清掃員さんとフェアリーガラ

05

 フェアリーガラ当日。
 ヒトハはイデアの協力のもと、植物園の温室に忍ばせたドローンで会場の様子を見守っていた。妖精は人間の気配には敏感だが無機物に対してはそれほどでもないらしく、温室の高いところから会場を撮影していても気がつく様子はない。
 校舎の一室にて、ヒトハの隣ではクルーウェル、ヴィル、イデアが同じくモニター越しに会場の様子を見守っていた。ただしイデアはドローンの提供と操作をしているだけなので、あまり興味はないようだ。ヴィルとクルーウェルから口うるさくドローンの指示をうけるたびに、帰りたそうにしている。
 フェアリーガラに出るための準備期間として彼らに与えられたのは、ほんの数日程度。指導は主にプロであるヴィルの手によるもので、自他共に厳しい彼らしくハードなレッスンである。レオナに至っては水入りの花瓶を頭に載せて歩くなんていうサーカスのような猛特訓だ。
 最初のうちのヒトハの仕事は、彼の落とした花瓶と水の片付けだった。花瓶は修復魔法である程度は戻るが、飛び散った水を一滴残らず瓶に収めることはできない。ただでさえ着慣れない服、履き慣れない靴である。主役たちが濡れた床で足を滑らせて怪我でもしたら大変だから、手を抜くわけにはいかなかった。
 この特訓は朝から晩まで続き、ヒトハも当然付き合った。ランウェイを歩かないオンボロ寮のふたりと共に、掃除だけではなく彼らの世話に至るまで、とことん働いた。その結果。

(眠い……)

 ヒトハは色とりどりの花で飾られた会場の様子を見ながら、欠伸を噛み殺す。もう何度目になるだろう。
 さすがに眠い。あともう少しだから、みんなも頑張っているからと張り切り過ぎた代償を、よりによって今払わされている。あともう少し待って欲しいと思うのに、気を抜いたら頭が揺れてしまいそうだった。
 実のところ、こんなに酷い疲労を抱えているメンバーは他にはいなかった。
 生徒たちは猛特訓をしていたと言っても衣装が出来上がるまでは待機だったし、そもそもヒトハとは体力に差があり過ぎる。クルーウェルはヴィルの特訓が始まってからは「別の仕事がある」と言って時々様子を見に来るくらいだったから、最初から最後までつきっきりだったのは、自分一人だけだったのだ。

(一番体力ないのに……一番無茶しちゃった……)

 己の愚かさに欠伸は止まらないが、それでも後悔はない。
 特訓を重ねる度にレオナのウォーキングも、カリムとジャミルのダンスも上達していくのがよく分かったし、その度に衣装が一段、また一段と輝いていった。美しく着こなされるまでの過程を見てきたからこそ、フェアリーガラの衣装はヒトハにとって思い入れのある衣装になったのだ。

「始まったわ」

 ヴィルの声を皮切りに、鈴の音が一斉に反響する。会場中を満たしたその声は、画面を突き抜けて教室に響き渡った。

「みんな何て言ってるかは分からないけど、盛り上がってるのは分かりますね」

 ヒトハは身を乗り出して画面に見入った。大きさも、種族もさまざまな妖精たちが中央に伸びる一本の道――ランウェイに釘付けになっている。
 クルーウェルのデザインした衣装は色に満ちた会場内を引き締めるかのような“白”。白は雪の季節を表し、植物と生き物たちをモチーフにした金銀の装飾は、その先の命が芽吹く季節を表している。妖精たちは、この衣装に何を思うのだろう。
 花びらが舞う中、カリムとジャミルのダンスの間を堂々と歩くレオナ。盛り上がりに合わせて鈴の音が激しく響く。それはランウェイの先まで高まり続け、レオナが体を包み込むほどの大きな布を宙に舞わせたところでピークに達した。

(――あ、すり替わった)

 全員の視線がレオナに釘付けになっている瞬間、温室の様子をドローンで俯瞰していたヒトハは、その様子に気がついた。女王に忍び寄ったラギーが、驚くほどの速さでティアラを偽物とすり替えたのだ。そうしている間にもレオナがランウェイの先で踵を返し、来た道を戻って行く。
 絶えることのない歓声の中、背を向けて歩いていく彼らの姿を見ながら、ヒトハは知らずのうちに胸が熱くなっていたことに気がついた。

「どうした? 泣いているのか?」
「へ?」

 隣からクルーウェルの驚いたような声がして、ヒトハは反射的に目元を拭った。いつもの白い手袋にポツンと染みが浮かんでいる。

「あれ!? えっと、なんか、勝手に出てきて……」

 悲しいわけではない。痛いわけでも、辛いわけでもない。それでも涙は自然にこぼれた。
 ぼろぼろと頬に伝い落ちる涙を乱暴に手で拭おうとすると、クルーウェルは「肌が荒れる」とヒトハの手を制し、濡れた目元を布で丁寧に拭う。そのまま押し付けられるように受け取ったぶち模様のハンカチを見下ろして、ヒトハはスンと鼻を啜った。

「鼻はかむなよ」
「あい……」

 クルーウェルは目と鼻を赤くしたヒトハの顔を見て、目を細めて笑った。

「真に美しいものは心を動かす。最初に言っただろう? 『最高のファッションショーを見せてやる』とな」

 ヒトハは画面を見ながら、こくりと頷いた。

「私、綺麗なものを見てこんなに感動したのは初めてです。……今日のことは、一生忘れないと思います」

 涙の膜できらきらと輝く会場の様子を目に焼き付けながら、ヒトハは囁くように呟いた。

「本当に綺麗……」

 きっと、これからも綺麗なものを見る機会はたくさんあるのだろう。同じように涙を流すこともあるかもしれない。それでも今日の光景は人生で一度きり。この感動も、一度きりだ。
 ヒトハは宝物を手に入れたかのような幸福感に満たされながら、中継が終わるまでずっと、モニターを見つめ続けたのだった。

「はー眠い……」

 誰もいない教室で、ヒトハは気だるげに呟いた。
 フェアリーガラを終えてすぐ、クルーウェルとヴィルは生徒たちを労うために教室を出た。彼らのいた温室は校舎から少し離れているから、急がなければ待たせる――もしくは、さっさと解散されてしまうと思ったのだろう。ナイトレイブンカレッジの生徒の協調性のなさは筋金入りである。ドローン撮影に協力してくれたイデアもずっと帰りたかったようで、残されたヒトハと目を合わせると、気まずそうに背を丸めて「オルトが待ってるんで」とそそくさと帰ってしまった。
 彼の弟であるオルト・シュラウドはヒューマノイドだというが、聞くところによると最近“心”を得たのだという。以前クルーウェルが興奮気味に語っていたのだ。魔道工学の革命だとか、ヒューマノイドの進化の形だとか。
 もしかして、今頃オルトもフェアリーガラの映像を楽しみにして兄の帰りを待っていたりするのだろうか。
 兄弟の微笑ましさに再び胸を熱くさせながら、ヒトハは教室の片づけをして帰ることにした。先ほどまで興奮で忘れていたが、もう眠さも疲労も限界だ。ランウェイを歩いた生徒たちに会って労いたい気持ちはあったが、それはクルーウェルとヴィルが十分にやってくれることだろう。

(帰ったら家も片付けないと……)

 フェアリーガラの準備で忙しくしている間ほったらかしにしていた部屋を憂鬱に思いながら、ヒトハは誰に悟られることもなく、静かに教室を出た。まだ授業は再開していないから、校舎にはほとんど人がいない。狂った空調もそのままで、この教室はまだましというだけのものだった。
 とぼとぼと校舎を出て、冬の冷たい風に吹かれる。クルーウェルと一緒に調べたことが本当なら、これから妖精たちはツイステッドワンダーランドに春を届けに回るはずだ。

「早く春、来ないかなぁ」

 ヒトハはこのところ口癖になっている言葉を呟いた。これを言っていると、一緒に働いていたグリムから「フェアリーガラが終わってねーんだから来るわけねーんだゾ」と呆れられたものだった。

「眠い……」

 ヒトハは口に手を当て、大きな欠伸をした。空は夕焼けのオレンジと藍色の堺にある。一日の終わりを感じ、それが余計に眠気を掻き立てた。
 このまま家に帰って寝たいところだが、実はこの後にはひとつ用事がある。すぐに帰るわけにもいかない。
 ヒトハは限界を感じて、途中で目に入ったベンチにふらふらと歩み寄った。普段はあまり座らないベンチだが、そこからはちょうど温室の天辺――フェアリーガラの会場が見えるのだ。

(ちょっとだけ仮眠して行こう)

 ヒトハはベンチに腰を下ろして深く長い息を吐くと、目を覆った。
 まさか、その様子を見ている者がいるとも知らずに。

***

 火の妖精はかつてないほど興奮していた。

 ――彼女がいる! このフェアリーガラの開催地に!

 妖精にとって人間の顔を見分けるのは難しいことだが、あの日渡した魔法石を耳飾りにしていたから、すぐに分かった。
 毎年恒例のフェアリーガラ。このめでたい日に、命の恩人に再び出会えるとは。
 ショーが終わった後、今日一番注目された“白い衣装の妖精たち”の話で持ち切りの会場からこっそりと抜け出したら、目を覆ってベンチに座り込んでいる彼女を見つけたのだ。
 火の妖精は話しかけたい気持ちをぐっと堪えて、来た道を戻った。外の空気を吸うだけだからと、うっかり翻訳機を置いて来てしまったのだ。それに、友人にも早くこのことを伝えたかった。
 彼は転がり込むように戻った会場で、「あの白い衣装のデザイナーは誰だ」と話し込む友人に慌てて声をかけた。彼は大慌ての火の妖精に気がついて「どうしたの!?」と驚く。

「人間がいたんだよ!」
「人間? 確かに今回の開催地にはたくさんいるみたいだけど……」

 ものづくりの妖精は話し込んでいた仲間たちと顔を見合わせて首を捻る。友人が慌てている理由が、まだピンときていなかった。

「ドワーフ鉱山の!」

 火の妖精はもどかしさに羽をばたつかせた。少し前に話したことだから忘れているかもしれないが、ものづくりの妖精はあの日、人間との再会を願ってくれたのだ。
 火の妖精は宙をくるりと飛んで円を描いた。妖精の粉がきらきらと宙に残り、その中に先ほど見てきた光景が浮かび上がる。ベンチに座って目を覆っている、彼女の姿だ。
 そこにいた妖精たちは人間の姿に眉をひそめたが、ものづくりの妖精はそれを見上げて、「ああ!」と手を叩いた。

「キミが助けてもらったっていう人間だね!」
「そう! だから彼女に声をかけたくて――」

 そのとき、喜ぶ二人の間を割って「あっ!」と声が飛び込んできた。

「女王様、あの人間です!」

 振り返ると、そこにいたのは美しく光り輝く黄金の身体と羽を持った妖精――妖精の郷の女王と、その従者たちだった。従者の一人、水の妖精が先ほど宙に映し出した人間を指差している。

「女王様」

 火の妖精とものづくりの妖精は、突然現れた女王に戸惑いながらも恭しく頭を垂れた。
 女王は彼らをねぎらうように優しい笑みを浮かべると、水の妖精に視線を移した。

「“あの人間”とは?」
「ものづくりの妖精たちが宝石を運んでいるときに、助けてくれたという人間です。彼らが同じように見せてくれました。あの人間には恩があると」

 水の妖精はハキハキとした声で答えた。
 女王はそれを聞いて、ほっそりとした手を口に当てて驚く。

「まぁ! あのカラスに襲われたという……」

 女王の頭には虹色の輝きを持つ宝石が飾られている。この地に来た日に、ものづくりの妖精たちが見つけて来てくれた宝石だ。ここはカラスが多く、火や水の妖精のように戦う力を持たないものづくりの妖精たちは、宝石を運ぶのに相当な苦労をしたのだという。彼らがカラスに襲われ「もう駄目か」と思った矢先に人間がカラスを追い払ってくれた、という話は、女王の耳にも届いていた。
 女王はベンチで目を覆っている人間の姿にもう一度目をやり、火の妖精に訊ねた。

「彼女は貴方たちとどういう関係なのですか?」
「どっ、ドワーフ鉱山で、命を救われたのです」

 火の妖精は声を震わせた。
 美しく聡明な女王様。どんな妖精にも分け隔てなく接してくださる優しい方。分かっていても、心は怯んだ。数多くいる火の妖精の一人でしかない自分にとっては、雲の上の存在だ。
 女王は火の妖精の答えを聞くと、美しい蜂蜜色の瞳を細めて微笑んだ。

「それでは彼女は、二度も妖精の命を救ってくれたのですね」

 そして脇に控える従者たちにも言って聞かせるように、一人ひとりに目を向ける。

「妖精の郷の女王として、恩を返さねばなりません」

 女王が目の前に差し出した手に金の光が集まり、大きな光の玉になる。それは次第に形を持ち、やがて“手鏡”の姿となった。

「この鏡は三つの願いを叶えてくれる魔法の鏡です。そのうちの一つを、彼女に贈りましょう」

 光を纏った鏡は女王の手の上でふわふわと浮いている。回転しながら周囲の様子を映し出し、その美しい鏡に誰もが見入った。
 女王はその鏡を火の妖精に差し出す。

「彼女の願いを叶えてきてくれますか?」

 火の妖精は突然与えられた役割に戸惑ったが、隣で様子を見ていたものづくりの妖精に小突かれて、慌てて両手を差し出した。
 その手に載せられた鏡を両手で握り、視線を落とす。鏡面は森の奥にある清らかな泉のように美しく、火の妖精の惚ける顔をはっきりと映していた。

(た、大変なお役目をいただいてしまった……!)

 途端に沸いてきた緊張と喜びが胸で混ざり合い、それはすぐに興奮に変わった。
 一刻も早く、彼女にこれを届けなければ。

「おっ、お任せください、女王様! 彼女の願いを叶えて参ります! すぐに!」

 火の妖精は勢いよく言い放ち、慌てて飛び立った。
 彼女を見かけてから、まだそれほど時間は経っていない。運が良ければ同じ場所にいるだろう。もしいなくとも、この地にいるはずなのだから、見つけるのは容易いはずだ。
 このとき、火の妖精の頭から一番大事なものがすっぽりと抜け落ちていた。人間と意思疎通を取るのに必要な物――翻訳機のことが。

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