清掃員さんとお正月Ⅲ

コマ

「そちら、ただいま“期間限定”セールでお安くなっていますよ」
「期間限定」
「人気商品なので“現品限り”となります」
「現品限り」

 ジェイドはにこやかな笑みを顔に貼り付けたまま、腰を軽く折った。そして近くなったヒトハの耳元で、そっと囁く。

「さらに今そちらをご購入いただくと、なんと、あの“KOMAバトル”にも挑戦できます」

 ヒトハは手にしていた魔導式高性能電波時計から顔を上げ、彼の金に光る瞳に目をやった。

「……KOMA……コマ? バトル?」

 ナイトレイブンカレッジにある購買部──ミステリーショップでは、新年の幕開けと共にニューイヤーセールと呼ばれるビッグイベントが開催される。この期間は食品も日用品も、魔導書や魔法道具でさえも超お得なセール価格。生徒たちはこの期間を狙ってミステリーショップに殺到し、思い思いに買い物を楽しむのである。
 ヒトハも生徒たちと同じく、一年に一度訪れるこのイベントを楽しみにしていた。日用品も買い溜めしたいし、ちょっと贅沢な化粧品も買ってみたいし、我慢していたお菓子も欲しい。
 とはいえ日中のミステリーショップは生徒たちでごった返していて、落ち着いて買い物なんてできやしない。だからヒトハはセール開始から五日目、ほとんどの生徒たちが寮に戻った夜の時間帯を見計らい、ミステリーショップへやって来たのだった。
 店内は例年通り、ヒトハにとって見慣れた東方風。この期間のために特別に雇われたバイトの生徒たちも東方の服をアレンジした華やかな制服に身を包んでいる。そのうちの一人、ジェイドは電波時計を手に悩んでいるヒトハの隣へ、どこからともなくやってきた。
 そして耳元で囁いたのだ。それを買えば“KOMAバトル”に挑戦できますよ、と。

「コマって、あれですよね。紐巻いて回すやつ」
「そうです。ヒトハさんならご存じかと思いますが、これです」

 ジェイドは手のひらに載せたものをヒトハに差し出した。カラフルな円錐状の胴体を貫く一本の軸。長い紐。正月の定番玩具、コマである。
 このコマは胴体に紐を巻き付け、勢いよく投げることで回転させる玩具だ。子どものころに“伝統的な遊びを体験する”という名目で少し触ったことがあるが、難易度が高く、上手く回せた覚えがない。

「このコマを僕たちと同時に土俵の上で回し、最後まで残っていたほうが勝ちというわけです」
「ああ、なるほど。そういう遊びですね」

 先に勢いが無くなって倒れたら負け、あるいは弾き飛ばされて土俵から出ていったら負け。そういう玩具が一時期流行っていたことを思い出し、ヒトハは彼の言う“KOMAバトル”を理解した。あれはプラスチックだったり金属だったりしたのだが、似たようなものだろう。

「五千マドル以上のお買い上げでバトルの挑戦権が得られ、勝てば“ゴールドサムチケット”が手に入ります」
「ゴールドサム? いかにも凄そうなチケットですね」

 ジェイドは深く頷いた。

「はい。店内の商品であれば何とでも交換できる特別なチケットです」
「何とでも?」

 ヒトハは思わず店内を見渡した。壁に沿ってぎっしりと並べられた商品の数々。KOMAバトルに勝てば、この中のどれとでも交換できるというのだ。
 ミステリーショップといえば、学校の購買らしからぬ品揃えを誇る店である。生徒だけではなく教師や職員も訪れることがあり、ちょっとやそっとじゃ手の届かない品物だって揃えている。聞けばクルーウェルはここで「生産が終了した車のビス」なんてマニアックなものまで手に入れたのだというから、自分が思いつく物のほとんどは存在していると考えていいだろう。

「ヒトハさんが購入しようとしている洗剤などの日用品と、そちらの電波時計を購入すれば、五千マドルを越えますよ」
「これを買えば……」

 ヒトハは再び手元に目を落とした。新年早々、アラームを止めようと伸ばした手で吹っ飛ばしてしまった目覚まし時計。壊してしまったときは「布団を被ったまま手を伸ばさなければよかった」と後悔したものだが、ひょっとすると、これはここで買い替える運命だったのかもしれない。

「えっと、じゃあ、これ──」

 と、意を決してジェイドに箱を差し出そうとしたとき、店の扉がギィと鳴いた。
 この時間帯の客は珍しい。ヒトハとジェイドはくるりと振り返り、新しい客へと顔を向けた。その人は店に入って来るや否や東方風に飾られた店内をじっくりと見渡し、それから二人を見つけ、少しだけ驚いた顔をした。

「ああ、そうか。今年のバイトはリーチ兄か」

 クルーウェルはこちらへゆったりと歩いて来ると「お前もショッピングか?」とヒトハに問いかける。ヒトハは手元の電波時計を胸に掲げながら、にっこりとした。

「ええ、『セール五日目の夜は狙い目』って小耳に挟んだので! 先生もですか?」
「ああ。俺も今夜くらいから客が減るのではないかと聞いてな」

 クルーウェルは再び見渡しの良い店内に目をやって、「さすがに閉店間際ともあれば仔犬もいないようだ」と肩をすくめる。
 ニューイヤーセールの初日は閉店まで盛況だが、購買意欲の高い生徒は早いうちにお目当ての物を手に入れてしまうため、日を追うごとに数が減っていく。実は、ヒトハは「五日目の夜にはちょうど客が減って買い物がしやすい」とかなんとか生徒が話しているのを聞いて、その通りに購買部へやって来た。偶然にも、彼も似たような話を聞いて同じ時間に来たらしい。
 生徒たちが大勢いる中で買い物をするのは少々肩身が狭いから、セールに乗り遅れても人が少ない時を狙ったほうがいい。でも買い逃したくはないから、早めに来店したい──そんなところだろう。

「ジェイド・リーチ」

 クルーウェルが名前を呼ぶと、ジェイドは「はい」と、にこやかに頷いた。

「エンジンオイル、ワックス、レザーコンディショナー、ホイールクリーナー。いつものだ。サムに聞けば分かる」
「かしこまりました」

 まるで呪文のような注文だ。自分が店員なら聞き返したくなっただろうが、ジェイドは手慣れた様子で店の奥へと引っ込んでいく。さすがはモストロ・ラウンジで働いているだけあって、接客はお手の物である。
 ヒトハは先ほどの注文の内容を頭の中で復唱しながら、一本ずつ指を折った。
 エンジンオイル、ワックス、レザーコンディショナー、ホイールクリーナー。
 クルーウェルが頼んだのは、恐らく車のメンテナンス用品だ。こだわりの強い彼のことだから、きっと高価なものを選んでいるのだろう。

「ということは、たぶん先生も“KOMAバトル”の挑戦権ゲットですね!」
「KOMAバトル? 何だ、それは?」

 クルーウェルは器用に片方の眉だけ持ち上げ、聞き慣れない“KOMAバトル”という単語に首を捻る。ヒトハは両手でコマに紐を巻き付ける真似をしながら答えた。

「東方にはこうやってコマに紐をぐるぐる巻きつけて回す遊びがあるんです。これで店員さんと競って、勝てばお店の物が何でも一つ貰えるんだとか! セール中に五千マドル買ったら挑戦できるんですって!」
「……何でも?」

 ヒトハの説明を聞くと、クルーウェルはスッと目を細めた。それなりの高級取りであろう彼も、“何でも”というワードには心惹かれるらしい。下顎を撫でながら店内に視線を巡らせ、欲しいものを考えているようである。

「お待たせしました」

 ジェイドが大きなカゴに商品を入れて戻ると、彼はすかさず口を開いた。

「仔犬、KOMAバトルとやらの挑戦権は俺にもあるのか?」
「おや、先生もご存知でしたか」

 ジェイドはわざとらしく驚きながら、ずしりと重いカゴをカウンターの上に置いた。
 そして特徴的なギザギザの歯を唇の隙間から覗かせ、怪しく笑う。

「もちろん、先生も挑戦できますよ。こちら全てご購入いただけるのであれば、ですが」

「立派な土俵ですねぇ」

 ヒトハは店外の灯りに照らされるコマ回し用の土俵を見て驚いた。もっと簡易的なものかと思っていたが、実際は正月飾りで飾られた黒く大きな台で、天板は中心に向かって緩やかに沈んでいる。この土俵であれば、四人分のコマはあっという間に接触してしまうことだろう。
 ジェイドに連れられ、ヒトハとクルーウェル、そしてバックヤードで仕事をしていたルークは、店外にあるKOMAバトルの土俵を囲んでいた。このKOMAバトルでは店員二人を負かさなければならない。今回ヒトハとクルーウェルが対戦するのは、ジェイドとルークのチームだ。
 ちなみにトレイとオルトのチームもあり、両チームは店への貢献度で競い合っているのだという。この繁忙期に通常の接客に加えてKOMAバトルの対戦相手までさせるとは、店主のサムも抜け目のないことである。
 ジェイドとルークはコマ回し未経験の教師に回し方を教えると、練習の時間を設けた。当たり前のことだが、接客で何度もコマを回している彼らと戦うにはそれなりの準備がいる。
 クルーウェルは早速分厚いコートを脱ぐと、教えられた通りに紐をコマに巻き付けて土俵に投げた。

「なるほど、これは難しいな」

 とかなんとか言いながら、コマは土俵の中心で勢いよく回っている。元々手先が器用だからか、回すこと自体に問題はないようだ。
 しばらくしてコマが倒れてしまうと、クルーウェルはそれをひょいと拾い上げた。
 コマの周りを飾る柄は彼の赤い手袋に負けず劣らず色鮮やかだ。世界各地にコマは存在するものの、この形状と色彩は東方ならではのものである。

「ナガツキ、これは東方の玩具なのだろう? お前が一番勝つ可能性が高いのではないか?」

 ヒトハはコマに紐をぐるぐると巻き付けながら、薔薇の王国出身者らしい疑問を「まさか!」と笑った。

「私の子どもの頃は流行ってませんでしたし、ちょっと遊んだことがあるくらいですよ」

 コマを手にした腕を振りかぶり、勢いをつけてひゅんと投げる。コマは土俵に着くなり、高速で回転しながら丸い縁を駆けた。

「ほう、上手いじゃないか」

 クルーウェルは土俵を覗き込みながらヒトハの腕前を褒め、散々コマ回しを見てきたジェイドもルークも「上手い」「素晴らしい」と手を叩く。

「私、もしかしてコマが得意……!?」

 この世に産まれて二十数年、この歳にして発掘した意外な才能である。もうちょっと実用的な才能が欲しかったとは思うけれど、今この瞬間に限っては最高の才能だ。
 ──これならひょっとして、ひょっとするかもしれない。
 そのときは、まだほんの少しの期待でしかなかった。しかしその期待を裏付けるように、ヒトハのコマは順調に回り続けたのだった。

 さて、準備はよろしいでしょうか。と、ジェイドが着物の袖を捲る。彼の手には準備万端のコマが握られていた。隣のルークもいつでも勝負を始められる状態で、切れ長の目を輝かせながらうずうずとしている様子だ。

「オーディエンスもいない中で先生とヒトハさんのチームと真剣勝負ができるなんて! ああ、私はなんて運がいいのだろう!」

 ルークの言う通り、土俵のある店外には誰もいなかった。外灯の光は広く周囲を照らしているが、その光の中にいるのは四人だけである。
 ヒトハはきっちりと紐を巻いたコマを握りしめ、隣のパートナーを盗み見た。
 彼は「仔犬相手にむきになるのも馬鹿ばかしい」「楽しめればそれでいい」とでも言うかのような大人の顔をしていたが、その割に紐の巻き方はきっちりとしている。
 それもそのはずで、デイヴィス・クルーウェルという男はかなり好戦的な性格で、プライドが非常に高い。防衛魔法の実技では戦略的に立ち回るように指導しながら、自分は圧されると青筋を立ててしまう一面も持っているのだ。

(だとしたら、先生は真ん中……)

 ヒトハはクルーウェルが真ん中で堂々と仔犬たちを蹴散らすだろうと予想した。ちまちま外を回って陰湿に攻めることはなかろうと思ったのだ。

(じゃあ私は……)

 ならばと自分の役割を考える。
 コマは練習の間に更に上達して、最後は狙った場所で回せるようになった。器用に動けるのだから、サポートに回るほうがいいだろう。
 そう考えて、ヒトハはジェイドの合図に合わせ、コマを持つ手を振りかぶった。
 狙いを定め、さん、にい、いち────バチッ!

「え?」
「あ」

 弾けるような音と共に、ビュンと左右にコマが飛んでいく。
 ヒトハとクルーウェルは呆気に取られた顔で、残されたコマが順調に回っている様を眺めた。
 ぶつかり合った二つのコマ──ヒトハとクルーウェルの投げたコマは、開始からものの数秒で土俵からドロップアウトしたのである。土俵の中心では、今もジェイドとルークのコマが誰に邪魔されることなく回り続けている。
 ジェイドは正反対に弾け飛んだヒトハとクルーウェルのコマを交互に見ると、堪え切れなかったのか、口元に拳を当ててフッと噴き出した。

「おやおや、先生とヒトハさんのコマが自滅してしまいました」
「オーララ! 二人の息が合いすぎてしまったがための悲劇だね!」

 コマを投げて一秒もなかった。ルークの言う通り、二人は投げる場所までぴったりと同じようにコマを回し、見事にぶつかり合わせてしまったのだ。
 ハッと正気に戻った二人は「え!?」「おい!!」と悲鳴に似た声を上げる。

「駄犬! お前は猪突猛進タイプではなかったのか!?」
「せっ、先生こそ! 隅っこより派手にど真ん中タイプじゃないんですか!? 私は先生の邪魔にならないようにと思って……!」
「いや、俺もお前のサポートをと思って……」
「えっ、先生も……?」
「…………」
「……」

 ヒトハは静かに口を閉じ、その辺に転がる自分のコマを見下ろした。
 勝負をする前に勝負が終わってしまった。自滅という形で。お互いの戦略が一致してしまったせいで。
 いや、戦略が一致するまではよかったのだ。どうして同じポジションまで選んでしまったのか。上手く嚙み合えば、かなりいい勝負になったはずなのに。
 先生……と、ヒトハは躊躇いがちに口を開いた。
 
「この前『いい柔軟剤が欲しい』って言ってましたよね? あと洋服ブラシ……馬毛の……」

 クルーウェルは額を抑えながら俯いた。雪のように真っ白な髪と血のように赤い手袋の隙間から、うっすらと見える青筋。

「……そう言うお前は、寝具を買い替えたいとか言っていなかったか? 枕がどうとか……」

 なにも一回限りと決まっているわけではない。何度だってチャンスはある。そう、条件さえ満たせば。
 すると、おもむろにジェイドが隣へやって来た。彼はヒトハの傍で軽く腰を曲げ、来店時からずっと変わらない笑顔と声で、悪魔のように囁いたのだった。

「どうされます? 五千マドル以上のお買い上げで、もう一度チャレンジできますが」

***

 翌日、ミステリーショップでは六日目のバイトを前に、いつも通りのミーティングが開かれていた。
 店主のサムは臨時アルバイターのジェイド、ルーク、オルト、トレイの前で今日の目玉商品のことや売り上げ予想、昨日のトラブルや注意事項をペラペラと話し終えると、「それから、小鬼ちゃんたち!」と盛大に指を弾く。
 すると四人の前に、一枚の紙が現れた。何かの表のようで、マスの中には行儀よく数字が並んでいる。

「なんと、昨日は昨年の五日目の売り上げを大きく上回って過去最高! 今日もこの調子で頼むよ!」
 
 サムは黒く縁取った目を片方だけパチリと覆った。ニューイヤーセール期間中で一番の笑顔である。昨日はセールの終わりが迫る五日目にして、好調な成績だった。店主として、嬉しくないわけがない。
 サムの発表を聞いたオルトは、紙に記された時間帯別の売り上げを眺め、「わぁ、すごいや!」と驚いた。

「ジェイド・リーチさんとルーク・ハントさんのシフトで大幅に売り上げが伸びてる! 夜の間だけでどうやって売り上げを伸ばしたの!?」

 オルトが驚くのも当然である。夜の中でも、ほんの一瞬の間に売り上げがぐんと伸びているのだ。
 疑問を投げかけられた男は相変わらずの笑顔をたたえたまま、「何も特別なことはしていません」と片手を顎に添えた。

「ただ、二回ほど友人たちと雑談をしただけですよ。『五日目の夜なら客が少なくなるかも』と」
「ええ? それだけ?」

 オルトが不思議そうに問うと、ジェイドは迷うことなく頷いた。そして「ええ、それだけです」と、ギザギザの歯を見せながら笑ったのだった。

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