魔法学校の清掃員さん
16 清掃員さんと採寸
ついに期末試験の結果が発表され、生徒たちは一喜一憂し、教師たちは肩の荷をやっと降ろし始めた今日この頃。朝から陽も弱く、ちらほらと雪が舞い始めるこの季節は清掃員であるヒトハにとっては過酷な時期でもあった。掃除場所が暖かな校舎内であればいいが、外であれば頭の天辺から足の爪先まで芯から凍るほどに寒い。
支給品であるスタンドカラーのコートに身を包み、ヒトハは襟元に首を埋めた。しっかりとした厚みのある生地は寒さを凌ぐには最適である。欲を言うなら、もう少し軽い素材だったらよかったのに。なんて思いながらいつものように先輩たちに仕事終わりの挨拶をすると、ヒトハは植物園の方へ駆け出した。
ナイトレイブンカレッジにある広大な植物園のほぼ向かい側に位置する魔法薬学室は、ヒトハにとってもはや馴染みのある教室となった。薬草と土の匂いが混じった独特な匂い、棚に整列している大小さまざまな薬草、魔法薬の瓶、そして教師というにはあまりに派手な男がひとり。
「よし、脱げ」
「はい?」
飲み切った魔法薬の瓶を洗い終わるやいなや、この教師――デイヴィス・クルーウェルがとんでもないことを言い出したので、ヒトハは思いっきり顔を顰めて聞き返した。
聞き間違いだろうかと思ったが「コートだ」と返ってきたので、どうやら聞き間違いではないらしい。ヒトハはよく分からないまま厚いコートを脱いで、それを机に置いた。中はいつもと変わらない清掃員の制服である。真っ白だったエプロンは薄灰にくすんで、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「これでいいですか?」
ヒトハが訝しげに聞くと、今度は何やら使い古したようなメジャーを両手で広げながら歩いて来る。ヒトハは思わず数歩後退りをした。派手な格好をした、背が高い美形の男が紐のようなものを両手で慣らしながら歩いてくるのは、いくらなんでも絵面が怪しすぎる。
「じっとしていろ。測れないじゃないか」
「何をですか?」
「お前をだ」
「なんでですか!?」
自分を測るという意味が全く理解ができない。
ヒトハはさらに数歩後退ったが、当の本人はどこから湧いて出た自信か、得意げな顔をして答えた。
「この俺が、お前に服を仕立ててやろうと思ってな」
「はい?」
結局、また最初のような不可解そうな声で聞き返すことしかできなかったが。
「先生って服作れるんですか?」
「まぁな」
このデイヴィス・クルーウェルという教師は魔法薬学、錬金術等の理系科目に防衛魔法の実技まで担当し、さらにクラスの担任、部活の顧問をこなすほどには多忙な人間である。というのは最近分かってきたことだが、まさかそこに“服を作る”が追加されるとは思ってもみなかった。
一日二十四時間をどうやりくりしているのか甚だ疑問だが、聞けばどうせ「この俺を誰だと思っている?」とでも言い出すに違いない。
「服が好きなのはなんとなく分かってましたけど、まさか作るとは思ってませんでした。お裁縫が趣味なんですか?」
自分で言っておきながら「お裁縫が趣味」というのは彼には些か可愛すぎるような気もするが、かといって他の言い回しもよく分からない。ヒトハはあの大きな背を丸めてチクチクと縫い物をしている姿を思い浮かべた。口元がにやつきそうになるのを必死に引き締める。
クルーウェルは小刻みに震え始めたヒトハを見下ろして、「お裁縫?」と聞き返した。
「いや、クラシックカーだが」
「え!? く……クラシックカー!? 服は!?」
「ファッションには確かにこだわっているから趣味と言えなくもないが。趣味というよりは個人的にこだわっているものと言うのが適切だろう」
人はそれを趣味と言うんですよ、と喉元まで出かかったのを飲み込んで、ヒトハは「へぇ」と中身のない返事をした。
彼は服を作れるという高度な技術を持ち、ファッションに強すぎるこだわりがあり、そしてクラシックカーが趣味なのだという。恐ろしく金のかかりそうな生活に、ヒトハは別の意味で震え始めた。
「そ、それで、なんで私なんですか?」
「ホリデーの休暇が長いんでな。たまには女性用の服でも作ろうかと思ったが……モデルがいないのでは作る意味がないだろう? それで手短な所にお前がいたというわけだ」
いかにも「その辺にいたから」というような適当な理由である。ヒトハは誰でもよかったかのような物言いに、むっと口を曲げた。
「先生の人間関係なんて知りませんけど、私じゃなくたって女の人なんて周りにたくさんいるんじゃないですか? 先生なら」
「なにを拗ねてるのか知らんが――」
「拗ねてません!」
「――俺はお前に仕立てると言ってるのだから他の女性は関係ないだろう」
その言い方がまるで子供に諭すかのようだったものだから、余計に癇に障った。
「第一、測るってことはつまり採寸じゃないですか! 嫌です!」
「オーダーする時に採寸くらいするだろうが」
「あのですね、先生は知りませんけど、普通の人はオーダーメイドなんて滅多にしませんからね」
「そうか。それで?」
「それで……!?」
まさかここまで強く出てくるとは思わず、ヒトハは一瞬怯んだ。採寸といえばウエストやらバストやらをあのメジャーで測られることになるのだ。店で同性に測られるならまだしも、どうしてそんな辱めを受けなければならないのか理解ができない。
「いっ、嫌です!」
「分かった。肩幅とウエストとヒップとバストだけでいい」
「ばばばバスト!? それが嫌だって言ってるんですよ!」
にじり寄るクルーウェルを制止するように、ヒトハは杖を抜いて突き付けた。
「ほう? 飼い主に杖を向けるとは、いい度胸をしているな」
低く静かな声が響いたかと思うと、ちょうど杖を持つ手にかすかな違和感を覚えた。瞬間、ヒトハはほとんど反射でその魔法を弾き返した。小さな破裂音と共に火花が散り、手首が尾を引くように痺れる。自分自身の十八番である杖を弾き飛ばす行為は、される側になると思いのほか焦るものだ。
ヒトハはいつの間にかメジャーを杖に持ち替えた男に目をやった。
(速い!)
休む間もなく繰り出される小さな攻撃をいなしながら反撃の機会を窺うも、全く隙がない。クルーウェルは勝てると分かっている勝負をわざわざ手加減して長引かせているのだ。
どうしたものかと余裕のない頭で捻りだそうとしていると、ついに足元が行き詰って机の脚に引っかかってしまった。
「わっ!」
杖が手から離れ、軽い音をたてて机に転がる。
「いっ……!」
慌てて拾い上げようと腕をついたところを上から手で抑え込まれては身動きが取れない。
指先は杖に引っかかりもせず、目の前を覆うクルーウェルは「動けるものなら動いてみろ」と言わんばかりの鋭さでヒトハを見下ろしていた。
「躾が足りなかったか?」
「参りました……」
そこでやっと、ヒトハは白旗を上げたのだった。こうなっては採寸は免れないな、と項垂れているところ、最悪のタイミングで教室の扉が開かれたのだった。
「失礼します。今度の部活動なん――」
プリントの束を抱えたトレイが扉を片手で押し開け、見てはいけないものを見たかのような顔をして立ち尽くしている。やがて色々考えた結果にたどりついたのか、察しの良い彼は自分の用事を放棄することにしたのだった。
「失礼しました」
と、静かに扉が閉じられる。
「ままま、まって! まって!」
「クローバー! ステイ、ステイ!」
慌てて追いかけたおかげでなんとか引きずって魔法薬学室に引き戻すことはできたものの、トレイは視線をうろうろと泳がせている。校内で怪しい行為をしていた風の二人に囲まれては、さすがに気まずいだろう。
ヒトハはクルーウェルほどの体格を持つ年下の青年が居心地悪そうにしているのを見て、自分のせいだと自覚しながら同情した。
「――なるほど、採寸で。それでなんでああなってたのかはよく分かりませんが、事情は分かりました」
「お願い、分かって……」
トレイは分かったのか分かっていないのか早く話を切り上げようとした。まさかこのことを吹聴するような生徒ではないことは分かっているが、それだけに誤解されたまま終わるのは御免だ。
「ヒトハさんは測られるのが嫌なら、自分で測ればいいんじゃないですか? 魔法でメジャーを操るくらいはできますよね?」
トレイは事情を聴いた結果、そんな提案をしてきた。ヒトハは最もネックだったこと――直々に胸やらウエストやらを触られなくて済むことに気がついて「そっか!」と手を叩いた。
「それもそうですね!」
メジャー程度の軽いものであれば、浮遊魔法で操ることができる。あとは鏡さえあれば目盛も読めるし、誰の手を借りる必要もない。
「メジャー借りますね」
ヒトハはそう言ってクルーウェルからメジャーを借り、採寸が必要な場所の説明を受けると、鏡のある部屋に走った。
ほどなくして魔法薬学室に戻り、息を上げながら結果を走り書いたメモをクルーウェルに突き出す。意外にも採寸は簡単で、最初からこうしていれば良かったと思うほどだった。なにかと几帳面な彼にとっては正確性に欠けるかもしれないが、それでもないよりはずっといいはずだ。
「はい! これでいいですよね?」
「あ、あぁ……」
やり切った感に満ち溢れていたヒトハは、教室の時計がマジフト中継の時間を指しているのを見つけて、「では私、用事があるので!」とそのままの勢いでコートを掴んで再び教室を出て行く。
あれだけ嫌だ嫌だと駄々を捏ねていたのに嵐のように去っていく様は、残された二人を唖然とさせるには充分だった。
「……ヒトハさん、サイズは知られてもいいんですね」
「いや、明日ぐらいに気がついて暴れるような気がするな」
「ああ、なるほど」
トレイが何気なくメモの方に目をやると、クルーウェルは渋い顔をしながら、それをそっと畳んだ。
***
「ナガツキ」
翌々日、自分の体型を把握されたことに気が付いて「やっぱりあの紙返してください!」と言い出さないことに一抹の不安を覚え、クルーウェルは校舎近くで落ち葉と格闘しているヒトハを呼び止めた。
「負けましたし、いいですよ」
ヒトハはクルーウェルの心配をよそに、けろりとした様子である。本当に負けたからという理由で許されるものなのだろうか、と勘繰ってみたが、彼女にしてみればそれは十分理由に足るものだったらしい。薄々気が付いてはいたが、性根がサバナクロー寮生のような清々しさと根性論で成り立っている。一度闇の鏡の前に立たせてみるべきではなかろうか。
「それに先生の頼みごとってあまりないから。たしかにちょっと、恥ずかしいですけど」
ヒトハは恥ずかしさからか、はたまた寒さからか頬を赤らめながら言った。
(躾けすぎたか……?)
それがあまりに健気で、クルーウェルはわずかながら不安を抱いた。一部生徒に“忠犬”と揶揄されると怒っていたが、これはあながち間違いではない。
ヒトハは体を動かしていないと寒いのか、コートの襟に首を引っ込めて鼻を啜りながら「あっ!」と思いだしたかのように小さく叫んだ。
「暖かくて軽いやつがいいです!」
「仕事着にでもするつもりか……?」
「え? 違うんですか?」
「違う」
何をどうして仕事着なんかを仕立てると思ったのか。しかし彼女は他に何も思いつかないという顔をしていた。もしかしたら、寒さで思考が鈍っているのかもしれない。
ヒトハを片手で校舎に押し入れながら、クルーウェルは自分よりずいぶん小さな体を見下ろした。
「喜べ。この俺が、お前の魅力を最も引き出せる一着を仕立ててやる」
相変わらず彼女は眉間に皺を寄せて「はぁ? 魅力?」とわけの分からないような顔をしている。
さて、彼女にはどんな服が似合うだろうか。色は、生地は、形は……久々に面白いモデルを見つけたものだから、アイデアはいくらでも思いついた。今年のホリデーは思っていたより忙しくなりそうである。
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