魔法学校の清掃員さん

18 清掃員さんと親切心

 ことの発端は「〈眠気覚ましの魔法薬〉が青色に変色した場合の問題点って何だと思いますか?」という質問だった。クルーウェルは調合したいつもの魔法薬を手渡しながら、なにやら勉強中らしい彼女に「加熱時間を間違えているのだろう」と答えた。

「仕事中眠いのか?」

 聞けば清掃の仕事もなかなか大変なのだという。特に冬場は環境が過酷なうえに、重労働も増えてくる。魔法が得意というわけでもない彼女の場合、体力勝負になることも多いのだろう。

「どこかに調合済みがあったはずだが」

 そう言いながら魔法薬が陳列された棚に目をやったが、ヒトハは慌てて「いえ、大丈夫です!」と引き留めた。

「ちょっと気になっただけなんです」

 へらりと誤魔化すように笑う姿がなにやら怪しいと思いつつ、その時のクルーウェルは気のせいかもしれないと見逃すことにしたのだった。
 しかし、また次の日に、ヒトハは授業の合間を縫って教室に顔を出した。いつもは能天気に笑いながらやってくるのに、今日は小難しそうな顔をして眉間に皺を寄せている。

「〈髪色を変える魔法薬〉の最終工程でどうしても分離し始めるんですが……」
「途中の冷却が足りてないようだな」
「――ああ! なるほど! ありがとうございます!」

 どこから持ってきたのか教科書まで抱え、いたるページに付箋を貼っているとなれば答えないわけにはいかない。ずいぶんと悩んでいたのか、彼女は答えを聞くと、いつも以上の明るい笑みを浮かべた。

「魔法薬学の勉強でもしているのか?」
「ええ、まぁ、そんな感じです」

 クルーウェルの問いに、ヒトハは歯切れ悪く答えた。特別魔法薬が必要となるような仕事をしているわけでもないのに勉強をし直すとは珍しい。一体何を企んでいるんだ、と疑いが一瞬頭をよぎったが、それはあまりに失礼だと思い直す。社会人になって勉強の楽しさに目覚めるというのは珍しいことではない。彼女の場合、ちょっと特殊だから疑いが先にくるだけだ。
 なんにせよ学問に励むのは良いことだ。クルーウェルは上機嫌に去っていく後ろ姿を見送りながら、勤勉な清掃員に感心した。
 手元に目を落とすと、先ほどの授業で行った小テストの回答用紙が積み重なっている。生徒たちもあの姿を見習ってくれれば……と、ついため息が漏れた。突発的に行ったこの小テストでは、余裕を持って合格点を叩き出した者もいれば、見るも無残な者もいる。努力をする者としない者、勉強が得意な者と不得意な者様々ではあるが、彼女は一体どんな生徒だったのだろう。
 多少は推測できるものの、クルーウェルがヒトハの口から学生時代のことを聞く機会はほとんどない。問えば答えてくれるのだろうが、ああ見えて用心深く、あまり弱さを見せたがらない性格である。上澄みだけ話して場を凌ごうとするのは目に見えていた。
 一番深いところに触れようとしたとして、果たしてそれが自分に可能なのか。あの単純そうに見えて難しい性格をした彼女を攻略するのは、あのジャックラッセルテリアを躾けることより遥かに難しいことのように思えた。

 その日は特別寒い日だった。
 明日の授業の準備をしていたクルーウェルは魔法薬学室の扉を控えめにノックする音を聞いて、ふと顔を上げた。予想通り遠慮がちに教室を覗いているヒトハに「どうした」と声を掛けると、申し訳なさそうな顔をしておずおずと部屋に入ってくる。案の定、両手に教科書と魔法薬の入った瓶を持っていた。

「お忙しいのに何度もすみません。この〈嗅覚を高める魔法薬〉ですが、調合は間違えてないはずなのに仕上がりの色が少し薄いように思うんです」

 ヒトハから瓶を受け取り光の下に翳してみると、聞いた通りたしかに色が薄い。成功すればもう少し濃い蜂蜜色になるはずである。ただ、その色の違いというのが失敗とも言えない程度のもので、生徒であるならば及第点といったところだ。
 そんな些細なことを気にして聞きに来る姿勢が少し気になって、クルーウェルはひとつ試してみることにした。

「色が薄いか。お前はどう思う?」

 今まで質問に質問を返されたことがないのもあって、ヒトハは少し躊躇って、ゆっくりと口を開いた。

「私は素材の雷鳴樹の樹液が関係しているように思います」
「なぜ?」

 矢継ぎ早に質問を投げると、今度は渋った。
 何も考えていないわけではないようで、恐らく、その仮定が正解なのかどうなのかを知りたくてここへ来たのだ。

「あまり自信はないんですが……『現代魔法薬学の応用』で雷鳴樹の樹液をあらかじめ熱しておくような記述があるので、温度によって何か変化があるのではないかと思いまして」

 ヒトハが話に持ち出した本は、〈嗅覚を高める魔法薬〉の調合方法が載っていないものだった。比較的新しい本で、わざわざ手に取らなければ読む機会もなかっただろう。

「おおむね正しい。そのままでも魔法薬としての効果はあるが、精度を上げるなら樹液の温度を少し変えるといいだろう。まぁ、基本的には特に問題ないんだが、今日は極端に寒いからな」

 そう答えると、ヒトハはほっとして強張った口元を緩めた。
 クルーウェルはつい癖で生徒たちと同じように褒めようとして、彼女が男ではないことを思い出した。授業であれば最上級の褒め方をするところだが、どうにも扱いが難しい。

「よく気がついたな」
「ふふ、これでも魔法士養成学校を出てますので」

 ヒトハは褒められたことが相当嬉しかったのか、寒さで赤らんだ頬をさらに染めながら得意げに胸を張った。まったく単純で分かりやすい。クルーウェルは思わず口元に笑みを浮かべた。

「仔犬どもがみんなお前のようであればどれだけいいか。あの駄犬ども……罰として与えた課題程度も二度目の提出でやっと合格ラインではな」
「先生は課題の出し方に癖がありますもんね」

 クルーウェルの愚痴に、ヒトハは嫌味っぽく笑いながら返した。
 クルーウェルからしてみれば癖もなにも、ちゃんと授業を受けていればできる範囲のことだけしか課題に出さないのだから、それすらできていない生徒に問題があるとしか思えない。予習に復習はもちろんのこと、授業中の些細な解説もしっかり頭に叩き込んでおかなければ、とてもではないが優秀な魔法士にはなれないだろう。そのために教鞭を振るっているのだが、それを理解する者は教師を除いて極わずかな生徒と、目の前にいる彼女くらいのものである。

「教科書の隅々まで読み込めば必ず答えにはたどり着くはずなんだ。この前の〈髪色を変える魔法薬〉に関してもちゃんと章の間に――――いや、待てよ」

 クルーウェルはヒトハの嫌味に反論しようとして気が付いた。
 〈髪色を変える魔法薬〉の調合方法について少し前に質問を持って来た者がいる。目の前できょとんとした顔をしている、彼女だ。

「お前、なんで〈髪色を変える魔法薬〉を作ろうとしていたんだ? まさかイメージチェンジでも……してる様子はないな」

 ヒトハは今までいくつか魔法薬の調合について質問を持って来たが、それを使用した様子は一度もなかった。髪の色が変われば当然、校内で見かけた時に気が付くはずである。
 思い返せば彼女が〈髪色を変える魔法薬〉の質問を持ち込んだのは、あの課題を出した頃ではないだろうか。偶然とは到底思えない。

「俺に隠しごとをしてもいいことはないと学ばなかったか?」
「え? 何も隠してはないですけど?」

 ヒトハは目を丸くして大真面目に答えた。彼女の場合、後ろめたいことがあれば大抵顔に出るからすぐに分かる。ということは、嘘はついていないらしい。

「ではなぜ数ある魔法薬の中からこの魔法薬を選んだ?」

 クルーウェルが腕を組んで答えを促すと、ヒトハは何かを察知したのか、世話しなく目を泳がせ始めた。いつもの逃げの姿勢である。

「正直に言え、今ならまだ許してやる」
「ええ!? 許すもなにも、私はただ生徒に質問されたので、一緒に考えてただけで……」

 どうやら悪いことをしてしまったらしい、と思ったのか、ヒトハは尻すぼみの声で言った。もはや目を合わせようともしない。
 クルーウェルは「生徒に質問されたからというだけでそこまでするか」と口にしようとして、すんでのところで踏みとどまった。
 生徒が誰かに質問をすることは別段悪いことではない。調べても分からないなら、時に先輩に聞くことも必要だろう。身近にいる大人に質問することもあるかもしれない。
 問題は彼女の異様なまでの親切心である。分からなければ分からないと言えばいいし、分かるところまで助言すればいいのに、なぜ付箋だらけの教科書を抱えるまで世話をするのか。クルーウェルには到底理解が及ばなかったが、それでも困っている生徒を助けたいと思う気持ちもまた、否定することはできなかった。

「その親切心は確かにお前の良いところではあるが、改善の余地があるな」
「へ?」
「こっちの話だ。ともかく、安請け合いはしないことだ」
「はぁ」

 その日はそう忠告して、ひとまず帰すことにしたのだった。
 もちろん生徒たちには自分でまずよく調べるようにきつく言って様子を見る必要がある。きっと親切な彼女に聞けば分かると変な噂が立っていて、彼女はそれに応えようと努力しているに違いないのだ。一度走り出したら結果が出るまで止まらない性格である。どこかで止めてやらなければ。
 クルーウェルは途端に湧いて出た面倒ごとに頭を抱えた。

 ――にもかかわらず、数日後に現れたヒトハは相変わらずだった。

「あの、先生? 〈声を変える魔法薬〉について質問してもいいでしょうか?」
「またお前は仔犬どもの手伝いをさせられているのか?」

 さすがに苛立って声を低くすると、ヒトハは小さく首を傾げた。

「手伝い? いいえ、これは私が趣味でやってることなので生徒は関係ありません」
「趣味?」
「ええ、最初は生徒たちが質問をしてくるから勉強してたんですけど、楽しくなってきたので趣味にしようと思って。それに先生の説明も的確で分かりやすいですし」

 そしてハッとして口元に手を当てる。

「もしかしてタダ働きさせられて怒ってます!? 大したお礼はできないんですが、ハウスクリーニングにでも伺いましょうか?」
「いや、来るな」
「結構自信あるんですけどね」

 ヒトハは「どうしようかな」とぶつぶつ言いながらひとりで唸っている。
 クルーウェルはここ最近頭を悩ませていたことがただの杞憂に終わったことに苛立ちながら、ほんの少しだけ安堵した。彼女なりの線引きはできていたらしく、どうやらあの努力の大半は趣味とのことである。

「お前というやつは本当に……。そこまで勉強熱心なら進学すればよかったものを。たしか養成学校を出てすぐに就職したんだろう?」
「ええ?」

 ヒトハは「そうですねぇ」と言いながら一瞬苦々しさを滲ませて、次の瞬間にはもういつも通りの笑顔を浮かべている。

「私が大学に行ってたら、それはもう大変なことになってましたよ。今頃一流企業でバリバリのキャリアウーマンだったかもしれないですね!」
「一流企業? それはいい。そうなっていれば手を溶かすこともなかったな」
「ま、まぁ、それもそうですが」

 ヒトハは冗談で気を取り直したのか、いつものように楽しそうに話し始めた。

「趣味だから学生時代に比べて気楽でいいですよ。魔力が必要になっても生徒たちが手伝ってくれますし。……ランチ代、毟り取られますけど」
「ランチ代を毟り取られていたのか……」

 クルーウェルが引き気味に言うと、ヒトハは困ったように笑った。どうやらまったくの善意ではないらしく、我が校の生徒らしくなかなか抜け目ない。
 ランチ代のことはさておき、この学園は本来魔法について学ぶのが好きな彼女にとって、この上なく良い環境なのだろう。身近に魔法が溢れ、頼れる誰かが傍にいて、気兼ねなく勉強に没頭できる。そしてそれは学生時代には充分に得られなかったことなのかもしれない。

「つまり、お前なりに勉学に励んでいるということだな」

 ヒトハは口元を緩め、頬を染めた。その姿はまるでテストでいい点を採って褒められた子供のようだった。

「――だが、俺の指導を受けるからには半端は許さん。仔犬は等しく躾の対象! 仔犬の躾は俺の役目だからな」
「えっ」

 クルーウェルは指揮棒を手に取り、それを手のひらに叩きつけた。
 彼女が魔法士養成学校を卒業してもなお学ぶ意欲があると言うのなら、教師としてやることは決まっている。

「早速だが〈声を変える魔法薬〉をここで調合してみろ。今、すぐに」
「い、いま!?」

 ヒトハは教科書を両腕に強く抱いて悲鳴を上げた。
 全く想定していなかったのだろうから無理もない。かといって手を緩めるほど優しい教え方をしていないことは彼女も理解しているはずである。

(これは俺も他人のことは言えないか)

 彼女のことを親切だのなんだのと言いながら、結局自分も呆れるほど親切に手をかけている。そもそも仕事ですらなければ何の得にもならないし、世話は焼けるし労力ばかりかかって仕方がない。
 しかし焦りながら計量を始める彼女を見て、まぁ、それも悪くないかと思うのだ。

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