Seven days for me
08 Seven days later
「聞いてくださいよ、先生!」
魔法薬学室に入ってくるなり、ヒトハはパタパタと足音を立てながらクルーウェルに駆け寄った。
あの過去に戻る魔法騒動が無事解決し、今日はその後初めての魔法薬の受け渡しの日だ。魔法が解けてから今日までのことをたっぷり抱えてきたらしく、喋りたくて堪らない様子である。七日間“自分だが自分ではない誰か”が学園中自由に動き回っていたのだから無理もない。
今日は無駄話が長そうだな、と眉を寄せながら、クルーウェルは「なんだ」と気怠げに答えた。
「私、子どもに戻ってた時に喧嘩してたみたいなので、今日相手の子に『ごめんね』って謝りに行ったら凄く怯えられちゃって……。先生、私が何をしたか知ってますか?」
「お前、謝りに行ったのか……」
それは十七歳のヒトハが年相応に感情を吐露したあの日のこと。彼女の感情を激しく揺さぶるトリガーになったであろう事件は記憶に新しい。あの場にいた職員からは最近謝罪があり、なかなか不憫な目に遭っていたようだ。
しかし何があったか聞いていないわけではないだろうに、わざわざ相手に謝りに行くところが律儀である。それが適切かどうかはさておき。
「本人は『馬乗りになった』と言っていたな」
「えっ! う、馬乗り!?」
ヒトハは「うそー!」と頬を両手で包み青ざめた。
「お前に非がないことは分かっている。終わったことに一々関わりに行くな」
「……もしかして、心配してくれてます?」
「相手をな」
そう言って笑ってやると、ヒトハは口を尖らせて「そこは私でしょ」と不満げに言った。
「ま、でもあの頃の私、加減を知りませんでしたからね。子供の私、扱い難かったでしょう?」
「いや? 落ち着いていて物分かりが良かった。お前より大人びてたぞ」
そして鼻で笑いながら出来上がった魔法薬を差し出す。ヒトハはそれを両手で受け取りながら苦笑した。
「みんなそう言うんですよね。あの頃はいっぱい背伸びしてたので、大人しかっただけですよ。年頃の女の子って難しいんです」
「俺はお前のことを今も難しいと思っているがな」
「もう、さっきから嫌味ばっかりじゃないですか」
ヒトハは腹を立てたふりをしながら魔法薬の蓋を開けた。小気味の良い音と共にすえた嫌な臭いが漂ってくる。
この魔法薬は前々回から試作している“治療”ではなく“作り替え”に重きを置いたものだ。副作用の危険もあると事前に忠告したというのに、彼女はそれに躊躇いもなく口を付ける。
少しは怖がったりしないものかとクルーウェルが聞いたときには「とうに覚悟はできているので」と言い切ったくらいだから、今後どんな試作を与えても同じように飲んでみせるのだろう。
この強さがあるから、リスクを冒してでも魔法にかかった彼女を自由にさせようと決心できた。普通の人間ではどうなっていたか分からない。
ヒトハは魔法薬を飲み終え、嫌そうな顔をしながらクルーウェルから受け取った水を喉に流し込むと、小さく息をついた。そして手袋を外してその変化を確認し、異常がないのを見て終わりだ。変身薬に近いこの魔法薬は一時的に効果はあっても、やはり永続的な効果は見込めないかもしれない。
「先生、私の面倒を見てくれてありがとうございました。みんなから聞きました。私のために色々と無理をしてくれてたって」
「俺は手助けをしただけだ。大したことはしていない」
ヒトハは手袋を再び手に通しながら、きょとんとした顔をしたかと思えば柔く目を細めた。
「それで、私の夢、全部叶ってました?」
「全部?」
「えーっと、学生に戻れたらみんなと過ごしてみたい、授業を受けてみたい、魔法を楽しんで欲しい、あとは……」
クルーウェルは指を折りながらいつか語った夢を数えるヒトハを眺めた。この子供のように無邪気に語る姿をどうしてか覚えていて、忘れられなかったのだ。突拍子もなく、非現実的で、無垢な夢を。
ヒトハはあれこれと言ったあと、最後に一本指を折って微笑んだ。
「──それから、先生に出会ってみたい。結局、なにも覚えてないんですけどね」
そうは言いながらもまったく残念そうではなく、やはり満足げな顔をしている。
彼女にとってこの夢は、学生時代の自分に“欲しかったものを与えること”そのものであって、それによって今の自分が何か変わることを期待しているわけではなかった。未練を断ち切ったのだ。そう考えれば、この満足そうな顔に清々しさすら感じる。
クルーウェルはふと、十七歳のヒトハの姿を思い出した。こうして見るとやはり別人のようで、でも奥深いところで繋がっているような気もする。彼女は大人にも子供にもなれない不安定さの中に、今と変わらない強さを秘めていた。
「お前もあいつくらい素直だったらな」
「私、今の方が素直だと思うんですけど」
「どうだか」
ヒトハは納得いかない様子で首を捻った。細かな性格の変化というものは、本人には分からないものなのだろう。
クルーウェルはヒトハを置いて、おもむろに教室の奥へ向かった。
「あれ? 今日は先生が淹れてくれるんですか?」
「たまには悪くないだろう?」
いつもであれば自分が好んで用意する飲みものを、今日に限ってはクルーウェルが用意しようとするのをヒトハは不思議に思いながら「悪くないですね」と笑った。
二客のティーカップを持って戻ったとき、生徒用の椅子に座ってぼうっとするヒトハを見て、クルーウェルはぽつりと零した。
「……鳥が見たいな」
「鳥?」
「魔法だ。お前の魔法。金色の鳥を出していただろう」
「ああ、あれ!」
ヒトハは訝しむように目を細めていたかと思うと、ぱっと顔を明るくした。その魔法はもう長いこと使われていないのか、瞳に懐かしさが滲む。
「何で使うのをやめた? なかなかいい特技じゃないか」
「やめたんじゃなくて、やらなくなったというか、できなくなったというか。そっか、十七歳のときはできてたんですね、私」
クルーウェルの問いに、ヒトハはしみじみと答えた。
「二年生か三年生くらいかな? 自然とできなくなっちゃって。悲しかったけど、それを気にする余裕もなかったから今まで忘れてましたね」
そう言いながら杖を取り出すと、ヒトハは難しそうな顔をしながら試すように軽く二、三度振った。金色の糸のようなものが寄せ集まったかと思えば四散するのを繰り返し、徐々に形を作っていく。
「できた! できましたよ、先生!」
そして最後に出来上がった金色に輝く鳥を手に、ヒトハは嬉しそう言った。以前見せてもらったものよりも二回りは大きく、小鳥というよりは鳩に近い。
その鳥は羽を震わせ、ぐっと体に力を入れると大きく羽ばたいた。命はなく、魔法士の想像だけで作られた人形。だからこそ本当に生きているかのように動く様が美しい。
鳥はクルーウェルの腕で羽を収めると、首を回して顔を見上げた。
この仕草一つひとつが想像でできているのだ。どれだけ豊かな感性を持っていたのだろうか。一時でもそれが失われた事実は魔法をもってしても消すことができない。それはあまりに惜しいことだった。
「やはり美しいな」
「ええ。この魔法、確かエレメンタリースクールのときにはもう使えてたんですよね。思い返せば、私が魔法士養成学校まで行って魔法を勉強しようと思ったのも、この魔法のおかげだったのかもしれません。もう細かいことは忘れちゃいましたけどね」
ヒトハは立ち上がって鳥を自分の手元に引き戻し、小窓を片手で押し開けると、空に帰すように腕を振った。鳥は勢いのままに飛び去りながら遠くで解け、やがてその名残は星々が散ったように輝く。
ヒトハはそれを見届けて元居た椅子に座り直すと、目の前に置かれたカップにそっと口を付けた。
「──あ、美味しい。私、この紅茶好きです」
だろうな、と返しながらクルーウェルも自らのカップを手に取った。バニラのような甘い香りは普段好まないものだが、思いのほかすっきりとしていて、ほのかに甘さが残る味は悪くない。
たまにはいいか。
嬉しそうに微笑むヒトハを見て、クルーウェルは穏やかに目を覆った。
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