Seven days for me
ふたりきりのエンドロール
「クルーウェル先生、どうして私を家に泊めてくれないんですか?」
「!?」
クルーウェルは飲みかけのコーヒーから口を離して激しく咳き込んだ。いつもの鋭い目元を丸くして、いったい何を言い出すんだと無言で訴えてくる。
五日目の夜、ここ数日そうしていたように食堂で夕食を囲んでいた二人は、静かにポツポツと言葉を交わしていた。今日あったこと、会った人、感じたこと、不満とか希望とか、そういったことを少しずつ。ほとんどはクルーウェルの質問にヒトハが答えていくというもので、会話というには少し味気ない情報交換だ。
そんなやりとりの最中ヒトハの落とした爆弾は、余裕たっぷりの大人な男──と思われたクルーウェルの余裕を木っ端微塵に粉砕した。
彼は喉に引っ掛かったものが落ち着くと、掠れた声で言った。
「なんだ急に……」
「だって先生、今日みんなに言われたんです。いきなり一人になって夜は心細くないのかって」
ヒトハはフォークで持ち上げかけた鶏肉のグリルを皿に戻し、窺うようにクルーウェルを見上げた。
今日の授業の合間にエースとデュース、オンボロ寮の監督生たちと話していたときに話題になったのだ。そんな魔法にかけられて夜中に一人では心細くないのか、クルーウェル先生の家に泊めてもらえないのか、と。
彼らは“クルーウェル先生は彼女の衣食住に至るまで完璧に世話をしているに違いない”と確信を持っていた。確かにクルーウェルはヒトハに対して少々過保護ではあったが、しかしプライベートにまで深く踏み込んでくることはない。エースたちが思うような至れり尽くせりの保護を受けてきたわけではないのだ。
彼は「なんだ、そういうことか……」と、ほっと呟いた。
「今のお前はほとんど初対面なうえに十七歳だからな……」
「でも私、本来はもう大人ですよ?」
「俺の良識の問題であって、それとこれとは別だ」
ヒトハは小首を傾げた。大人の自分なら問題ないということだろうか。親しい仲であったなら、多少年齢が前後したところでそんなに扱いを変えなくたっていいのに。
クルーウェルはヒトハの納得のいかない顔を見て、小さなため息を落とした。
「それなら聞くが、いきなり初対面の俺から『今日から俺の家に泊まれ』と言われたらどう思う?」
「え、怖……変態……犯罪者……」
「言い過ぎじゃないか……?」
クルーウェルは苦々しい顔をしながら再びカップを手にした。
「まぁ、そういうことだ。なにも子供扱いをしているわけじゃない」
「でも今はそんなこと思いませんよ?」
でも、とヒトハはそれでも食い下がった。
実は、ちょっとだけ困らせてみたくなったのだ。今までこれほどの動揺を見せたことがなかった彼が弱点を晒したような気がして。弱いところを見たら突いてみたくなるのが人のさがというものだろう。
クルーウェルは好奇心を隠しきれていないヒトハの目を見返し、フッと鼻で笑った。
「つまり、俺の添い寝がどうしても必要ということか?」
「そ……添い……」
自分で言わせておきながら恥ずかしさが湧いてきて、ヒトハはもごもごと言い淀んだ。目の前で勝ち誇った余裕の笑みを浮かべる男は「それで、どうなんだ?」とでも言いたげな目をしている。
クルーウェルはヒトハよりも倍近く年上の男だ。その上で良識云々と言うくらいだから、下心があるはずもない。それでも敢えて口にされる「添い寝」という言葉は、ヒトハの妄想をどうしようもなく掻き立ててしまう。
ぽぽぽ、と顔を赤くしながら、ヒトハは首を横に振った。
「なっ、なんだかいけない感じがするので、やっぱりいいです。もう慣れましたし」
「なんだ。そんなに恥ずかしがるくらいなら最初から言わなければいいものを」
クルーウェルのからかい半分の言葉に、ヒトハは慌てて捲し立てた。
「わ、私は先生のことを思って辞退しているんです。他の先生たちに知れたら、それはもう……大変ですからね。うん」
そして自棄になって、声をひっくり返しながら余計なことまで口にしてしまったのだった。
「あーあ、大人の私だったら先生にお願いしてるのにな、添い寝。残念です」
カップを持ち上げようとしていた手がぴたりと止まる。クルーウェルは急に意地悪な顔をして、確かめるように言った。
「言ったな?」
「え?」
「貴重なお前のお願いだからな。よく覚えておこう」
「え……?」
困惑するヒトハを置いて、クルーウェルは再び優雅にコーヒーを飲み始める。
どういうことですか、と再三尋ねるヒトハの言葉に、結局彼が答えることはなかった。
***
「明日ツイステッドワンダーランドは滅ぶんですか?」
「滅ばない」
ヒトハはわけもわからず「嘘、滅ばないんですか……?」と意味不明な返しをした。
待ちに待った休日の昼下がり、やることもなく暇で暇でしょうがなかったヒトハは、同じく予定がないという男、デイヴィス・クルーウェルの家に押しかけていた。
なぜって、暇だから。話し相手が欲しかったから。クルーウェルが動画のサブスクリプションに加入してるから。
彼は「大した理由もなく男の家にノコノコやって来るな」と嫌そうな顔をしていたが、結局拒むことはなかった。気がつけば数人がけのソファでヒトハの隣に座って、共に映画鑑賞をしながら「こんな高級車をスクラップさせまくる映画を観て楽しいか?」と感想まで口にしている。高級車をスクラップさせまくるのを楽しんでいるのだから、その感想は野暮というものだ。
こうしてエンドロールで知らない人たちの名前を追いかけているとき、なにをどうしてか背に腕が回った。しっとりした雰囲気の恋愛映画を観ていたわけでもないのに、クルーウェルの長い腕が。しかもガッチリと肩を掴まれて逃れられず、雰囲気も何もない。
そういうわけで、ヒトハは混乱したままクルーウェルに問いかけた。これって天変地異の前触れですか、と。
「──ちょ、ちょっと! 私は先生のおうちに映画を観に来ただけなんですけど!? これはセクハラですよ!? 出るとこ出ますからね!」
「つまらん理由で押しかけたくせにその言い草はなんだ。いつかサブスク利用料支払わせてやるからな」
ぐぐぐ、とヒトハはクルーウェルの手を剥ぎ取ろうとしたが、どうにも男の力には勝てない。何をそんなにムキになっているのかと恨めしそうに見上げると、彼は不服そうに言った。
「そもそも俺はお前の望みを叶えているだけだ」
「はぁ!? 酔ったときに言ったことは無効だって、この前言ったじゃないですか!」
「それはお前が一方的に押し付けてきた口約束だろうが……。これは十七歳のお前の“お願い”だ」
「私!?」
困惑するヒトハにクルーウェルは得意げな笑みをたたえ、ほとんど棒読みで言った。
「『大人の私だったら先生にお願いしてるのにな、添い寝』」
「そっ……添い寝……!? なんでそんなことを……」
思わず両手で口元を覆う。この予想外の発言は、魔法にかけられていたとはいえ自分自身が口にしたものらしい。どうしてそうなったのかまったく分からない。
口元をあわあわとさせてクルーウェルを見上げる。彼は今度はヒトハの頭を自分の肩に傾けるという暴挙にまで出た。
「というわけだから、寝ろ」
「そんな横暴な添い寝あります?」
強制的にクルーウェルの肩に頭を乗せられたヒトハは、いまだ暴れまわる心臓をそのままに、チラリと目だけでクルーウェルの顔を見上げた。長いまつ毛が下がっている。彼の伏した目には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。
「……たまに、十七歳のお前に会いたくなる」
クルーウェルは囁くような声でぽつりと零した。
彼の知る十七歳の自分というものを、ヒトハは知らない。こんな顔をさせるほど魅力的な少女だったのだろうか、と思うと、自分のことながら少し妬けてしまう。
瞬く間の夢、幻想の少女、かつての自分の可能性の一つ──その程度の認識でしかなかったが、彼にとっては紛れもなく現実の少女として、この世に存在していたのだ。
「拾って来たばかりの捨て犬のようで警戒心が強かったが、素直で可愛げがあった。それなのに、いつから男の家にずけずけと上がり込んで映画を観て帰るような女になったんだ? 嘆かわしい」
「それは悪かったですね」
段々と愚痴になってきた言葉を聞き流しながら、ヒトハは抵抗をやめて力を抜いた。頭をクルーウェルの肩に預けると、なんだか眠くなってくるような気がしないでもない。
これって添い寝と言えるんだろうか、と疑問を抱きながらも「まぁいいか」とヒトハは考えることを放棄した。なんだか今は、エンドロールのように感傷に浸る、ささやかな時間が必要な気がしたのだ。
「……今日だけですからね」
「わかったわかった」
頭に寄りかかる重さを感じながら、静かに目を覆う。
これでほんのひとときでも、あの子の代わりになれただろうか。
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