魔法学校の清掃員さん

05 清掃員さん、引っ越しをする

 洋服、食器、調理器具、化粧品、数冊の本。もっと何かあった気がしたけれど、結局それだけだった。
 卒業後に仕事を始めてからずっと住んでいた部屋だったが、私物の量を見ると本当に長年ここに住んでいたのか疑わしくなる。

(こんなものかな)

 ヒトハは週末、久しぶりに極東にあるマンションに帰って来た。部屋を引き払う手続きは済んでいて、あとは必要なものをナイトレイブンカレッジの自室に運び込むだけだ。家具や家電は部屋に備え付けてあるし、特にこだわりはないから持って行く必要がない。潔くリサイクルなりなんなりして部屋から出してしまうと、最後に残ったのは段ボール二箱分というあまりに少ない量の私物だった。もしかして物を持たないタイプだったろうかと自分を疑ってみたりもしたが、なんということはない。この部屋にはそもそも“何もない”のだ。
 カーテンも取っ払ってしまったがらんどうの部屋は、ずいぶんと狭く、寂しい場所だった。

***

 
「今日はよろしくお願いします」
「構わないが、ずいぶん少ないな。二箱しかないじゃないか」

 セベクは鏡の間で床に積まれた段ボールを見下ろし、驚きながら呆れるという器用な真似をしてみせた。
 段ボール二箱分くらいなら、と思って業者に頼まず持ち込んだものの、自室までは距離がある。セベクに引っ越しの手伝いをお願いしたのは正解だった。段ボールの数は少ないが、やはりそこそこ重いのだ。

「魔法士なら浮遊魔法を使えばいいだろう」
「そうなんですけど、部屋まで魔力が持たないかなと思って」
「持たない? 体力がない、みたいなものか?」
「そんな感じですね」
「ふん、鍛え方が足りていないのではないか?」

 セベクは「若様なら瞬きの間だぞ」と得意げに言った。こうして若様という人を語る時、セベクは年相応の子供らしさを見せる。多少癇に障る瞬間もありはするが、ヒトハは彼のそういった素直なところを好ましく思っていた。

「それで、これを自室まで運んで欲しいんですが、頼めます?」
「いいだろう」

 セベクはヒトハの頼みに二つ返事で答えた。そして腰を屈めて段ボールの隅に両手を掛けると、彼はヒトハがひとりでギリギリ持てるかどうかの段ボールを軽々と持ち上げてみせたのだった。

「おお~! さすがですね」
「当然、若様のお傍に仕えるために日々鍛錬しているからな!」

 ふふん、とセベクは得意げに鼻を鳴らした。歳の割によく鍛えられていると思ったら、やはり若様関連である。

「じゃあ私はこっちを持って行きますね」

 と、ヒトハも杖を取り出して、段ボールを浮かせようとした。二つは無理でも一つくらいは自分で何とかしたいものだ。しかしやはり想像より重い。引きずれば部屋まで運べそうだったが、セベクから「穴が開くからやめろ」と言われて断念したのだった。

 ナイトレイブンカレッジの広い校舎を往復すること二回。セベクは一度もヒトハに荷物を持たせることはなかった。手持無沙汰のヒトハの役割といえば、少し前方を歩いて障害物がないか見張るくらいのものである。それも結局、運動神経抜群のセベクを前にしては無意味なことだったが。

「――到着! ありがとうございました!」

 最後の段ボールを部屋に運び込むと、セベクはさすがに疲れたのか、肩をぐるぐると回していた。

「せっかくだから上がってください。今日はお休みでしょう?」
「いや、女性の部屋に入るのは……」

 セベクは渋って部屋の入口より先に入ろうとしなかったが、ヒトハはお礼にお茶を一杯だけでも、と背を押した。若様に貰ったお休みだ。引っ越しの手伝いだけさせて帰らせるというのも味気ない。

「大丈夫ですよ。今日はちゃんと片づけてるので」
「い、いや、そうではなくて」

 セベクほどの力があれば跳ね除けられそうなものだったが、最後には観念して部屋に入ったので、ヒトハはそのままセベクを椅子に押し込んだ。
 ここに住み始めてから初めてのお客様である。極東の名産品であるとっておきのお茶を振舞おうとキッチンに向かうヒトハに、食卓に押し込まれたセベクは意外そうに言った。

「引っ越しと言っていたが、もう十分揃っているように見えるな」
「ほとんど備え付けなんです。だから必要なものはあまりなくて」

 ぱっと見るとたしかに生活に必要なものはほとんど揃っているように見える。実際に今日まで生活して特に困ったことはなかった。家具や家電は前の家から持って来ていないし、食事はほとんど食堂で賄えるし、最低限の衣類や必需品はそもそもここに住み始めた時に持って来ている。それにしたって段ボール二箱分は少ないのだが。
 セベクは部屋の中を見回しながら出窓の方を指差した。

「あれは?」
「あれは植物園を掃除していたら一株分けてもらったので育てようと思って」

 出窓に飾っているのは植物園で貰った植物だ。植え替えで要らなくなったものを観葉植物として譲り受けた。葉っぱが螺旋状にぐるぐるとしているへんてこりんな形だが、今では見慣れてすっかり部屋に馴染んでいる。
 次に「あれは……」と言われたのは観葉植物の隣で静かに座り込んでいるマンドラゴラだった。先日エースとデュース、オンボロ寮のみんなと探し回った例のマンドラゴラで、命尽きた今は置物となっている。

「あれはハーツラビュル寮の生徒さんから貰ったマンドラゴラですね。失敗したから廃棄らしいんですが、なんだか捨てきれなくて……」

 見る人が見れば――たとえばクルーウェルが見たら「悪趣味」と言われそうなものだが、愛着が湧いてしまって今更捨てられない。このまま次の引っ越しまで居座ることだろう。

「ん? 実験室で見る瓶があるな」
「あ、それはこの前クルーウェル先生に調合してもらった薬の瓶ですね。洗って持って行ったら『要らない』って言われて、一輪挿しにしちゃいました」

 学園内に咲いている野花を勝手に持ち込んで飾っている瓶は、クルーウェルお手製の魔法薬が入っていたものだ。記念すべき第一号なので、なんとなくそのまま使うことにした。思いのほか見栄えがよく、このままずっと飾っておく予定である。
 そして最後に空きのある本棚に目を移して、セベクは感心したように言った。

「本も読むんだな」
「ええ、ちょっとした魔法の教本と料理本くらいしかないんですけどね。時間ができたので料理の勉強を始めようと思って」

 ヒトハは本棚に並ぶ数冊の本に目をやった。簡単な防衛魔法の本と興味が湧いて読み始めた魔法薬学の本、そして料理本である。
 この学園の仕事は残業もほとんどないし、仕事終わりに寄って帰る店もなく、そもそも通勤という概念すらない。ナイトレイブンカレッジの敷地内に家があるからだ。
 持て余した時間を使うような趣味もなかったので何かやってみようと思った結果、料理に行きついた。以前は時間も体力もなくて後回しにしてきたから、今以上にいい機会もないだろう。

「私、趣味とか特になくて。セベクくんは何かありますか?」
「読書は好きだ。それに知識を付けることも大事なことだからな」
「へぇ、若いのに偉いんですねぇ」

 ヒトハはセベクの言うことに素直に感心した。体も鍛えて読書もするなんて文武両道で模範的な生徒だ。歳の割に難しい表現をするのはそのせいだろうか。
 うんうん、と納得していると、セベクは険しい顔をして何やら考え込んでいる。

「どうしました?」
「いや、そんなに変わらないと思っていたのだが」
「え? なにが?」
「その、年齢が……」
「年齢……?」

 その意味が一瞬分からず、ヒトハはセベクと同じような顔をして黙り込んだ。
 自分とそんなに年齢が変わらないと思った、ということはつまり、実年齢より幼く見えているということだ。

(う……嘘……)

 セベクに初めて出会った時にはたしかに「大人っぽいな」と思ったものだが、さすがに自分と年齢が近いとまでは思わなかった。極東の人間は比較的幼く見えるというから、彼の大人っぽさも相まってそういう風に見えたのだろう。
 この機に身の回りのものを少し見直す必要があるのかもしれない。髪形も、メイクも、服装も、そして振舞いもだ。

「この話は、やめましょうか」

 何かを察したのかそれ以上追及されることはなかったが、それがまた複雑なことだった。
 ヒトハは話を切り替えようとしてうろうろと視線を彷徨わせ、本棚の料理本を見て閃いた。

「せっかくだし、ご飯食べて帰ります?」
「料理はこれから勉強と言っていなかったか?」

 セベクが訝しんで言うので、ヒトハは腕を組んだ。確か料理を始めようと思って食材だけは買い込んでいたのだ。

「ま、煮るか焼けば大抵は何とかなります」
「は?」
「煮るか焼きましょう」
「い、いや、待て。僕も手伝おう」

 セベクは慌てて席を立った。客人だからじっとしていて欲しかったのだが。戻るように言っても部屋に入る時よりも頑固だったので、仕方なく二人で台所に立つことになってしまったのだった。
 結局、ああでもないこうでもないと合作した料理の評価は「リリア様よりは……」という曖昧なもので、リリア様の料理を知る由もないが、ともかくそこまで良いものではないということは分かった。当面の目標は料理スキルの向上で決まりである。

 後日、ヒトハは本棚にセベクおすすめの本を追加した。『茨の谷の歴史』といういかにもな分厚い本だが、一押しとのことなので、きっと面白いのだろう。
 本に、観葉植物に、花瓶にマンドラゴラ。まだ働き始めてそれほど経っていないのに、ずいぶんと物が増えてしまった。今度の引っ越しは大変になりそうだ。

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