清掃員さんと先生のサマーホリデーの話
15 魔法
「先生! 見てください、これ!」
ヒトハはクルーウェルに新聞を見せつけた。魔法新聞の一面記事である。そこにはルクの前で魔法の光を放つリオの姿があり、見出しに『天才魔法士、舞い戻る』と太字で書かれている。
クルーウェルはそれを受け取り、テーブルの前で広げた。
「今年初めに突如現れた輝石の国の魔法士レナード・フォレスト……巨大な鳥を相手に大立ち回り……なるほど」
「すごいですよね! 犯罪者まで捕まえちゃって、しかも、このビジュアル! 女性ファンが溢れて一躍時の人ですって!」
「勉強どころではなさそうなところが気の毒だな……」
と、言いながら新聞を畳み、それをヒトハに返した。ヒトハは新聞を受け取って、もう一度開いた。写真を指差しながら、前のめりに主張する。
「ちょっと私も映ってます。ほら!」
その写真には箒を操るヒトハの姿もあった。豆粒だし、魔法の光で霞んで足元の影が少しだけ写っているくらいだが、いないことはない。
クルーウェルは目を細めてそれを見つけると、鼻で笑った。
「ほとんどリオと同化しているじゃないか。この箒を操っているのが自分だと名乗り出れば、お前も一躍時の人になれるぞ」
「いやあ、それはいいです。マジフト女子プロチームからお声がかかっちゃいますからね」
ヒトハは照れながら頭を掻く。そんなわけあるか、と言い捨てるクルーウェルの言葉は、聞かないことにした。
あのパーティーの事件の後、遅れて到着した警察によって犯人は無事逮捕。生き物たちも保護され、可能な限り元の場所に戻されることになったのだという。当日の現場はてんやわんやだったと言うが、その光景をヒトハは見ていない。すっかり眠りこけてしまい、目が覚めたのは翌日の夜だったからである。
目が覚めた後に、クルーウェルはそのときのことを事細かに教えてくれた。「犯人たちはかなり消沈しているそうだ。なんでだろうな?」とほくそ笑んでいたから、なかなか面白いことになっていたらしい。ぜひともその話を警察から詳しく聞かせてもらいたいものである。
そして一番気になるのは、あのルク。留守の間に巣に残したつがいを捕らえられ、卵を奪われた末に怒りで犯人を追いかけてきた雄なのだという。ルクは巨体過ぎるためにあまり買い手がなく、実験的に魔法薬で変身させたものを売りに出そうとしていたところらしい。部分的な変身薬の応用で実在しない生物を作り上げたと聞いて、一瞬ゴリラ事件が頭をよぎったのは、もはや仕方のないことであろう。卵とつがいの行方は調査中とのことである。
そして数日後、フォレストの屋敷でたっぷり療養させてもらったヒトハとクルーウェルは、歓喜の港に来ていた。サマーホリデーはまだまだ続くし、彼の当初予定していた旅行スケジュールがパーティーのせいで一時中断されていたからだ。
ヒトハはそれに同行する形で、歓喜の港にやって来た。
歓喜の港──眩しい太陽の下でキラキラと輝く海。それを前にした街には、赤に黄色や青と賑やかな壁がひしめき合い、アイアンの柵に囲まれたバルコニーを鮮やかな緑が飾っている。そして、どこからともなくジャズが聞こえてくる、陽気な街。あのサムが生まれ育った場所なのだと聞いて納得だ。
ふたりは昼食のチキンガンボを食べ終え、再び賑やかな街中へ飛び込んだ。
ここはちょうど人の往来がはげしい観光エリアである。ヒトハはスイスイと人を避けて進むクルーウェルの隣を、ちょこまかとついて歩いた。
しかしこっちは四苦八苦しながら歩いているのに、何で彼はこうもスムーズに歩けるのだろう。今日は非常にサングラスがお似合いで、お忍びセレブのような井出立ちをしているから、みんな避けているのだろうか。
そんな苛立ちを感じていたヒトハだったが、それは人混みの中から伸びてきた手によって解決した。手を繋いでいれば、散歩中の飼い主と犬のごとく、お互い見失う心配がなくていい。ちょっと擽ったいが。
そういうわけで迷子問題を解決したヒトハは、路面に並ぶ店に目移りしながら歩いていた。
するとそこに一羽の鳥が現れる。白い鳥はヒトハの周りを飛び、最後には手のひらに着地した。
「先生」
クルーウェルは立ち止まり、その鳥を見ると道の脇にヒトハを引っ張った。
そのときにはもう、鳥は封筒に変身している。ヒトハはそれをひらひらさせながら、クルーウェルに言った。
「リオさんからです」
後から読んだってよかったが、せっかく届いた手紙である。その場で開封して、ヒトハは便箋を開いた。流れるような整った文字だ。数日前に話したばかりだから、その内容はあまり多くはなかった。
ヒトハは手紙に目を通し終えると、声を弾ませた。
「今度、賢者の島に行く予定なんですって! 一緒に食事でもと」
「まだ言っているのか。あの駄犬」
クルーウェルは表情の分かりにくいサングラスの下で目を細めた。と、思われる。口元は不機嫌そうにしているものだから。
しかしリオの手紙の内容には続きがある。ヒトハは重大発表をするかのように胸を張って続けた。
「『先生もご一緒に』ですって! 楽しみですね!」
ヒトハが言うと、彼は少し驚いた声で「そうか」と答える。
その声が嬉しそうにも聞こえたので、ヒトハはハッとした。
「先生、やっぱり……自分だけ誘われなくて根に持ってたんですね……」
「はぁ?」
「大丈夫です。先生が忘れられていても、ちゃんと私が誘いますからね」
「はぁ……」
仲間外れは悲しい。相手のことが嫌いになって当然だ。ヒトハはウンウンと勝手にひとりで頷いた。そして手紙を鞄に仕舞い込み、ヒトハはクルーウェルの手を引っ張った。
「この後どうしましょうか? 私、ベニエが食べたいんですけど!」
「まだ食うのか、お前」
「もちろん、現地のグルメを堪能しないと勿体ないですからね! クラフトブルワリーも巡りましょう!」
「……今、俺に『この後どうしましょうか』と聞いたな? あれは何だ?」
不服そうに言うものだから、ヒトハは顔を見上げ、首を傾げた。
「先生、行きたいところがあるんですか?」
クルーウェルはサングラスの下で何かを考え込んだが、結局は「お前の行きたいところに行こう」と答えた。時間はたっぷりあるのだから、行きたいところが思いついたら行けばいい。
そこでふと、ヒトハは思い出した。
「先生」
「なんだ?」
立ち止まり、引っ張っていた手を下ろす。クルーウェルは不思議そうにヒトハの顔をうかがった。
「私の治療が終わっても……」
ヒトハは言いかけ、言葉を途切れさせた。言いたいことがまとまらないまま言い出してしまったせいで、上手く言葉が決まらない。
治療が終わっても。始まりの切っ掛けが終わっても。一緒にいる必要がなくなったとしても。
「一緒に旅行、してくれますか?」
行きたいところに全部行けるくらい、私に先生の時間をくれますか。そこまでは、さすがに言えなかったけれど。
彼はもっと重大なことを言われると思っていたのか、拍子抜けしたように言った。
「そんなに行きたいところがあるのか? 旅行は趣味みたいなものだ。いくらでも付き合ってやる」
「ずっと?」
「ずっとだ」
それから彼は怪訝な顔で言った。
「どうした急に? プロポーズでもしたいのか?」
プロポーズ。頭の中で復唱して、ヒトハは急激に顔を真っ赤にした。
「ちが……違います!!」
いや、確かに「ずっと」なんて言ってしまったから、そんな風に聞こえなくもなかったけれど。そこに至るまで階段があと百段はあろうというのに──と、考え、夜の庭園の光景が横から滑り込んでくる。違う、違うのだ。そんなことを考えていたのではない。壮大な誤解である。
ヒトハが壊れたおもちゃのように「違う、違う」と主張し続けていると、クルーウェルはプッと噴き出した。「分かった、分かった。落ち着け」と、ヒトハの肩を叩く。
「とはいえ予定が空いていなければ行きたいところにも行けないな? 次のウィンターホリデーは空けておけ。必ずだ。いいな」
夏の日差しと照り返し、それから体の中から噴き出す熱に必死に耐えながら、ヒトハは頷いた。
「よろしい」
クルーウェルはスマホを取り出し、地図を開いた。
「では次は何だったか……ベニエだったな? こっちか?」
ヒトハの手を取り歩き出す。再び賑やかな人の波に潜り込み、彼は言った。
「もたもたしている暇はないぞ。行くところはたくさんあるのだからな」
ヒトハはその背を追いかけ、手を握り返す。
「──はい!」
これから行く店のことを考えながら、ほんの少し未来の予定も考える。春に花、夏に海、秋には夜を眺め、冬は雪を楽しもう。きっと楽しい。ふたりならば、きっと。
ヒトハはどこからか聞こえるジャズの音色に足を弾ませ、残りのサマーホリデーに胸を躍らせた。
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