清掃員さんとフェアリーガラ
01
緑のランウェイに花びらが舞い散る。
鈴の音が一斉に鳴り響き、それは音楽と溶け合って、やがてひとつになっていった。
厳しい冬が終わり、雪解けとともに芽吹く命の歓び――フェアリーガラ。
私はランウェイを歩む生徒たちの姿を見つめながら、ただただ胸を震わせていた。
美しいものはたくさん見てきた。これからもきっと、見ることはあるだろう。けれどこの息をのむ美しさは――胸に迫る感動は、今この瞬間だけだ。
人生でたった一度きりのこのショーを、私はきっと、忘れることはないだろう。
***
冷えた木陰の下。大きな袋の口を両手で固く絞って飛ぶ妖精が一人。纏う衣は炎のように揺らめいて、伸びる枝葉を器用に避けるたびに光の粒を散らした。忙しなく扇ぐ四枚の羽根は薄く、その体の色と同じく炎のように淡く色づいている。
彼は火の妖精。故郷である妖精の郷へ、荷を運ぶ最中だった。荷は次にやって来る春の祝祭〈フェアリーガラ〉に必要な素材――ものづくりの妖精からの依頼の品である。
火の妖精は手に袋をぶら下げたまま、つるの輪を潜り、小川を越え、ひしめき合う木々の合間に見える光に飛び込んだ。途端に明るくなった視界に目を細め、次に開いた時に見えたのは見慣れた郷の風景。妖精たちの営みが遠くからでも感じられて、彼は胸元まで持ち上げていた袋をだらりと下ろし、大きく息をついたのだった。
「やっと着いた……」
かつてドワーフたちが魔法石を採掘していたというドワーフ鉱山へ向かい、戻って来るまで数日かけての長旅になってしまった。予定より一日多くかかってしまって、もうヘトヘトだ。
(早く羽を休めよう)
妖精はぐんと体を傾けて、地上に向けて羽ばたいた。
「ああ、やっと帰ってきた! もう少し遅かったら探しに行こうかと思ってたんだよ!」
「ごめん、ちょっとトラブルがあって」
ものづくりの妖精は作業台の上に広げていた設計図から顔を上げた。彼は火の妖精よりも半分ほど小さい妖精で、鮮やかな緑の木の葉で身を包んでいる。片手にトンカチ、片手に何かの部品を持って作業の真っ最中だ。
彼らは火や水や風を操らない代わりに“ものを作る”ことを得意としている。今は次のフェアリーガラに向けて準備をしている最中である。二人のいる作業場では、あちこちから何かを叩く音や削る音が響いていた。
火の妖精は手にした袋を地面に置き、その口を広げた。
「これでいいかな?」
ものづくりの妖精は袋の口を両手で広げながら中を覗き込んだ。いち、にい、と呟きながら中身を確認して、にっこりと火の妖精を見上げる。
「ばっちりだよ。わざわざドワーフ鉱山までお使いに行ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
袋の中には赤、青、緑と様々な石が詰め込まれていた。ドワーフ鉱山で採れる、魔力を含んだ宝石だ。人間たちが“魔法石”と呼んで重宝している宝石で、それは妖精たちにとっても貴重な代物だった。とりわけ魔力の質は重要で、ドワーフ鉱山の宝石は妖精たちのお眼鏡に敵う上質なものである。おかげでドワーフたちに採り尽くされて、今やもうわずかな量しか採れなくなってしまったが。
「そういえば、トラブルって何があったんだい?」
ものづくりの妖精は袋の中から取り出した宝石を品定めしながら言った。フェアリーガラを終えるまで仕事は山のようにあるが、火の妖精の言う“トラブル”というのも気になる。
火の妖精は辺りを見渡し、他の妖精たちが仕事に集中しているのを確認すると、声を低くして囁いた。
「実は、鉱山の中でバケモノに……人間たちが“ファントム”って呼んでるやつに遭遇してしまって……」
「ファントム!?」
「しーっ!」
手にしていた宝石を落っことして、ぱっと口を両手で塞ぐ。ものづくりの妖精は驚きのあまり呼吸を止めていたことを思い出すと、火の妖精と同様に辺りを見渡して、そっと彼に近づいた。
「ファントムってあの、黒くて怖いバケモノだよね?」
「そう、魔法を使い過ぎたら出てくるっていう、あの」
「わぁ、それは災難だったね……」
ファントムといえば、黒くてどろどろとしたものを垂れ流しながら襲い掛かって来るおぞましいバケモノのことである。人間たちが恐れている存在で、それは妖精たちにとってもそうだった。
「人間はなんて愚かなんだろう! 危ないって分かってるくせに、あんなに危険なものを生み出すなんて!」
ものづくりの妖精は顔を赤くして憤った。人間は欲深くて、傲慢で、野蛮な生き物だ。先の戦争のときだって、それはもう酷い目に遭ったものだ。
ものづくりの妖精はふつふつと不満を思い出して不機嫌になっていったが、火の妖精は彼が続けざまに文句を言おうとするのを「まぁまぁ」となだめた。
「でもその時、僕は人間に助けてもらったんだ」
「人間に!?」
ものづくりの妖精は再び両手を口元に当てた。そのまま「それって本当に?」と小さな声で問うと、火の妖精はアーモンド形の目を輝かせて「ほんとうに」と深く頷く。
「採掘に夢中になっていた時に襲われて気を失っていたんだけど、その人間が僕を抱えて一緒に逃げてくれたんだ」
「はぁ、それは……良い人間かもしれないね……」
火の妖精の言葉に頷きながらも、ものづくりの妖精はどこか信じられない様子である。
しかし火の妖精はどこか夢心地で、彼のことを気にも留めない。
火の妖精はひとつ心残りがあることを思い出し、「でも」と悩ましげに続けた。
「人間と僕たちって言葉が違うでしょう? 僕はキミみたいに翻訳機を作れるわけじゃないし、まだちゃんとお礼を言えていないんだ。仕方なく、たまたま持っていた魔法石をあげたんだけど……」
本当はあの時、その人間――彼女に、お礼を言いたかったのだ。けれど妖精と人間では言語が違いすぎて、翻訳機無しでは何も伝わらない。それに時間もなかった。彼女がとんでもない大声で他の人間を呼んでしまい、慌ててその場を離れるしかなかったのだ。
急いで赤い魔法石を鞄に忍ばせてみたものの、本当にこれでよかったのだろうか。
妖精の郷に戻る道中、火の妖精はそればかりを考えていた。もし再び出会うことがあれば、一言でいいからお礼を言いたい。言葉を交わしてみたい。
「キミがそこまで言うのなら、本当に良い人間だったのだろうね」
ものづくりの妖精は、しゅんと肩を落とす火の妖精の顔を見て、気遣わしく言った。
「キミがまたその人間に出会って、今度こそお礼を言えるように祈っているよ」
それは落ち込む火の妖精を気遣っての言葉だった。友人なら、当たり前にかける言葉だ。
だからそれが本当に叶ってしまうとは、露ほども思っていなかったのである。
※コメントは最大10000文字、5回まで送信できます