清掃員さんと先生のサマーホリデーの話
12 パーティーの裏側
「うるさいな」
クルーウェルは煩わしそうに言った。アラームの音が大きく、獣たちが落ち着きなく檻の中をうろつき始める。突然鳴り始めたアラーム音は、三人の男のうち、顔に薄い傷のある男のジャケットから聞こえていた。
下手に音を立てて目を覚まされても困る。クルーウェルは仕方なく男のジャケットを弄った。
「スマホ……と、これは何だ?」
鳴り続けるスマホと共に何かを掴む。小瓶だ。中には正体不明の液体が入っている。
その様子を見ていたリオは瓶を見て、「魔法薬ですか?」と首を傾げた。彼の言うとおり、色合いからしても魔法薬に間違いなさそうだ。
ひとまずアラームを切り、クルーウェルは魔法薬の瓶を光に透かした。しかし薄暗い部屋では何の魔法薬なのか判別するのは難しい。蓋を捻り、その口に鼻を近づける。ツンとした酸っぱい臭いが鼻腔を刺激し、クルーウェルは顔をしかめた。
「変身薬か……? 色々混ざってそうだな」
「嗅いだだけで分かるんですか?」
リオが素直に驚くと、遠くから「先生は魔法薬ソムリエなんで」と意味の分からない冗談が飛んでくる。クルーウェルはそれを無視して、蓋を閉めた。
「まさかこいつ、人魚か獣人属か何かか?」
と、考察したところであまり意味はない。どうでもいいからである。
それよりヒトハに呼ばれていたことを思い出して、クルーウェルは腰を上げた。
男たちには報いを受けてもらったので、後は放置あるのみだ。彼らは誰にも打ち明けることもできず、一週間くらいは思い悩むことだろう。この魔法を考えた元同級生のことはつくづく馬鹿だと思っていたが、案外この世に無駄な魔法はないものだと知ることができた。実に有意義な経験である。
リオと共にヒトハの元へ向かうと、彼女はテーブルの上にある鳥籠を指差した。
「この子、先生が読んでた本に載ってた“カーバンクル”じゃないですか?」
彼女の指の先にいるもの。赤いドラゴンが、どぐろを巻いてこちらを見上げている。しかもドラゴンというだけでも驚愕なのに、額に赤い石まで引っ付けているのだ。それは本で見た絵と、よく似た姿だった。
「実在したのか……?」
妖精族の領域を調査すれば実在するかも、とは言ったが、現在は妖精族との交流もある。さすがに伝説級の生き物が実在しているのなら、その情報は人間側に入ってきてもいいはずだ。いや、貴重ゆえに隠蔽されているということも──
クルーウェルが難しい顔をしながら考え込んでいると、隣でリオが「あれ?」と小さく声を上げた。
「なんか……大きくなってませんか?」
三人横に並んで鳥籠を覗き込む。
ドラゴンの様子がおかしい。ぱかりと口を大きく開いて、長い首と尾をぐねぐねと捩っているのだ。
その姿をじっと観察していたクルーウェルは、ドラゴンの赤い鱗が膨張し始めていることに気がついた。リオの言う通り、ひと回り、ふた回りと順調に体が大きくなっていく。
「まさか……」
嫌な予感がする。
「あの魔法薬か!」
ボン、と鱗の隙間から飛び出したのは羽毛だった。
三人はビクリと体を跳ねさせた。気がついたときにはドラゴンの体は羽毛に覆われ、鳥籠いっぱいに膨れ上がっている。
クルーウェルは唖然としているふたりの首根っこをひっ掴み、素早く後ろに引っ張った。
「下がれ! 下がれ!」
大きさに耐えられなくなった鳥籠は、とうとうひしゃげて鉄くずとなった。机は重さで潰れ、バキバキと音を立てている。
それはもう、赤い鱗に覆われたドラゴンではない。全身を生成り色の羽毛に覆われた、巨大な鳥と化していた。
「うわ、うわわわわわ!」
ヒトハが叫んだのを合図に、三人は慌てて部屋の奥に駆け込んだ。大きくなり続ける巨体で押しつぶされそうになったところで、クルーウェルが部屋の半分を結界で覆う。後ろには獣たちの檻があり、見捨てるわけにもいかなかった。
鳥は巨大化を続け、ついには壁を突き破った。重い瓦礫を背から振るい落とし、巨大な鉤爪で地面を抉る。
「なん……何だあれは!?」
クルーウェルは声をひっくり返した。あんな生き物、見たことがない。体は異様に大きく、鉤爪など大人の体一つ分以上はある。
「まさか、ルクでは……?」
隣でリオが呟いた。そこで図鑑の絵が再び頭に浮かぶ。
ルク。かの有名な冒険物語にも出てくる怪鳥である。
「ルク?」
ヒトハが首を傾げ、クルーウェルは早口に答えた。
「巨大かつ狂暴な鳥だ。卵は高級食材。象を巣に持って帰り、雛に食べさせるほどの大きさだと言われている」
「象!?」
「一度に三頭掴めるらしい」
「三頭!?」
空気を切り裂くような叫びが耳を劈き、ヒトハは両手で耳を抑えた。ルクは夜の月を背に、大きく翼を開く。鋭い眼光はまっすぐにこちらへ向けられていた。
「すんごい怒ってますよ!?」
「あいつら! とんでもないことをしてくれたな!」
当の犯人たちは後ろで気を失ったまま転がっている。
ルクは男たちのせいで怒っていた。しかし鳥に人間の見分けなどつきようもない。そこにいるすべての生き物に、怒らずにはいられなかった。嘴を結界にぶつけ、怒りの声を上げる。結界は辛うじて攻撃を防いだが、それも長くはもちそうになかった。
翼を煽ぎ、暴風を巻き起こしながら空へ舞い上がる。ルクは月明かりを遮りながら、空を大きく旋回した。飛び去るつもりもない。獲物を狩るように、機を狙っているのだ。
そんなルクを見上げ、リオはどこか遠い眼差しをしている。
かわいそうに。
その囁き程度の独り言を耳に捉えたとき、ヒトハは茫然としていた目にハッと光を取り戻した。彼女は掴みかかる勢いでこちらに詰め寄り、夜空を指差した。
「あの子、このままだとどうなりますか!?」
クルーウェルは顎に手を添え、難しい顔をした。どう見ても他国から連れて来られた生き物である。こんな場所にいては人に危害を加えないとも限らないし、そのままにはしておけない。
「上手く捕獲できれば生息地に帰されるだろうが……しかしこの暴れようでは、ここで仕留める他には……おい、何をしている」
ヒトハは話をすべて聴き終える前に、きょろきょろと何かを探し始めた。そして、それを見つけた。……嫌な予感がする。
「私にいい案があります!」
彼女は意気込んでいた。どうせろくな案ではないだろう。
クルーウェルは鼻に皺を寄せ、断固拒否の姿勢で一蹴する。
「何が“いい案”だ。絶対クレイジーな案だろう」
「でも、“クレイジーないい案”かもしれないじゃないですか」
「それが駄目だと言っているんだ」
ヒトハはムムッと唇を尖らせた。分からずやに分からせるのを諦め、おもむろに長いドレスの裾を絞り始める。そこに杖の先を押し付け、一気に引き裂いた。
「──は?」
地面に投げ捨てられた最高級の生地を、男たちはぎょっとした目で追いかけた。続けてグローブを脱ぎ捨てる彼女を唖然とした表情で追いながら、クルーウェルは声を震わせる。
「なん、なんて勿体ないことを……これにどれほどの価値があると思って……」
「邪魔です!」
ヒトハはぴしゃりと言って、半壊した建物の傍に落ちていた箒に駆け寄った。学園で彼女が使用している箒より遥かに質が悪く、貧相な箒である。まさしく掃除用だ。
それを持って戻ると、彼女は固まるリオに向かって、傷痕だらけの手を差し出したのだった。
「リオさん!」
「はい!?」
「私と一緒に飛んでください!」
「…………えっ!?」
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