深雪の魔法士

16 旅の終わり

 多くの人が賑わう輝石の国の〈花の街〉。もう夜更けだというのに、お祭りの賑わいを見せるこの街を、ヒトハとクルーウェルは足早に進む。辺りはイルミネーションや街灯で溢れていて、昼間のような明るさを見せていた。

「まったく目的が達成できなかった……」
「まぁまぁ、明日も少し時間があることですし」

 がっかりと肩を落とすクルーウェルを見上げ、ヒトハは笑った。

 首都に着いたのは予想通りの午後五時。大晦日で店舗の閉店時間が早まっていることもあって、一店舗しか寄ることができなかった。外観だけでも見ていくかと立ち寄った店の明かりが落ちているのは物悲しく、悲しさを助長したらしい。

「ほ、ほら、私はもう目的達成しましたし! 明日は帰りの時間までお店を回りましょう? ね?」

 悔しさに下唇を噛んでいた彼は、目を細めてヒトハを見下ろした。

「そうだな、お前は俺のトランクの半分をワインにして満足なことだろう」
「す、拗ねてる…………」

 ふたりは人混みを器用に通り抜け、川沿いを歩き、巨大な橋の隅っこに空きを見つけた。もう今日がほとんど終わる時間帯で、一番景色のいい場所はすでに陣取られている。
 ヒトハは自分の前に立ちはだかる大きな柱が邪魔で、それを手でパシパシと叩いた。もうそろそろカウントダウンの花火が上がるというのに、これのおかげで半分も見えそうにない。

「色々達成できなかったこともありますけど、トラブルも旅の醍醐味ですからね」

 ヒトハが不服そうに言うと、隣に立っていたクルーウェルが腕を引っ張って自分の前に立たせた。最善ではなくとも景色が見えるポジションで、身長が頭一個分低いおかげで、後ろに立つ彼の邪魔をしない。

「ああ、これいいですね。先生が背高くてよかったです」

 振り返り、意外と距離が近かったことに驚いて川に目を戻す。大橋は人がごった返していて、適度な距離を取る余裕などなかった。
 ヒトハはポケットに入れたスマホが震えるのを感じて、それを取り出した。メッセージの通知が一件届いている。

「さっきから頻繁にスマホを見て……一体何をしている」

 クルーウェルの訝しむ声に、ヒトハは緩んだ頬を引き締めて、誤魔化すように笑った。

「リオさんと連絡を取っていて。お父さんの仕事について回りながら勉強をすることになったから、今度賢者の島の近くまで行ったらご飯でもどうですかって」

 車に乗り込む前の少しの時間に、ヒトハはリオの連絡先を聞いていた。正確に言うと聞いてきたのは彼のほうで、ヒトハは旅先で得た縁が嬉しくて素直に教えたのだ。歳も近いことだし、これからのことも気になる。
 ヒトハの話を聞くと、クルーウェルの不機嫌は一瞬のうちに天井を突き抜けた。

「あの駄犬! 生まれたての仔犬の顔をしていながら、何という手の早さだ!」

 生まれたての仔犬、と聞いて思わず笑いそうになる。確かにあの優しそうな顔に緩く波打った髪を見ていると、青年というよりは少年のように見えなくもない。一部のナイトレイブンカレッジの生徒のほうが大人びていると感じるくらいだ。

「ああいう人畜無害そうな顔してる奴が一番たちが悪い」
「あ、ちょっと……」

 クルーウェルはヒトハが手にしていたスマホを上から取り上げると、ヒトハの手が届かないのをいいことに、素早く画面に指を滑らせた。トン、と最後に一つ押し、スマホを返す。
 ヒトハは慌てて画面を見て叫んだ。

「あーっ!? なに勝手に断ってるんですか!?」
「飼い主の許可なく怪しい奴のところへノコノコと出て行くのは許さん」
「先生、行きがけはリオさんのこと『ご子息』とか言ってたのに……」

 行きがけの列車の中ではあれだけ丁寧な扱いをしていたというのに、今や仔犬から駄犬、ついには“怪しい奴”扱いである。

「まぁ、いいです。リオさん、勉強しないとですし。しばらくは邪魔したら悪いですよね」

 ヒトハは橋の手すりに体を凭れながら言った。これから彼は自分たちが幼い頃から積み重ねてきたことを、ずっと速く習得していかなければならないのだ。のんびりしている暇はないし、きっと彼もそうするつもりはないだろう。
 スマホに映し出された時刻を見て、ヒトハはほんの少し今年という一年に名残惜しさを感じた。たくさんの出会いと出来事があって、たくさんのことを感じた一年だった。

「今年は色々ありましたね」
「濃密だったな。特に昨日と今日」
「ですね。他のこと忘れちゃうくらい。本当に酷い目に遭いましたけど、私的には人生で一番楽しい一年でした」
「それはなにより」

 でも、と肩を落とす。

「もう死にかけるのは嫌なので、来年は穏やかな一年にしたいです」
「本当にどうしてお前は常識的な範囲を逸脱していくんだろうな……」

 周囲のざわめきが大きくなる。音と光の激しさが増して、いよいよカウントダウンが始まる。
 ヒトハは自分の声も満足に聞こえない騒がしさの中で、声を張った。

「また旅行に行きましょうね! 次は南の国がいいです!」
「そうだな、俺もしばらく雪は見たくない!」

 ヒトハはクルーウェルの言葉に大きく頷いた。南の国に行ったところでトラブルに遭わないというわけでもないが、暖かいだけ多少はいいかもしれない。それにふたりでいればトラブル続きの旅も、まぁ何とか上手くやれるような気がするのだ。

「もうすぐですよ、先生!」

 ── 3、2、1 !

「ハッピーニューイヤー!」

 大きな破裂音と共に花火が上がる。輝石の国いちの大橋の上で空一面に輝く光は、旅の締めくくりに相応しい美しさだ。
 振り返り、ヒトハはクルーウェルを仰ぎ見た。少し距離が近すぎるが、年が明けたのだから、ちゃんと伝えないといけない。
 花火の明るさが彼の色素の薄い瞳に映り込んで鮮やかに輝く。それはきっと、どの花火よりも美しい。そんなことを考えてしまった自分を少し恥ずかしく思いながら、ヒトハは笑った。

「今年もよろしくお願いしますね、先生!」

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