魔法学校の清掃員さん
08 清掃員さんと雑談Ⅱ
ヒトハはその日、鼻歌混じりで魔法薬学室に訪れた。いつもの曜日のいつもの時間に、いつもと違って片手に紙袋を携えている。
「そういうわけなので、今日はトレイくんにタルトを貰いました」
「教室にタルトを持って来るな」
「それは、そうなんですけど」
至極真っ当なことを言われて、ヒトハは肩を竦めた。とはいえクルーウェルの言い方が少しきついのはいつものことで、この程度で人間を辞めさせられるような罰を受けることはない。最近知ったことだが、彼は沸点が低いのではなく、沸点に達した時の爆発が凄いのだ。
「でもせっかく二切れ貰ったことですし」
ヒトハは「まぁまぁ」と言いながら小ぶりな箱から鮮やかな彩りのフルーツタルトを取り出した。トレイのタルトは学生が作ったとは到底思えない完成度で、何度見ても口が緩んでしまう。
このタルトは今日ハーツラビュル寮で開かれたティーパーティーにて振舞われたものと同じで、帰り際にトレイが持たせてくれたものだ。ヒトハは先日寮生がぶちまけた赤いペンキの片づけを残業覚悟で手伝って、そのお礼として今日のティーパーティーに招待されていた。
クルーウェルはまだ何か言いたげにしていたが、ここまできたら引くに引けない。ヒトハは素早く持って来た皿に取り分けて、クルーウェルの前に置かれた魔法薬とタルトを交換した。「おい」と戸惑った声が聞こえたが、今回は聞かなかったことにする。
「今日はお口直しがあるから安心ですね」
などと言いながら安心して魔法薬を口にしたが、この楽しい気持ちも一瞬で奪い去る想像絶する味に結局苦しめられたのだった。彼は味に関しては一切改良するつもりはないらしい。
「そういえば、ケーキといえば、あの……思い出せないですけど、マジカメで話題の……輝石の国で修行したというパティシエの……ミルフィーユが食べてみたいです。先生、ご存知ですか?」
「それからどうやって答えを導き出せと?」
「先生なら知ってるかと思って」
何かと持ち物にもこだわりが強いし、どうやら流行に敏感なようだから知っているかと思ったのだが。知らないということは、お菓子の類は対象外なのかもしれない。
そのケーキ屋はハーツラビュル寮のマジカメグラマー、三年生のケイトが教えてくれた店だったのだが、何という名前かすっかり忘れてしまった。確か賢者の島にあって、このナイトレイブンカレッジから近い。
部屋に帰ったらちゃんと調べようと思いながら、ヒトハはタルトに乗った苺をフォークで突き刺した。
トレイの菓子作りの徹底ぶりは、このフルーツの美味しさひとつとっても完璧だった。
クルーウェルもなんだかんだで突き返す気すら起きなかったのか、二人で黙々とタルトを食べていると、ヒトハはひとつ気になったことを思い出した。
「そうそう、ティーパーティーでお昼にターキー入りのサンドイッチを食べた話をしたんですけど、生徒たちから『今晩は必ず二回歯を磨け』って帰るまでに三回は言われたんです。二回磨かなかったら何が起きるかご存じですか?」
クルーウェルはふとフォークを置いて宙を見た。そして何か理解したようで、「ちなみに食後のレモンティーに角砂糖はいくつ入れた?」と呪文のような質問を投げてきたのだった。
「ひとつですけど。えっ、何か悪いことでも?」
「ひとつか。正しくはふたつなんだがな……」
「ふたつ?」
クルーウェルはわざとらしく残念そうに肩を落とした。
そういえば周りの寮生たちは迷わず角砂糖をふたつ入れていたのを、さすがに多いのではないだろうかと思っていたのだ。甘党の集まる寮なのかと変な納得をしてしまっていたが、彼の様子を見る限り、どうやらわけがあるらしい。
「な、なんですか、教えてくださいよ。一体何が起きるんですか……?」
焦るヒトハに、クルーウェルはいつもの澄ました顔で答えた。
「首をはねられる」
「――は!? く、首!? 首を!?」
まるで想像していなかった答えに驚いて、ヒトハはしばらく咳き込んだ。
首をはねるだなんて時代錯誤も甚だしいが、歴史の深いこの学園に多少バイオレンスな伝統があっても不思議ではない、ような気がしないでもない。何かの比喩的な表現だとしても不穏だ。
「せめて今日は二回歯を磨いておけ」
「せめて……?」
ヒトハが必死に何が起こるか聞き出そうとしても、クルーウェルは「そうとしか言いようがない」と全く取り合ってくれなかった。彼は明らかに何か知っていて、そして隠しているのだ。
問題は彼の意地悪と冗談のレベルが全くの未知ということである。ただの意地悪で嘘をついているのか、誇張しているのか、誇張なしの事実なのか。
あまりに気になりすぎて、ヒトハはその後に食べたタルトの味を、完全に忘れてしまったのだった。
***
「先生、酷いじゃないですか!」
翌日、クルーウェルはヒトハが現れるとほぼ同時に怒られて面食らったが、ややあって昨日のことかと思い出し、肩を震わせて笑った。
「まさか、真に受けるとは……」
「だ、だって、先生はそんな変な冗談を言うような人じゃなさそうだったから……どんな怖いことが起きるのかと思って……」
ヒトハは今日、トレイに昨日のクルーウェルの意地悪について問いただしたのだと言う。彼は苦笑しながらハーツラビュル寮の数々の不思議なルール、ハートの女王の定めた法律を彼女に教えた。
『ターキーを食べた夜は二回歯磨きせねばならない』『食後の紅茶は必ず角砂糖をふたつ入れたレモンティーでなければならない』。これに違反したものは首をはねられる。
そして首をはねられるというのは、寮長のリドル・ローズハートからユニーク魔法の〈オフ・ウィズ・ユアヘッド〉という“魔法の使用を封じる魔法”をかけられてしまう、ということである。とはいえ、最近寛容になったというリドルから客人であるヒトハが魔法にかけられるようなことはあり得ないのだが。
クルーウェルは話を聴きながら、自分がずいぶんと信用されていたことに気がついた。冗談として適当に流されるかと思っていたが、最近ここへ来たばかりの彼女にとってはどんな言葉も現実味を帯びるのだろう。それに自分は成り行きとはいえ、面倒を見ると決めた人間でもある。彼女は親鳥を前にした雛も同然なのだ。
それは日ごろ仔犬たちを躾と称して指導しているクルーウェルにとって、なかなかに興味深いことだった。
問題の彼女といえば、あれだけ怒った様子だったのに今は「いや、でも、おかしいとは思ったんです」とぶつぶつと言いながら難しそうな顔をしている。その様子があまりにも面白く、堪えきれずに噴き出すと、クルーウェルは再び大きな雷を落とされることになったのだった。
「分かった分かった。そう吠えるな」
結局ヒトハの怒りを鎮めるために昨日言っていたミルフィーユとやらで手を打ってもらうことになったわけだが――別れ際の小さな背中を見送りながら、クルーウェルはぼんやりと思った。
(これはまたやってしまうかもしれないな……)
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