深雪の魔法士
02 輝石の国
年末の帰省か、はたまた自分たちと同じような旅行か、駅のホームは分厚いコートを着込んだ乗客たちでごった返していた。
ホームを暖める魔導式の空調をフル回転させても、この寒さを誤魔化すことはできないのだろう。ヒトハはクルーウェルの高い背を追いかけながら、冷たさの染みた鼻を小さく啜った。
列車から出た途端に待っていたのは輝石の国の厳しい冬だ。クルーウェルの仕立てたコートはヒトハの持つコートの中でも一番温かいものだったが、それでも中に厚手のニットを着込んでいなければ、耐えられなかったかもしれない。
容赦なく降り続ける雪を遮る無骨な天井はナイトレイブンカレッジのそれより高く、ヒトハは首を反らして見上げた。反響する構内アナウンスに紛れ、低い声が頭上から降ってくる。
「迷子になるなよ」
クルーウェルはヒトハと同じように頬を赤くしながらもたびたび振り返り、隣に並ぶのを待った。それでも歩みに差が出てしまうのは、彼もまたこの寒さから逃れようと足を速めているからだろう。
「待ち合わせ場所はどこですか?」
「西側の出口に車を寄せられる場所があるらしい。そこが待ち合わせ場所だ」
改札を通り抜け、構内を足早に進む。クルーウェルの足に迷いはなく、ヒトハは案内板を確かめることに徹した。
そして雪で湿った階段を下り、外気に触れたとき、ヒトハは思わず呟いた。
「さむ……」
「同感だな」
クルーウェルの噛み締めるような声に同意して、コクコクと頷く。構内もそれなりに寒かったが、やはり外となるとわけが違う。街を覆う銀色の膜は厚く、吐く息すら凍り付いてしまいそうだ。
自然と体を小刻みに震わせていると、屋根の下でトランクを下ろしたクルーウェルが懐から小瓶を二本取り出した。
「これを飲んでおけ」
「魔法薬ですか?」
「ああ、寒さが和らぐ」
ヒトハが受け取ったのは、いつも飲んでいる魔法薬よりもずっと小さい携帯用の瓶で、その中には赤い液体が注がれていた。初めて飲む魔法薬には抵抗があるが、この凍りつくような寒さから逃れることができるなら飲まないわけにはいかない。
蓋を外し、くっと一口に喉に流し込む。強いアルコールを入れたときのような熱さが胃から染み出て、かじかんだ手と足の指先がじわりと温かさを取り戻していった。
「予備にもう一本渡しておこう。ただし素材に
「気をつける?」
ヒトハはクルーウェルの差し出した瓶を受け取りながら首を捻った。彼は人差し指でヒトハの手の中を指すと「火気厳禁」と短く答えた。
「ヤバい薬じゃないですか……」
「その言い方はやめろ」
いつか魔法薬学室でやらかしたことを思い出して、ヒトハは苦々しく言った。あれは今まで学園で遭遇したトラブルの中でも、ひときわ過激なものだった。火気厳禁の棚の前で意図せず火を焚き、爆発させてしまったのだ。
ヒトハは受け取った瓶を摘むようにして、それを恐々とポケットに仕舞ったのだった。
それから待ち合わせ場所に立って数十分。目に見える範囲で輝石の国の街並みを堪能し尽くし、クルーウェルに一方的に明日食べたいものを語り尽くし、寒くないのに「寒い」と言い続け、ヒトハはついに気がついた。
「待ち合わせ場所……ここで合ってます?」
「…………」
クルーウェルは組んでいた腕を解き、スマホに目をやった。
「合っているはずだが。しかし遅いな」
待ちぼうけている間に聞いた話では、到着時刻に合わせるように迎えを寄越すとのことである。しかしそれらしき車がふたりの前に現れることはなかった。
こうして遅れる連絡さえ来ていないことを考えると、もしかするとトラブルに遭っている可能性もある。クルーウェルが雪深い地に屋敷を構えていると言っていたくらいだから、思わぬ降雪に見舞われているのかもしれない。
ただ不思議なのは、彼がどれだけ屋敷に電話をしても誰も電話に出ないことだった。迎えに寄越した運転手に連絡がつかないなら理解はできるが、屋敷の主人と連絡がつかないのは異様だ。
「メールもメッセージも駄目か」
クルーウェルが深々とため息を落としたのは、待ちぼうけが一時間をとうに過ぎた頃だった。
やるだけのことはやり尽くし、完全なお手上げ状態だ。
「ちょっと心配ですね」
ヒトハがクルーウェルの険しい顔を見上げながら言うと、彼はすまなそうに眉を下げて「そうだな」と答えた。
「すまない、さすがに疲れたな。連絡がつくまで室内で待つこととしよう」
寒さこそ魔法薬で凌げているものの、疲労は誤魔化せない。立ちっぱなしで鈍く痺れ始めた足を動かし、ふたりは駅近くのカフェに入ることにした。
適当に選んだカフェの片隅で、ヒトハはカフェラテのカップを両手で包み、ほうと息を吐いた。魔法薬の効き目は寒さを和らげるというもので、一切感じなくなるというわけではない。室内に入って暖かさを感じれば、自分がどれだけ冷え切っていたかを自覚せざるを得なかった。
「せっかくの旅行で早々に躓くとは」
クルーウェルは苦々しく額を抑えた。反対にヒトハは困った笑みをこぼす。
彼は事前に立てた計画が狂ってしまったことに酷く落ち込んでいるようだった。しかも会う予定だった人に、原因も分からないまま会えないかもしれないのだ。
「もう少し待ってみて、駄目だったら今夜の宿を考えましょう」
ヒトハは熱いほどのカップを口元に寄せながら、そう提案した。
教授に会えないということは、今晩の宿がないということである。泊めてもらえるものだと思っていたからホテルを取っているのは明日からだし、当然、今夜この街で泊まれるホテルを調べたこともない。
このヒトハの現実的な提案は、すでに落ち込んでいたクルーウェルに追い討ちをかけ、更なる深いため息を落とさせたのだった。
「悪いな。あんなにはしゃいでいたお前の旅行に水を差すことになってしまった」
「なに言ってるんですか、先生」
ヒトハは今度こそ声をあげて笑った。
「トラブルも旅の醍醐味じゃないですか。それに、案外すぐに連絡がくるかもしれないですし」
トントンと指先でテーブルに置かれたスマホを指す。クルーウェルのスマホは相変わらず真っ暗で沈黙を貫いていたが、それがずっと続くなんて誰も言ってはいない。思わぬときに連絡があるかもしれないのだ。
「そうだな」
表情を和らげて頷く姿にほっとして、ヒトハは「そうですよ」と答えた。
こうして暖かな店内で粘って一時間。願いも虚しく、彼のスマホはひたすらに沈黙を貫いたのだった。
「とにかく宿を抑えなければ不味い」
そう言い出したクルーウェルに、躊躇うことなく頷く。あれだけ「大丈夫」と励ましておきながら、実際は全然大丈夫ではなかった。ヒトハは自分のスマホもフル活用して、宿探しに全力を尽くしていた。
雪の舞う店外は雪明かりのおかげで多少明るくは見えたが、しかし今の時刻は夕方と言っても差し支えない。ぽつぽつと灯る夜の街灯が、曇ったガラスにぼんやりと映し出されている。これではもう迎えは来ないだろうし、来るにしても遅すぎる。
「なんというか、年末だなぁという感じですね」
「まったくだ。ホリデー明けまで空きがない」
ネットの予約状況を漁り尽くして唸る。時期が時期なだけに空室はなく、このままでは一晩過ごす場所がない。
「少し待っていろ」
おもむろに立ち上がったクルーウェルを見上げて頷く。彼には何か考えがあるらしい。スマホ片手に店外へ向かうのを見送って、ヒトハは店内でじっと待つことにした。
スマホの画面を触り続けていると、どうにも肩が凝って仕方ない。慣れない土地でさすがに疲れと眠気を感じ始め、ヒトハはこっそりと欠伸をした。
本来であれば、もう屋敷に着いてゆっくりとしていた頃かもしれない。夕食の席に着いていたかもしれないし、用意してくれているという部屋でのんびり過ごしていたかもしれないのだ。それがどうしてこんなことに──連絡がつかない今、その理由はヒトハには分かるはずもない。こうなってしまったのには何かとても重大な理由があるはずで、それが分からないのが、一番もどかしいことだった。
そうして物思いに耽りながらひとりで過ごして十分そこそこ。クルーウェルは肩にちらほらと綿雪を引っ付けて戻ってきた。
「おかえりなさい」
彼はなんともスッキリしない顔をしていた。少しだけ躊躇った後、渋々と口を開く。
「泊まれる場所は、見つかったんだが」
「そうなんですか!? よかったじゃないですか!」
「まぁな……」
クルーウェルは言い淀み、誤魔化すように「とりあえず荷物を置きに行こう」とトランクを手にしたのだった。
「──と、いうわけなんだ」
事情を説明されて、ヒトハはトランクを両手に持ったままパチパチと目をまばたいた。
ずいぶんとこぢんまりとした部屋だ。ホテルの外観からしてビジネスホテルなのは分かっていたが、どこもかしこも空間を切り詰めたように家具が詰め込まれている。奥には外を眺める窓が一つあり、そこには薄いカーテンがぺろりと貼ってあるだけだった。
こだわりの強いクルーウェルにしてみれば、屈辱の内装であることは間違いない。明日から泊まる予定だった部屋は、もう何ヶ月も前から予約しているのだと聞いている。
けれどヒトハにとっては「まぁ、こんなもんですよね」という程度だ。もっと格安の部屋にも泊まったことがあるから、それに比べれば充分いい部屋だった。
しかしふたりにとって最大の問題は、そこではない。
「シングル、ですねぇ」
「そうだな」
「この部屋に泊まるんですよね? ふたりで」
「そうだな」
「融通、利かせてもらえてよかったですね……」
「そうだな……」
シングルベッド一床。ひとり掛けの小さなソファが一脚。壁掛けの小さなテレビに簡易な机が申し訳程度に一台。
「ま、まぁ、狭いけど雪の中にいるよりマシですよ! ベッドもほら、フカフカですよ、先生!」
ヒトハはトランクを置いて白いシーツの上を叩いた。寝具にはこだわっているらしく、スプリングは程よく硬く、ヒトハの手は軽快に弾んだ。しかしそれがまた妙な空気を醸してしまう結果となり、ふたりは最終的に、初めて問題から目を逸らしたのだった。
「ディナーを……済ませに行くか……」
「はい……」
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