなければイベントを運営する立場でもないヒトハは、思う存分に学園内を歩き回ることができる。クルーウェルたちとは仕事の範囲が異なるので、何か起きたとしても報告する義務もない。あくまで学園中を掃除し回っている清掃員として、バッドボーイたちが上手く事を成せているか見守るだけだ。
ヒトハはすでに六つの寮を巡り、そのすべてが順調であることを確認していた。生徒たちのマジカメモンスターへの対処は驚くほどによくできており、どれもこれもハロウィーンの夜に相応しい悪戯だ。
あまりにも盛り上がってしまって撮影に興じてしまったが、これは遊びではない。後でクルーウェルに見せびらかすため──もとい、仕事の証拠として提出するためである。
「最後はディアソムニア寮かな」
ヒトハは最後に、セベクのいるディアソムニア寮へ向かった。ディアソムニア寮は今年、寮長であるマレウスの意向でオンボロ寮を担当エリアにしている。テーマは極東の龍というだけあって、極東出身のヒトハにとっては最も馴染みのある飾り付けだ。
「セベクくん、こんばんは」
「ああ、ヒトハか」
セベクはヒトハを見つけると少し驚いたが、すぐに顔を曇らせた。
「あれ? 何か困りごとですか?」
彼はシルバーとふたりでオンボロ寮の入り口を塞いでいる。聞けばすでにマジカメモンスターの迷惑行為に遭い、今は彼らを追い返す作戦中らしい。
「実は脅かすために使う道具を一つ持ち込み忘れたようなんだ」
シルバーの手にはハンディタイプのモップが握られている。輝くような美形のシルバーがそれを持っているのはなかなかに面白い光景だが、その困った姿を見ていると、笑うに笑えない。真面目なふたりは、中で起きている作戦に支障がないか気になっているようだった。
「ええと、つまり、それを中の寮生に渡したいんですよね?」
「ああ、そうだ」
「それなら、私が行ってきますよ」
ヒトハは片手を差し出した。
元よりクルーウェルから困っている生徒を助けるように言い付けられている。それは恐らく、彼らが窮地に立ったときという意味なのだろう。それほどまでのトラブルではないが、今まで手助けをする機会もなくここまできたのだから、一つくらいは役に立ってみせたかった。
「いいのか?」
「ええ。そうと決めたら急がないと」
ヒトハはシルバーからモップを受け取り、入口の扉を少し開けてもらった。隙間に体を滑らせ、中に侵入する。
その途中でセベクから「中は暗いから気をつけろよ」と忠告されたのを、このときのヒトハは、あまり気に留めなかった。まさか扉がすべて閉まったとき、窓の隙間から射し込む薄い光だけが頼りになるとは、思いもしなかったのだ。
「う、うわ……!」
早々に部屋の暗さに気がつくと、ヒトハはすぐに近くの壁に手を突いた。色々と物があるのは分かるのだが、視界が悪く、細かいところまではよく見えない。しかもオンボロ寮という名前の通り、歩けば床が不気味に軋む。マジカメモンスターのためにセッティングされた場だと分かっていながらも、恐怖を感じて足が竦んだ。しかし自分で行くと言ったのだから、今更引き返すわけにもいかない。
仕方なく歩みを始めた瞬間、不意にドーン! と重い雷のような音が響く。
「ひゃあ!」
体が震え上がるほどの轟音。ヒトハは驚いて跳び上がり、壁に縋ろうとして、何かを掴んだ。
「うわ!?」
それはズルリと下に滑り、ヒトハの頭上を覆う。
「なっ、ぬ、布!?」
それは大きな布だった。ヒトハの体をすっぽりと覆っても余りあるくらいの大きさで、重く、そしてカビ臭い。なんとか払おうにも真っ暗闇では布の終わりが分からないし、重さのせいで持ち上げるのにも一苦労だ。
そうこうしている間に再び轟音が響き、今度は耳を劈くような叫び声が寮内に響いた。続けてバタバタと階段を駆け下りる音と、「首になんか触った!」という悲鳴が耳に入る。
しかしヒトハには、それを気に留めるほどの余裕がなかった。リリアと寮生たちによって脅かされたマジカメモンスターと同じくらい、ヒトハもまた、混乱していた。
「た、たすけて……だれか……たすけて……」
「ぎゃああ────!」
布を何とか押し上げようと苦戦している最中、ほんの数メートル先で絶叫が響く。ヒトハは訳も分からないまま「え!? なに!?」と布を被ったまま驚いた。
「なに!? なんなの!? だれか! だれか──っ!」
埃っぽいし、カビ臭いし、もう最悪である。
ヒトハは目に涙を滲ませながら叫んだ。ただ布に覆われているだけという状況は理解していても、こうして暗くて狭いところに閉じ込められていると心細くなってしまう。ヒトハは恐怖心を振り払うように、ジタバタと布と格闘した。
もがいて、もがいて──ふっ、と急に視界が明るくなる。
「へっ?」
「……お前は一体何をしているんだ?」
先ほどまでヒトハが被っていた布を小脇に抱え、セベクは呆れ顔で言った。
「セベクくん!」
「奴らはもうとっくに窓から外に出て行ったぞ」
彼はマジカルペンの先に、小さな明かりを点していた。あれだけ暗かったオンボロ寮の内部が、はっきりと見渡せるほどの明るさになっている。周囲には誰もおらず、彼の言う通り作戦はもう終わってしまったらしい。
セベクはヒトハが手に持っているモップを目ざとく見つけると、ため息をついた。
「なんだ、渡せなかったのか」
「ええっと、その。はい……」
これでは一体何のためにオンボロ寮の中に入ったのか。重い布に覆われて焦っていただけである。
ヒトハがガッカリと肩を落としていると、突然、窓の隙間から目が覚めるような強い緑の光が射した。セベクは弾かれたように顔を上げ、素早く窓に飛びつく。
「これは若様の炎!? 若様、今参ります!」
その反応速度といえば光のごとく恐ろしい速さで、彼は引き止める間もなく、ヒトハを置いてオンボロ寮の外へと駆けて行った。
再び真っ暗闇の中に取り残されたヒトハは、そこでようやく魔法を使えばいいことを思い出し、自分の杖にポッと明かりを点す。
「はぁ……」
心許ない光と悲しく軋む床。どこか惨めな気持ちになりながら、ヒトハはようやくオンボロ寮を出ることができたのだった。
外へ出るとディアソムニア寮の生徒たちがオンボロ寮の前で沸き立っていた。中心にいるマレウスが珍しく嬉しそうにしているので、どうやら作戦は成功したらしい。
ヒトハは誰にも悟られないように、こっそりとその場を立ち去ろうとした。こうして成功したのだから誰も気にしてはいないだろうが、与えられた任務を遂行できなかったのだ。彼らに合わせる顔がない。
こそこそと出て行こうとするヒトハを目ざとく見つけたのは、マレウスの隣にいたリリアである。
「ヒトハ!」
「ひゃあ! り、リリアくん……」
リリアは興奮冷めやらぬ顔でヒトハの背を叩いた。
「お主もよくマジカメモンスターを脅かしておった! 暗闇に蠢くお主を見た奴らの顔と言ったら……くふふ! それはもう愉快じゃったよ!」
「え、ええ? そうなんですか……?」
リリアは目尻に涙を浮かべ、腹を抱えて笑った。
本当はただ布から抜け出したかっただけなのだが、知らぬ間に貢献していたらしい。
「なんだ、そうだったのか!」
リリアの証言を聞いて、大喜びをしたのはセベクだ。
「今回の作戦は大成功だな! これは礼だ!」
「は、はぁ、ありがとうございます」
セベクはヒトハの手のひらに可愛らしい包み紙の飴を一つ落とした。ポップな絵柄の、ハロウィーン用のお菓子だ。あの恐怖の対価としては割りに合わない気がしたが、ヒトハはそれを大事にポケットに仕舞った。納得のいかないことは多いが、これもハロウィーンの思い出である。
「のう、ヒトハ。お主も記念撮影をせんか?」
「え? 私も?」
いつの間にか、ディアソムニア寮の四人はハロウィーンの衣装を纏ったマレウスを囲んで記念撮影を始めていた。セベクがマレウスとの撮影に感激して「祭壇を作って飾ります!」と涙ぐみながら喜んでいる。子々孫々に至るまで大事に引き継ぐと言うが、彼の子々孫々がこれほどまでの若様信者になるかは定かではない。
ヒトハはリリアに背を押されながら、喜びに震えるセベクの隣に立った。
「セベクくん、私とも一枚いいですか?」
「もちろんだ! 若様と写真を撮った今日と言う日を記念に残しておかなければ!」
「写真の記念に写真を撮るってこと……?」
そうだ! とセベクは思い出したかのように、ヒトハが被っていた布を手に取った。それは古びた大きなカーテンだった。
「せっかくだ! これを被っておけ! 今日のお前の衣装だからな!」
「えっ、衣装!? こ、これが!? や……やだ! カビ臭い!」
問答無用で頭に被せられた布からは、やっぱりカビの嫌な臭いがする。
やっとの思いで顔を出すと、リリアがカメラを片手に、こちらに向かって大きく手を振っている姿が見えた。
「にっこり笑って! はい、チーズ、じゃ!」
ヒトハは慌ててカメラのレンズに顔を向けた。今日巡った他の寮生たちがそうしていたように、両手を胸の前に。
「ハッピーハロウィーン!」
結局その写真は、みっともなくブレていたけれど。
こうしてクルーウェルの言い付け通り、すべての寮を巡り、バッドボーイたちの悪戯を見届け、ヒトハのハロウィーン前夜が終わった。明日はついにハロウィーン当日だ。
ヒトハは部屋に戻り、今日までに撮った写真を一枚ずつ眺めた。思っていたよりもたくさんの写真がフォルダの中に収められている。楽しくて、忘れたくない瞬間が訪れるたびに一枚、また一枚と増えていった写真。大変な一週間だったけれど、そのぶん多くの思い出ができたのだ。
生徒たちは「マジカメモンスターさえいなくなっていれば明日のパーティーが中止にならなくて済む!」と言っていたが、ヒトハには確信があった。
明日はきっと、人生で一番ハッピーなハロウィーンになるに違いない。
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