清掃員さんと先生のサマーホリデーの話

11 パーティーの裏側

 ヒトハは硬い床に座り込んでいた。体の自由が戻ってきた頃を見計らったかのように、男たちが言っていた“あいつ”が帰って来たのだ。

「魔法はもう切れているはずだ」

 “あいつ”と呼ばれた男が言った。
 間違いない。魔法士だ。体がもう自由になっていることに気がついている。消費した魔力を少しでも取り戻そうと大人しく転がされていたが、魔法にかかっているふりは、どうやらこの男には通用しそうにない。
 ヒトハは三人の男に囲まれながら、ほんの少し顎を上げた。前髪の下で部屋の内部に視線を走らせる。相変わらず獣の姿までは見えないが、奥には階段があり、その先に扉が見えた。どうりで建物の規模に対し、獣の声がよく聞こえてくるわけである。外観から想像していたよりも、ここは広い空間のようだ。
 続けて魔法士の男を見上げる。
 その男はこの薄暗く陰気な部屋で、場違いなまでに真っ白なタキシードを纏っていた。歳はこの会場にいる人たちと変わらず、ブロンドの髪を厭味ったらしく後ろに撫でつけている。

「こいつ、本当に大人しくしていたのか?」

 魔法士の男はふたりに問いかけた。ヒトハはその言葉に、ドキリと心臓を跳ねさせた。
 テーブルの上にあるクラッチバッグ。そこには財布が入っている。ヒトハは浮遊魔法を駆使し、財布に仕舞われていた“蝶”を飛ばした。この上なく慎重に使った魔法である。誰にもばれていないはずだ。
 ヒトハの心配をよそに、問われた男は首を縦に振った。

「最初に脅したからな。ずっと大人しかった」
「……なるほど」

 運のいいことに、魔法士の男はそれで納得したようだった。ひょっとすると、ただこの状況に怯えているだけだと思っているのかもしれない。普通の女性なら、確かにそうだろう。しかしヒトハには意地でも戦う理由があった。決めたからには、生半可に終わらせるつもりはない。
 それに、男たちは明らかに違法なことに手を出しているのだ。このまま記憶を弄られてなかったことにされてしまえば、この犯罪が明るみに出ることはなくなってしまう。知ってしまったからには、当然捨て置けない。
 ヒトハは男たちに隠れて、浅く息を吐いた。
 あの蝶がリオに届いたなら、彼はきっとクルーウェルに相談するだろう。そうすれば、あとは魔法が得意な彼が何とかしてくれるはずだ。

(けど、間に合わないかも……)

 魔法士の男が懐から杖を取り出す。細い銀の杖はナイフのように光り、ヒトハは緊張で汗を滲ませた。殺さないと宣言されたからと言って、それが絶対にありえないとも限らないのだ。もはや抵抗したところで、リスクが上がるだけだった。

(くやしい……!)

 ひっそりと唇を噛んだ。そのときだった。
 ヒトハの視線の先で何かが閃いた。爆発音と共に強い衝撃が建物を揺らす。ヒトハは弾かれたように頭を起こし、その発生源に素早く目を走らせた。

「なんだ!?」

 慌てる男たちの声と獣の鳴き声が部屋中に反響する。
 階段上、夜の薄暗さの中にぼんやりと浮かぶ人影。輪郭しか分からなくとも、ヒトハにはそれが誰か分かった。

「──先生!」

 叫んだ瞬間、男のうちのひとりが吹っ飛んだ。

「ナガツキ、ステイ!」

 クルーウェルが叫ぶ。ヒトハは前のめりになりながら、言われた通りにピタリと動きを止めた。魔法士の男が杖を振るい、炎が走る。それはクルーウェルの目の前で弾けた。

「警察か!?」
「飼い主だ! この野良犬どもが!!」

 完全に怒髪天を衝いた彼の怒声は、室内にいるありとあらゆる生物を震え上がらせた。獣たちは暴れ出し、ガンガンと檻を叩くような音がする。
 そのままなだれ込むように戦闘が始まり、ヒトハの周りでは魔法の光がいくつも弾けた。ステイと言ったからにはまさか当てはしないだろうが、身の危険を感じずにはいられない。

「ヒトハさん!」

 首をすぼめて耐え忍んでいたヒトハは、リオの焦った声に顔を上げた。
 視界の隅に何かを捉える。腕だ。顔に傷のある男が恐ろしい形相でこちらに腕を伸ばしている。ヒトハは咄嗟に逃れようと身を捩った。

「──っ!?」

 しかし男の手は、指一本もヒトハに触れることは叶わなかった。直前にできた透明な壁が、勢いよく男の指を弾く。

「ぐっ」

 男は後退し、その犯人を睨んだ。リオはヒトハと男の間に滑り込み、杖先を男に突きつける。ヒトハはその背に守られながら、額に冷たい汗を滲ませた。
 リオは魔法がまだ上手く使えないと言っていた。その証拠に、手が震えているのだ。これでは杖を突きつけようとも牽制にはならず、意味がない。いかに強力な魔法を持つ魔法士と言えども、後れを取れば非魔法士と同じ土俵に引きずり込まれてしまう。

(魔法、魔法を……)

 しかしヒトハもまた、焦って何もできないでいた。近くで行われている攻防の激しさは判断を鈍らせ、集中力を奪う。杖もないこの状況では、上手く魔法を使える気がしない。
 睨み合いのさなか、最初に動いたのは男だった。それを合図に、リオが杖を振るう。
 彼の放った魔法は速かった。火の玉は光の残像を真っ直ぐに伸ばし──しかし、狙いは外れ、男の足元で弾けた。

(──外した!)

 ふたりがそれを悟った瞬間、男は横からなぎ倒されるように石床に体を打ちつけた。

「グッボーイ、リオ! やればできるじゃないか!」

 クルーウェルの高揚した声が室内に響き渡る。彼はリオを褒めると、そのまま指揮棒をしならせた。瞬時に張った障壁で相手の攻撃を防ぎ、ヒュンと指揮棒で空気を掻き切る。

「お座り!」

 ガクン、と魔法士の男が膝を折る。

「伏せ!」

 続けて青白い電撃が走った。それは男に逃げる隙も、防ぐ隙すらも与えない。鋭くも鮮やかな一撃。その一瞬の間に、勝負はついた。
 ヒトハは静かにあたりを見渡す。気がつけば、この部屋で意識のある人間は三人だけになっていた。

(お、終わった……?)

 攻防を終え、クルーウェルは呆然と指揮棒を握りしめたまま肩で息をしていたが、突然弾かれたように顔を上げ、地面を蹴った。

「ナガツキ!」
「先生!」

 クルーウェルはヒトハの両手と足を縛る縄を手早く切ると、その体を両腕で抱き寄せた。

「うっぷ」

 それがあまりにも力強く、勢いがあったものだから、ヒトハは肩に顔を埋めながら息を詰まらせることしかできなかった。深い安堵のため息を感じながら、行き場のない両腕をうろうろとさせる。
 どうしたらいいのだろう。
 これがアクション映画であれば、熱い抱擁を交わし、お互いの無事を喜ぶシーンなのかもしれない。ということは、抱きしめ返したらいいのだろうか。でも、なんだか今更だし。

(き……気まずい……)

 ふと、ヒトハはクルーウェルの肩越しにリオを見つけた。
 彼は視線を落とし、暗い顔をしている。ヒトハはそれを見て、混乱していた頭がスッと冷えていくのを感じた。

(リオさん、どうしたんだろう……?)

 彼はこちらに気がつくと、困惑しているヒトハの顔を見て小さく笑った。

「先生」

 リオの呼びかけによって、ようやくヒトハの体が解放される。彼は振り返ったクルーウェルに、申し訳なさそうに言った。

「すみません。僕、何もできなくて……」
「落ち込むことはない。慣れない実戦であれだけできれば上出来だろう」

 クルーウェルがリオを褒めると、ここぞとばかりにヒトハも大きく頷いた。

「ええ! 防御魔法、凄かったですよ! おかげで助かりました。ありがとうございます」

 リオの魔法は間違いなく戦いの助けになった。それで人質になることを免れたし、クルーウェルは隙をついて男を倒せたのだ。リオは魔法が使える。それはきっと、彼が思っているよりも、ずっと上手く。
 あとは勇気を出すだけだ。ヒトハは同意を求めるように、クルーウェルを見上げた。
 彼はこちらを見ることはなかったが、ヒトハには分かった。これはいつか仔犬たちに向けていた目だ。だからきっと、彼も同じことを思っているに違いなかった。

 気を失っている三人を部屋の中央でまとめて縛り上げ、魔法士から杖を奪う。クルーウェルは念には念をと彼らの周りに防御結界を張ることで、檻の代わりとした。
 ヒトハはその様子を横目に、リオと今まであったことの情報交換をしていた。
 ヒトハと別れた後、クルーウェルとリオは「パーティーで違法に生体の取引がされているのではないか」と疑い、会場で情報を集めることにしていたらしい。しかしなかなかヒトハが戻らず、探しに行こうとしていたところに、あの蝶が飛んできた。
 ヒトハはその頃、迷子になった庭園で怪しい建物を見つけ、男たちに捕まっていた。大人しくしていたら解放してくれるとのことだったが、男たちの目を盗み、リオたちをここへ連れてくるために蝶を送ったのである。
 魔法をかけ終えたクルーウェルは遠くにあるテーブルとクラッチバッグを見て、引き気味に言った。

「お前、どうかしてるぞ……」

 杖なしで遠距離の浮遊魔法の操作、バッグから目的のものを取り出し、口紅で文字まで書いてみせたのだ。ヒトハとしてはこれ以上なく上出来な魔法だが、彼にとっては器用が過ぎて、あるいは豪快過ぎて、気味が悪かったらしい。確かにこの状況でこれをするのはまともではないが、根性さえあれば案外なんとかなるものだ。

「しかし、まさか現場を抑える羽目になるとは思わなかったな……」

 クルーウェルは部屋の奥にある檻を見ながら顎をさすった。
 そこには大小様々な檻があり、妖精や魔物を含む、あらゆる生き物が閉じ込められている。すべてに共通するのは、それが普段お目にかかれないような珍しい生き物であるということだ。その中には明らかに所有が禁止されている生き物も見られた。
 世間知らずの、若くて金を持った魔法士にでも買わせるつもりだったのだろうか。確かに、珍しい生き物は素材以外にも使い魔としても人気だ。魔法士のステータスになる。
 そしてそれを主導していたであろう、この白いタキシードの男。給仕のようにも見えないし、ドレスコードを思えば、ゲストでもないだろう。パーティーのホストで間違いなさそうだ。

「深い事情は分からないが、あとは警察にでも通報しておけばいいだろう。リオ、お手柄だな」

 クルーウェルが言うと、リオは頬を淡く染めた。そして嬉しそうな顔で「はい、ありがとうございます」と誇らしげに頷いたのだった。

「そういえば先生、〈消えない文字が書ける魔法〉とか知りません?」

 ヒトハは床に転がした三人を見下ろしながら、クルーウェルに問いかけた。まだ個人的な用事を終えていないのだ。目を覚ましたときにショックを受ける復讐を、ヒトハは考えていた。
 クルーウェルは「は?」と変な顔をした。

「一応聞いておくが、何をするんだ?」
「いえ、なんか額に『バカ』とか『アホ』とか刻みたいなと思って」
「焼き印か……?」

 彼はヒトハが復讐する気満々なのだと悟ると、落ち着かせるように言い聞かせる。

「こいつらは犯罪者だ。お前がわざわざ手を下さずとも、然るべき重い罰を受けるだろう」

 しかしヒトハは食い下がった。

「それじゃ駄目なんです!」

 法で裁くだけでは満足できるはずもない。被害を受けたのは自分だ。許し難い侮辱、そしてお触りという実害。

「この人たち、私のこと馬鹿にしたんですよ! しかも、私の体をベタベタと! さっ、さわ……さわっ……!」

 思い出したら恥ずかしくなってきて、ヒトハは顔を真っ赤にしながら主張した。それを見て、リオとクルーウェルは顔を見合わせる。

「……先生、不能にする魔法とかないんですか?」
「まぁ落ち着け、リオ。俺の学生時代に頭のいい馬鹿が考えた〈二分の一にする魔法〉というものがある。特別に、お前に教えてやろう」

 クルーウェルは澄まし顔でリオに言うと、ヒトハをしっしと手で追い払った。

「ナガツキ、お前はあっちを向いていろ」
「一体なにを……」
「聞くな」

 クルーウェルは頑なだった。だからヒトハもこれ以上は追及しないことにした。
 予想が正しければ、彼らはナニをアレして二分の一にするのだ。ぞっとする。見たくもないし、近寄りたくもない。
 言われた通り素直に部屋の隅にあるテーブルに向かう間、背後からゴソゴソという音と「顔のわりに」「こいつには過ぎたもの」「四分の一」などという囁きが聞こえてきた。聞きたくないのに嫌でも耳に入ってくる。これって、本当に復讐になっているのだろうか。

(それって、そんなに大事?)

 ヒトハは顔を真っ赤にしながら思った。そして胸元を見下ろし、一ミリくらいは理解できたのだった。

「はぁ、やっぱ落ち着く……」

 ヒトハは長く引き離されていた愛用の杖を手にして、ほっと息を吐いた。高価なわけでもなければ性能がいいというわけでもないが、体の一部になっているせいか、近くにないとどうにも落ち着かないのだ。それを大事そうにグローブの指先で拭いていると、同じテーブルの上にあった箱から気配を感じた。
 箱は上から布を被っているが、下の方に鉄格子が見える。どうやら鳥籠のようだ。この中にも、部屋の奥にいるような生き物がいるのだろうか。
 この部屋に多くの命が囚われていると気がついたとき、ヒトハの中に真っ先に芽生えたのは、途方もない悲しさだった。こんな薄暗い場所で、良い環境とも言えない場所で、誰とも分からぬ人間に買われていくのだ。一体どこから、どうやって運ばれてきたのだろう。人は生きるために命をいただくが、だからといって弄んでいいはずがない。
 ヒトハはそっと布に指をかけた。それを捲り上げ、息を呑む。
 そこにいたのは小さなドラゴンだった。真っ赤な鱗を纏い、小さな額には赤い石が飾られている。ドラゴンは細い瞳孔で、こちらをじっと見つめていた。

(“カーバンクル”だ……)

 クルーウェルが見せてくれた本に載っていた。存在しないと言われている、所有者に富と名声をもたらす妖精。

「先生、リオさん。この子……」

 ヒトハは振り返ろうとして、踏みとどまった。そういえば、彼らは取り込み中である。
 しかし呼びかけには気がついたのか、クルーウェルは「なんだ?」と応える。彼はこちらに歩いて来ようとして、その途中で足を止めた。

 ピピピピピ……

 室内にアラーム音が鳴り響く。
 それは床に転がる男から聞こえてきていた。

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