魔法学校の清掃員さん

21-08 清掃員さんの願い

「中身はまだボロボロだから安静にね」
「はい。お世話になりました」

 保健室の先生に深く頭を下げ、その日、ヒトハは自室へ戻った。
 しばらく会っていなかった先輩に付き添われ、重い足取りで部屋に向かう。ちょうど授業中のナイトレイブンカレッジは生徒が出歩いておらず、寂しくはあるが安全な状況だった。
 この後に待っているのは荷造りで、それはこの学園に来た時よりもずっと大変なことに違いない。あの部屋には思い出が詰まりすぎている。

「ありがとうございます」

 部屋にたどりつき、先輩にそう言うと、彼は寂しそうな顔をした。

「仕事、辛かったら休んでいいし、なんなら仕事中寝ていてもいいんだよ。だから、仕事続けて欲しいなぁ」
「そんな、レオナくんじゃあるまいし。でも、ありがとうございます」

 先輩は何も事情を知らない。けれどなぜかこういったことに人一倍敏感で、狙ったようなことを突然言い出す不思議なゴーストだった。
 こんな優しい彼に嘘をついていなくなるのだと思うと胸が痛む。

(慣れないと……)

 それでも今日を含めてあと三日、嘘をつき続けて過ごさなければならない。それは荷造りのために許された、最大限の猶予期間だった。

「じゃあ何か困ったことがあったら言ってね。絶対助けになるからね」

 先輩はヒトハが保健室に溜め込んだ荷物を手渡し、そっと姿を消した。

 数日ぶりに帰ってきた部屋は、仕事に出て行ったその時のままの姿だった。普段であれば仕事から帰り、この惨状に頭を抱えているところだが、今日はそれすらも恋しい。
 ヒトハはベッドを整えて脱ぎ散らかした服を抱えると、洗面所へ向かった。側にある洗濯機に適当に洗濯ものを放り込み、ふと鏡を見やる。そこには記憶していたよりもずいぶんとやせ細った自分が映っていた。どうりで訪れる人がみな不安そうな顔をするはずだ。ヒトハにはそれが無性に可笑しく思えて、ひとりで笑った。

「さてと」

 部屋の片付けが一通り済むと、ヒトハはこの学園に来た時と同じ鞄を引っ張り出した。
 こんな小旅行にでも行くかのような小さな鞄に、服やらの必需品を詰めてやって来たのだ。今ではまったく考えられないことである。引っ越しをした時の段ボールも残っていたが、これもたった二つしかない。
 どうしても持ち帰りたいものが入らなければ、どこかで段ボールを調達して、それ以外は捨てよう。そんなことを考えながら荷物の量を確認して回っていると、最終的に部屋の一角を占めるクローゼットに行き着いた。
 そこには着古した仕事着が何着かと、ほとんど着ていない私服が何着か仕舞われている。そして隅には仕立ててもらったドレスが一着、静かに佇んでいた。試しに着てから一度も袖を通していない、このクローゼットの中で一番上等な服だ。

「もうサイズ、合わないや」

 ヒトハはドレスを引っ張り出して体に当てると、ため息混じりに呟いた。
 このやせ細った体を元に戻そうとしても、まるっきり同じにするのは無理かもしれない。それでもこれは捨ててはいけないものだから、他の服を捨ててでも持って帰ろう。
 ヒトハはドレスをクローゼットの取っ手に引っかけた。ドレスは光の当たり具合で色味が変わる素材で、光沢のある緑は黒にほど近い色になるかと思えば、目が覚めるような鮮やかさを見せる。クルーウェルはどうして自分にこの素材を選んだのか。それは結局よく分からなかったが、きっと何か特別な意味があるのだろう。彼はあまり意味のないことは好まないタイプだ。

「あ」

 そしてヒトハは気が付いた。出窓にある乾涸びたマンドラゴラの存在に。
 これはいよいよ捨てるべきなのだろう。手に取ると、日に焼けたせいか風化した表面の皮がぱらぱらと落ちた。その時なぜだか捨てられるマンドラゴラに同情心が芽生えて、ヒトハはそれをみんながいる植物園のあたりに埋めてやろうと思った。そうしたら、きっと寂しくないはずだ。とっくに死んでいるけれど。
 ヒトハはそのマンドラゴラと、隣に置いていた観葉植物を手に取った。残念ながら葉っぱがいくつか駄目になっていたが、もう一度ちゃんと世話をしたら復活できるかもしれない。この観葉植物も、許されるなら温室に置かせてもらおう。
 ヒトハはその二つを抱え、再び部屋を出た。
 こうやって少しずつ片づけていく。要らないものを捨てて。本当は要らないものなんて何一つないのに。

 その日の最終授業の間、ヒトハはこっそりと植物園へ向かった。ひとりでの外出は控えるように言われているが、生徒たちはまだヒトハが保健室から出て行ったことすら知らない。あの呪いをかけられていた事件から部屋の周りは厳重に魔法で守られているし、今なら問題ないと考えてのことだ。
 こうして誰にも見られないように植物園にたどりつくと、ヒトハは早速常駐する管理人に話をつけた。観葉植物は快く引き取ってもらい、死んだマンドラゴラに関しては植物園の一角に埋めていいとのことである。
 借りたスコップを手に、あまり目立たず、かつ土の柔らかそうな場所を探して歩き回る。今日は快晴とまでは言わずとも心地よい気候で、ヒトハは自然と散歩をするかのように景色を楽しんだ。ここには驚くほど大きな温室があり、遠くには校舎が見え、そしてそれほど遠くない所に魔法薬学室がある。
 ついそちらへ向かいたくなる気持ちを抑え、見つけた木陰に腰を下ろした。日当たりがあまりよくないのか、土がほんの少し湿っている。ヒトハはそこにスコップの先を突き立て、ここにしようと決めた。
 サクサクと土を掘っては横に除ける。スコップでならマンドラゴラ一個分程度の小さな穴を掘るのは難しいことではないが、どうにも気が重い。こうして一つひとつ動作をするたびに、終わりの足音が聞こえてくる気がするのだ。
 こんな所でしゃがみ込んで自分は一体何をしているんだろう。
 ヒトハはぼんやりと思った。傍から見ればマンドラゴラを丁寧に埋葬している人なんて、滑稽に違いないのに。鼻の奥がツンとして、あの夜以来の涙が出てくるのだ。

「なんで泣きながらマンドラゴラ埋めてんだよ」

 そのごく当たり前の疑問がヒトハの耳に届いたのは、渋々掘った穴にマンドラゴラを寝かせて土を掛け始めた時だった。
 訝しげな声が後ろから降ってきたが、ヒトハは振り返らずマンドラゴラに土を掛けた。泣いているのはとうに知られていて、今更隠す気にも、かといって見せる気にもならない。

「だって、死んでますし」
「見りゃ分かる」

 顔を上げようとしないヒトハの隣にしゃがみ込む獣人属の生徒――レオナはまた授業をほったらかして植物園を徘徊していたらしい。彼はヒトハの隣で何を言うわけでもなく、マンドラゴラの埋葬を見学している。それを咎めるほどの気力もなく、ヒトハはもう一度土を掛けた。

「泣くほど嫌なのか?」
「何が?」

 レオナは気だるい声で「そいつを埋めるのが」と答えた。

「嫌ですよ。だって……」

 ヒトハは答えを言わないまま黙り込んだ。誤魔化そうにも上手い答えは見つからないし、レオナを納得させられる気もしない。
 一向に答えようとせず盛った土を眺めるヒトハの前に、大きな手が入り込んだ。レオナは土からはみ出たマンドラゴラの足を摘まみ、それを勝手に引き上げる。

「泣くほど嫌なら埋めなきゃいいだろ」

 馬鹿なのか? と鼻で笑い飛ばし、それを受け取れと言わんばかりにヒトハの前に吊り下げた。おずおずと両手を広げると、そこにポトリと落とされる。土塗れのマンドラゴラを手にして、ヒトハは深くため息を落とした。

「せっかく埋めたのに」
「その調子じゃ日が暮れる」
「でも、やらなきゃ」

 はぁ? と大きく呆れた声を漏らしたのはレオナだ。

「誰のために?」

 誰のために?
 ヒトハはマンドラゴラを土に戻そうとした手を止めた。
 誰のために。もちろん、自分のためだ。自分がここを出て行くのにこのマンドラゴラは邪魔で、捨てるのは気が引けるから埋葬している。
 レオナには一言「自分のため」だと堂々と言えばいい。それなのに、その一言が喉に張り付いたかのように出てこない。答えを言いあぐねているヒトハをまじまじと観察していたレオナは、やがて目を細めて言った。

「お前、ここから出て行こうとしてるな?」

 どきりとして、ヒトハは一瞬息を止めた。手のひらにじわりと冷や汗が滲む。

「そんなまさか」
「あ? 下手くそな嘘をつくな」

 見事なまでの一蹴である。
 つい先ほど隠し通さなければと心に決めたのに、賢いレオナの前では誤魔化しの言葉ひとつ役に立たない。
 マンドラゴラを手にどうしたものかと頭を悩ますヒトハを置いて、レオナはにやりと口元に笑みを浮かべた。

「お前、毒盛られただろ」

 その指摘に返す言葉を持ち合わせず、ヒトハは肯定も否定もしなかった。これだけ見事に言い当てられたのだから、今更下手に誤魔化すのも意味のないことだろう。
 ヒトハの無言を肯定と受け取って、レオナは続けた。

「お前が最近毒で死にかけたのは知ってる。だが、魔法薬と間違えて毒薬を飲んだなんて幼稚な嘘で誤魔化してるのは、いかにも怪しいじゃねぇか。クルーウェルはそんなヘマはしねぇし、お前もそこまで馬鹿じゃない。おおかた毒を盛った奴が見つからないから国外に避難でもしようとしてんだろ。……まぁ、盛られた理由は何だっていいが。俺の知ったことじゃないしな」

 そうして膝の上で頬杖をついて、ヒトハの目をじっと覗き込んだ。

「なぁ、犯人を見つけたらどうする?」

 あまりのことに言葉を失い、ヒトハはつい、彼の予期せぬ質問の答えを探してしまった。
 犯人を見つけたら。そんなことを考えたことはなかった。もし見つかるとしたら、それは自分のいない場所でのことだと思っていたからだ。そもそも、自分を殺そうとした人とは会わない方がいいし、周りの人たちからは会わないように仕向けられてきた。
 でももし目の前にいたとしたら、どうするだろう。
 恐怖に足がすくむのだろうか、と考えて、ヒトハは自分の中に別の感情があることに気がついた。

「……怒りますね。よくも毒を盛ってくれたな、って」
「ふぅん、それで?」
「そ、それで……?」

 うーん、と唸る。
 犯人の罪は重い。死にこそしなかったが、猛毒で死にたくなるような苦しみを味わい、走馬灯らしきものも見た。大勢の人たちに迷惑がかかったし、クルーウェルに至っては過労で倒れそうなくらい働いている。それに、今まさに犯人のせいでこの学園から追い出されようとしているのだ。
 考えれば考えるほど腹が立ってきて、ヒトハは思いっきり顔を顰めて吐き出した。

「一発殴りますね」

 渾身の一言に、レオナは大な声を上げて笑う。

「そりゃあいいな。で、それから?」
「それから、私の代わりに出て行ってもらいます」

 ここまでくると、ヒトハはもう隠す気すら失くした。
 そもそも、なんで殺されかけた自分が追い出されようとしているのか。ヒトハにはどうしてもこれが納得いかなかった。
 出て行くのは自分ではないはずだ。つまり、“代わりに出て行ってもらいたい”のではなく、“追い出したい”。自分の座っている席を譲りたくはないし、大切な生徒たちを危険な人物と同じ場所で過ごさせたくない。

「なら、そうすりゃいい」

 熱くなっていくヒトハに対して、レオナは淡泊だった。急に冷水を浴びせられたような気がして、ヒトハはふっと眉間から力を抜く。
 言葉通りにできるならそうしたいが、簡単にできるなら、こうも悩んではいない。

「そんな簡単に言わないでくださいよ。私が勝手なことしたら先生に……みんなに悪いじゃないですか……」

 周りのおかげで今日ここまで安全に過ごせてきたことを忘れたわけではない。率先して身を危険に晒してしまったら、彼らの努力を無駄にしてしまう。
 レオナがマンドラゴラを埋めている時に言った「誰のために?」が不意にヒトハの頭をよぎった。マンドラゴラを埋めるのは誰のためか。自分を心配してくれる人たちのためだ。
 みるみるうちに気持ちを萎ませていくヒトハに、レオナは声色も変えずに言った。

「少なくとも、俺の寮なら何も考えずに逃げるだけの腰抜けの方がよほど悪い。お前は、お利口に待っていたら欲しいものが手に入るとでも思ってんのか?」

 そして彼は鼻を鳴らし、挑発的に笑ったのだった。

「ここはナイトレイブンカレッジだぞ」

 弾かれたように顔を見上げる。ヒトハを見据える彼の瞳は、深みがありながら鮮やかな緑。この植物園のどの緑よりも力強く、雄大で、そして魅力的に輝いて見える。
 ――ここはナイトレイブンカレッジ。
 世界中の才能ある魔法士たちが集まる学び舎で、そして、喧嘩は日常茶飯事、すぐに手が出るわ悪知恵が働くわで大人たちの手を大いに焼く、やんちゃすぎる子供たちの集まる場所だ。
 彼もそのやんちゃな一人で、そして自分も、その一人になる。
 そう思うと、どこからか不思議と勇気が湧いてきた。クルーウェルからの大目玉は免れないし、多くの人たちからは大きなため息を貰うだろう。自分の目指す大人の女性らしくないし、最悪死ぬかもしれない。それでも、一番大切なものは守れる。自分の願いと、この学園の生徒たちだ。そのためなら、自分の持つ全てを賭けても惜しくはない気がした。

「私にできるでしょうか」

 残された時間は少なく、今すぐにでも決断しなければならない。脈打つ鼓動を感じながら、ヒトハはレオナに問いかけた。
 しかし彼はここにきて「さぁ?」と首を傾げた。

「さぁ、って、そんな無責任な……」
「俺はお前の実力を見てねぇからな。まぁ、俺に大口叩いたくらいだ。なんとかやんだろ」

 レオナはゆっくりと立ち上がり、ヒトハを見下ろした。

「弱い者なりの戦い方ってやつがあるんだろ?」

 ヒトハはレオナを見上げ、ぱちぱちと目を瞬いた。
 彼はあの日のことを覚えていたのだ。それがほんの少し恥ずかしく、嬉しい。

「俺の進級、見たくないのか?」
「…………見たいです。卒業まで見ます」

 レオナの手を強く握り、ヒトハはマンドラゴラを胸に抱いて立ち上がった。

 授業終わりの鐘が鳴り、遠くから生徒たちの声が聞こえ始めた頃。植物園の入り口からラギーが慌ただしく駆けて来た。

「レオナさーん! トレイン先生、もうカンカンッスよ! 今日はもう授業終わっちゃいましたけど、明日は覚悟しておくようにって」

 トレインに相当強く言付けられたのか、ラギーは口調まで慌ただしく、そして少し疲れていた。伝えきった後にやっとヒトハの存在に気が付いて「あれ? ヒトハさん、もう大丈夫なんスか?」と疑問を口にする。

「おいラギー、こいつを連れてタコ野郎のとこに行ってこい」
「この前頼んでたやつッスね。でも、なんでヒトハさん?」

 それはヒトハも予想外のことだった。マンドラゴラを抱えてラギーの方へ振り返ると、彼はぎょっとして少し仰け反った。

「な、なんで泣いてるんスか!? レオナさん、まさか……」
「ちげぇよ。勝手に泣いてんだ」

 ヒトハはラギーを前に、慌てて目元を拭った。もうずっと前に泣き止んだつもりでいたが、跡はしっかりと残っていたらしい。

「タコ野郎はいけすかねぇが頭は回る。対価さえなんとかすれば、そいつを埋めなくて済む方法が見つかるかもしれねぇな」

 レオナはヒトハの胸を指した。
 点と点を結ぶように、彼は道を示す。それはほんの小さな手助けに過ぎなかったが、とても彼らしい鼓舞の仕方だった。あと少し、愛想が良ければいいものだが。

「ええ、そうですね。ありがとうございます」

 ヒトハはマンドラゴラをぎゅっと抱いて頷いた。
 この胸に燃えるのは怒りと決意。そしてこの勝負に挑む、強い覚悟だ。

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