Seven days for me
00 Day before
その日、よく喋る顔馴染みの清掃員が「先生、ナイトレイブンカレッジ出身って本当ですか?」と言い出し、クルーウェルは突然のことに目を瞬いた。
「どこでそれを?」
「愛すべき仔犬どもが教えてくれましたよ。ってことは、卒業した後に戻ってきたんですね! いいなぁ、ナイトレイブンカレッジ卒!」
「お前は女だろうが」
「それはまぁ、そうですけど」
清掃員ことヒトハ・ナガツキは両手で空の瓶を弄りながら羨ましそうに言った。
彼女の持つ瓶に先ほどまで入っていたのは最近新しく調合を始めた魔法薬だ。曰く、前より飲みやすい。
それもそのはずで、匂いや舌触りは以前よりずっと気を遣っているからなのだが、当の本人はそれを分かっているのかいないのか、呑気なものである。
上機嫌に机の下で足をぶらぶらと揺らし、いつもの雑談を始めようとするのを、クルーウェルはじとりと睨んだ。
「余計なことは聞いていないだろうな」
「余計なこと? 何も聞いていませんが。あ、時々トレイン先生の手を煩わせていたらしいとは聞きましたよ」
面白いネタを手に入れて満足なのか、彼女は睨みをものともせず「ま、そんなもんですよね、学生時代って」と、したり顔である。
とはいえ、クルーウェルも言われてばかりでいるつもりもなかった。
「そういうお前は現在進行形で問題行動を起こしているじゃないか。俺は常々、お前に『生徒同士の揉め事には首を突っ込むな』と言っているはずだが?」
嫌味ったらしく言い返してやると、ヒトハは上機嫌に緩んでいた頬をぴたりと固まらせた。
「……どこでそれを?」
「バルガス先生」
ヒトハが“マブ”と呼んで慕うバルガスだが、何でもかんでも彼女の味方をしているわけではない。そういえば、と耳打ちされて発覚することも数知れず。彼は良くも悪くも二人に対して公平だった。
「ただでさえお前は決闘だなんだと血の気の多いトラブルを引き寄せているんだぞ。これ以上下手なことをして仔犬どもの恨みを買うような真似は──」
それを機にクルーウェルが怒涛の説教を始めると、ヒトハは椅子を蹴るように立ち上がった。
「はい、すみません。気をつけます」
彼女はきびきびとした声でそれだけ言い残し、さっさと教室の奥へ引っ込んでいく。
「あいつ、逃げたな……」
取り残されたクルーウェルは広い魔法薬学室で一人呟く。
ヒトハに防衛魔法の訓練を施したのは確かだが、それは余計な荒波を立てるためではなかったはずだ。もっと自分の身を大切にしてもらいたいものだが。
「せんせー」
「なんだ」
クルーウェルの苦悩をよそに、間伸びした声が教室の奥から響く。
「コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
クルーウェルはすっかり反省を忘れて元通りになったヒトハに呆れながらも、いつも通り「紅茶だな」と返した。
こうして魔法薬学室に集まりひそかに雑談をする時、ヒトハは決まってこう尋ねる。魔法薬学室のどこかに私物を隠し、勝手に飲み物を用意するのだ。
今日も二客のティーカップを持って戻り、ヒトハはそのうちの一客をクルーウェルの前にそっと置いた。
「最近紅茶ばかりですね」
「前よりましになったからな」
「酷い……。ま、良いですけどね。私も最近好きなので」
ヒトハは少し離れた生徒用の机の前に座り直し、カップにそっと口を付け、そして離した。熱かったのか、しかめっ面でカップを睨む。それでもすぐに何事もなかったかのような顔をして「そう、それでさっきの話で思ったんですけど」と誤魔化すように言った。
極東の女性らしい、わずかに幼さの残る瞳がクルーウェルに向けられる。
「もしもですよ。もし、私が──」
その時、クルーウェルは何気なく話に耳を傾けた。彼女の話は七割無駄話で、自分にとって必要な話は三割程度のものである。このあり得ない“もしも”も七割のうちの一つに違いないのに、どうしてか意識が向いたのだ。
それは彼女の突拍子のない空想よりも、それを語る姿に強く興味を引かれたからに違いなかった。
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