清掃員さんとフェアリーガラ

04

 今回のフェアリーガラのテーマは『ファビュラス』。とてもラグジュアリーでゴージャスで、華やかなイメージなのだという。それに相応しい人選としてレオナとカリムが選ばれ、彼らの指名を受けてラギーとジャミルが選ばれた。王族と富豪という人選は今回のテーマにぴったりではあったが、ヒトハは最初レオナが首を縦に振った理由が分からなかった。めんどくさいとかなんとか言って、嫌がる姿が真っ先に頭に浮かんだのだ。

「寮内がかなり寒くなっていたようでな。獣人属は寒さに弱い者が多い。普段はああだが、あいつも群れのボスをしっかりやっているということだ」
「レオナくんって……」

 ヒトハはトルソーの前で片膝をついて、レオナが着る予定の衣装にコサージュを飾った。タッセル付きの大きな白い花で、腰に巻く帯を留める役割を担っている。

「動きにくいとかなんとか文句言いながら、しっかりやってくれそうですよね」

 ヒトハは立ち上がり、少し遠くで衣装の仕上がりを確認しているクルーウェルに振り返った。彼は疲れた顔にほっとした笑みを浮かべ、小さく頷く。

「あの駄犬もやる時はやる。お前の努力も無駄にはしないだろう」
「そうですね。あとは生徒たちを信じるだけです」

 ヒトハはクルーウェルの隣に並んで、目の前に整列する衣装を眺めた。
 フェアリーガラの衣装作りに取り掛かって数日。目が回るような忙しさに寝食を忘れ、生活の何もかもを犠牲にし、やっと全員分の衣装が仕上がった。作業部屋は最初の頃よりも荒れ果てて掃除も一苦労という惨状ではあったが、衣装の周りだけは明るく、眩しいまでに輝いている。
 それぞれ白地に金、もしくは銀のあしらいが施された衣装はテーマの『ファビュラス』なゴージャスさを持ちながら、上品な仕上がりに落とし込まれていた。妖精の羽をモチーフにした模様と頭部を飾る草花は、洗練された衣装に自然の柔らかさを添えてくれている。厳しい雪の季節を越え、春の芽吹きを思わせる衣装──フェアリーガラのランウェイに、これほど相応しい衣装はない。
 ヒトハはその美しさにため息をついた。

「とっても疲れたし眠いし大変でしたけど、でも、すごく綺麗です。ずっと見ていたいくらい……」
「自分が手掛けたものなら尚更だろう。本番はもっと凄いぞ」

 クルーウェルはあたかもそんな光景を見て来たかのように言った。彼にはもう、フェアリーガラのランウェイが鮮明に思い描けているらしい。
 そこでヒトハは、ずっと疑問に思っていたことを思い出した。

「そういえば先生、なんでこんなに服を作るのが上手いんですか? 趣味にしては本格的すぎるような……」

 クルーウェルが作った服は明らかに素人が作れるものではない。服作りはおろか裁縫もできないヒトハでも、その手際の良さと完成度は並大抵のものではないと分かった。以前ドレスを仕立ててもらった時は「趣味も極めたらこうなるんだなぁ」なんて呑気に思っていたものだが、もはや趣味の範疇を遥かに超えている。
 クルーウェルは「そういえば言ってなかったな」と思い出すと、なんともないような顔で言った。

「俺は元々アパレルで働いていたんだ」
「……アパレル?」

 と数秒考えた後、ヒトハは「ええっ!?」と飛び上がった。なんと彼は転職して教師になったうえに、前の仕事は錬金術も魔法薬も一切関係ないアパレル業界だったのである。

「な、なんでいきなり教師に……!?」
「さぁ、なんでだと思う?」

 ぶるぶる震えるヒトハを見て、クルーウェルは意地悪に笑った。

「今も服は好きだが後悔はない。仔犬どもの世話は嫌いではないし、面白いやつにも会えたしな」
「面白いやつ……?」

 オンボロ寮の監督生とかグリムのことだろうか。確かにナイトレイブンカレッジは極東の田舎ではお目にかかれないような個性的な生徒や教師が多い学園である。それを言えば、彼だってそうなのだが。

「なんか先生、突然仕事辞めてアパレルに戻っちゃいそう」

 こういうフットワークの軽い人は、たとえ順風満帆でも突然いなくなって次の場所に行ってしまうと相場が決まっている。
 ヒトハが疑うような目で言うと、彼は「そうだな……」と顎をさすった。

「もしそうなったら、お前をアシスタントとして連れて行ってやるから安心しろ」
「アシスタント……?」

 それはつまり、つい先ほどまでやっていたような細々とした雑用とか、ちまちまとした縫物とか、あれを取ってこいだとか、これじゃないだとか、顎で使われる仕事のことだろうか。

「私、それならお掃除係がいいです……」

 ヒトハが嫌そうに顔を歪めると、クルーウェルはプッと噴き出した。

「掃除係でもついて来るつもりか? まぁ、俺は構わんが」
「え? ──あっ!? 今のなしです、なし! 転職しないでください!」

 慌てふためくヒトハに煽られるように、クルーウェルは声を上げて笑った。
 その清々しい声を聞いていると、釣られて笑いが込み上げてくる。堪えきれなくなって、ヒトハも大きな声で笑ったのだった。

「これで全部かな?」

 ヒトハは最後の衣装ケースを置いて、広い室内をぐるりと見渡した。
 ポムフィオーレ寮のボールルーム。天井から柱に至るまで豪奢な装飾に覆われ、壁には巨大な鏡、壁沿いにはバレエスタンドが並んでいる。美を重んじるヴィルのもとで寮生たちがレッスンを行う大広間だ。今回はフェアリーガラのファッションショーに向けて、モデルである生徒たちがウォーキングの特訓を行うために使用される。
 ボールルームにはすでに生徒たちが集まっていた。レオナ、ラギー、カリム、ジャミルの四人と、オンボロ寮の監督生とグリム。そして今回彼らを指導をするというヴィルである。
 着いてすぐクルーウェルがヴィルとレッスンについての話を始めたので、ヒトハはそれを横目に、持ち込んだ衣装ケースを開いて小物の整理をすることにした。衣装ごとにアクセサリーや装飾が異なり、取り違えては大変なことになってしまうからだ。
 髪飾りを取り出そうと背を丸めた時、ヒトハはふと視界の隅に光るものを捉えた。
 振り返った先では、ボールルームの鏡に写り込んだ自分が呆けたような顔でこちらを見ている。動きやすいようにと作業着に選んだいつもの制服と、邪魔にならないように纏め上げた髪。いつもと変わらない自分の姿。唯一、耳元の輝きだけは特別だった。ヒトハは魔法石を親指で触り、こっそりと頬を緩ませる。
 クルーウェルからこの耳飾りを貰ってからというもの、気に入って身に着けているのだ。地味な制服が華やかになるような気がするし、魔法石としての実用性もある。窓や鏡に映り込むたびに気分も上がった。何より、この魔法石にはキャンプでの思い出が詰まっている。
 見るたびに頭の片隅で考えるのだ。あの妖精はあの後どうなっただろうか。今、どうしているだろうか。またどこかで会えるだろうか──

「魔法石ですか」
「あっ、ジャミルくん」

 鏡越しに目が合って、ヒトハは振り返った。まさか、ニヤニヤしているところを見られただろうか。
 ヒトハはゆるんだ頬を慌てて引き締めた。

「ええ、魔法石です。よく分かりましたね」
「アジーム家にはたくさんの宝物がありますし、見ていたらなんとなく見分けがつくようになったんです。魔法石は魔力も帯びていますしね」

 カリムの実家、アジーム家は熱砂の国の豪商である。そこに仕えているジャミルは、自分が一生かかっても見れないほどの宝石を見てきたのだろう。
 耳飾りの魔法石はそれらの質の足元にも及ばないだろうが、彼はそれでも「いい魔法石ですね」と褒めてくれた。

「スカラビア寮の魔法石に近い色だからか気になってしまって。ハーツラビュルにも似ていますが……」
「ああ、グラデーションがかかってるからかも。私は炎みたいな色だなって思ってます」

 魔法石の色は各寮で異なる。赤色と言えばハーツラビュル寮とスカラビア寮だが、ヒトハが持つ魔法石はどちらの色でもなかった。夕日のような、朝焼けのような赤が端に向かってオレンジに滲んでいる。あのとき出会った妖精を思い出すような赤──炎の色だ。
 そういえば、とヒトハは鏡に写る耳飾りからジャミルに目を移した。

「ジャミルくんも一緒にフェアリーガラに出ることにしたんですね」

 ヒトハが問うと、彼は苦々しい顔をして、「ええ、まぁ」と歯切れ悪く答えた。

「こういう面倒ごとに巻き込まれたら『一旦持ち帰って検討します』と言えと、あれほど言ったんですが。カリムが出るなら俺が出ないわけにもいかず……」

 ジャミルの視線の先には、クルーウェルから受け取った衣装を「凄い!」とにこにこしながら眺めるカリムの姿がある。
 お人好しな彼は、きっと曲者ぞろいの寮長たちの中で仕事を押し付けられて、つい頷いてしまったのだろう。そうなると分かっているから、ジャミルは「一旦持ち帰ります」と言わせようとした。けれど彼の性格では、それも難しかったようだ。

「カリムくんらしいと言えばカリムくんらしいですね……」

 ヒトハが苦笑した瞬間、パンッとひとつ手を叩く音がした。ボールルームのざわめきが止み、しんと静まり返る。
 部屋の中央に立つヴィルは、全員の視線を集めながらぐるりとボールルームを見渡した。

「早く着替えてきて頂戴。本番まで一分一秒も無駄にはできないわ」

 冷ややかな声が響き渡る。それはこれから始まるレッスンの厳しさを物語っているかのようだった。

「わぁ……!」

 着替えを終えた生徒たちを前に、ヒトハは目を輝かせた。それほどに、フェアリーガラの衣装を纏った彼らは美しかった。本番ではさらに金に輝く妖精の粉を纏うのだというから、今以上に美しくなるのだろう。
 彼らが着ているのは普段着とは遠くかけ離れた豪奢な衣装だが、レオナ、ラギー、カリム、ジャミルの各々が持つ個性に違和感なく馴染んでいる。特にレオナは彼が持つ王族としての気品と迫力を大いに発揮していた。
 彼らの姿を見ていると、クルーウェルがデザインを始めた頃よく口にしていた「仔犬どもの魅力が最も引き立つ衣装」という言葉が思い出される。彼はこの衣装を作り上げるまでにどれほどのことを考えていたのだろう。少なくとも、言われるがまま作業をしていた自分とは比べ物にならないほど、多くのことを計算していたに違いない。
 ヒトハは隣を見上げた。自分の作った衣装を着ている仔犬たちを見て、クルーウェルは満足そうにしている。

(先生は……)

 自分の知らないところで一体どれだけ多くの経験を積んだのだろう。何を見て、知って、どう生きてきたのだろう。これだけ親しくなっても知らないことが山ほどある。ヒトハはそれに、言い様もないもどかしさを感じるのだった。

 衣装の最終的なチェックが終わると、いよいよレッスンが始まる。
 ヒトハは仕事の後片付けをしながら、こっそりと欠伸を噛み殺した。連日睡眠時間を削って仕事に専念していたものだから、気を抜くと重い睡魔に襲われるのだ。
 眠気を誤魔化そうと衣装ケースを抱え上げると、突然「ナガツキ」と声がかかった。声をかけてきたクルーウェルは、振り返ったヒトハを見て眉を上げた。

「慣れない仕事で疲れただろう? 衣装の準備は終わったから、お前はゆっくり休むといい」
「えっ」

 ヒトハは目を瞬いた。確かに自分の仕事の範囲は“衣装作りの補佐”だから、ここに衣装を持って来た時点で終わったも同然である。でも、なんとなく終わりという実感が湧かない。ゆっくり休めと言われても、嬉しさや安堵よりも戸惑いが勝ってしまうのだ。このまま彼らがランウェイを歩くまで見届けるものだと、当たり前に思っていたからかもしれない。
 ヒトハは衣装ケースをしっかり握ったまま、クルーウェルに向き直った。

「私、最後まで手伝いたいです」

 ここで仕事を終えたとしても、彼らがランウェイを歩く姿は何らかの形で見ることができるかもしれない。けれどまだ、この仕事を続けたいのだ。自分が手掛けた衣装を纏ってランウェイを歩く彼らを、最後の最後まで見届けたい。
 懇願するヒトハを救ったのは、遠くで見ていたヴィルだった。ちょうどいいわ、とよく通る声がボールルームに響く。

「オンボロ寮の監督生とグリムだけでは手が足りないと思っていたの。ここの掃除をお願いしようかしら? とっても汚れるでしょうし。いいですよね、先生?」 

 クルーウェルはヴィルが投げた視線を受け取って、それをヒトハに返した。しかたない、と眉を下げる。

「せっかく携わった仕事だからな。納得いくまでやればいい。ただし、無理だけはするなよ」

 クルーウェルの忠告を聞くより早く、ヒトハは先ほどまでの眠気を吹っ飛ばした。

「ありがとうございます! 私、頑張ります!」

 その溌剌とした声はレッスンに入ろうとしていた生徒たちにも届き、カリムが「よかったなー!」と気持ちよく歓迎してくれる。ヒトハは衣装ケースを床に置いて、彼らに駆け寄った。

「本番まで一緒に頑張りましょう!」

 おー! と拳を突き上げてくれたのはオンボロ寮のふたりとカリムくらいのものだったが、ヒトハにはもう成功の予感しかしなかった。フェアリーガラの華やかなランウェイを美しく着飾った仔犬たちが歩き、妖精たちを魅了する。そんな姿が、はっきりと鮮明に思い描けたのだった。

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