清掃員さんとお正月Ⅰ(1/4)
門松
「あれはですね、“しめ飾り”と言って、新年になると扉の前に飾られる縁起物です」
「あれは?」
「あれは“門松”と言って、新年に建物の前に飾る…………縁起物です」
クルーウェルは「ふむ」と腕を組んで門松に向けていた目を隣に立つヒトハに落とした。
「大体縁起物なのは分かった。だが俺は何の意味があってそこに飾られているのかを知りたいんだが」
ヒトハは購買部の前を飾る門松を見て眉を寄せた。どう頭を捻ったって出てくるわけがない。門松の意味など、生まれてこのかた知ろうともしなかったからだ。
目の前に広がる購買部の新年の飾り付けは、賢者の島ではとても珍しい東方風。ヒトハの故郷ではこの時期どこにでも見られる縁起物たちに囲まれて華やかだ。
しかし扉の両脇にどんと置かれた門松も、扉にかかるしめ飾りも、鏡餅も、馴染みはあってもそれがどんな由来で、何を意味して飾られているものなのかは知らない。これってもしかして、極東出身としておかしなことなんだろうか。
新年を迎え、ウインターホリデーも明けた今日。購買部は新年の初売り、ニューイヤーセールを始めたのだという。店内商品の大幅割引や福袋的なものも売り出されると聞いてヒトハも例に漏れず興味津々だったのだが──特に、このセールのためにミステリーショップの東方支店から東方の衣装や装飾を取り寄せたということが、いっそう興味を引き立てた。
そういうわけで初日の賑わいを終えた後、ヒトハは同じくして興味が湧いたらしいクルーウェルと共に購買部に訪れていた。日中は長蛇の列をなしていた生徒たちも寮に帰ってしまい、閉店間際の今は店内も外も静まり返っている。
クルーウェルは興味があると言っただけあって、購買部へやってくると本格的な飾り付けを観察してはヒトハに「これは何だ?」と問いかけた。ヒトハも最初は彼の純粋な質問に答えられていたのだ。ころんとした形に顔が描かれた置物は“ダルマ”だし、藁を円柱の形に編んだものは“俵”である。
しかしクルーウェルが鏡餅を見て「米を練った塊の上にオレンジがのっているものを縁起物と言うのはなぜか」と問い始めたあたりから段々とおかしくなってきた。最終的にスマホを引っ張り出して答えたものの、当然知らないのだから上手くは答えられない。
「そんな細かいところまで知ってる人、少ないと思いますけど……」
「お前は気にならないのか?」
「別に……」
クルーウェルは眉を上げて「別に?」と不可解そうに言った。
「知っているのといないのでは意味合いも変わってくるものでは?」
「ま、まぁ……そうですけど……」
ヒトハはクルーウェルの鋭い指摘に目を泳がせながら答えた。自国の文化だというのになぜ知らないのか、と他国の人間から言われるというのは複雑な気分だ。たしかに知っていて飾っているのと知らないで飾っているのでは有り難みが違うし、よく分からないまま飾られた縁起物というのも意味が分からない。
それにしたって他国の文化に真剣すぎるクルーウェルも、ヒトハにとっては意味が分からないものだが。
「逆に聞きますけど、そんなに気になります?」
「なる」
ヒトハはクルーウェルの真剣な目を見て「これはもうダメだ」と白旗を揚げた。彼の一度興味を持ったものへの知識欲の強さは並大抵のものではない。ファッション然りクラシックカー然りである。錬金術と魔法薬学と毒薬と理系科目を横断しまくる頭脳があるのだから、いくら知識を詰めたって一杯になることはないのだろう。放っておいたら多分そのうち東方文化の論文が出る。
そんなヒトハの考えを見抜いたのか、クルーウェルは不服そうに言った。
「せっかく知る機会があるのに知らないままでいるのは勿体ないだろう。それにファッションの分野でも東方の衣装はたびたび取り上げられているし、注目を浴びている」
「東方の衣装って着物のことですか? それなら着物の知識だけあればいいのでは?」
「それだけでは本当に着物を理解したことにはならない。伝統的な衣装はその国の文化の一つだ。木を見て森を見ずというわけにもいかんだろう」
「り、理解って……」
ううん、とヒトハは唸った。これは一般的な興味の域を超えている。
故郷の文化を知ってもらえるのは嬉しいことだ。だから本当はクルーウェルの疑問にきちんと答えてやりたいが、ハイレベルすぎて知識が全く追いつかない。完璧に答えられる人がいるとしたら、それはきっと学者かなにかである。
「そういえばスペードが東方の衣装を着ていたな」
「ああ、東方支店の制服をアレンジしたとか。素敵ですよね。あんな風に着こなしてもらえて私も嬉しいです」
このセール期間中は特別にバイトを雇っているのだという。学園内でできる割のいいバイトだからか生徒たちに大人気で、今回は抽選でデュースとカリムが選ばれた。特にデュースはクルーウェルが担任をしている生徒だ。可愛い仔犬の仕事ぶりが気になるのだろう。
「サムからあれは“袴”というのだと聞いた。東方では日常的に着るものか?」
「うーん、私の周りでは日常で着てる人はいませんでしたね。着るとしたら、例えば式典とか、お祝い事とか……」
「お前も祝い事で袴を?」
「いえ、私は成人のお祝いで振袖を着たくらいです」
ふりそで、と復唱しながら興味深そうにしているクルーウェルに、ヒトハはスマホの検索画面を出して見せた。彼が興味を持っている着物の一種で、ヒトハはこれを昔成人のお祝いに着たのだ。
「ほう、これが振袖か。実に華やかだな」
クルーウェルはスマホの画面に指を滑らせ、着飾った女性たちの写真を見ながら嬉しそうに言った。柄はレトロからモダン、色鮮やかなものからモノトーンまで多様で、そういうところも尖った感性を持つ彼の興味を引いた一因なのかもしれない。
彼は写真を一通り見ると画面から顔を上げた。
「お前の写真はないのか?」
「えっ、今は持ってませんけど」
成人のお祝いといえばもう何年か前のことで、写真も撮りはしたが、このスマホには残っていない。それに昔の自分が着飾ってる写真など、恥ずかしくて見せられたものではない。
ヒトハは大人しく引き下がってくれるのを願ったが、彼の強い興味が向いている限り、逃れようはなかった。
「見たい」
あまりに真剣な声に、ヒトハは声を詰まらせた。
「い、嫌ですよ、恥ずかしい……」
「祝い事で着飾っているのに恥ずかしがる意味が分からん。出せ」
「出せって……」
引き下がる素振りでもあれば「ちょっとくらいならいいかも」と思えるものだが、こうも大胆に迫られると何としてでも逃げたくなるものである。
ヒトハはスマホを取り返してプイとそっぽを向いた。
「と、とにかく! 今は手持ちにないので見せられません!」
どんなに東方の文化に興味があろうとも、それはそれ、これはこれ。ヒトハはクルーウェルの物言いたげな視線を振り切って、スマホのカメラを購買部の建物に向けた。異国で見る東方の飾り付けだ。記念に一枚残しておきたいし、故郷にいる両親にも見てもらいたい。
「……実家には写真があるのでは?」
カメラを構えるヒトハの頭上から、クルーウェルの未練がましい声が降ってくる。
「駄目ですからね!? っていうか、そんなに見たいんですか?」
「見たい」
彼は相変わらず引き下がる様子がなく、やはりヒトハは声を詰まらせたのだった。
そこまで言うなら見せてあげてもいいかも。と、一瞬心が揺らぐ。いや、でもやっぱり昔の写真なんて恥ずかしいし、ファッションにこだわりが強すぎる彼にダメ出しを喰らっては立ち直れる気がしない。万が一にでも「似合っていない」などと言われたら──
「──やっぱり駄目です!」
「なぜだ」
「駄目ったら駄目!」
「それでは理由になっていない。明確な理由を述べろ」
どちらも一歩も退こうとしないせいでギャンギャンと言い合う羽目になった二人の間に「あれ?」と疑問の声が割り込む。
「先生とヒトハさん、何してるんですか?」
仕事を終えたデュースとカリムが購買部の扉から出てきて、ヒトハとクルーウェルを見比べながら首を傾げる。いつの間にか閉店した購買部の前で大人二人が言い争っていては疑問に思うのも当然で、ヒトハは争点のくだらなさゆえに誤魔化そうとした。
「かっ、門松って何のためにあるのかなーって話してたんです。先生と」
慌てて店の入り口の脇に立つ二つの門松を指差すと、デュースは「ああ」と笑った。
「東方の神様が家に来てくれるように、目印として飾ってるらしいですよ。サムさんに教えてもらいました」
「年の初めから忙しい神様だよなー」
デュースとカリムが「お疲れ様でーす」と言って鏡舎のほうへ去っていく。ヒトハとクルーウェルはその後ろ姿を目で追いながら、言い争っていたこともすっかり忘れて「なるほど……」と声を揃えたのだった。
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