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お節介な話
親指を彷徨わせながら動かし、トトトトと画面を叩く。
ヒトハはいつもの中庭のベンチで、スマホを片手に頭を悩ませていた。何度も文字を打っては消し、打っては消し。どうにも上手い言葉が出てこない。普段だったら、もっと簡単に思い浮かぶものだけれど。
このまま無意味に時間を浪費していては昼休みが終わってしまう。ヒトハはベンチの傍に立つ木を見上げながら、ため息をついた。
「あれ~? ヒトハさん、何してるの?」
「あら? ケイトくん……と、みんな」
ヒトハは反らしていた首を傾けて、ベンチの後ろから声を掛けてきたケイトに振り返った。周りにはリドル、トレイ、エースとデュースもいる。ハーツラビュル寮でもよく目立つ五人組だ。昼休みに一緒にいるのは珍しく、しかし寮絡みのことならあり得なくもない。
「もしかして、先生宛?」
「わっ」
突然頭上から聞こえた声に驚いて、ヒトハは慌ててスマホを胸に引き寄せた。背もたれの後ろに、ニヤニヤ顔のエースが立っている。彼はどうやら勝手にスマホの画面を覗いたらしい。
エースの言うことを肯定しては面倒ごとになりかねない。しかし無理に隠し立てをしたところで、余計な詮索を招いてしまうのも確かだ。
ヒトハは諦めて、素直に白状することにした。
「ほら、クルーウェル先生ってしばらく留守じゃないですか? ちょっと連絡を取ってみようかと思って……」
クルーウェルは数日前から他校の視察で学園を留守にしている。いつもなら学園を歩いているだけで出会うような人だ。数日も会っていないと、やはり何かと気になって調子が悪い。それなら一度、連絡でもしてみればいいのではないかと思い立ったのだ。
とはいえ、普段あまりメッセージのやり取りをしないものだから、話題もなければ話の切り出し方も分からない。そうして途方に暮れて文字を打ってみたり消してみたりを繰り返していたところに、ケイトたちが現れた。
「で、一行を前に悩みに悩んでるってわけ? 考えすぎじゃね?」
「そ、そこまで見たんですか……」
エースはフフンと得意な顔をして笑うと、ヒトハが胸に抱くスマホを指で差した。
「ていうか、そんなつまんない文章じゃ先生は喜ばないでしょ!」
「え、ええ……? 喜ぶとか、関係あります?」
ヒトハは眉をひそめて聞き返した。喜ばせたくてメッセージを送ろうとしているわけではない。日ごろ学園で出会ったときにしているように、調子はどうかと挨拶を交わしたいだけなのだ。
ヒトハの真面目な答えに「ある!」と強く主張したのはエースとケイトだ。ケイトは指先でウェーブがかった髪を弄りながら、口を尖らせた。
「せっかく女の子からメッセージ貰うのに味気ないとか、ガッカリでしょ。ねぇ、トレイくんなら何て来たら嬉しい?」
「お、俺か?」
急に話を振られたトレイは、困惑しながらも「うーん」と唸る。
「『先生の帰りを待っています』……とか?」
トレイは自信なさそうに言うが、ヒトハにとっては“ちょうどいい”回答だ。この程度であれば『みんな先生の帰りを待っていますよ』くらいに書き換えれば悪い気はしないだろう。
しかしケイトの解釈は、ヒトハとは少し違った。
「いいね! 早く帰って来て欲しい感じが出てる!」
うんうん、と隣でエースが頷きながら同意する。
彼らはどうにかしてヒトハがクルーウェルに送る文章を“恋する乙女”にしたかった。なぜなら、そっちのほうが面白いからである。
エースはくるりとクラスメイトのほうに顔を向けた。
「デュースは?」
「僕か!?」
エースの突然の無茶振りに、デュースは頬を淡く染めた。
「えー、えっと、『早く会いたいです』。……なんか恥ずかしいな、これ」
普段であれば彼のたどたどしい答えを「可愛い!」と思えただろうが、その文章を自分がクルーウェルに送るとなると話は別だ。急に『先生に早く会いたいです♡』と言い出す気味の悪さは、自分のみならず相手にも大きなダメージを与えるに違いない。
こうしておかしな方向に進み始めたメッセージの考案は、早くも後方で呆れていたリドルによって正されることになる。
ケイトが興味津々に「リドルくんは?」と次のターゲットを定めると、彼は片眉を上げて答えた。
「先生は仕事で留守にされているのだから、仕事の妨げになるようなことを言ってはいけないよ。『お仕事頑張ってください』くらいが妥当じゃないかい?」
と、最もまともな答えである。
リドルは真面目過ぎるほど真面目なハーツラビュルの寮長だ。もう少し柔らかい文章が出てくると期待していたケイトは、分かりやすくガッカリした。
「え~! お仕事大変なのは分かってるけど、自分を優先して欲しいって我儘が可愛いんじゃん! 『先生に会えなくて寂しいです。今夜少しだけ電話してもいいですか?』くらい言わなきゃ」
「いや、なんで電話することになってるんですか」
これにはさすがのヒトハも口を挟んだ。軽く声をかけるだけのつもりが、そこまで発展したらまったく別の意味になってしまう。自分のために文章を考えてくれるのはいいが、これでは埒があかない。
「そんな我儘は先生に迷惑です! シンプルでいいんですよ、シンプルで!」
ヒトハは先ほどのトレイとリドルの案でさっさと送ってしまおうと、スマホを持ち直した。
が、そのスマホはヒトハの手からするりと離れていく。
「まーまー、たまにはスパイスも必要だって!」
「えっ、ちょっと……!?」
背後からヒトハのスマホを奪い取ったエースは、慣れた手つきで勝手に文字を打っていく。ベンチが間に挟まって上手く阻止できないのをいいことに、彼は最後まで打ち終わると「はい送信〜!」と声を弾ませながら、トンと人差し指で画面を叩いたのだった。
「ああ──っ! なななな、なにしてるんですか!?」
「たまにはこれくらい押していいでしょ」
はい、と見せられたのはまるで別人かのような文面で、ヒトハは焦りと恥ずかしさに身悶える。
「スパイスどころか劇物なんですが……!」
画面を覗き込むハーツラビュルの生徒たちは、ヒトハと画面を見比べながら「ま、まぁ、いいんじゃないか」と早速の他人事である。エースが全員の案をまとめて書き上げた文章は、ある意味よくできていたが、ヒトハが送るメッセージにしては明らかに行き過ぎていた。
「逆に普段と様子が違いすぎて、心配して電話かけてくれたりして」
ケイトが冗談混じりに言っていると、急にヒトハのスマホが震え始めた。全員がびくりと体を震わせてエースの手元を見つめる。
「あ、先生」
エースは画面に映る文字を見て急に悪い笑みを見せたかと思うと、サッと片手を挙げた。
「じゃあオレ、先生の不在中にできたヒトハさんの彼氏役やりまーす!」
「はい!? いやっ、いやいやいやいや! 無茶苦茶ですよ!?」
「いーや! 今ヒトハさんと先生に必要なのはハプニングでしょ! 間違いない!」
何をどうしたらそんな流れになるというのか。怪しいメッセージが届いたうえに、電話をかけたら「彼氏」と名乗る謎の男が出てくる迷惑さといったらない。大体、彼の仕事の邪魔だ。
ヒトハの必死の制止も虚しく、エースは躊躇いなく通話ボタンを押してスマホを耳に付けた。こうなっては先輩たちもクラスメイトも止めようとした手を彷徨わせ、固唾を呑んで見守るしかない。
「も──」
しかし「もしもし」と続けようとしたエースの声は唐突に途切れ、彼は突然冷水を浴びせられたかのように、一瞬で表情を失った。静まり返った中庭に、不思議な緊張感が漂う。
「……あ、はい、トラッポラでーす。はい……はい……失礼しまーす」
エースは終始単調な声で答え、そっと耳からスマホを離すと、真顔のまま通話を切った。
「──やっば、死ぬかと思った!」
生徒たちが一様に緊張の面持ちで見つめる中、エースは冷や汗を滲ませながらどっと吐き出した。そして、もう黒くなったスマホの画面を食い入るように見つめている。
ヒトハはおそるおそる尋ねた。
「せ、先生は何と……?」
「いきなり『誰だお前』って凄まれた」
エースはまだ心臓が鎮まらないのか、胸に手を当てながらヒトハにスマホを返す。
「『他人のスマホで勝手に遊ぶな。今すぐ返してやれ』だってさ」
これはかなり厳しく言われたに違いない。魔法薬学室から半泣きの仔犬が出てくると、大体みんな彼のように怯えた顔をしているのだ。
そこでふと、ヒトハはあることに気がついた。クルーウェルが沸点を突き抜けて怒るとき、周囲が震えるほどの怒号が飛ぶはずだ。しかし先ほどの通話からは、一切声が漏れてこなかった。
それをエースに問うと、彼はただただ「そんなのじゃない」と首を横に振り、「怖かった」とだけ答えたのだった。
その日の夜、風呂上がりのタオルを頭に引っかけてお気に入りのビールの缶を手にしたヒトハは、ローテーブルの上で震えるスマホに気がついた。
こんな時間帯に電話をかけてくる相手がすぐには思い浮かばず、訝しげに通知を覗く。
ヒトハは向かいにあるソファに腰を下ろし、画面の通話ボタンを押した。
「もしもし、先生? どうしたんですか?」
『いや、そろそろ俺の声を聴きたがっているのではないかと思ってな』
電話の相手はクルーウェルだった。電話越しの少しくぐもった声。けれどその嫌味っぽい喋り方は、スピーカーを跨いでも健在である。
『昼間の。忘れたとは言わせないぞ』
「ああ……」
ヒトハは苦笑した。昼間の、といえばあの怪しいメッセージのことである。ケイトが出した案に、確か電話をしたい云々とあった気がする。
「あれは生徒たちの悪戯で」
そういえば、あの後すぐに昼休みが終わってしまって、ろくに説明もできていなかった。
ヒトハがクルーウェルに事の顛末を聞かせると、彼はあのメッセージのことを『確かにお前らしくなかった』と笑った。メッセージを受け取った瞬間に、他人にスマホを扱われているのではないかと疑ったのだという。なかなか鋭い推理だが、しかしそんな彼でも複数人による合作とは思いもしなかったようだ。
「あれが生徒たちが考えた“恋する女の子”の文章だと思うと可愛いですよね」
『送られた身としては複雑だがな……』
苦々しい声を聞いて、ヒトハは憚ることなく声を上げて笑った。ひょっとして、一瞬でもときめきというものを感じてくれたのだろうか。
「そういえば、エースくんがすごく怖がってましたけど、そんなにきつく叱ったんですか?」
ヒトハが問うと、クルーウェルは少し間を空けて『まぁな』と歯切れ悪く答えた。もしかしたら、やり過ぎてしまった自覚があるのかもしれない。
『元々はお前が俺にメッセージを送ろうとしていたんだったな』
「ええ。でも何て送ったらいいか分からなくて」
普段は顔を合わせて会話をしているものだから、文章にするのが難しかった。こんにちは、とだけ送ったって話が膨らむはずもない。
『そもそも、何で送りたいと思ったんだ? 何か用でも?』
「い、いえ、用は、ないですけど……」
ヒトハは口ごもった。
だって、日常にあったものが急に欠けてしまったから、もどかしくてしょうがなかったのだ。朝に「おはよう」が言えなくて、夜に「おつかれさま」が言えない。だから今日は元気か分からなくて、それが少し不安だった。
特別な用があったわけではない。けれど話したいことがなかったわけでもない。言葉で言い表すのが難しくて、ヒトハはスマホの前で何度か唸った。
クルーウェルはヒトハが喋るのを待っていたが、しばらく答えが出ないと知ると、『ああ、分かったぞ』と閃いたような声で言った。
『寂しかったんだな?』
「…………」
『図星だな』
じわ、と顔が熱くなる。さっきからちびちびと手にしたビールを口にしているから、そのせいかもしれない。アルコールが脳に回ってしまって、上手く言い返せないだけだ。
だんまりを決め込んだヒトハとは反対に、クルーウェルは大きく笑った。電話の向こうで腹を捩らせて笑っている姿が目に浮かぶようだった。
『あのメッセージ、案外よくできていたんじゃないか?』
「ええ? 私が考えたの、ちょっとしかないですよ」
ヒトハが唇を尖らせて言い返すと、クルーウェルは迷うことなく
『冒頭の一文だろう?』
と、完璧に言い当て、ひぃひぃと呼吸を整えながら続けた。
『お前は素直じゃないからな』
ヒトハはそれを聞いて、「素直じゃない?」とスマホを片手に首を捻ったのだった。
──先生、お仕事の調子はどうですか? 私は先生に会えなくて少し寂しいです。仔犬たちと待っているので、早く帰って来てくださいね。それから今夜少しだけ電話してもいいですか? 我儘言ってごめんなさい。お仕事頑張ってくださいね♡
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