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プレゼント交換の話
「先生、プレゼント交換しましょう」
期末の試験が終わり、採点や生徒たちの評価などなどの大仕事を終えた日のこと。ヒトハは寒さで赤らんだ顔に、ニコニコと期待を込めた笑顔を浮かべて言った。魔法薬学室の外では雪が舞い始めたらしく、彼女のスタンドカラーのコートには小さな雪解けの跡が散りばめられている。
「プレゼント交換?」
クルーウェルはヒトハの突拍子もない提案に、片眉を上げて聞き返す。
魔法薬学室の整理もこれでひと段落で、あとは待ちに待ったウィンターホリデーに入るだけ──なのだが、これは何か新しい仕事が舞い込んでくる予感だ。
「もうすぐウィンターホリデーじゃないですか。で、二十五日が来るじゃないですか」
ヒトハは早口になりながら訴えた。
彼女の言う“二十五日”とはウィンターホリデー期間に訪れる、一年に一度の特別な日のことである。この日は豪華な食事が振舞われたり、子どもたちはプレゼントを貰ったりもする。恋人たちもプレゼントを贈り合う風習があるから、そのことを言っているのだろうか。──いや、まるで覚えがない。
「お前はいつから俺の恋人になったんだ?」
「え゛っ!?」
クルーウェルが訝しげに尋ねると、ヒトハは「違います!」と千切れんばかりに首をブンブン振った。元々赤かった顔を一瞬で茹で上がらせて「恋人じゃないです!!!!」と猛烈な勢いで否定する。
そうでないことは当然理解しているが、そこまで嫌がる必要はあるのか。クルーウェルはむっつりと口を閉じた。
けれどそんなことをクルーウェルが考えているとはつゆ知らず、ヒトハは神に祈るように両手を胸の前で組んだ。そして瞳をぱちぱちと瞬かせ、
「先生が選ぶプレゼント、ものすごいハイセンスなんだろうなーと思ったら興味が湧いちゃって……プレゼント交換、だめですか?」
と、上目がちに
「…………」
あまりに衝撃的な光景である。クルーウェルが固く閉じていた唇を思わず開いてしまうくらいには。
甘え下手な彼女にしてみれば、驚くべき成長であることは間違いない。
クルーウェルは気難しい犬を手懐けたような達成感に満たされながら、それを悟られないように静かに口元に手を当てた。
するとヒトハは「もう一押し」だと勘違いしたのか、熱心に瞬きをし始めたものだから、もう我慢がならない。笑いを堪えながらクルーウェルは努めて厳しい声を出した。
「そうは言うが、お前も俺のプレゼントに見合うものを選べるのだろうな?」
「それは、自信ないですね……」
ヒトハは急に現実に引き戻されたのか、いつも通りの顔をして肩をすくめた。何を思い立ったか珍しく甘えた態度を取ってみたものの、そこまで徹底できるほどの練度ではなかったらしい。
(まぁ、調子が狂うしな)
こういうのはたまにやるから意味があるのだ。
この時には、クルーウェルは不器用なりに頑張って“おねだり”をした彼女に一肌脱いでやる気持ちでいた。
「いいだろう。ホリデー前でちょうど時間があるからな。付き合ってやる」
「やったぁ!」
クルーウェルが仕方ない風を装って答えると、ヒトハはピョンと跳ねる勢いで喜んだ。極東の人間は幼く見られがちとは言うが、少なからず態度も影響しているのではないだろうか。
彼女は目を輝かせながら「それで!」と再び胸の前で手を組んだ。
「予算のこと、なんですけど」
「予算? ……ああ、交換するんだったな」
プレゼントが欲しい、という主張に気を取られて忘れるところだった。
彼女に対して要求する物などなかったが、さすがに貰うばかりでは気まずかろう。それに交換なのだから、金額的に対等がいいと思うのも頷ける。
「いくらだ?」
五千か、一万か。友人相手のプレゼントの予算としてはそれくらいあれば十分だろう。
しかしヒトハはクルーウェルの予想を大きく外れて「二千マドルで」と、なんともない顔で答えたのだった。
「二千? 少なすぎないか? 十代じゃあるまいし……」
二千マドル。例えば、その辺のカフェでコーヒー三、四杯分。ランチ一回分。その程度の金額である。この学園の生徒が生徒同士で贈り合う品の方がまだ高価だろう。
その程度の金額で一体何を選ぶと言うんだ。クルーウェルがそれを主張する前に、ヒトハは自信を失くしたのか、眉を下げた。
「さすがの先生でも二千は厳しいでしょうか……? やっぱり無理ですよね、二千マドルでプレゼントを選ぶのは……さすがの……先生でも……」
妙に引っかかる物言いである。
「やっぱりそれなりの金額じゃないと“センスのいいプレゼント”は用意できないですよね……」
さすがに……と、ヒトハが再び落ち込んだ声で言った瞬間にはもう、クルーウェルは指揮棒をしならせていた。
「ビー クワイエット! この俺を誰だと思っている!?」
ヒトハはピシャン! と鞭打つような音に驚き、慌てて口を噤んだ。
とにかく気に食わなかった。「さすがに無理」と侮られるのも、高い金額を出さなければセンスのいいプレゼントは用意できないという安易な考えも。
手のひらに収まった指揮棒の先を苛々と叩きつけながら、クルーウェルは続けた。
「そこまで言うなら、いいだろう。二千マドルでお前を唸らせるプレゼントを見繕ってやる」
「無理せず五千マドルくらいでも……」
「二千だ」
ヒトハは顎を引っ込ませて黙り込んだ。
クルーウェルに退く気はなかった。ここで退いて「やはり五千で」と言うのはプライドが許さない。それに彼女の認識も改めてやらなければならないのだ。
こうして意図せず焚きつけられてしまったクルーウェルと、特に深いことを考えずプレゼントを欲しがってみたヒトハの、プレゼント交換企画が始動したのである。
***
「と、いうわけで。みなさんだったら何が欲しいですか?」
ヒトハは箒の柄の先に顎をのせて悩ましげに言った。ヒトハのいる植物園の温室には、クルーウェルの授業で素材の収穫の課題を与えられた生徒たちが集まっている。オンボロ寮の監督生とそのマブたち、それから近くにはジャックにエペル。遠くにはセベクもいる。ヒトハに近い場所で収穫をしていたエースとデュース、オンボロ寮の監督生はヒトハの質問に手を止めて首を捻った。突然「今欲しいものは何か」と聞かれて即答するのも、なかなか難しいことのようである。
ホリデーが近づいた麓の街をさ迷い歩いた週末、突然に天から降ってきたように思いついた“プレゼント交換”という企画をクルーウェルに提案してみたら、案外すんなり受け入れられてしまった。おだてたらいけるかも! と安易な考えで挑んだ割には大収穫である。
学生時代はあまり友人が多いほうではなかったから、プレゼントを贈り合うということに憧れがあったのだ。生徒たちやバルガスにお願いしてもよかったが、生徒相手は気が引けたし、バルガスへのプレゼントはプロテイン以外に思い浮かばず面白みに欠ける。こうなったらクルーウェルに、と矢印が向いてしまうのは自然なことだった。
とはいえ相手はセンスの塊、ファッションの鬼。かのヴィル・シェーンハイトと恐ろしいほど話が合ってしまう男である。自分で提案しておきながら喜ばれるものを選べる自信がない。大体、男性は何を貰ったら嬉しいのか──ヒトハには、その根本的なところがよく分からなかった。
悩みに悩んで生徒に尋ねてみたが、今のところあまりいい案は出ていない。レオナは予算大幅オーバーの『ブランドの財布』で、一緒にいたラギーに至っては予算が余りまくる『空の保存容器』である。
さて、このままでは約束の日になってしまう。ということで、今まさにクルーウェルの課題に勤しむ生徒たちに声をかけたのだった。
ヒトハの問いに一番に手を上げたのはエースだ。
「オレ、トランプ」
「トランプ?」
「いつも使ってるやつがへたってきたから新しいやつが欲しくてさぁ。ポーカーの世界大会で使われてるやつとか、かっけーの」
「なるほど……」
エースのトランプといえば、オンボロ寮に集まってみんなでゲームをする時にも、マジックを披露してくれる時にも使っている愛用品である。普段使っている物もいいかもしれない。
「ジャックは?」
エースはスコップを土に突き立てながら、隣で黙々と作業していたジャックに話を振った。
ジャックは突然振られて驚いていたが、話を聞いていなかったわけではないのか、手の甲で額を拭いながら答える。
「プロテインなら助かる。ただ、筋トレしないやつだと選ぶのは難しいんじゃないか? 俺にも気に入ってる商品があるしな」
「お気に入り以外を貰っても困るってことですね」
ジャックの言うことにも頷ける。愛用品を「変えたい」と思っていなければ、持て余すかもしれない。
クルーウェルならどうだろう。女性であるヒトハにはパッと化粧品くらいしか思い浮かばなかったが、色も香りも好みがあるし、基礎化粧品は相性もある。自分に一番合う愛用品があってもおかしくはないし、合わないものを貰っても困るかもしれない。
「セベクくんはどうです?」
ヒトハは少し離れたところで、噛みつく魔法植物を革の手袋で鷲掴みにしている最中のセベクに問いかけた。
「なんだ!?」
彼は凶暴な植物相手に余裕がないのか、ジャックの様に話を聞いていなかったらしい。ヒトハは口元に手を当てて叫んだ。
「今、欲しいものってあります!? 若様の写真集とか!!」
「なぜ分かった!?」
うわ、マジかよ! とエースとグリムがゲラゲラ笑う。彼らはセベクの信仰心を冗談かのように笑うが、ヒトハは本気だと知っている。セベクの部屋には美術品のごとくマレウスの肖像画が飾られているのだ。護衛の仕事のため、気合を入れるのに必要なのだろう……ということにしている。
「ていうか結局は何が好きかでしょ。好きなものを知ってくれてるってだけで結構嬉しいもんだし。ピッタリ欲しいものを当てなくていいんだって」
延々と頭を悩ませ続けるヒトハに呆れながら、エースは土から掘り出した根をトレーに寝かせた。器用な彼は喋りながらもエペルに次ぐ収穫量で、背後には満杯のトレーが積んである。
しかし次の植物に手をかけたところで「待って」と焦った声が呼び止めた。エペルはエースの隣に駆けてくると、今まさに引っこ抜かれようとした植物を覗き込んだ。葉が放射線状に開いたような、白くて大きな花だ。
「それは先生が『抜くな』って言ってたよ」
「なんだっけ、これ?」
「ポインセチア、かな」
「あー、回復薬に使うやつだっけ?」
「そうそう」
エペルはふと顔を上げると、天使のような愛らしい笑顔でヒトハに振り返った。
「ヒトハサン、花とかどうですか? ヴィルサンも仕事で貰ってきた花束を大切に飾ってるし、見た目にも綺麗ですよ。それに贈り物って、気持ちが大切だと思うし」
エペルが言うと、今度は頬に土をのせたデュースがそれに賛成した。
「そうだよな。僕も気持ちがこもっていれば何を貰っても嬉しい気がする」
「だよね。花じゃなくても、エースクンが言ってたみたいな“好きだと思うもの”でも絶対に嬉しいと思う」
にこにこと純粋な笑顔で言う二人を見ていると、確かにそんな気がしてきた。”センスのいいプレゼント”なんて自分で言っておきながら、実際のところ何を貰っても嬉しいのだ。
(これが気持ちが大切ってことなのかな)
取って付けたような理由のせいでややこしくなってしまった。もっと純粋な言葉でお願いすればよかったのだ。ホリデーのプレゼントを贈り合いませんか、と。
ヒトハは貴重な意見をくれた生徒たちにお礼を言って、温室の外へ出た。空に昇っては消える白い息をぼんやり眺めながら考える。
じゃあ、先生の好きなものって何だろう?
***
ホリデーに入ったその日、ヒトハは待ち合わせ場所の魔法薬学室にやって来た。これから二人とも帰省予定で、今日別れたら年が明けるまで会うことはない。
悩みに悩んで決めたプレゼントを手に扉を押し開け、暖かい室内に滑り込む。クルーウェルが部屋をうんと暖めてくれていたおかげか、ヒトハの冷え切った頬は火が点ったように温かくなった。
「よし、来たな」
彼はヒトハがやって来たのを見て、ニヤリとした。何やらとても自信のある様子だ。
ヒトハはなるべくギリギリまで秘密にしておこうと、両腕にプレゼントを隠し持つようにして目の前に立った。
「選んできましたよ。センスがいいかは分かりませんけど……」
クルーウェルはヒトハが手にしている袋を見下ろし、口元に苦い笑みを浮かべながら、小さなため息を落とす。
「話題のコスメ、小物、日用品……色々考えたが、二千マドルではどうあがいても予算オーバーしてしまうからな。俺もお前の言うハイセンスは早々に諦めた」
ヒトハとしては「こちらからお願いするのに高額では悪いだろう」と考えて予算を二千マドルにしていたのだが、やはりクルーウェルにとってはかなり物足りない金額だったらしい。
しかし彼は諦めたと言いながらも自信たっぷりの顔をして、後ろから白い小箱を持ち出した。
「だが、これなら間違いなく喜ぶだろう」
トン、と机に置かれた白い紙の小箱。もしかしても、もしかしなくても──
「ケーキ!」
間違いない。予約なしでは買えないという、麓の街の人気店のケーキだ。以前「食べたい」とぼやいていたのを覚えてくれていたのだろう。
ヒトハは今すぐ箱を開けたい気持ちを抑えながら、自分の抱いていた袋をそっと差し出した。
「実は、私はこれでして」
袋を受け取ったクルーウェルは中から角張った缶を取り出して、少し驚いた顔をした。
「先生が昔『美味しい』って言ってた、ちょっといい紅茶です」
「なんだ、覚えていたのか」
「はい。色々考えたんですけど、好きなものを渡したいなと思って」
ヒトハが選んだのは、昔奮発して買った紅茶だった。あれから一度も買わなかったし、この機会にプレゼントしたいと考えたのだ。
クルーウェルはヒトハから貰った紅茶の缶とケーキの箱を交互に見比べながら顎をさすった。
「これはホリデー前にちょうどいいティーパーティーになるな」
「ですねぇ」
美味しいお菓子にお茶が揃えば、文句なしのティーパーティーの完成である。二十五日の前だが、どうせ会えないのだから、一足先にやったっていい。
「これ、淹れてきますね」
そう言って紅茶の缶を取り上げようとするヒトハの前に、さっと白いものが割り込んでくる。
「予算外だが、これも渡しておこう」
「あ、白いポインセチア」
それはいつか植物園で見た花だった。葉のような形の花びらが、外に向かって大きく広がっている。真っ白な雪のような花だった。
クルーウェルは言い当てられると思っていなかったのか、感心したように言った。
「よく知っているな。花びらに見えるこれは、実際は花びらではなく
「い、いいえ……」
「では年明けまでの課題だな」
ふっと唇を緩ませる程度の笑みを浮かべながら、クルーウェルはそれをヒトハに押し付けた。両手に持てる程度の鉢に、溢れるほど大きく咲いているポインセチア。白一色のこの花には、一体どんな意味があるのだろう。
「しかし悔しいな。来年は一万マドル以下でリベンジさせてくれ」
クルーウェルが心底悔しそうに言うので、ヒトハは思わず声を上げて笑った。
「先生のプレゼント、とっても嬉しいですよ! ありがとうございます!」
今更ながら、生徒たちのアドバイスが身に染みる。
気持ちがこもっていれば何を貰っても嬉しい。自分のことを考えて選んでくれたことが嬉しいのだ。
「私、一マドルもいらないです。来年も今日みたいに一緒に過ごす機会をください」
クルーウェルは何とも言いようのない顔をすると、そっと口元に手を当てて、ゆっくりと答えた。
「……そうだな、そうしよう」
なぜか震えているような気がしたが、ヒトハは気にしなかった。
喜びを嚙みしめるのに忙しくて、それどころではなかった。
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