深雪の魔法士
12 深雪の魔法士
「先生! 開けてください! 先生! こらーっ!」
ドンドンと扉を叩き、押して引いて蹴り上げる。ヒトハはあらん限りの力で扉を開こうとしたが、クルーウェルの魔法で閉ざされた扉は固い。
その間にも扉の向こうからは地響きのようなものも聞こえるし、炎の上がる音も、氷の砕ける音も聞こえる。
この中で自分ができることなどたかが知れている。それは分かっているが、一方的に排除されたことが、とにかく納得いかなかった。クルーウェルはヒトハの役割を“無事に学園に帰りつくこと”としたから、何があっても危険なことに巻き込まないつもりでいるのだろう。でもそれは彼が決めたことであって、自分で決めたことではない。
ヒトハはじんじんと痛み始めた拳を下ろし、力なく肩を落とした。
「でも、でも……私も何かしないと……」
たとえ戦力外と言われても、クルーウェルの力を信じていても、何かしなければ。これはふたりの旅行で、ふたりでやって来た屋敷で、ふたりで挑んだ戦いなのだ。
ヒトハは下唇をきつく噛み締めながら、しばらく扉の前でうろうろとしていたが、ぴたりと足を止めた。
「迷ってる場合じゃない!」
未だに目を覚まさない執事の元へ駆け寄り、そして彼の両脇を両手で掴んで、ずるずると引きずりながら扉から離す。強い魔法士同士の激しい戦闘である。いつ扉が破壊されてもおかしくはなく、近くにいるのは危険だ。
続けてヒトハは外へ続く扉に駆け寄った。予備で貰った寒さを凌ぐための魔法薬を飲み、「よし!」と気合を入れて重い扉に手をかける。
スマホの電波は未だ届かず、孤立無援のこの場所で、何かできることはあるのだろうか。それは少なくとも、ここにはない。いくら扉の前で静かに戦いの無事を祈ったって、事態が好転するわけがないのだ。
ほんの少しだけでもいい。彼の力になりたい。それにリオも執事も助けたい。教授にもまだ会えてない──
ヒトハは大きく息を吸って大きく吐くと、極寒の雪の中へと足を踏み出した。
外は相変わらず吹雪いている。その勢いは建物の中で起きている戦いが激しさを増すにつれ、高まっていった。皮肉にも、この雪深い地に住まう魔法士の名家に生まれながら長らく魔法の発現が見られなかった彼は、ついに魔法を発現し、この地を支配する雪を操ることとなったのだ。
吹きすさぶ雪と風の中、積もった雪に足を埋もれさせながら、ヒトハは進んだ。この空間は確かに壁のようなもので覆われているが、出られる可能性がないわけではない。挑む価値はある。しかし、これでは間に合うか分からなかった。想像していた以上に厚い雪はヒトハの足を引っ張り、行く手を阻むのだ。それに出ることができたとしても、人のいる場所までたどり着くかどうか。
(だめだ……)
体が思うように動かない。
大きく足を持ち上げながら踏み締める。踏んだと思った足場はすんなりと沈んで雪に埋もれた。
(間に合わない)
どうしてこんなに無力なんだろう。
クルーウェルのように、リオのように強い魔法が使えたら、きっともっと役に立てた。彼の隣に立って戦うことを許された。自分にもっともっと力があったなら。
肺が凍りつくような冷たい空気を吸い込み、ヒトハはむしゃくしゃした気持ちを吐き出すように叫ぶ。
「やっぱり欲しいですよ、不相応な力……!」
ごうごうと吹く風が髪を巻き上げ頬を殴る。雪が視界を遮る中、ヒトハは茶色くぼんやりとした何かを見た。
それは屋敷の規模に対してあまりにも小さく、粗末な小屋だった。
***
さて、啖呵を切ってみたものの、どうしたものか。
クルーウェルは上から雪崩れ落ちてくる本を鬱陶しく払いながら、眉間の皺を深くした。戦闘となると狭さを感じる室内で、向かってきた氷塊を炎で溶かし、杖の軌道に合わせて操る。うねりながら室内を駆け巡る炎は威力を増しながらリオに迫ったが、それを丸ごと混み込む吹雪がすべて掻き消して、そのままの威力でクルーウェルを襲った。とっさに張った魔法障壁ではこれを迎え撃つには到底事足りず、瓦礫と化した本の山に体を打ちつけ、唸る。
せっかく整えた身だしなみが今や台無しだ。この日のためにと温めていたバージンウールのコートが黒い液体に塗れ、ほつれ、裂けている。最悪である。
「この駄犬、正気に戻ったら覚えてろよ……!」
クルーウェルは悪態を吐き、よろけながら立ち上がった。
久々に全力で挑むからには出し惜しみなしと決めたが、やはり次元が違う。リオの魔法は雑で無茶苦茶で優雅さの欠片もないが、足りないものを圧倒的な力で補うことができる。その上ほとんど本能的に使っているであろう魔法障壁に隙はなく、そして異様に堅いのだ。
「さすがに厳しいか」
リオとその後ろの女──オーバーブロットの化身が大暴れして空けた大穴から大量の雪が雪崩込む。雪の中で戦うことに慣れないクルーウェルの戦況は最悪だった。
まず視界が悪すぎて狙いが定まらない。ただでさえ防御を掻い潜って魔法を当てているのに、視界が雪で遮られて一番狙いたいところから外れる。こと魔法の扱いにおいては器用な彼女であれば間違いなく当ててみせるだろうが、とっくに外に追い出してしまった。今頃腹を立てて扉を叩き喚いていることだろう。
クルーウェルは回復用の魔法薬を飲み干し、瓶を投げ捨てた。十分足りるだろうと思って用意したが、ついにこれが最後となってしまった。
「しかし気に食わんな……」
どうやら不幸なことになっていたリオという青年を助けてやろうと杖を取ったはいいものの、思い通りにいかないというのは腹立たしい。最悪時間を稼いで自滅してもらうのも手ではあるが、ここで「やっぱり助けられなかった」と両手をあげて降参は意地でもしたくなかった。
魔法一つまともに使えない仔犬に後れを取るなどあってはならず、仔犬一匹救えないなどあってはならない。
彼女はよく「先生はプライドが高い」と言うが、それは概ね正解である。自由奔放でやんちゃな仔犬どもを立派な魔法士にしてやるのだから、それくらいの気概がなければ務まらない。躾とは、飼い主が一歩も退かない強さを見せつけてこそ、成り立つものだ。
クルーウェルは指揮棒を振り上げた。リオの魔法も鈍くなってきていることだし、どうせこれから消耗戦に入るのだから一足先に力押しというのも悪くはないだろう。
雪がこれ以上入り込まないようにと手つかずにしていた天井が爆ぜる。降り注ぐ瓦礫を防ごうと障壁を張るのは分かっていた。要は、無理やりにでもこじ開けてやればいいのだ。
自分の魔法石が濁り始めているのを見流して放つのは炎。リオの周囲をぐるりと駆け回りながら全方面の障壁を圧迫する。
ふと、クルーウェルの脳裏にあの無謀な戦いをする清掃員が浮かんだ。彼女もかつて、こうして自分の持つすべてを賭けて戦ったのだろうか。まったく理性的ではなく野蛮な戦い方ではあるが──なるほどこれは、実に危険な高揚感がある。
魔法覚えたてのよちよち歩きの仔犬が全方面障壁で均等に攻撃を防ぎ続けるなどと器用な真似はできまい。クルーウェルの狙い通り、障壁は確かに撓んだ。
「伏せ! 俺の許可なく立ち上がるな!」
ぐっと魔力を込める。上部の障壁に落ちた重い瓦礫がガラスを突き破るように降り注いだ。轟音と共に女の体が崩れる。大量の液体を垂れ流しながら、それでもなお女の髪は美しく流れ落ちリオの姿を隠そうとした。
──あともう一押し欲しい。
煽ってやったときはまだ正気が垣間見えたが、もう唸るばかりでまともな言葉が聞こえない。オーバーブロットしてから時間が経ちすぎているのだ。早くとどめを刺さなければ手遅れになってしまう。しかし、もうそれほど体力も魔力も残っていない。
一か八か。
疲弊した体に鞭打って振り上げた杖の先。遠く空の上から聞こえるはずのない声が届いた。
「先生────!!」
「は?」
クルーウェルは声のしたほうを仰ぎ見た。相変わらず雪が視界を遮るが、こちらへ落下しようとするものを見間違えるはずがない。
「風、ください!!」
後方の扉から摘まみ出したはずのヒトハは、絶叫に近い声を上げながら、なぜか崩壊した天井から現れたのだった。
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