四月生まれのあなたへ
4月15日
(まさか先生の欲しいものがクラシックカーだなんて……)
その額、なんと二億マドル。二億マドルなんて、ごく一般的な給料しかもらえていないヒトハにはまったく想像がつかない金額だ。当然、教師である彼も同じだろうから、本気で手に入れたいとは思っていないだろう。
その他の欲しいものも聞き出せたが、こちらは打って変わって“満点の答案用紙”である。車に比べれば金額的には安いものの、そもそも生徒ではないヒトハには逆立ちしたって用意はできない。
生徒たちをけしかけて欲しいもののヒントでも聞き出せたらと思っていたが、ますます分からなくなってしまった。
彼は何が欲しいのだろう。何が好きなのだろう。何を贈れば喜んでくれるのだろう。考えれば考えるほど分からなくなって、憂鬱になってくる。誕生日はこの世に生まれ落ちた記念すべき日。一年で一度きりの特別な日だ。こんな気持ちで祝いたいわけではないのに。
「ヒトハちゃん、おはよ〜」
「あ……先輩、おはようございます」
突然名前を呼ばれ、ヒトハはハッと顔を上げた。朝の光で薄く透ける先輩が、のんびりとこちらにやって来る。
始業まであと三分。用具倉庫の前では同僚たちがぞろぞろと集まっていて、いつものように円を作っている。そこでふと、ヒトハは同僚たちの間にちらほらと隙間があることに気がついた。
「あれ? 今日は少ないような……」
ヒトハが首を捻ると、先輩はのんびりとした口調で「気がついた?」と笑った。
「実は今日から一週間、五人ほど休みなんだよね」
「ごっ……五人!?」
ぐるりと並ぶ清掃ゴーストたちを見渡す。言われてみれば、ハーツラビュル寮担当のゴーストたちがごっそりといなくなっているような気がする。
「みんなで旅行に行くんだって」
「旅行? 私、初めて聞いたんですけど……」
「うん、昨日決まったし」
「昨日!?」
さすがにマイペースすぎる。普通の会社だったら大問題になるところだが、しかしここはナイトレイブンカレッジ。死者を労働力として数えているような職場には、生者の常識などあってないものだ。
「だからこれから一週間、みんなの分も頑張ろうね」
「はーい」
先輩の言葉に元気よく応える同僚たち。ヒトハはまた一つ増えた悩みに、静かに頭を抱えたのだった。
「はぁ……」
とぼとぼと一歩一歩踏みしめる足が重い。突然空いた穴埋めをするために駆け回っていたら、あっという間に一日が終わってしまった。ヒトハは重いため息を吐きながら、放課後の廊下を歩いていた。
(先生の誕生日プレゼント、どうしよ……)
はぁ、と再びため息が落ちる。廊下の絵画たちが鬱陶しそうな目をしているが、それを気に留めるほどの余裕もない。
誕生日、どうしよう。まだ残業も終わってないのに。このままではあっという間に週末だ。
ヒトハはのろのろと扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。
「あれ、ヒトハさん? どうしたの?」
そこにいたのはスマホを持った手をひらひらとさせているケイト。そしてその隣で机に肘をついているカリムとお菓子を摘まんでいるリリアだった。彼らの近くにはドラム、ベース、ギターと楽器が並んでいる。
ここは軽音部の部室だ。楽器を演奏していないということは、休憩中なのだろうか。
「ちょっと残業で。今から掃除してもいいですか?」
片手に持った箒を少し掲げてみせると、ケイトは「ええ!?」と驚いた。
「残業!? もう部活動の時間だし、今日くらいはいいんじゃない?」
「いえ、お仕事ですから。そういうわけにはいきません」
「え~真面目~……」
真面目も何も、お給料が出ているのだから仕事はきっちりとこなすのが社会人というものである。ヒトハが教室に足を踏み入れると、「まぁまぁ」とリリアが手招きをした。
「掃除はいいが、少し休憩してはどうじゃ?」
「そうそう……って、なんか思いつめてないか? オレでよければ話聞くぜ」
カリムがにっこりとしながら自分の隣をひとつ空ける。
そんなに顔に出ていたのだろうか。ヒトハは自分の眉間をぐりぐりと指の腹で揉んだ。確かに少し硬いような気がする。それに気がついたら体も重いような気がしてきて、ヒトハはとぼとぼと彼らの元へ行くと、カリムの隣にすとんと座り込んだのだった。
「うーん、たしかにクルーウェル先生にプレゼントって難しいかも」
ヒトハの一昨日から続く悩みを聞き、ケイトは「んー」と困ったように笑った。流行りものに詳しい彼にも難しいらしく、「でも先生ってこだわり強そうだし」「香り物は好き嫌い分かれるし」「もう持ってそうなんだよね」と頭を悩ませている。ちなみにカリムとリリアは金額的にぶっとんでいる物か面白グッズに走るので、検討にも至っていない。
「あ、そうだ。先生ってまだ楽器演奏してるのかな? せっかく軽音部に来たんだし、音楽にちなんだものもいいんじゃない?」
ん? と首を捻る。
(楽器演奏? 音楽にちなんだもの?)
彼がサムのピアノを好んで聴いていることは知っている。以前ふたりで演奏を聞いたことがあったが、それは見事なジャズだった。しかし、楽器のことに触れたことはあっただろうか。
ヒトハが困惑していると、カリムがにこりと笑った。
「クルーウェル先生、学生時代は軽音部だったらしいぜ」
「えっ!?」
教室中に声が響く。防音でなければ廊下まで届いていたかもしれない。
軽音部。これも誕生日と同じく初耳である。そもそも、彼の口から“軽音部”という単語を聞いたことがあるかどうかも怪しい。
ヒトハの知るデイヴィス・クルーウェルは理系科目の先生であり、サイエンス部の顧問だ。だからそれ以外の部活に所属していたこと自体が意外だった。思いつくのはせいぜい手芸部くらいのものである。
「し、知らなかったです……」
ヒトハは糸が切れたように、へにゃりと机に突っ伏した。一昨日から、まったく知らない情報が当たり前の顔をして目の前に現れてくる。それも彼の口からではない、他の誰かの口からである。それがどうしようもなく腹立たしく──そして悲しい。どうして私には教えてくれなかったの。理不尽な問いだと分かっていても、考えずにはいられない。
落ち込むヒトハに、カリムは慌てて言った。
「そんなに落ち込むなって! クルーウェル先生が軽音部だったなんてオレも最近知ったしさ。そんなことより、ヒトハしか知らないことが他にいっぱいあると思うぞ! オレ、先生の嫌いな食べ物とか知らないし!」
「……………………」
そっと肩に手が触れる。ケイトが耳の後ろから「プディングだって」と囁くと、ヒトハは机に額を引っ付けたまま「う゛う~~っ!!!」とくぐもった悲鳴を上げたのだった。
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