清掃員さんとお正月Ⅱ

羽子板

 カン、とこぎみのいい音が中庭に響く。それは昼休みの中頃から一定のリズムで続いていた。

「これは〈羽子板〉です。〈おいばね〉とも呼ばれていますね。私の故郷では昔からお正月……新年の遊びとして親しまれています」
「へぇ、バドミントンみたい」

 ヒトハは飛んできた羽付きの小さな球を打ち返して「たしかに」とエースの感想に頷いた。
午前の授業と昼食を終え、暇な時間に誘ったのは個性派揃いの学園で早くも名を轟かせている一年生たち。エースにデュース、そしてオンボロ寮の監督生とグリムだ。
 ヒトハはニューイヤーセールで購買部を飾る東方の縁起物たちに懐かしさを覚え、サムから仕入れた羽子板を生徒たちに伝授していた。伝授と言っても、これといって特別な解説や実技指導はない。羽子板はただ羽付きの球を木製の板で打ち合うというだけの遊びである。ちなみに罰ゲームが存在していることは口にしなかった。どうせろくでもないことになるのは分かっていたので。

「極東には新年にやることがたくさんあるんですね」

 デュースが飛んできた球を打ち返しながら言った。球は高く弧を描いて監督生の元へ。ヒトハはそれを目で追いながら「そうですねぇ」と返した。
 確かに東方ではお正月は特別で、ご馳走も出るし、その時期にしかやらないことや、食べないものもある。子どもの頃は一年の中でも特に楽しみにしていた時期だった。

「子どもたちはお年玉とか貰えるし、私も昔は結構楽しみにしてて……」
「“オトシダマ”?」

 エースとデュースが声を揃え、グリムが「それって食べられるのか?」と首を捻る。
 ヒトハは苦笑しながら球を打ち返した。

「年上の人から貰えるお小遣いみたいなものです。親戚が多かったりすると大儲けですね。ちなみに下から上に贈る場合もあって、それは“お年賀”って言って、お菓子とかの贈り物になります」
「はぁ!? 年が明けただけでお小遣い貰えんの!? オレ、もう東方に住もっかな〜」

 エースが飛んできた球をポーンと上に跳ね上げて、そのまま片手でキャッチする。さすが器用なだけあって、羽子板にはもう慣れてしまったらしい。

「いきなり東方に住んだって、お年玉くれる人がいないじゃないですか……」
「ヒトハさんに貰う」
「ええ? 嫌ですよ、この前自動掃除機買ったからすっからかんですし」
「清掃員なのに?」
「家に帰っても仕事したい人は稀だと思いますよ……」

 実は、以前の職場よりもずっと給料が良くなってくれたおかげで、前から欲しかった自動掃除機を手に入れることができたのだ。魔法士であれば自分の魔法を使って掃除ができるから無用の長物……と、思いきや、最新テクノロジーが詰まったこの掃除機は魔法の細かくて複雑な指示もいらず、自動で隅々まで部屋を走り回ってくれる。帰ったらスッキリ綺麗な部屋が待っている楽さといったらない。忙しい社会人の味方。一度知ったら手放せない愛おしさ。お値段はまったく可愛くなかったが。
 そういうわけで、新年のお祝いムードとニューイヤーセールの誘惑が多い中、ヒトハは財布の紐を固く縛っている最中だった。

「私もできるならお年玉が欲しいですよ。大人になったら貰えませんけどね」
「ふぅん」

 エースは手にした球を下から高く打ち上げた。カーンと板に固いものを打ち付ける音が響き、それを追うように「あ、やべ」と聞こえてくる。ヒトハは苦虫を嚙みつぶしたような顔をしているエースに目をやり、その視線の先を追った。

「ねー、これ投げたのカニちゃん? あとちょっとで当たるとこだったんだけど」
「フロイド先輩……」

 エースの視線の先では、遠目から見ても目立つ高身長男子、リーチ兄弟の片割れであるフロイド・リーチが革靴のつま先で地面に落ちた球を弄んでいる。エースが慌てて球を取りに走って行くと、彼はそれより早く球を拾い上げて、球をしげしげと観察した。

「なにこれ?」

 フロイドは球から伸びるカラフルな羽を指で摘んで言った。

「羽子板って言って、その球を打ち合う遊びで……」
「打ち合う? スポーツ? そのちっちゃいので叩くの?」
「そうですね、この板で打ち合います」

 ちっちゃいの、と長い人差し指を向けたのは同じく駆け寄ったヒトハの手にあるもので、取手のある長方形の板だ。グリップもないシンプルで角張った形を見て、フロイドはおかしそうに笑った。

「なにそれ、バドミントンみたいな感じ? ラケットちっさ。木じゃん」

 彼はヒトハの手からひょいと羽子板を取り上げ、くるくると手の中で持ち手を何度か握り直した。かと思えば、ポーンと球を宙に投げ飛ばす。

「──オラッ!」
「ヒィ!」

 ガン、と硬いものが激しくぶつかり合う音が響き、エースの悲鳴が上がる。彼の片足があった場所は、土が小さく抉れていた。エースは反射的に持ち上げていた足をそろそろと下ろしながら穴を凝視する。

「嘘でしょ……」

 フロイドの打った球は「打ち合う遊び」と教えたにもかかわらず打たせる気がまったくない球で、軌道は地面に向かって直線を描いていた。エースはなす術もなく、困惑しながら板を握りしめることしかできない。
 フロイドはこてんと頭を傾けて言った。

「カニちゃん、つまんねーから本気でやって?」
「やだなぁ、オレが本気でやってもフロイド先輩に負けるに決まってるじゃないすか」

 エースは拾い上げた球を再びカンッと打ち、フロイドに向けて飛ばした。本気でやって、という要望に応えて、なかなかに速い球だ。
 しかしエース渾身の一球は、脅威の運動能力を持つフロイドによって容易く打ち返されてしまう。

「いや、強すぎる! デュースも手伝って!」
「ぼ、僕もか!?」
「サバちゃんも? いーよぉ」

 予想外の指名に慌てるデュースを加え、三人の羽子板バトルは熾烈を極めた。バスケ部でも「やる気にさえなれば他の追随を許さない」と言わしめる天才フロイドに食らいつく後輩二人。エースは難しい球も器用に拾うし、足が速いデュースは高く飛んだ球にも追いつく。

「見えねーんだぞ」
「私の知ってる羽子板じゃない……」

 グリムと監督生、ヒトハは首を左右に振りながら球を目で追った。残像が見える。カラフルな羽の残像が。

「いや、ちょっと……嫌な予感が……」

 ヒトハはこの打ち合いを続けてはならないと直感した。今まさに飛び交う球は硬く、そして速い。それがもし、あらぬ方向に飛んでいってしまったら──もしそこに生徒がいたなら、間違いなく大惨事である。

「ちょ……ちょっと! それ、もう羽子板じゃない! 危ないですからやめ」
「あ」

 ヒュンとヒトハの耳元を何かが通り抜けた。
フロイドが打ち返した球は誰に拾われることもなく、そのままの勢いで飛んでいく。ヒトハの後ろ、つまり、中庭に面したガラスの向こう──廊下へ。

「あああああああああああ!!!!」

 ガラスが勢いよく割れ、地面に叩きつけられる音がする。ヒトハは負けないくらいの大絶叫を響かせながら駆け出した。

「だだだ大丈夫ですか!? 怪我とかしてないですか!?」

 割れたガラス窓の縁に勢いよく飛びついて、ヒトハはその向こう側を覗き込んだ。廊下に散乱するガラス片を目で追い、落ちた球を見つけ、ついでに艶やかに磨き抜かれた黒いつま先も見つけた。

「これはお前が先日教えてくれた、羽子板とかいうやつだな?」

 ゆっくりと視線を上げる。
 赤い靴下から順に、黒いスラックス、スタッズのついたベルト、白黒ベスト、赤いネクタイ。その先にある端整な顔。しかしそこには、もはや筆舌に尽くし難い凄みがあった。

「話がある。今そっちに行くから逃げるなよ。逃げたらどうなるか、もちろん分かっているな?」
「…………はい」

 ヒトハはその場に縫い留められたまま、首だけで振り返った。一年生たちが遠く離れたところで気まずそうに視線を散らしている。彼らに囲まれながら、フロイドだけが満足そうに笑っていたのだった。

***

 その日、セベクは大食堂の隅でお菓子の山を眺めながら、チョコレートバーを黙々と齧っているヒトハを見つけた。

「……金欠と言っていなかったか?」

 セベクはウィンターホリデーが明けたその日にヒトハが「自動掃除機を買った」と嬉しそうに報告してきたことを覚えている。同時に「お財布がすっからかんになった」とも。しばらくは節約だと言っていたのに、この菓子の量は一体なんなのだろう。これほどの無駄遣いは、いっそ珍しいほどだった。

「ああ、これはですね……」

 ヒトハは苦笑し、菓子の山から二、三粒のチョコをセベクに握らせた。

「お年賀だそうです」
「オネンガ……?」

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