魔法学校の清掃員さん

15 清掃員さんと友人

「それで、どうだった?」
「ええっと……奥深かったです。なんというか、考えさせられるというか……」

 セベクがあからさまにがっかりとした様子を見せて、ヒトハは自分の語彙力と感性の乏しさを呪った。先日借りた難解な詩集の感想を求められ、なんとか捻りだしたものの彼には不評だったようだ。アドバイスを求めたクルーウェルからは「読んでもないものに意見ができるわけないだろう」とまったくの正論を言われ、仕方なくまた夜中まで読み直したというのに。

「見え透いた嘘をつくんじゃない!!」
「そんなに駄目でした!?」
「誰がどう聞いても嘘だろう。僕は正直に思ったことを聞きたかっただけなんだが」

 たしかに、本を貸してくれた人に感想を求められているのに下手な言葉で偽るのは誠実ではない。ヒトハは少し躊躇って、やはり正直に言おうと思い直した。

「がっかりしないですか?」
「しない!」
「それなら、じゃあ……眠かった、です」

 セベクはヒトハのあまりに率直すぎる感想に驚きながら「そうか……」と呟いた。

「い、いや、だがたしかに、僕の気に入った本ばかり勧めていたような気がする。それならお前はどんな本が好きなんだ?」
「うーん、ストーリー性のある物語とか? 小説になるんでしょうか?」

 例えば推理ものでもいいし、サスペンス、青春ものでもいい。とにかくストーリーがあって、飽きないものを読みたい。ここ数ヶ月、脳をこねくり回されるような難しい本を読んでいたヒトハにとっては、切実な願いである。
 セベクはそれを聞いてパッと顔を明るくした。

「それなら良い本がある! ホリデーの前までには持って来よう!」
「楽しみにしてますね」

 普段大人びて見える彼が年相応に見える瞬間といえば、自分の好きなこと――読書や若様の話をしている時くらいだ。ヒトハはその姿を見ていると自分も気分が明るくなるような気がして、ついついなんでも首を縦に振ってしまう。

(百年前の文学作品とか持って来そうだなぁ……)

 と、あとから思ったりもするのだが、結局また次に同じようなことがあれば都合よく忘れていたりするのだ。

「それにしても器用だな」

 突然セベクが思い出したように言って、ヒトハは「そうですか?」と首を傾げた。セベクはヒトハが箒で落ち葉をかき集めながら、魔法で風を起こしているのが気になっているらしい。
 ナイトレイブンカレッジで働き始めた初日に修得した、ヒトハの“風の魔法で埃を集める”という地味な特技は、冬になると途端に威力を発揮し始めた。この魔法を使うと、適当に近くまで落ち葉を寄せればほぼ自動で纏まってくれるので効率がいい。常時発動していなくてもいいので、魔力的にも大変省エネなのである。セベクは若様がガーゴイル研究会の活動をしているとのことで暇を持て余していたらしく、ヒトハがそうやって掃除をしているところを観察していたのだった。
 そろそろ落ち葉を捨てて仕事を終わろうかとしていた頃合いだったのもあり、ヒトハの目の前にはこんもりと盛られた落ち葉の山がある。

「やってみます? セベクくんなら簡単にできると思いますよ」
「そうだろうか」

 ヒトハは作業を止めて、集まった落ち葉の周りに軽く風を起こした。風を目で見ることはできないが、落ち葉が渦を巻くように自然と中心に向かっていくことで、大体の風の流れは分かる。

「こんな感じで優しく風を起こすんですけど」

 なんといっても彼は名門校であるナイトレイブンカレッジの優秀な生徒だ。これくらいお手のものだろう。ヒトハは落ち葉のそばをセベクに譲って、数歩下がった。
 しかし珍しいことに、彼は少しばかり自信なさげに胸ポケットからマジカルペンを取り出したのだった。そして狙いを定めるように何度か軽くペンを振り、魔力を込めて風を起こす。

「――あっ!」

 集めた落ち葉を中心に突風が走る。ヒトハは咄嗟にセベクの後ろに隠れ、宙高く舞う落ち葉を目で追った。

「わぁ!」

 落ち葉はまるで紙吹雪のようにひらひらと回転しながら、二人の頭上に降り注いだ。学園の景観の中に舞う落ち葉は美しく、二人はしばらくそれに呆然と魅入っていて――気が付いた時には、そこに落ち葉の山はなくなっていたのだった。

「す、すまない……」

 マジカルペンを持ちながら額に手を当てて呻くセベクを見て、ヒトハは堪らず噴き出した。

「――っあはははは!」
「……」
「な、なん――なんでこんなに魔法強いんですか!? 全部なくなりましたけど!?」

 落ち葉を集め始めた時に戻ったかのような光景を目の当たりにしていると、落胆よりも圧倒的に面白さが上回る。どう頑張ったってもう定時に仕事は終わらない。まさか、他人に魔法を教えようとして残業をする羽目になるとは思わなかった。
 ヒトハはセベクの硬い背を叩きながら飽きるまで笑い続けた。

「もう一回!」
「いや、さすがにそれは」

 面白がってやり直しを要求するヒトハに、セベクは苦々しい表情を浮かべながらもう一度ペンを握り直した。結果、今度は周りの木からさらに葉が落ちて散乱する大惨事となり、セベクの眉間には深い皺が刻まれることとなった。ついでに偶々通りかかったオクタヴィネル生のプリントが飛んで行ったのは、災難と言う他なかった。二人は顔を見合わせて、知らないふりをしたけれど。

「これは……ふふ、躾甲斐がありますね」
「くっ……」

 ヒトハは自分の杖を肩に軽く叩きつけながら、例の教師の真似をした。ちょっとだけ顎を上向きに逸らして、嫌味っぽく目を細める。

「一度に込められる魔力が多いってことでしょうね。それはとても素晴らしいことではあるんですが」
「まだそこまで細かい実技指導は受けていないんだ。どうしたらいい?」
「そっと魔力を込める練習をしたらいいんじゃないでしょうか? 具合を見ながら調整するように、ゆっくり力を込めていく感覚で……」

 そうして何度か練習をしていると、あっという間に形になってきた。やはり素質があるのだろう。さすがこの学園に選ばれただけはある。とはいっても、これだけ散らかった落ち葉を一気に集めることはできない。
 ヒトハは未だに悔しそうにするセベクに箒を手渡した。なにはともあれ、今日の仕事は終わらせなければならないのだ。

「手伝ってくださいね」
「……もちろんだ」

 手渡した自分の箒がセベクの体格に全く似合わず、まるでおもちゃのように見える。それが面白くて、ヒトハはまたひっそりと笑った。

 集めた落ち葉をゴミ袋に入れて、ヒトハはぐっと伸びをした。近くにいるセベクの様子を窺うと、慣れない作業からか顔に少し疲れを滲ませている。
 空にはかすかに星の光が見え始め、夜の湿気た空気に白い息が溶けて消えた。ヒトハにしてみれば残業もいいところだが、想定していたよりも早く終わったことの方がずっと重要だった。

「終わったー! 手伝ってくれてありがとうございます! お礼に何か奢りますよ? 何がいいです?」

 ヒトハは勢いのままセベクに問いかけた。仕事に付き合わせた分、何かお礼をしなければならない。しかしセベクはちょっとだけ間を置いて、首を横に振ったのだった。

「これは僕のせいでもあるからな。それに前も言った通り、困ったことがあれば手伝うと言っただろう」

 セベクの主張はもっともだった。真面目な彼らしく、最初に言ったことをきっちりと覚えている。ヒトハはそれでも少し寂しい気持ちがして、静かに言い返した。

「私は気にしてないのに」

 むしろ不運な事故に関わってしまった彼を不憫に思っているくらいだ。手助けだってもう十分にしてもらっているし、墜落事故の恩は一度だって忘れたことはない。それに、もしも今まで自分にしてくれた全てのことがあの出来事に対しての責任からだとするならば、それはとても悲しいことだと思うのだ。

(わがままなのかな……)

 あの出来事がセベクと縁を結んだきっかけであることは確かなのに、それに囚われたくないと願ってしまう。
 ヒトハはおもむろに手袋を外して、怪我の痕が残ったままの手をセベクの前に広げた。

「これ、前より良くなってると思いません? まだ時間はかかるけど、ちゃんと元通りになるんですよ!」

 相変わらず痛々しい痕が残った手だ。けれど、あの日以来一度も手袋の中を見たことのない彼ならば、格段に良くなっていることは分かるはずだ。
 セベクは難しい顔をしたまま、ヒトハの手を取って視線を落とした。

「私、セベクくんのことを学園に来て初めてできた友人だと思っています」
「友人……」
「ええ、友人です。だから……傷が残っている間だけの関係は嫌だから、本当は、そういうのは無しにしたいんですよね」

 ヒトハはセベクがいつもの調子で「人間と友人など冗談ではない!」などと言い出すかと思っていた。どうやら彼は人間に対して何か思うところがあるようだし、ヒトハはまさしくその“人間”だ。いくら表面上仲良くできていたって、腹の内では嫌っていてもおかしくはない。ただ自分は、そうではないことを伝えたかった。

「……嘘じゃないですよ?」
「嘘だったら縁を切るぞ!?」
「そっ、それはやめて……」

 セベクは根っからの真面目さと頑固さで、縁を切ると言ったら本気で切りかねない男だ。慌てて「本当ですよ!」と言い足していると、彼はきつく結んだ口元をふと和らげた。

「いや、しかし――そうだな。お前がそう言うのなら」

 友人であってもいい。そう言い切ることはなかったけれど。

「ふふ、ありがとうございます」

 やっと胸のつかえが取れたような気がして、ヒトハは滲むように笑った。ずっと前から、彼とはこうなりたいと思っていたのだ。
 しかし問題がひとつ解決して安心しきったヒトハに対して、セベクには新たにひとつ問題が発生したらしい。

「だが! 友人なら奢りもなしだ! 僕は友人にたかるほど卑しくはないぞ!!」

 ヒトハはその声量と、奢りを気にしていたことに驚いて何度か目を瞬いた。

(びっくりするほど真面目……)

 そう思いながらも、彼のこの生真面目ではっきりとした性格が好ましい。

「そうですね。じゃあ私、購買の高級プリンを食べたいので付き合ってくれます? あ、これを捨てたあとに」
「いいだろう」

 胸を反らしながら言って、セベクはさっとゴミ袋を両手に掴んだ。それを持ってどこかへ行こうとするので、ヒトハは慌てて逆側に引っ張った。ゴミ捨て場はそっちではない。

「その高級プリン、リリア様もお好きだったな。そんなに美味しいのか?」
「普通のプリンよりは美味しいですね」
「高いのだから当たり前だろう……」
「うん、まぁ、たしかに」

 寒い夜を照らす温かな外灯に、楽しげな二人の影が伸びる。
 生徒たちはとっくに寮に帰ってしまったのだろう。人けのない校内が今ばかりは心地よく、ヒトハは懲りずに笑い続けた。

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