Seven days for me

03 Third day

「これは……!」

 赤いベストに黒のジャケット、それに合わせたスラックスにはジャケットの襟と同様に上品な金色のラインが入っている。ヒトハはそれを手に驚きのあまりに言葉を失くした。

「一番小さいサイズだが、やはり少し肩が余りそうだな。時間があれば直してやりたいところだが」
「直すって、どうやって……?」
「もちろん、この俺が直々に、お前のサイズに縫い直すんだ」

 はぁ、と返事をすると、クルーウェルは「この俺を疑うのか?」と眉を顰め、なにやら挑発的なことを言い始めた。疑うというより、裁縫ができるという事実に驚いているだけだったりするのだが。それも出来合いの服を調整するという、ほとんどの一般人が習得し得ないことに。

(なんで教師やってるんだろ、この人……)

 ヒトハは三日目となる今日、残りの数日間をこの学園の生徒として過ごすために制服を受け取った。
 ナイトレイブンカレッジは紛れもなく男子校であり、女子の制服は扱っていない。そのためヒトハが受け取ったのは男子用の制服。その一番小さいサイズである。制服は本来採寸をして自分に合うものを着るものだが、当然そんな時間はなかった。

「でも、いいんですか? 私、この学園の生徒でもないのに」
「構わない。元々こうなったのはお前のせいではないからな。よほど無茶な要求でなければ全て通る」

 クルーウェルは言いながら、得意げに笑った。
 よほど無茶ではないが、ほどほどに無茶はしたのかもしれない。苦労をかけたかもしれないと思うと少し申し訳ないが、それでも制服を見ていると胸が躍る。なんといってもこれは魔法士たちが憧れるナイトレイブンカレッジの制服。誰もが着たくて着れるものではなく、まして女子が袖を通すというのは前代未聞だろう。
 ヒトハは高揚した気持ちを抑えながら「ありがとうございます」と微笑んだ。

「もたもたしているとホームルームが始まる。早く着替えて来い」

 クルーウェルはヒトハの背を押して急かした。
 彼もどこか楽しげで、もしかしたら自分と同じようにこの状況を楽しんでいるのかもしれない。そう思うと憂鬱な一日の始まりに、ほんの小さな明かりが灯るような気がした。

 制服は彼の見立て通り、肩が少し余るが丈はぴったりで違和感はない。身体に凹凸があるので他の男子生徒と同じようにはならないが、それはそれで悪くはなかった。ところどころに入る金色はやはり品が良く、ヒトハが普段着ている、これといって特徴のない制服とは雲泥の差だ。欲を言えば、これでスカートでもはけるといいのだが。
 クルーウェルは制服を着たヒトハを見て「やはり肩が」と不満を口にしたが、その他はお気に召したのか「まぁいいだろう」とほどほどに納得していた。このデイヴィス・クルーウェルという教師は、ヒトハが想像していたよりも遥かに服装に厳しいようだ。

「お前が今から行くのは一年A組。俺が担当しているクラスだ」
「一年?」

 朝食後、ヒトハはジャケットのボタンを留めながら小走りでクルーウェルを追った。今日は余裕がないらしく、口頭の説明も駆け足だ。

「本来なら二年になるんだろうが、一年の方が何かとやりやすいだろう。よちよち歩きの仔犬どもに囲まれるのも一苦労だろうが」

 そして歩調をわずかに緩め、軽く首を捻って振り返った。

「嫌か?」
「いいえ。私もその方がいいと思います」
「お前ならそう言うと思った」

 それはどちらの自分だろう。ふと心に影が落ちる。大人の自分を知る人たちと接していれば一度や二度のことではないのに、こればかりは慣れなかった。
 落ち込みかけた気持ちを引き戻したのは、昨日話に聞いたばかりのゴーストたちである。

「おはよう。制服似合ってるね」
「あっ、ありがとうございます」

 ゴーストたちは大人と今のヒトハを同様の扱いにすると決めたようで、すれ違うたびに声をかけてくる。今日はそれに加えて「似合ってるね」とお世辞まで付けてくれる陽気さだ。

(ゴーストたちはいいけど……)

 校舎の長い廊下をせかせかと歩いていると、ゴースト以外にも生徒と職員たちの視線が付いて回った。生徒たちは好奇の目を向け、職員たちはどこか不安な目をしている。彼らは悟られていないと信じているようだったが、ヒトハはそれを敏感に察知していた。もとより仕方のないトラブルとはいえ全員に受け入れられるとは思ってはいなかったし、そもそもこういった視線には慣れている。魔法士として決して素質があるとは言えない自分に向けられる目は好感であることの方が少ない。いちいち気にしたってしょうがないのは分かっていた。でも、やはり気にはなる。
 先生はどうだろう、とヒトハは目の前を歩く男を見上げた。クルーウェルは彼らに一瞥もくれてやらず、たまにヒトハがついて来ているかを確認するくらいで気にも留めていない。
 その堂々とした姿を見ていると、自然と背筋が伸びる。落ちかけた視線が戻る。学園を歩く度に気落ちしていくヒトハに何も後ろめたいことはないのだと、彼はこの上なくはっきりと示してくれたのだった。
 クルーウェルは廊下の角を曲がって少し歩調を緩めると、ヒトハの隣に並んだ。

「お前を俺のクラスにしたのには──まぁ俺がお前の面倒を見ることになっているからなんだが、その他にも理由があってな。ああ、ちょうどいいところにいた」

 クルーウェルは教室の近くまで来たところで三人と一匹の生徒を引き留めた。

「スペード、トラッポラ」
「げ! 先生!」

 クルーウェルを見るなり声を上げたのは、昨日図書館で出会ったエースだ。デュースと談笑中だったのか、いきなりクルーウェルが現れるとは思わず慌てている。
 その二人の影からひょっこり顔を出したのは監督生と呼ばれていた子で、使い魔らしき猫が「あいつまだ戻ってねーんだゾ!」と指をさすのを叱っていた。賑やかな二人と一匹に対して穏やかそうな子だ。
 ホームルームが始まると勘違いしたのか急いで教室に戻ろうとする彼らを、クルーウェルは強く引き留めた。

「ステイ! 小言を言う気はないが……何かやましいことでも?」

 指揮棒を片手に軽く打ち付けながら問い詰める姿に、三人は血相を変えて勢いよく首を横に振る。まさかここまで恐れられている教師だったとは思わず、ヒトハはなんとも居た堪れない気持ちになりながらその様子を見守った。

「いえ! 今日はいつもよりちょっと早いですね」

 デュースが間髪入れずに言い、残りの二人が今度は首を縦に振る。

「今日はお前たちに頼みたいことがあってな」

 そしてクルーウェルは斜め後ろで様子を見ていたヒトハの背を片手でぐっと押し出した。

「今週だけでいい。こいつの面倒を見てやってくれ」

 目を点にする三人と一匹と見つめ合い、一時の沈黙の後、ヒトハは躊躇いながらも口を開いた。

「よ、よろしくお願いします……」

 ***

 ナイトレイブンカレッジの授業内容は、ヒトハが今まで受けてきたものと大差ない。それは基礎中の基礎である一年生のカリキュラムである、というのもあるが、そもそもこの学園は学力で生徒を集めているわけではないというのも理由の一つだった。
 極端に難しい話をされるわけでもなく、一度履修しているヒトハにとって理解は容易い。ただ教師の質が違うのか、覚えのある話を聴いても飽きることはなかった。魔法史の授業中、隣で船を漕ぐ猫の使い魔の鼻提灯を割ってやるくらいには気持ちの余裕があり、クルーウェルの判断は正しかったとつくづく感じる。
 ちなみに猫の使い魔は「猫ちゃん」と呼んだら名前はグリムだと怒って火を吹いたので、ヒトハは素直に「グリム」と呼ぶようにした。グリムはお調子者で他人を小馬鹿にすることもあるが、たまに的を射た正論を言い出す不思議な猫で、強く主張をしないオンボロ寮の監督生と良いコンビだ。監督生は魔法が使えない代わりにグリムとセットになっているらしく、持ちつ持たれつの関係のようだった。使い魔を使役することで魔法の使用を実現する方法もあるというのは、斬新ではあるが。
 異質という点でいえば、ヒトハとオンボロ寮の監督生はよく似ていた。クルーウェルが「他にも理由がある」と言っていたのはこのことなのだろう。この三人と一匹と共に過ごしていると、周りは「いつものこと」と多少の異質さを簡単に受け入れてしまうようである。

「っていうか、なんかヒトハさんっぽくないよね。やっぱ性格って変わるもんなの?」

 エースがそう言い出したのは、昼休みに中庭のベンチの周りで時間を持て余していた時だった。

「大人の私とどう違うの?」

 ヒトハがそう問うと、三人は「うーん」と唸った。何かが違うようだが、言葉にするのは難しいらしい。

「なんってゆーか……落ち着きがないというか」
「もっと明るいというか」
「いつもちょこちょこ歩き回ってる」

 エースとデュースが交互に言って、監督生が隣でウンウンと頷く。落ち着きがなく明るい人柄というのは三人とも共通の認識らしく、ほとんど間違いないのだろう。クルーウェルが昨日言っていた「仔犬どもに懐かれやすい性格」というのは恐らくここから来ていて、どうやら十代半ばから後半にかけての生徒たちにそう言わしめるほど、彼らの目線と近いところにいるらしい。聞くところによると現在二十そこそこの年齢であるはずなのに、あえて「落ち着きがない」などと言われるのは少し恥ずかしい気もした。
 デュースは他にも何か思い当たるものがあるらしく、顎に手を添えつつ「そういえば、たまに喧嘩の仲裁とかもしてるな」とポツリと言った。

「あー。サバナクローの生徒に『腕試し』とか言って喧嘩吹っ掛けられたのを買って、あとでクルーウェル先生に怒られたりもしてんね」
「それ、ポムフィオーレの先輩じゃなかったか?」
「そうだっけ?」

 どっちもだよ、と苦笑したのは監督生で、「おめー少しは落ち着いたらどうなんだ?」と失礼なことを言い出したのはグリムである。落ち着いていないのは大人の自分であって、身に覚えのないことを責められる謂れはない。
 複雑な顔をしているヒトハを面白がるように、エースは続けて言った。

「勝負は際どい手を使って負けなしってね。気を付けなよ~、結構不意打ち狙われてたりするから」
「エース、脅かすなよ」

 ヒトハを脅かそうとするエースにデュースは呆れた。

「クルーウェル先生がバックにいるからそんなに危ないことは起きないし、俺たちといれば大丈夫だろ」

 聞けばこの学園は生徒同士の喧嘩が日常茶飯事で、校則で魔法を使った喧嘩は禁止されているのに平気で勃発するのだという。エリート校だから生徒はみな大人しいと思っていたが、実際はまったく逆で、寮によっては知略を巡らせて陰湿なことをする者もいるらしい。そんな場所でよく働いていられるな、とヒトハは自分自身に初めて感心した。しかしよく考えてみれば今までの学生生活も決して穏やかではないから、場所が変わっただけともいえる。
 そんな学園で「落ち着きがない」と言われ、ときに喧嘩の仲裁をし、喧嘩を吹っ掛けられ、クルーウェルに叱られているのだ。
 ヒトハはどうしてこうなっているのか理解できず、持て余した両手で杖を弄りながら「ううん」と唸った。

「っていうかさっきから気になってたんだけど、それ何?」
「ん? これ?」

 ヒトハは杖を弄る手を止めて両手に視線を落とした。エースが「それ」と言ったのは、先ほどからヒトハの手の周りをちょろちょろと動き回っている小鳥である。デュースと監督生はもうとっくにそれに視線を奪われていて、グリムは少しうずうずしている様子だ。
 この小鳥は生きた小鳥を模してはいるが生物ではなく、ふくよかな羽毛もなければ硬い嘴も無い。淡く発光している小鳥のようなもので、動きだけは本物と見分けがつかないほどには精巧だ。ヒトハの魔法によって作り上げられたその鳥は、ふと解けるように宙に溶けた。

「見たことない? 癖みたいなものだから、大人の私もやってると思うけど」
「いんや、見たことないね」
「そうなんだ?」

 ヒトハは首を傾げながら、もう一度杖を軽く揺らした。どこからともなく集まった光が編み上げるように小鳥の形へ変わっていく。小鳥は翼を震わせて首を小刻みに動かした。音もなく羽ばたいてデュースの肩に乗ると、左から右へとぴょんぴょんと渡り歩く。

「すごい。生きてるみたいだ」
「魔力で作った幻みたいなものだから、綺麗なだけで特別なことは何もないんだけどね。人形遊びみたいなものだよ」

 顔の前に手を翳すと、小鳥は宙を滑るようにやって来て手の甲に止まる。魔力の塊のようなものだから重さもなければ羽ばたきの音がすることもない。それをまるで空に飛ばしてやるように前に振ってやると、小鳥は勢いづいて遠くへ飛び去った。
 監督生が「わぁ」と感嘆の声を上げると、嬉しくなってヒトハはにっこりとした。

「これは魔法の基礎、“イマジネーション”。首を捻る時、羽ばたく時、、羽を震わせる時の姿を想像して形にするだけ。私は魔力がそんなにないから、すぐ消えちゃうけど」

 そろそろ消えてしまうか、というところで小鳥は校舎から出てきた集団と鉢合わせた。錬金術の授業で一緒になったセベクと、同じ寮の生徒らしき三人だ。
 小鳥は人にぶつかっても霧散するだけだが、まるで本物がそうするように彼らの前を大回りして、その先で消えた。

「ほう、これは」

 鮮やかな緑のベストを着込んだ彼らはディアソムニア寮で、その中でも一際大きい角のある生徒が興味深げに小鳥が消えた跡を見ている。セベクはそれに目ざとく反応した。

「お前がやったのか!?」
「う、うん……」

 ぐるりと首を捻ってこちらを見たかと思うと驚くほどの声量で問うので、ヒトハは思わず数度首を縦に振った。

「見事だな! まるで生きているかのように精巧で美しい! こんな特技があったなら早く見せてくれればいいものを!」
「ありがとう。ちょっとだけしかできないけどね」

 セベクは大げさなまでの称賛ぶりで、見た目によらず綺麗なものが好きなようだった。ただ口ぶりからして、大人の自分は親しいであろうセベクにもこの特技を見せていない。それがどうしても、ヒトハにとっては不思議でならなかった。
 角のある生徒はヒトハと監督生を含む四人と一匹を見渡すと、面白そうに目を細めた。

「面白いな。こうか?」

 そしてその生徒は杖であるペンを取り、試すかのように金色に光る糸を何度か紡いで見せた。それを繰り返すたび、次第に生き物の形へと変わっていく。それは鳥であったり、兎であったり、あるいは鹿で、馬にもなった。ヒトハにはできないことを容易にやってみせた生徒は、何かを掴んだのか、次々にその数を増やしていく。

「さすがです! 若様!」
「シルバーの周りにいる動物を模してみた。似ているだろう?」
「ええ! ええ! まるで命が吹き込まれたかのようです!」

 セベクが感激のあまりに大声を出す気分を、ヒトハもまた感じていた。
 彼の魔法は自分の出すような淡い光ではない、眩い光だ。強い魔力と魔法力によって紡がれるそれは、鳥を模しては中庭の空を自由に飛び回り、兎を模してはリンゴの木の周りをぐるぐると駆け回る。大型の馬など、たてがみの一本一本が風に靡くかのように舞っていた。

「すごい!」

 たった一羽、なんの役にも立たないこの魔法に魅せられて、いつかこの光景を現実にするのだと夢見ていた。
 魔法は美しい。教科書に連なる理論で固められた魔法ではない。魔法でしか成しえない、心震わせるもの──ずっと、これが見たかったのだ。ミドルスクールで進路を決断したときの記憶と感情が胸から溢れてくる。どうして忘れてしまっていたのだろう。
 ヒトハは目の前を大きな鳥が滑空したのに合わせて杖を滑らせた。軌道に乗って空に飛び立つのは小さく淡い光を放つ小鳥。二羽は親子のように並んで中庭の空を飛んだ。

「面白い遊びをしているな」

 ヒトハの小鳥は滑るように降りてくると、中庭の賑やかさに顔を出したクルーウェルの赤い手袋の上に留まった。羽を収めて自分を見つめる姿に彼は微笑を浮かべ、それをヒトハに向けて軽く掲げる。

「これはお前か?」
「えっと……はい」

 ヒトハは慌てて駆け寄った。クルーウェルは淡く光る鳥を手首を捻りながらしげしげと眺めている。

「珍しい特技があったものだ。これはなかなかに美しいな」

 彼がそう口にした瞬間、鳥は解けるように消えた。魔力の名残が薄く伸びて、やがて散り散りになる。
 クルーウェルは紛れもなく小鳥のことを言っているのに、まるで自分のことを褒められたかのような気がして、ヒトハはじんわりと頬を染めた。なぜならこの小鳥は自分からできたもので、そして自分が美しいと思っている姿そのものだから。

「──あ、いつものヒトハさん、あんな感じだよな」
「いつものヒトハさんだな」

 彼女に尻尾があるのなら、きっとぶんぶんと千切れんばかりに振っている。そんな姿を見て、三人と一匹は「やっぱりあんまり変わってないのかも」と結論付けて、ウンウンと頷いた。

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