魔法学校の清掃員さん
13-04 清掃員さん、連行される
それから数日後、ヒトハは相変わらずモストロ・ラウンジで忙しく働いていた。以前と違うのは気の持ちようくらいのものだったが、それでも妙な不安に駆られたり、先の見えなさに絶望することはもうない。
日に日に元気を失っていたのが急に復活したせいか、バイト仲間の生徒たちは「何かいいことがあったんですか?」と興味津々だったが、ヒトハは頑なに答えなかった。例の教師に元気づけられたせいと知られたら、また変な噂が流れてしまうことになる。彼らの情報力を侮ってはならない。
そして営業時間も折り返し、ほどほどに客の出入りが多くなってきた頃、にわかに店内が騒がしくなった。ヒトハは食器を手に厨房へ戻る最中、その発生源に遭遇した。
「カリムくん?」
「おっ、ヒトハ! 何してるんだ?」
「お仕事ですよ。二名様ですか?」
モストロ・ラウンジの入り口付近で興味深そうにあちこち見渡すカリムと、いつも一緒にいるジャミルだ。彼は上等な布を被せた何かを両手に抱えていた。
席に案内しようとするヒトハに、カリムは残念そうに答える。
「いや、食事をしに来たわけじゃないんだ。オレ、ジャミルの作ったものしか食べられなくてさ」
「えっ、そうなんですか」
ジャミルの方を見ると「何があるか分かりませんので」と返ってくる。食事ひとつ気を遣わなければならないとは、大富豪の息子というのもなかなか大変なようである。
「カリムさん!?」
この予想外の訪問に、慌てて奥から出てきたアズールが足早にヒトハの横を通り抜けた。食事をしに来たわけではないというのも理解しているのか、何があったのかと不思議そうな顔をしている。
カリムはアズールが目の前にやってくるなり、弾けんばかりの笑顔で紙を一枚差し出した。
「これ、先生からプリント届けてくれって」
「プ、プリント? ありがとうございます……」
滅多にないことなのだろう。アズールは訝しみながらも紙を一枚受け取り、その内容に目を落とす。
ヒトハはアズールがわずかに目を見開いてカリムを見るところまで確認した後、食器を手にしたままだったことを思い出し、厨房に戻ろうとした。
「それとこれ! あの壺、同じものがあったから持って来た! 水臭いじゃないか、割ったなら相談してくれればよかったのに」
「は……?」
アズールが珍しく素っ頓狂な声を上げる。ヒトハは思わず足を止めて振り返った。
ジャミルが両手に抱えたものを近くのテーブルに下ろして布を取り払うと、なんと、あの日壊したものとそっくりそのまま同じ壺が姿を現したのである。
アズールもヒトハも、少し遠くにいるリーチ兄弟ですらも、束の間呆然としてその壺を見ていた。その異様な空気を感じ取ったのか、ジャミルは何かを悟ったように口の端を上げて、こう言ったのだった。
「あれ? ヒトハさん、なんでこんな所で働いているんです? ヒトハさんの仕事場は、ここじゃないはずですよね?」
***
「――と、いうわけで、急に解放されることになったんですよね」
「よかったな」
「ええ。生徒たちと働くのも結構楽しかったんですけど、やっぱり働きすぎでしたね」
ヒトハは空になった魔法薬の瓶を手元で弄びながら、機嫌よく答えた。
結局クルーウェルと話したあと、数日のうちにモストロ・ラウンジから解放されることになった。ヒトハを苦しめたこの弁償事件は、誰かが親切にもカリムに『モストロ・ラウンジに譲った壺が割れてしまったらしい』と教え、さらに親切なカリムが同じ壺を持って来たことで解決したのである。
しかも、ジェイドの言っていた「譲ってもらった」は“無償で”という意味であり、ヒトハが“有償で”と勘違いしていたことも判明した。言葉の罠にまんまと嵌められたというわけだ。
この件でヒトハはアズールとリーチ兄弟を横に並ばせてきつく叱ってみたが、「先に弁償すると言ったのは貴女ではないですか」と反論されて、結局はまったく反省させることができなかった。あまりの性根の悪さに、むしろ何も言えなくなったほどだ。
かくして平穏な日常と自由な時間を取り戻したヒトハは、今日も魔法薬学室でのんびりとした時間を過ごしていた。クルーウェルはいつも通りテキパキと仕事を片付けながら、ヒトハがだらだらと喋るのに付き合っている。今日の話題はもっぱら、モストロ・ラウンジで受けた仕打ちと今回の奇跡についてだった。
「あぁ! どなたか存じませんが、壺のことをカリムくんに教えてくれた方に感謝ですね。分かったら私、もう一生ついていきますよ!」
ヒトハが両手を組んでまだ見ぬ誰かに感謝していると、クルーウェルはそれを聞いて「そうしろ」と鼻で笑ったのだった。
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