清掃員さんとフェアリーガラ

07

「え……さっむ……」

 見慣れた天井をぼんやりと見上げて、ヒトハは呟いた。室内の冷えた空気が眼球に沁みる。学園の空調で温められているはずの自室が、どうしてか寒い。それも春に近づいたこの時期にふさわしくないほどの寒さである。

「まさか空調、壊れた……?」

 しかも空調は“壊れて効いていない”のではない。“壊れて室温を下げすぎている”のだ。
 ふらつく足で出窓に歩み寄り、開け放った窓から顔だけ外に突き出す。冷え切った頬がいくらか体温を取り戻したような気がして、ヒトハはため息を落とした。

「やっぱ壊れてる……」

 学園内の空調は各部屋で管理しているわけではないから、他の部屋も今頃大変なことになっていることだろう。壁掛けの時計を見上げ、また一つため息が落ちる。出勤までそれなりの時間があり、こうなっては二度寝する他ない。
 ヒトハはピシャリと窓を閉め、クローゼットの隅から最近仕舞ったばかりの冬用毛布を引っ張り出した。それと今使っている布団を合わせれば、きっと耐えられない寒さではないだろう。

(起きたら直ってないかなぁ)

 温かな毛布に包まりウトウトと瞼を下ろす。
 しかしそんな淡い希望も虚しく、わずかな睡眠の後、ヒトハは自分の大きなくしゃみに驚いて目を覚ましたのだった。

「ん~……」

 かじかんだ指先をエプロンの紐に引っ掛け、姿見の前で体を捻る。ヒトハは眉間に皺を寄せながら、鏡の先を睨みつけた。指先の感覚が鈍いからか、いつものように上手く結べない。まるで冷蔵庫の中に放り込まれたかのようだった。

(そういえば、学園内の室温調節は妖精たちがしてるんだっけ?)

 いつも通りを諦め、魔法の力を借りてリボン結びをしながら思い出す。
 普通の空調ではこれほどまで寒くなることはない。つまり、この学園の空調は“普通ではない方法”で管理されている。妖精たちが魔法を使って調整してくれているのだ。妖精の郷にいるという妖精たちは季節を司っており、四季の変わり目に“季節を運ぶ”という役割を担っているらしい。学園内の室温管理なんてお手のものなのだろう。
 そこでヒトハは、突然湧いてきた違和感に首を傾げた。

(あれ? でも、これ誰に教えてもらったんだっけ?)

 先輩だっただろうか。でも、妖精の郷の話なんて一体いつ聞いたのだろう。
 ヒトハは部屋から出る最後の仕上げに、チェストの上にある杖を腰に挿し、いつも身につけている耳飾りを手に取った。クローゼット近くの姿見の前に戻り、冷たい金属に苦戦しながら耳に着ける。まっすぐに前を見据え、そして「ん?」と思わず声が漏れた。

「こんなの持ってたっけ……?」

 ヒトハは再び耳たぶに指を添えた。炎の如く赤い宝石が、ちらちらと輝きを主張している。こんなに高価そうなものを買った覚えはないし、買おうとしたこともない。しかも、この宝石は魔力を帯びている。この宝石は間違いなく魔法石だ。天然の魔力に加え、わずかに“彼”の魔力を感じる。
 そうだ、これはクルーウェルがくれたものだった。

「先生がくれた? でも、いつ? どうして?」

 ヒトハは鏡の前で狼狽えた。黒い箱から出して耳に着けてくれた光景と感覚が、うっすらと記憶に残っている。けれど、そのシチュエーションに覚えがない。布の束やミシン、トルソーが目一杯詰め込まれた部屋に、行った覚えがないのだ。その違和感は静かな水面に投げ込まれた小石のように、ヒトハの中で大きく波紋を広げていった。
 こんな高価そうなものを貰ったのなら、必ず覚えているはずだ。それに、自分はごく自然に耳に着けようとしていた。一体どうして覚えのないアクセサリーを着け慣れているのか──
 ドンドン! と拳を叩きつけるような音を聞いて、ヒトハは素早く顔を扉に向けた。

「は、はい!」

 慌てて扉を開き、目の前に飛び込んできた赤いネクタイに驚く。

「先生?」
「おはよう。いい朝だな?」

 突然の訪問者──クルーウェルは嫌味な声を隠そうともせずに言い、唖然とするヒトハにじとりとした目を向けた。

「いるなら最初のノックで返事くらいしろ」
「ノック、したんですか?」
「した。呼び鈴もな」

 彼は不貞腐れたように答え、半端に開いた扉を押し広げ、片足だけ室内へ踏み込んだ。

「今朝からずっとか?」

 ヒトハは問われた内容がすぐには思い浮かばず、ぱちぱちと目をまばたいて答えた。シルバーグレーの瞳が怪訝そうに細められて、遅れて彼が空調のことを言っているのだと気がつく。

「えっと、早朝からです」
「早朝? こんな寒さをよく耐えたな」

 クルーウェルは呆れ顔でヒトハの首元から足元まで視線を落とすと、ヒトハの背に手を添えて無理やり部屋の外へと押し出した。

「仕度は終えたな? さっさと朝食に行くぞ。こんなところにいては風邪をひく」
「え? ──あ! 待ってください!」

 クルーウェルは鍵をかけようとするヒトハを置いて、食堂への道を歩き始めている。ヒトハはその背を小走りで追った。コートの隣にピタリと並ぶと、彼は緩めていた歩調を少し早めた。

「学園内の空調がどこもおかしくなっているのは知っているか?」

 ヒトハは「あー……」と言葉を濁した。

「他の部屋のことはまだ聞いてないですが、なんとなく察してます。学園内の空調は妖精たちが管理してるんですよね?」
「よく知っているな。話が早くて助かる」

 クルーウェルは今日の早い時間に学園から連絡を貰い、いつもより早く出勤したのだという。全寮と学園内の施設の空調がおかしくなっていると説明を受け、解決するまでは授業は一時中止とのことだ。それに浮かれている生徒たちはさておき、教師たちは埋め合わせをどうするかで頭を痛めているらしい。これまでの経緯を説明するクルーウェルの顔には、朝の時間帯にもかかわらず疲労が垣間見えた。
 そんな中、彼がヒトハの部屋までやってきたのは、早めの出勤ついでに状況の確認と朝食を共にしようと思ったからだ。

「まさかあんな寒いところで二度寝をしているとはな……」
「だって、それ以外方法がなかったんですもん。先生は学園の外に住んでるから関係なくていいですよね」
「お前も麓の街に家を借りればいいじゃないか」

 窓を開け放ち外気を取り込む大食堂の片隅で、ヒトハは温かなコーヒーを片手に口を尖らせた。

「だって、家賃もったいないですし」

 いくら名門校とはいえ、清掃員の給料は教師ほど良いものではない。将来のために貯蓄はあるに越したことはなく、切り詰めるところはしっかり切り詰めていかねば。
 ヒトハがムキになって言い返せば、彼は尖った犬歯をちらつかせながら笑った。

「そういえば、お前は住より食だったな?」
「うっ、そんなこと……ありますけど……」

 そんな雑談を続けている最中「あぁ! クルーウェル先生!」と声高に名前を呼ばれ、クルーウェルはぎゅっと眉根を寄せた。かと思えば、振り向きざまに笑顔を張り付ける。

「おはようございます、学園長」

 食堂の椅子から立ち上がる彼に倣って、ヒトハも腰を上げた。

「おはようございます。おや、ナガツキさんもご一緒で?」

 学園長は食堂に声を響かせながら、一直線にこちらへ向かって来ていた。挨拶をすればにこやかに返してくれるものの、どこか焦った様子だ。彼はクルーウェルの前に辿り着くなり、声を落とし、「ちょっといいですか?」と早口に言った。

「実は、妖精たちに魔力を供給している魔法石が盗まれていたことが判明しまして」
「ああ、空調管理の。盗難ですか? 部外者の侵入は難しいはずですが、一体誰がそんなことを?」
「いや、それが、実は“妖精”で……」

 学園長は言いにくそうに言って、遠慮がちにヒトハをちらりと見やった。

「対処については寮長会議で決まりましたので、その件で今から先生方にご説明をと思いまして」

 こんな朝っぱらから寮長たちも大変なことだ。
 ヒトハは学園長からクルーウェルに視線を移した。タイミングを合わせたかのように互いに視線がぶつかって、何も言わないまま学園長に向き直る。このアイコンタクトは「それではまた後で」という意味だ。

「ちょうど今、朝食を終えたところです」
「それは良かった。それでは、そろそろ皆さんお集りですので」

 学園長はクルーウェルを引き連れて去る間際に、「ああ」と思い出したかのように振り返った。

「関係者の皆さんには後ほどご連絡しますので、少しの間待機をお願いしますね」
「分かりました」

 ヒトハは学園長の指示に素直に頷いた。自分たちへの連絡は教師陣への説明の後だろうから、しばらくは休憩時間のようなものだ。
 彼らが遠のいたのを見届けると、ヒトハは椅子に腰を下ろしてコーヒータイムを再開することにした。食堂の窓から取り込んだ外気が、温かだったカップをいつの間にか冷やしてしまっている。

(私も何か手伝えたらいいんだけど)

 そうは思ってみたものの、自分はこの学園の教師たちのように頭がいいわけでもないし、魔法ができるわけでもない。何か役に立つことがあればいいが、妖精相手ともなれば指を咥えて見ていることしか出来ないだろう。
 そこまで考えて、急に違和感が湧いてきた。今日はずっとそうだ。何をしても違和感が纏わりついてくる。

「うーん」

 冷え切ったカップを両手で包んで考え込む。この違和感の正体を、あと少しで掴めそうな気がするのだ。
 暗い水面を睨みながら今日の出来事を反芻するヒトハの思考を遮ったのは、この緊急事態に相応しくない、のんびりとした声だった。

「ヒトハちゃん、おはよう」
「わ!? お、おはようございます、先輩……」

 ヒトハは慌てて立ち上がった。先輩は穏やかな顔でうんうんと頷く。

「はい、おはよう。今日の仕事のこと、もう聞いたかな?」
「えっと、実はまだ聞いていなくて──」

 飲みかけのコーヒーカップを置き去りに、先輩の話に耳を傾ける。話は清掃員たちの今日の仕事についてだ。学園長からお触れが出たのか、いつもと配置が違うようである。
 この話を機に、ヒトハはつい先ほどまで考えていたことを頭の中からすっかりと消し去ってしまったのだった。

 それではまた後で、というクルーウェルとの約束が果たされたのは、ほんの一時間後のことだった。空調が狂った校舎の代わりに外仕事を任せられたヒトハは、なぜか上機嫌な彼と鉢合わせることになる。彼は「ナガツキ」といつもよりわずかに弾んだ声でヒトハを呼び止め、「ついて来い」と有無を言わさず歩き出した。

「突然何かと思えば、 図書館ですか」
「ああ、妖精についての知識が欲しい。ある程度は心得ているつもりだが、手を抜くわけにはいかん」

 半ば強制的に連れて来られたこの場所は、ナイトレイブンカレッジが誇る知の宝庫──図書館だ。ヒトハは天井まで届く書架を見上げながら途方に暮れた。この膨大な蔵書。一体どれだけの数の関連書籍があって、どれを持ち出せばいいのか。

「妖精ってことは今回の事件に関係するんですよね? 何かするんですか?」

 それらしき書架の前でピョンと跳ね、浮遊する本を手にしたヒトハは、パラパラと捲りながら問いかける。彼は彼で思い当たる本があるのか、背表紙の掠れかけた文字を目で追いながら「そうだ」と短く答えた。

「俺たちは手伝いだ。メインは仔犬どもがやる」
「手伝い? 私も?」

 本を閉じて、ヒトハはパッとそれを手放した。本はふわふわと勝手に宙を泳いで、元いた場所に帰っていく。
 クルーウェルはヒトハの空いた手に厚い本を載せると、にやりと笑った。

「当然、お前もだ。妖精から魔法石を取り返すぞ」

 クルーウェルはあっという間に欲しい本を揃えると、ヒトハを連れて駐車場へ向かった。移動の間、彼は今回の事件についてと、魔法石を取り返す作戦について語り始める。

「フェアリーガラ?」
「そう。妖精たちの春の祝祭だ」

 よほど時間がないのか、クルーウェルの歩調はいつもより速く、それに従って説明も駆け足だ。

「ガラ……ああ、ファッションショーですね」
「ほう、よく知っているな?」

 意外そうな声を聞いて、ヒトハは顔を上げた。

「え? だって、前に先生がガラはファッションの祭典だって言って……」

 クルーウェルがいつものように饒舌に語っている姿を思い出しながら、ヒトハは続けた。

「だから、フェアリーガラも妖精たちのファッションショーじゃないかなって。それで私たちは、生徒たちに服を……あれ?」

 言いながら首を捻る。生徒たちに服を作るだなんて、一体誰が言ったのだろう。
 混乱するヒトハを見て、彼は「やけに察しがいいな」と眉を上げた。

「そう、仔犬どもに服を仕立ててやり、ファッションショーに参加させて魔法石をあしらった女王のティアラを偽物とすり替える。もしや、もう誰かから聞たのか?」
「え、えっと……」

 誰かに聞いてなどいない。それだけははっきりと言えた。彼と再開するまでの間はそれほど長くはなく、言葉を交わしたのも同僚たちや先輩くらいのものだったからだ。
 しかしクルーウェルは不思議そうな顔をしながらも、それを追及することはなかった。
 気がつけば、ヒトハはクルーウェルの愛車の前にいた。彼はヒトハの抱えていた本をさっと取り上げ、上着と共に車に積み込む。

「そういうわけだから、お前は今日から俺の補佐だ。ショーに間に合うように急いで衣装を仕上げるぞ」

 了解もなく開かれた扉の先を見て、ヒトハは踏み出すのを躊躇った。
 見知った革張りの座席シート。車内の匂い。知っているはずの場所なのに、なんだか知らない場所のような気がする。これから彼の家に行くのだと分かっているのに、乗ってしまったら、どこか違うところへ連れて行かれるような気もした。

「どうした?」
「い、いえ……」

 そのまま突っ立っているわけにもいかず、ヒトハは仕方なく片足を車内に踏み入れた。シートに座り、シートベルトを締める。運転席に乗り込む男の気配を感じながら、ヒトハはフロントからサイドガラスに目を移した。車はゆっくりと動き出し、高台にある学園は遠く向こうへ消えていく。

 “これから自分は学園の仕事から離れて、クルーウェルの手となり足となり、フェアリーガラの成功に尽くすのだ”

 車を降り、彼の家に入り、踏み込んだことのなかった作業部屋に圧倒され、図書館で借りた分厚い本を読む。寝る間を惜しんで作り上げた衣装を前にため息をこぼし、その美しさに胸を震わせる。それが見てきたかのように分かる。──思い出せる・・・・・・

(これって……)

 エンジン音が心臓の音にかき消されていく。ヒトハはサイドガラスを食い入るように見つめた。反射している自分の顔は青白く、その後ろでハンドルを握っている彼の姿が、今はもう、何かとても恐ろしいもののように思えた。
 自分は一体どうなってしまったのだろう。
 ヒトハはついに目的地までサイドガラスから目を離すことができなかった。
 すべてが歪んで見える世界の中で、そこに見える赤い宝石だけが、確かな輝きを放っていた。

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