清掃員さんと先生のサマーホリデーの話

05 予感

「あれ? ここは……」

 うやうやしく差し出された手に戸惑いながら片手を預け、ヒトハは助手席から降り立った。石畳の道を踏みしめて周囲を見渡すと、遠くに見えるのは高い鐘楼。大川にかかる橋には覚えがあり、ヒトハは隣に立つリオを見上げた。
 彼はヒトハの問いに答えるように、にこりと笑う。

「〈花の街〉です。魔法士の方には、『ノーブルベルカレッジがある街』と言ったほうが分かりやすいでしょうか?」

 花の街。芸術に溢れたこの街には、花と緑に彩られた古い街並みがあり、それを貫くように広い川が流れている。遠くからも見える建物は、輝石の国の魔法士養成学校──ノーブルベルカレッジが誇る鐘楼だ。魔法士であれば誰でも一度は耳にする、歴史ある学校である。
 輝石の国でも有名な観光都市であるこの街は、ヒトハが昨年末の旅行で最後に訪れた場所でもあった。

「でも、今晩はお屋敷に泊まる予定では……」
「その予定ですが、パーティーに行くには色々と必要な物もありますし。大丈夫、帰りは移転装置を使うので」

 リオは何ともないことのように言って助手席のドアを閉めると、「行きましょうか」と微笑んだ。どこに、と問う暇もなく、ヒトハは後を追うように足を踏み出した。

 花の街は前回同様、よく賑わっていた。夏の日差しを避け、石畳の上を影を縫うように歩き回りながら、ヒトハは物珍しく景色を堪能する。
 この街には色鮮やかな植物はもちろん、珍しい魔法植物までもが溢れている。クルーウェルによれば、ノーブルベルカレッジの鐘楼にある鐘は鳴らせば魔力を発するらしく、それが街中にある植物に影響を与えているのだという。前回は真冬の訪問だったから、これほど様々な植物を見ることはできなかった。今日ここに彼がいたなら、たくさんの魔法植物の解説が聞けたことだろう。
 けれど今日隣にいるのは彼ではない。リオは魔法植物の解説の代わりに、ヒトハに様々なことを教えた。街の歴史や食べ物のこと、輝石の国で話題のもの、流行っていること。父親譲りなのか彼はとても話し上手で、退屈を感じさせない人だった。

「リオさん、これ」

 ふらりと足を止め、ヒトハはリオを呼び止めた。彼はヒトハが指差しているものを覗き込み、顔を綻ばせる。

「これ、僕が送った手紙ですね」

 そこは古い魔法道具店だった。狭い敷地に目一杯商品を敷き詰め、店外には箒を並べ、ひさしには鳥籠をぶら下げている。
 鳥籠にはいくつか種類があった。大きなものにはフクロウが一羽、小さなものにはたくさんの蝶、それから中くらいのものに小鳥が何羽か閉じ込められている。小鳥はリオがヒトハに送った魔法道具と、まったく同じものだ。

「先生が言ってました。これ、古くからある魔法道具だって」
「先生?」
「あ……えっと、クルーウェル先生です」
「ああ、クルーウェル先生。先生はお元気ですか?」

 ヒトハは答えに詰まって、誤魔化すように笑った。もちろん元気だが、今の状況を知ったら怒るだろうなと、嫌な予感が頭をよぎったのだ。
 そんなことを知るはずもなく、リオは素直に「それはよかった」と笑う。
 後ろめたさにチクチクと胸を痛めながら、ヒトハは鳥籠の隅を突いた。
 中にいる鳥たちは命があるかのようにヒトハの指先に興味を示す。ペットにでもしてしまいたくなるくらいには愛らしいが、これも魔力がなければただの紙なのだ。

「そういえば、リオさんはどうして私に手紙をくれたんですか? スマホのメッセージでもよかったのに」

 この魔法道具には、それなりの魔力がいる。だから機械での通信が発達した現代では不要の物になってしまった。そんな手間をかけてまで、どうして送ろうと思ったのか。
 リオはヒトハの問いに目をぱちぱちとまばたき、うーんと考え込んだ。

「この魔法道具で手紙を貰う機会があって……そのときに、とても綺麗だなと思ったんです。だから、ヒトハさんにも送りたいなと思って」

 彼は優しく言いながら、目を細めて籠の中を見つめた。魔法を使い始めて間もない彼にとって、この魔法はとても美しく見えたのだ。それがなんだか嬉しくて、ヒトハは「そうですね。とても綺麗です」と微笑んだ。

「おや、お客さん」

 店の扉が開き、店内から老齢の男が顔を覗かせる。ヒトハは籠を突いていた指を引っ込め、慌てて振り向いた。男は店主らしく、濃紺のエプロンで指を拭いながら人の好い顔で笑う。

「いらっしゃい。今日は観光かな?」

 ヒトハは自分に言っているのだと気がついて、「はい」とひとつ頷いた。ナイトレイブンカレッジでは各国の生徒が集まっているおかげで意識したことがなかったが、極東出身というのは見た目にも分かりやすいらしい。雰囲気も街に馴染んでいないせいか、旅行客であることをすぐに言い当てられてしまった。
 ほんの少しの気恥ずかしさを誤魔化すように、ヒトハは小さな籠と大きな籠を指差した。

「この蝶とフクロウはどんな魔法道具なんですか?」

 店主は柔和な笑みをたたえたまま、「どちらも似てるね」と答える。蝶の入った籠の扉を開き、手慣れた様子で一匹摘まむと、それをヒトハに差し出した。

「誰かに何かを届けるための魔法道具だよ。フクロウは少し重い荷物を運んでくれる。小鳥は手紙になるし、蝶はちょっとした伝言だね」

 ヒトハは手に載せてもらった蝶を摘まんだ。よく見ると、蝶は頭も体もない羽だけのシンプルな構造である。羽の内側にはうっすらとノートの罫線のようなものが入っていた。サイズは小さいが、メモ書きくらいはできるかもしれない。

「遠くまでは飛ばないけど、魔力が要らないからお土産にも人気だよ」
「へぇ」

 鳥は魔力の問題で用途がないが、これくらいならどこかで使えるだろうか。
 ヒトハが悩んでいると、店主はニコニコとしながら「赤とか黒とかもあるよ」とセールスをかけてくる。

「じゃあ、ひとつください」
「はいよ」

 ヒトハは色にも悩み、結局は赤い蝶を買うことにした。ホリデーが明けて賢者の島に戻ったら、クルーウェルに飛ばしてみるのも楽しいかもしれない。
 支払いを終え、ヒトハは受け取った蝶を前にして気がついた。

「ちょっと心許ないですね……」

 蝶は紙である。一匹だけ鞄に放り込んだら曲がるかもしれないし、かといって手帳のような挟める物もない。

「お財布とかどうです?」

 リオがちょうどいい案を出してくれたので、ヒトハはそれに従うことにした。

「そうですね。お守りみたいでいいかも」

 リオやクルーウェルのように鳥を使う力はないけれど、なんだか彼らに近づけたような気がして、ヒトハはそれを大切に仕舞ったのだった。

 リオがゆっくりと歩き出すのに合わせて、ヒトハはひょこひょこと隣に並び直した。

「そういえば、魔法の勉強は順調ですか?」
「ええ。でも実践は全然で。箒に乗るのもまだ怖くて」

 リオは苦笑しながら言った。箒は幼いころに父親に乗せてもらったことが何度かあるくらいで、まだ恐怖心があるのだという。やはり生身で高く飛ぶというのは、かなりの恐怖を伴うらしい。

「でもあと少しで一通り勉強も終わりそうですし、年内には魔法士の資格を取りたいと思っています」

 リオがあまりにも普通に言うので、ヒトハは反応に数秒を要した。自分が幼少期からコツコツ積み上げてきて、養成学校で数年学んでやっと得た資格を──一年で?
 ヒトハが真偽を確かめるべく口を開こうとしたとき、リオは「つきました」と、のんびりと言った。彼が見上げているのは、これから入ろうとしている店の名である。

「──は?」

 ヒトハがせっかく開いた口からポロリとこぼしたのは、呆気にとられたような間抜けな声だ。自分はこのブランドを知っている。他でもない、クルーウェルの話によく出てくるからだ。

「こっ……ここに入るんですか……?」

 情けなくへっぴり腰になりながら、ヒトハはおそるおそる言った。それを不思議そうな顔で「はい」と肯定する彼は、やはり住む世界が違うのだろう。
 丁寧に磨き上げられた重いガラス扉の先に、ただならぬ内装が見える。頭上に掲げられた見覚えのあるブランドのロゴが、夏の日差しに照らされ、いっそう輝いて見えた。

「私、そんなに手持ちないんですけど!?」
「え? こちらの都合なので、気にしなくて大丈夫ですよ」
「それは駄目です! だめだめ!」

 彼は事前に「衣装の心配はしなくていい」と言っていた。しかしそれは、前回着させてもらった冬用ワンピースのように、手持ちのものを貸してくれると思ったからだ。
 逃げ出そうとするヒトハの手を取って、リオは「それは困ります」と眉を下げた。

「僕が着て行く服に合わせていただかないと、女性に恥をかかせていると思われてしまいます。父からもきつく言われていますし」
「いや、それならレンタル……そう、レンタルに……」
「そんな、僕だけ新品でヒトハさんがレンタルだなんて」

 しゅんと萎れた顔をするリオは叱られた仔犬のようで、ヒトハは声を詰まらせた。この庇護欲くすぐる甘い顔で見つめられて、手を振りほどける者がいるなら見てみたい。
 ヒトハは震えた。そして都合がよすぎると分かっていながら、こう思わずにはいられなかった。

(助けて! 先生!)

 しかしヒトハの脳内にいるクルーウェルは、嬉しそうな顔をして「よかったじゃないか」とヒトハの肩を叩くだけだった。

***

 ──くしゅん!

「お兄さん、風邪かい?」
「ああ、いや……。噂話かもしれません」

 クルーウェルが冗談っぽく言うと、店主はグラスを拭く手を止めて、「噂話?」と首を傾げる。

「極東の知り合いに聞いたことがありまして。“くしゃみをしたら誰かが自分の噂話をしている”のだとか」
「へぇ、博識だねぇ」

 なるほど、博識ということになるのか。
 クルーウェルは残り少ないグラスの中身を空にして、極東出身の彼女のことを思い出した。確かに、この歓喜の港では裏側にあるくらい遠い場所だから、話題にすることすら稀なのだろう。そんな遠い場所にいるはずの彼女は、今頃家族の元で忙しくしているのだろうか。
 食べ終えたチキンガンボの皿を見下ろし、ふうと息を吐く。ひとり旅も悪くはないが、美味しい食事の感想を言う相手がいないというのも味気ないものだった。
 海沿いに建った、小ぢんまりとした飲食店のランチタイム。駆け込みで入った店内にはほとんど人はおらず、常連客と思しき者たちが空席を慎ましく埋めている。その一角に腰を下ろしたクルーウェルは、古びた店内にそぐわず都会的な格好をしていた。サムにこの街一番の料理人が働いていた店だと聞いたから来てみたが、素朴な店内にはもう少しラフな格好が似合ったかもしれない。
 ジャズの街と名高い割に店内のバックグラウンドミュージックは地元のテレビ番組で、クルーウェルは次に向かう先を考えながら、それに耳を傾けていた。

「最近多いなぁ」

 店主が誰に言うわけでもなくぼやくのは、今日のニュースについてである。希少動物の密猟についてで、賢者の島でもここ最近よく聞く話題だ。高額で売買される生き物たちは、揃って貴重な“素材”になる。現役魔法士には耳が痛いことだった。

(そろそろ行くか)

 あまり長居をしていても仕方がない。クルーウェルが立ち上がろうとしたとき、聞いたことのある声が店内に響いた。

『──魔法士の皆さんには、正規の店で素材を仕入れること、生体の取引には絶対に手を出さないことを徹底していただく必要がありますね』

 ありがとうございました。女性が整った声で礼を言うと、『続きましては』と次の話題に移る。

「教授……?」

 しかし色褪せたモニターを見つけたときにはもう、画面は地元のイベント情報に切り替わっていたのだった。

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