魔法学校の清掃員さん

06 清掃員さんと雑談Ⅰ

「それでジャックくんに見つけてもらったわけです」

 ヒトハは両手をあれこれと動かしながら事の顛末を説明したが、話し相手の彼といえば内容の三割も聞いていなかった。ひたすら次回の授業で使うという魔法薬を、慣れた手つきで調合している。
 うるさいと追い出されないだけいいのだろうか。ヒトハはまだ、デイヴィス・クルーウェルという男のことをよく理解できないままでいた。

 週に一度の魔法薬の受け渡しの日は先週と全く同じ曜日、同じ時間に訪れる。
 暮れかけた空に一番星が見える頃、ヒトハはナイトレイブンカレッジの植物園を越えた先にある魔法薬学室の扉を叩いた。
 しかし一拍も二拍も置いても扉の向こうから返事はない。ヒトハはほんの少し躊躇った後、仕方なく窓から漏れる灯りを頼りに扉を押し開けた。
 空気が外に流れ出るのと同時に漂ってくるのは独特な薬草の匂いだ。教室の奥で黙々と魔法薬を調合する人物を見つけると、ヒトハはほっと息をついて「こんばんは」と声を掛けたのだった。
 今日は早かったな、と返ってくるのは冗談なのか嫌味なのか、実のところまだ判断が難しい。
 学園内ですれ違う時に「おはようございます」「こんにちは」「おつかれさまです」と声をかければ「おはよう」「いい天気だな」「おつかれ」と返ってはくるが、声の硬さからして形式的なものであるのは間違いない。どうしても仲良くなりたいと思っているわけではないが、もっと話ができれば相互理解が深まってコミュニケーションが円滑になると思うのだが。
 例えば、机にぽつりと置かれた魔法薬の瓶を長い指で差し、「そこだ」と素っ気なく言われてもムッとならずに済むようになる、とか。
 ヒトハは言われた通り机に置かれた魔法薬を手にすると、躊躇いながらも蓋に指をかけた。蓋はご丁寧にもすでに緩められていて、拍子抜けするほど呆気なく開いてしまう。

(飲みたくない……)

 この気持ちは決してクルーウェルの善行を否定するものではない。生理的に無理なのだ。見た目も匂いも、味も。誰だってきっとそう思う。

 そして話は冒頭に戻る。
 ヒトハは気持ちに諦めがつくまで、あるいは多少気分が上がってポジティブに魔法薬が飲めるまで、雑談をすることにした。
 話題は生徒が失くしてしまった実験着の手袋のこと。ヒトハもこの手袋を探すのを手伝ったわけだが、結局最後はサバナクロー寮の一年生、ジャック・ハウルが優れた嗅覚で見つけ出してくれた。清掃用と似ていたせいで、ヒトハがうっかりバケツに引っかけてしまっていたのだ。
 というくだらない話の最中、クルーウェルは妙なタイミングで「ふぅん」「で?」と相槌を打つばかりで三割も聴いていなかった、というわけである。
 ヒトハはなんだかんだで話が終わるまで急かすことのなかった男を盗み見た。
 彼が調合している魔法薬は赤かと思えば青になり、青になったかと思えば緑になる。色鮮やかに変化を続ける魔法薬に一体どのような効果があるのかは分からない。しかし少なくとも、自分の手にあるものよりはまともな味をしているように思えた。

「――残念ながら」

 クルーウェルは手元の魔法薬を見たまま言った。

「時間経過で味は変わらない。さっさと済ませるんだな」

 ポン、と小さく破裂したような音がして、調合中の魔法薬から湯気のようなものが上がる。
 ヒトハは開封済みの瓶に再び視線を落とした。たった一週間前の壮絶な体験を、また味わなければならないと思うと気が重い。何度か口元に寄せては下ろして、結局また机に置く。

「そういえばこの前、」

 思わず、また要らない話が口をついて出る。どうせ一割も聞いていないだろうから、気が済むまで付き合ってもらおうと思ったのだ。
 クルーウェルはヒトハの思惑通り、眉一つ動かさず調合を続けていた。

「オクタヴィネル寮に清掃に入ったんですけど、あの寮ってどうなってるんですか? 海の中みたいで面白いですよね」

 オクタヴィネルの寮は、まさしく海中のような神秘的な場所にあった。初めて清掃に入った時にはその美しさに目を奪われて、清掃と言いながら散歩を楽しんだものだ。それから仕事中、寮内に面白い施設も見つけた。そこは先輩に「清掃に入らなくてもいい」と言われた場所だった。

「あの寮って、カフェみたいなのありますよね? 学生が働いていたので、びっくりしました」

 そう言うと、初めてクルーウェルは魔法薬から目を離した。真っ白な前髪の隙間から険しい視線を感じる。

「悪いことは言わん。オクタヴィネルの寮長と副寮長、その兄弟とは絶対に関わり合いになるな」
「え?」

 クルーウェルは調合を終えたのか、瓶に薬を移しながら深くため息をついた。

「アーシェングロットとリーチ兄弟だ。お前みたいなのは、特に駄目だ」

 お前みたいなの、と言われてヒトハはほんの少し口を曲げた。具体的に自分がどう駄目なのか教えてもらわないと分からない。
 彼は瓶にラベルを貼りながら構わず続けた。

「声をかけられてもついて行くな。余計なことを言うな。要らない“契約”をするな」
「契約?」
「そうだ。万一のことがあっても俺は助けないからな。いいな?」

 あまりに強く念押しをするので、ヒトハは思わず頷いた。大半が学生のこの場所で、助けが必要なほど危ない目に遭うということだろうか。

(とにかく、アーシェングロットとリーチ兄弟に近づいたら駄目……)

 ヒトハはその理由を知らないまま、彼らの名前を記憶に刻み込んだ。
 クルーウェルはあまり余計な話を好まないようだが、その反面、あえて語る警告には信憑性がある。この隙のなさそうな教師ですらも「助けない」と言うくらいだから、大人ですら手に負えないということだ。さすが世界レベルの名門校、ナイトレイブンカレッジ。子供とはいえ侮れない。

「それで、いつ終わるんだ?」
「いつ、とは?」

 クルーウェルのつんと形の良い顎で示されたのは、ヒトハの手の中にある形容しがたい色をした魔法薬だ。いよいよ用事がなくなって、無意味に居座っていることを鬱陶しく感じたのかもしれない。
 もう少し付き合ってくれてもいいのに、と渋々瓶を持ち上げて一気に喉に流し込むと、吐き気を催す邪悪な味がした。前回と少し味が変わっているのを期待していたが、全く変わってはいない。この学園で教鞭を執っているからには当たり前のことだが、彼は同じ品質のものを何度でも作り出せるほどの技術を持っているようである。
 じわりと目尻に涙を浮かべるヒトハの前に、トンと水の入ったグラスが置かれる。
 クルーウェルはそのまま教壇に戻って行くかと思いきや、再びヒトハの前に手を差し出した。真っ赤な革手袋を拳の形にして「手を出せ」と言う。

「ご褒美をやろう」

 ヒトハは訝しみながらも両手を拳の下に差し出した。そしてポトリと落ちてきた小さな包み紙に目を瞬く。

「わぁ! ありがとうございます!」

 それは手のひらにちょこんと乗る程度の飴だった。透明な可愛らしい包み紙から赤い飴玉が透けて見える。
 水だけではどうにもならない気持ち悪さを拭うにはうってつけで、ヒトハはそれを彼が持っているということに少し驚いた。やはり魔法薬学の教師といえど、魔法薬の異様な味には抵抗があるものなのだろうか。
 貰った飴を早速口に放り込むと、気持ち悪さを上書きするように柔らかい甘みが口内に広がる。飴をこんなに美味しく感じたことは生まれて初めてかもしれない。
 ヒトハは地の底まで落ちたメンタルがすっかり回復したような気がして「そう、それでですね」と再び口を開いた。先ほど始めたオクタヴィネルの寮内の話が途中である。
 するとクルーウェルは眉間に皺を寄せ、「ハウスだ、ハウス」と片手で追い払う仕草をしたのだった。
 今日の雑談で彼についてひとつ分かったことがある。やはり彼は、実のない話は嫌いらしい。

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