清掃員さんとバックステージ イン プレイフルランド(2/3)
02
「まだ誰も戻らない!?」
学園長がデスクを叩いて立ち上がる。
ヒトハは隣にいたクルーウェルと顔を見合わせ、そして肩を落とした。
もう生徒たちは寮に戻り、寝支度を整え始める時間だ。こんな遅くまで、一体どこで何をしているというのだろう。
トレインの宣言通り、ヒトハと教師たちは勤務時間を越えた夜の学園長室で生徒たちの帰りを待っていた。今回は寮長、副寮長までもが授業をサボり、無断で外出しているのである。学園長もさすがに「きちんと注意しなければ!」「王族と大富豪のご子息、世界的なタレントですよ!? どう責任とれって言うんです!?」とご立腹の様子だ。誰がどうという話はさておき、責任の問題は学園の職員全員に関わることであり、業務時間が過ぎたからといって放っておけることではない。
しかし大人たちがどれだけ待っても、生徒たちが帰ってくることはなかった。その代わりに学園長室へやって来たのは「寮長が消えた」「副寮長が戻らない」「寮生がいない」と慌てる何の罪もない生徒たちだ。
副寮長とその双子が帰って来ないと言うアズールは、学園長室にいた大人たちに訴えた。
「どうせ飽きたら帰って来ると思っていましたが、帰って来ないばかりか電話も繋がらなければメッセージの返信もありません! どうせろくでもないことになっているに違いない!」
連絡がつかないと訴える生徒は彼だけではなかった。
「レオナさんなら電話を無視してもおかしくないかなって思ったんスけど、ジャックくんにも連絡取れないんじゃ、さすがに変っスよねぇ」
ラギーはハイエナの耳をぺたりと倒し、ため息をつく。寮長不在で奔走したのか、少し疲れた様子だ。
状況を俯瞰してみれば、ただ「学校をサボって遊びに行った」と憤ってもいられなかった。いくらプレイフルランドの場所が秘密だったとしても、外部と連絡すら取れないというのはおかしな話である。それに仮に連絡が取れないような場所だったとして、生徒たちはこんな夜中になるまで遊んでいるものだろうか。明日は通常通り授業があることを、知らないわけではないだろうに。
「ヴィルサンだけじゃなくて監督生サンもいなくなってるなんて……」
「あのトレイくんまでもが行方知れずとは。ただ事ではない様子だね」
エペルとルークはここへ来て初めて行方不明者の数を知り、困惑しているようだった。
あのヴィルが授業をサボっただけでも驚愕なのに、寮生を放ったまま帰らないのだ。そのうえ同級生までいなくなったとあれば、何か事件があったと考えるのも当然である。日中に見たジャミルもデュースもリドルも同じ考えのようで、これは事件ではないかと学園長に詰め寄っていた。
ヒトハは教師たちが並ぶ端で、その様子を静かに見ていた。学園長はデスクを挟んで右から教師、左から生徒に囲まれてげっそりとしており、とてもではないが口を挟める状況ではない。
「学園長!!!!」
バーン! と勢いよく扉が開かれる。そこから大股で向かってくる生徒──セベクは生徒と教師たちの間を一目散に通り抜け、これまた激しい物音を立てながら学園長のデスクを叩いた。
「リリア様が学園のどこにもおられないのだ! 何かあったに違いない!!!!」
その後ろを静かに着いてきたシルバーは、興奮し切ったセベクの肩を引きながら訴える。
「親父ど……リリア先輩は無断で長く学園を離れることはありません。マレウス様は一晩程度で大袈裟だと思われてるようですが、俺には何かあったとしか思えません」
「そうです、学園長。いくらカリムでも無断でこの時間まで戻らないのはおかしい。一刻も早く捜索をお願いします」
「ボクも生徒の捜索を要求します! トレイやケイトが付いていようと絶対に安全とは言えない!」
学園長!学園長!と生徒たちの声が次々に重なり合う。学園長室の中心で生徒たちの訴えを浴びせられていた男は、ついに声を上げた。
「ああ〜〜〜っ! もう! 分かりました!! 分かりましたから!!!!」
ぴたりと声が止み、学園長室は音を失くしたかのように静まり返った。
「あなた方の気持ちは十分に理解しました! こうなったら仕方がありません! 生徒たちを探しましょう!」
そう言って、学園長は拳を固く握った。
「──
学園長の熱い決意を聞き、デュースはリドルを見て、アズールはジャミルを見て、エペルはルークを見る。
長い沈黙の末、トレインが「警察に通報するべきでは?」と、全員の気持ちを代弁するまで、誰も口を開くことはなかった。
「なんっって薄情なんでしょう! あなたたちは同じ学び舎で学ぶ仲間でしょう!? もっとないんですか!? 愛とか友情とかそういうの!」
「そうは言っても手がかりがありません。どこにあるのかヒントすらないプレイフルランドを探して、虱潰しに賢者の島を駆け回れとでも?」
アズールがメガネを押し上げながら一息に言い切ると、全員が頷いた。自分たちでの捜索は早速の諦めムードである。
プレイフルランドは“どこにあるのか分からない”という希少性を売りにしている。ヒトハも生徒を待つ時間に調べてみたが、怪しい情報ばかりで、どれも不確かなものでしかなかった。
つまり、謎の獣人属が関わっているということ以外なんの手がかりもないということである。となれば、人探しに適した大きな組織に依頼するべきだ。
「然るべき機関に依頼するしかありませんな。我々では手に負えません」
バルガスが眉を下げながら顎髭をさする。筋肉があれば何でもできる派の彼も、さすがに無理と判断したらしい。他の教師も良い案がないのか、同調するように頷く。
「先生たちまで! 大切な生徒たちがいなくなったのですから、率先して探しに行くべきでしょう!? そうですよね、ナガツキさん!?」
「わっ、私!?」
突然話を振られてビックリしていると、クルーウェルが呆れながら「御し易いからって彼女に振らないでください」と間に入る。ヒトハは静かにクルーウェルの背後へ回り込み、縞々のふわふわコートを盾にした。
どうやら学園長は生徒を探すことには肯定的だが、それを警察には依頼したくないようである。
「まさか……」
ヒトハは目を細めて、学園長をじっと見つめた。仮面の下の瞳が、何だか焦っているように見えなくもない。──いや、ものすごく焦っている。
「生徒たちが行方不明になったこと、外部に知られたくないんですか?」
ビクッと学園長の肩を覆う羽根が揺れた。
「王族と大富豪のご子息、世界的タレントがいなくなったら大変ですもんね……?」
「そ、そん、そんな……そんなわけないでしょう! みんな我が校にとって大切な生徒で……」
「では急ぎ警察に連絡しましょう」
トレインがすかさず言うと、学園長は「いけませんっ!」と慌てて叫んだ。
「もしかしたら帰りに時間がかかっているかもしれませんし、バレないように夜が更けてからひっそり帰ろうとしているのかもしれません! ええ、なにせ我が校の生徒は実に……賢いので! それなのに警察沙汰にしては麓の街のみなさんに多大なるご迷惑をおかけしてしまいます! ……ですから、まずは我々で生徒たちの行方を探すということで、ここはひとつ」
「学園長」
「はい」
トレインは大きく息を吸い込み、そして吐いた。
「警察へは私が通報します」
「私の話聞いてました!?」
さっさと部屋を出て行こうとするトレインを引っ張って、学園長は熱く主張した。
「もし表沙汰になってごらんなさい! 私なんか記者会見に引っ張り出されて何度も謝らされてテレビのコメンテーターにイチャモンつけられるんですよ!」
「だから何だって言うんです。僕たちには関係がありません」
アズールが冷たくあしらうと、学園長は「酷い!」と嘆く。
確かに王族が行方不明になるのは学園としての問題を越えて外交問題になるだろうし、そうなると学園長はかつてない窮地に立たされるだろう。同情の余地はあるものの、それだけでは動かないのがナイトレイブンカレッジ生である。
しかし諦めの悪い彼は「生徒のあなたたちも他人事ではありません!」と、金の指先を生徒たちに向けた。
「せっかくこれからウィンターホリデーに入るのに取材に追いかけられて顔にモザイク入れられて、いや~な質問攻めにあった挙句にコメントを編集されてあることないこと全世界配信されるんですよ!? 気も休まらないに決まっています!」
完全な悪あがきである。頑なに譲らない学園長に呆れた生徒と教師たちだったが、ラギーはそうではなかった。
「でも、言われてみるとそうかもしんないっスね。ホリデー中はバイトの予定がぎっちりだし、変な噂になったら面倒だし」
本当にそうなるかはさておき、学園長の主張する通りであれば全生徒と職員にとって迷惑なことに違いない。それに名門校の生徒が授業をサボって行方不明……なんて不名誉な話が広がっては、学園の沽券に関わる。噂を聞いた客から、余計なことを言われないとも限らないのだ。
しかしこれは残された生徒と教師たちの都合でしかない。
「それでは俺たちで対処するとして、どうやってプレイフルランドを探そうと言うのです?」
と、クルーウェルが苛立たしげに問うと、話は瞬く間にスタートへ戻ってしまったのだった。どうやって、と問われてもいい案があるわけでもなく、全員で「うーん」と唸る。
結局のところ、ここで話し合いをしたところで手詰まりであることに変わりはなく、教師や生徒全員の知識をもってしても「プレイフルランドはどこにあるのか」という問題に答えは出ない。それが分からないのが売りなのだから、当然である。
『あのぉ~……』
「ひっ!?」
突然耳の後ろから“聞こえるはずのない声”が聞こえ、ヒトハは慌ててクルーウェルの背にしがみついた。クルーウェルも連動して「なんだ!?」と驚き、振り返る。
そこにあったのは、ふわふわと宙に浮きながら青く光る板──イデアのタブレットだった。
「イデアくん?」
ヒトハが問うと、イデアのタブレットは「ちわ……」と消え入るような挨拶を返した。
イグニハイド寮の寮長である彼は、授業、寮長会議と様々な場面にタブレットで現れる。学園内をタブレットが自由に動き回るのも、もはや見慣れた光景だ。
タブレットは小さなスピーカーから動揺するイデアの声を発した。
『ていうか、何でこんなに集まってるの? よく分からないけど、もしかして拙者、乗り遅れた感じ?』
「なんだシュラウドか。どうした?」
バルガスが詰め寄ると、タブレットはピョンと跳ねた。
『い、いや、オルトが行方不明で……』
「オルトくんも?」
ヒトハが驚くと、イデアも『オルトも?』と驚いた様子で聞き返す。どうやら彼は今こうして生徒や教師たちがここに集まっている理由を把握していないらしい。オルトが行方不明という情報だけを携えて、この学園長室に現れたのである。
「実はですね……」
ヒトハはイデアに今日の欠席者が多かったこと、そのうち寮長や副寮長を含む複数人が学園から消え、まだ戻っていないことを説明した。
『あ~~それで……』
イデアのタブレットは納得したと言わんばかりに上下に揺れ、頷くように動いた。
そしてこの学園長室で迷走し続けた問題の答えを、あっさりと答えてみせたのだった。
『それなら多分知ってる。オルトたちの“消えた場所”』
タブレットの画面が切り替わる。大きな城と麓に広がる街、それを囲む海。画面に映ったのは賢者の島を四分の一ほど切り取ったような地図だ。全員でぎゅうぎゅうになりながらそれを覗き込むと、イデアは『ちょ、近すぎ……』と文句を垂れた。
『オルトが夜になっても寮に帰ってこないから、おかしいと思って今日の行動履歴を見てたんだけど……』
「行動履歴?」
『うん、ログ』
ログ。逆に分からなくなって、ヒトハは首を捻る。イデアは構わず続けた。
『オルトに限ってありえないと思うけど、バッテリー切れて居場所分からなくなるとか困るし。トラブルがあった時に対処できるように定期でログを取ってる。だから調べればオルトがどこで何をしてたか大体分かるってわけ』
地図に赤い丸が書き込まれる。高台にある大きな城、ナイトレイブンカレッジだ。そこから麓の街へと赤い線が伸びる。
『早朝に学園を出て麓の街に行って、街を突っ切って港に向かったっぽい』
線は器用に道をなぞり、島の縁にある港で止まった。船着き場の少し先のところでもう一つ丸を描く。そして赤い線はそこからピタリと動かなくなってしまった。ヒトハはもどかしくなって、その先を促した。
「そこからは?」
『……ない』
イデアは苛立った声で言った。
『分からないんだ。オルトがプレイフルランドに行きたがってたのは知ってる。サボりがバレたくなくて自分で通信を切ったのかと思ったけど、そんなのじゃなかった。“切れた”んだ。ひょっとしたら遮断されてるのかも……』
はぁ、と落ち込んだため息が聞こえる。機械越しでも彼が思いつめている姿が浮かんだ。
『港に行けば何か分かるかもしれない』
「港……」
もしも生徒たちが海を渡っていたら。帰って来ないのではなく、帰って来れないのだとしたら。
「港に行ってみましょう」
学園長の提案に異議を唱える者はいなかった。今は通報して人を呼ぶよりも、自分たちの目で確かめるほうが早い。イデアは自室でオルトの行方を調べるとのことで、残りのメンバーから数人だけ箒で街へ降りることになり、ヒトハはそれに迷うことなく手を上げた。
夜の麓の街は暗かった。家の灯りは落ち、住人たちは眠りにつき始めている。街灯は変わらず道を照らしているが、杖に光を点さなければ少し心許ないくらいだ。
教師を中心とした捜索隊は港へ降り立ち、イデアが最後に示した場所へと向かった。
小波の音が暗闇の向こうから等間隔に聞こえてくる、穏やかな夜だ。
「ここ……ですよね?」
「何もないな。いつもの港だ」
ヒトハが振り返ると、クルーウェルは顔を顰めた。なんの変哲もない、いつもの港だ。船着場にはいくつもの船が泊まっていて、波に揺られてはビットに繋いだ縄をギシギシと軋ませている。
ヒトハは不意に違和感を覚えて、すっと顔を上げた。
「ほんの少しですが魔力を感じますね。誰かがここで魔法を使っています」
クルーウェルはヒトハの側にやって来て、そして首を捻った。
「仔犬どもではなさそうだ」
「例の獣人属とやらでは?」
バルガスが言うと、「それにしては弱い魔法だ」とトレインが意見する。
「私にも覚えがない魔法です。ユニーク魔法の可能性がありますねぇ」
学園長が杖でコツコツと地面を叩き、そこから小さな光が弾けた。魔法の痕跡は限りなく薄く、その魔法士がそれほどの力も持っていないことを示していた。
無関係かも知れない。けれど、これ以上の手がかりもない。
「みんなは……海を渡ったかもしれない……」
ヒトハは途方もなく広い海を呆然と眺め、ぽつりと呟いた。
「海を空から見てみましょう。街にもまだ手がかりがあるかもしれません」
バルガスが乗ってきた箒を持ち直しながら提案すると、トレインは渋い顔で頷いた。
「魔法士が関わっているなら、我々のほうが適任でしょうな」
海を眺めるヒトハの耳に、クルーウェルの「今夜は長くなりそうだ」と疲れた声が届く。
夜は更け、もう今日が終わる。この真っ暗闇の向こうに生徒たちが行ってしまったのかもしれないと思うと、焦りと不安が荒波のようにヒトハの心に押し寄せた。
(みんな……)
帰って来なかったらどうしよう。今すぐ探しに行きたい。早く無事な姿が見たい。あの夜のように、ばつの悪い顔をして現れてくれたら、どれほどいいことか。
(グリムくん……)
急にあの時の顔が思い出されて、ヒトハはぎゅっと目を閉じた。
辛い目にあってはいないだろうかと、ただただ心配だった。
***
ここは薄暗いバックステージ。湿気った匂いと冷たい地面、四方と天井を覆う鉄の柵。煌びやかなステージは遠い向こうにあり、ここは舞台道具を並べて置いただけの寂しい場所だ。
フェローとギデルにまんまと騙されて人形にされたグリムは、手足を動かすことすらできず、ふわふわの四肢を投げ出していた。幸いにして子分は隣にいて、触れた部分の温かさが僅かばかりの心の支えになっている。
檻の中には同じく人形にされた仲間達がいて、彼らは雑談と軽口と恨み節と、ちょっとばかりの後悔を口にしていた。もうここにいないのはエースとカリム、オルト、フロイド、そしてヴィルくらいのものである。
学園に帰りたいなぁ。
このままでは人形として売り払われてしまうという事実を前に、オンボロ寮の監督生はポロリと呟く。そうじゃなぁ、とリリアが慰め、エースたちが助けに来てくれるはずだとジャックが励ました。
グリムはたまに「学園に帰りたいんだゾ!」と癇癪を起し、そして時々ヒトハの顔を思い出していた。思い返せば、酷いことを言ったような気がする。叱られた後に学園で見かけた時の顔──あれは自分を嫌っている顔ではなくて、悲しい顔だったかもしれない。
なぜ今になって彼女のことが頭に浮かぶのか。その理由は分らなかったが、思い出すととても悲しい気持ちがする。分からないから、グリムは答えを探して思ったことをそのまま言葉にした。
「……オレ様、ヒトハにひでーこと言った」
グリムの突然の懺悔にみんなが口を噤み、それからトレイが優しく問いかける。
「どんなことを言ったんだ?」
グリムはあの日のことを思い出した。色々なことを言い合ったけれど、ヒトハが酷く動揺したのは二回だけだった。親なんかいないと言った時。それから怒りのままに、こう言った時。
「門限破って叱られてた時に、『オメーなんかよりグリム様のほうがずーっと強いのに、誘拐の心配なんてされる筋合いねぇ!』 って言ったんだ」
「それは……ちょっと酷いな」
トレイは笑った。「それはないでしょ!」とケイトも笑い、「なんつー往生際の悪さだ」とジャックが呆れる。
グリムは言い訳をしたくなって、「だって」と口を尖らせた。
「だってあいつ、『みんなの親から預かっている大切な生徒だから守らなきゃいけないんだ』って言ったんだ。オレ様、親なんか知らねーから、ムカムカ~! って、しちまって……」
言いながら、グリムの言葉は小さくなっていった。思い出しても、やっぱり嫌な記憶だ。
親の事なんか知らないグリムにとっては「守るべき生徒じゃない」と言われているような気がしたし、他のみんなのように親がいないことを思い知らされたようで、寂しくて悲しかった。あの時はムカムカとした怒りで頭がいっぱいだったから、その時のヒトハの顔をちゃんと見ていなかった。それを今になって思い出したのだ。
「あいつ、悲しい顔してた」
ひょっとしたら、言ったことを後悔していたのかも。今の自分のように。
それなのに、怒りのままに「弱い奴に心配される筋合いはない」と言ってしまったのだ。
「ヒトハのやつ、オレ様のこと、もう心配してないかも……」
グリム、と子分の優しい声がする。グリムは構わずに言った。
「嫌なんだゾ……」
自分のことを心配してくれていた人が心配してくれなくなる。それはとても悲しいことなのだと、グリムはやっと気がついた。帰りを待ってくれていた人がいなくなるのは嫌だ。だから今、彼女の顔が思い浮かんだのだ。
体は動かないのに、目はうるうると涙を溜め始めた。ぼやぼやになった景色は味気のない鉄格子で、どんなに願ったって学園の門にはならないし、そこに彼女はいない。
ぐすっと鼻を啜ると、どこか遠くでジェイドが言った。
「グリムさん、それは杞憂というものでは?」
「きゆ……?」
「心配しすぎってことじゃな」
リリアが笑う。
グリムは口をぎゅっとさせた。
「でも、だって、オレ様、親なんかいねーんだゾ……」
自分は“みんなの親から預かっている大切な生徒”ではない。学園にとっていなくなっても困らない生徒だ。だって、繋がりがない。いなくなっても誰も心配しない。悲しまないし怒らない。
「グリム、それは関係ないと思うぜ」
見えない所からジャックの声がする。
「そうそう、ヒトハさんも言い方が悪かっただけで、そんなつもりで言ったんじゃないと思うよ」
ケイトが続けて言った。
「大丈夫。ヒトハさん、それくらいでグリちゃんのこと嫌いにならないし。多分、今ごろ必死で探してくれてるよ」
学園に帰りたいね。子分が言った。グリムの頭は一ミリだって動かなかったけれど、心の中で頷いた。
「帰ったらみんなで叱られような」
「だねー。憂鬱だけど!」
トレイとケイトが楽しそうな声で言って、グリムは無性に帰りたくなった。帰って会いたい人達に会いたくなった。叱られるのは怖いけど、ここにいる仲間達と一緒だから大丈夫な気がした。
「オレ様、売っぱらわれるより叱られるほうがいいんだゾ!」
暗いバックステージで、そうだそうだとみんなで笑った。
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