清掃員さんとハロウィーン(1/5)

悪戯と逃走

 ナイトレイブンカレッジの一大イベント、ハロウィーンウィーク。固く閉ざしている学園の門を開き、数日間に渡ってゲストをもてなす特別な一週間。生徒たちは制服を脱ぎ捨て、寮ごとに決められたテーマに合わせて仮装をし、学園内をハロウィーン仕様に飾り立てる。そしてゲストたちから「トリック・オア・トリート」と言われれば、お菓子を渡すのが習わしである。
 このお菓子は決して切らしてはならない。なぜなら、お菓子を渡せなかった者には悪戯が待っているからだ。

「メイドさ~ん! 一緒に写真撮ってくださ~い!」
「え、いや、あの、私はメイドではなく、清掃員で……」

 ヒトハは体を縮こまらせ、困ったように答えた。いつもの薄い水色のワンピースを黒に変えただけでメイドに見えるものだろうか。確かに雇い主という主人はいるが、しずしずとお茶とお菓子を用意するような真似はしない。
 ハロウィーンウィークが始まってから数日、連日多くのゲストをもてなし仕事に奔走してきたヒトハだったが、ついに捕まってしまった。近ごろ学園で好き勝手しているという迷惑な若者集団、マジカメモンスターである。なんでもマジカメでバズったナイトレイブンカレッジに“映え”を求めて来ているらしい。大海原の真ん中にポツンとある賢者の島まで、遥々ご苦労なことである。彼らは仕事中のヒトハを取り囲み、一緒に写真を撮ろうと詰め寄った。
 そういう訳で、ヒトハはとても困っていた。
 マジカメに顔を出されるのは嫌だし、そもそも写真を撮られるのもあまり好きではない。押しが強すぎる人たちも、少し苦手だ。

「写真はごめんなさい。でも、撮影のお手伝いであれば喜んで」
「え~! ノリわる~い!」

 仮装用の猫耳カチューシャを揺らしながら、ゲストの少女は頬を膨らませた。ヒトハは「すみません」と眉を下げる。
 生徒であれば「ダメなものはダメ!」と突っぱねることもできたが、丁重にもてなさなければならないゲスト相手では、そうすることも、魔法でどうにかすることもできない。もっとも魔法士ではない者に魔法を使用することは禁止されているから、杖を向けるだけで重罪なわけだが。

「まぁまぁ、お姉さんも楽しみましょうよ! 記念に! ねっ?」

 どうしようと考えあぐねているヒトハの肩を、陽気な青年が容赦なく抱き寄せる。ヒトハはぎょっとして、硬直してしまった。彼は早速スマホを斜め上に掲げ、レンズをこちらに向ける。

(どうしてこんなことに……)

 学園の職員であるからには、このイベントと無関係ではない。ハロウィーンウィークを迎えるまで、生徒たちと一緒に準備を頑張ってきたのだ。それがここ最近、迷惑を顧みない人たちによって壊されかけている。
 でも、だからこそ、ここは我慢をしなければならないのだろう。みんなの楽しいハロウィーンウィークを楽しいまま終わらせるために。努力を無駄にしないために。
 ヒトハは引き攣った笑みを顔に張り付けながら、カメラのレンズを見上げた。こうなったらもう、自棄だ。
 そのとき、ヒトハの視界の端に赤と黒と白の派手な男が映り込んだ。すらりとした長い足をせわしなく動かしながら、厚いコートを揺らしている男。──クルーウェルだ。
 この騒がしい学園内で神経質になっているのか、いつに増して歩くのが速い。その様子を目で追っていると、ぱちりと目が合った。

(げっ……)

 脳にビビビッときて、それからヒトハは直感した。

(マズい)

 丸く見開かれた目が、スッと細められる。言いつけを守らない駄犬を見つけたときの目だ。彼はすぐさま方向転換をすると、その長い足で革靴を鋭く踏み鳴らしながら、こちらへ向かって来る。
 その間にも、撮りま~す! と楽しげな声が聞こえてきて、ヒトハは慌てて肩に載った手を跳ねのけた。

「あ」

 自分でもびっくりするくらいの力で払ったせいで嫌な空気が漂ったが、それよりも恐ろしいことがこの世にはあるのだと、この若者たちはまだ知らない。
 ヒトハは大股でクルーウェルのほうに向かって行き、すれ違いざまにガッチリと腕を掴んだ。

「あの野良犬どもには躾が必要だろう? そうだな、ナガツキ?」
「いや……いやいやいや!」

 低く唸るような声に怯みかける。しかしヒトハは負けじとクルーウェルの腕を抱き、その場に引き止めた。

「駄目です、先生! 今日はステイですよ!」
「職員に対しての嫌がらせはゲストであろうと厳重注意だ。お前だって心底嫌そうな顔をしていたじゃないか」
「い、いえ! 笑ってました! 笑ってましたよ、私!」
「あれを笑顔と言うのなら、その辺を歩いてるやつ全員満面の笑顔だ馬鹿者」
「そんなに!?」

 我慢して笑ってたのに!? と訴えようとして、ハッする。先ほど振り払ってきた若者たちのスマホが、こちらを向いている。突然やって来たモデルのような派手な男とメイド風の女が揉めているさまが面白いのだろう。ハラハラしていると、頭上からチッと小さな舌打ちが聞こえてきた。このままでは比喩ではなく、学園が焼け野原になってしまう。
 一か八か。ヒトハは覚悟を決めた。
 みんなの楽しいハロウィーンウィークを楽しいまま終わらせるために。努力を無駄にしないために──

「先生、じっとしててください! 絶対絶対、ステイですからね!」
「……なに?」

 ヒトハはぐるりとクルーウェルの背後に回り、素早く杖を抜いた。彼の愛用の指揮棒よりも遥かに細く短い小ぶりな杖。ヒトハはクルーウェルの広い背に隠れ、それを振った。
 杖の動きに合わせて木の葉がふわりと浮く。その瞬間、魔法の風は勢いをつけて若者たちに迫り、カチューシャを空高く攫っていった。

「わぁっ!?」

 全員の視線がそちらへ向かっているうちに、ヒトハはクルーウェルの手を掴む。

「先生、早く逃げましょう!」
「な」

 タン、と石畳を踏み鳴らす。
 ヒトハはクルーウェルが諦めて引っ張られているのをいいことに、学園の広い道を大胆に走った。秋の乾いた風を切り、賑やかなジャック・オ・ランタンの間を抜け、時折甘い香りを感じながら、遠くへ、遠くへ。
 走れば走るほど、さっきまでモヤモヤとしていた感情が剥ぎ取られていく心地がした。爽やかな空気が肺を満たし、嫌な気分が外に追いやられていく。
 気がついたときには十分すぎるほど離れていて、ヒトハはゆっくりと足を緩めながら立ち止まった。
 振り返れば、クルーウェルは両膝に手をついて喘いでいる。普段から体力仕事をしているヒトハには何ともないことだったが、彼にとってはかなり過酷なことだったらしい。
 クルーウェルは乱れた髪を搔き上げながら、凶悪な顔でヒトハを睨んだ。

「お、おま、お前な……!」
「えへ」
「えへ、じゃない……はぁ、くそっ……!」

 彼は厚いファーコートを脱いで小脇に抱え、近くのベンチになだれ込むように腰を下ろした。相当参っているらしく、首元に指を突っ込んでネクタイまで緩めている。
 これはかなり悪いことをしてしまったかもしれない。それは分かっていたけれど、ヒトハは高揚した気持ちを抑えることができなかった。久々に悪戯のような魔法を使ったのだ。

「先生、あの子たちの顔、見ました? 私、すごくスッキリしました!」
「ああ……よかったな……」

 早口で捲し立てると、彼は鬱陶しそうに手をパタパタとさせる。あれだけ怒っていたのが嘘のようだ。今度大爆発したときには、一度走らせたらいいのかもしれない。
 いやいや、そんなことしてくれるはずないか。と好き勝手考えている最中に、ポケットの中のスマホが震えた。

「ケイトくん?」

 スマホの通知はケイト・ダイヤモンド。一体何の用だろう、とメッセージを開くと、そこには一枚の画像が添付されていた。メインストリートを駆け抜けるふたりの写真。満面の笑みで走る自分と、髪を乱し、慌てた顔をした彼の写真。これは何とも愉快な一枚である。

「ふふ、これ、先生にも後で送りますね」

 ヒトハはスマホの画面を胸に当てて隠しながら、悪戯っぽく笑った。クルーウェルは「何を送るって?」と睨んできたが、ヒトハは素知らぬ顔で肩を竦める。

「それは見てからのお楽しみということで」

 さっきまで「写真は好きじゃない」と逃げ回っていながら、この浮かれよう。今ならちょっとだけ、あの若者たちの気持ちも分かるかもしれない。何だか悪いことをしちゃったかも、なんて一瞬後悔してみたが、それはそれ。
 この一週間は生者も死者も入り乱れる、ナイトレイブンカレッジの楽しい楽しいハロウィーンウィーク。悪戯されたくなければお菓子を持っておいで。忘れたのなら、お気の毒さま!

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