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続・バレンタインデーの話
今年もついにやって来る。そう、バレンタインデーである。
ヒトハはカレンダーを捲って、来月のその日まで指を滑らせた。今日からちょうど一か月後だ。あと一か月もある……とか考えていたら、あっという間に過ぎてしまう一か月でもある。
その日に赤いマーカーで印をつけて、ヒトハはカレンダーの前で「よし」とひとつ頷いた。
この学園で一番と言っていいほどお世話になっている彼に、伝えなければならない。
日頃の感謝の気持ちを。
昨年のバレンタインデーの失敗を繰り返してはならないと、ヒトハは意気込んでいた。
余裕を持って、前回より盛大に、確実に、成功させてみせる。
「と、いうわけなので、今年は規模を拡大しようかと」
その日、ヒトハは昨年の暮れから練っていたプランを抱えて、協力者として選んだ生徒を引き止めた。生徒はヒトハのプレゼンにニコニコと耳を傾け、大きく頷く。
「いいぜ! 感謝の気持ちを伝えるって、大切なことだよな!」
眩い太陽の笑顔で答えたのはカリム・アルアジーム。スカラビア寮の寮長である。熱砂の国の富豪の息子であり、ド派手な宴好き。誰かをもてなすことが大好きな、この学園には珍しいほど気の良い青年だ。
彼はヒトハの「極東の島国にはバレンタインデーという日があって」「その日にクルーウェル先生に感謝の気持ちを伝えたくて」「カリムくんに協力してほしい」という話を聞くなり、心配になるほどあっさりと承諾した。
ほんのちょっぴり従者であるジャミルの胃のことが気になったが、これは彼にとっても悪い話ではない。昨年のバレンタインデーの後、エースとグリムがクルーウェルのことを「ほんの少し優しくなった気がする。たぶん」と言っていたのだ。
カリムは明るく優しく、そしておおらかな性格の生徒だ。時にそれが裏目に出てしまい、クルーウェルの怒りを買ってしまう。そのせいで、たびたび課題や補習を課されてしまうのだと聞いた。
つまり、クルーウェルが寛容になれば課題は減り、ジャミルの仕事である“カリムのフォロー”も少しだけ楽になるはずなのだ。たぶん、きっと、おそらく。
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
企画書を手渡して「ジャミルにも伝えてほしい」とお願いまでしたのだから、これで第一段階はクリアだ。
そうと決まれば、次は主役である。彼のスケジュールはなんとなく把握しているが、確実に空けてもらわなければならない。
職員室の近くをうろうろしていたヒトハは、授業の合間にクルーウェルを捕まえることに成功した。
「先生、二月十四日って空いてますか?」
彼は珍しく切れ長の瞳を丸くしていたかと思うと「あ、ああ……」と気を取り直したかのように答える。
「俺もその日の予定を聞こうと思っていたんだ。用があるなら、ちょうどよかった」
クルーウェルもヒトハに用があり、その日は一日空けているのだという。彼の用は夜だけのようだが、逆にヒトハは昼過ぎから夕方を空けてもらいたかったから都合がいい。
「絶対空けててくださいね!」
「言われなくとも空けている。お前こそ、まだ先だからって忘れるなよ」
こうしてふたりは二月十四日の昼から会う約束をして、各々の仕事に向かうべく別れた。
これで最低限の用意はできた。あとは事前に立てた計画通りに準備を進め、当日を迎えるのみだ。
去年のバレンタインデーはバタバタとしていたけれど、生徒たちに手伝ってもらったケーキは美味しかったし、クルーウェルもそれなりに喜んでいるように見えた。エースやグリムの言っていたことも、きっと嘘ではない。仔犬たちの指導で気を張っているであろう彼の心を、少しでも和らげることができたはずだ。今年はもっとしっかり準備をして、思い出に残るいい日にしたい。もちろん、彼の仔犬たちと。
ヒトハは校舎から、真冬のただ中にある中庭へ出た。そして冷たい冬の風に吹かれたとき、ふと先ほどの会話を思い出したのだった。
「あれ? そういえば先生、私に何の用があるんだろう?」
自分はサプライズのつもりだったから用件は話していないが、クルーウェルも特に何かをしたいという話はしていなかった。
単に言いそびれたのか、言うほどのことでもないのか。
「……ま、いっか!」
ヒトハは結局、浮かれた気持ちのまま考えることを放棄した。
最近は用件が不明なまま呼び出されることも珍しくない。今回もきっと彼の趣味──例えばドライブとか、古着漁りに付き合って欲しいとかだろう。
とにかく今は、バレンタインデーの準備について考えなければならないのだ。いちいち気にしている暇など、あるはずもなかった。
その日の夜。ジャミルは寮の談話室で、カリムから受け取った資料を広げていた。
この学園唯一の“生きている人間の清掃員”であるヒトハ・ナガツキの作成した、企画書である。
以前は一般企業で会社員をやっていたと言うだけあって、資料の内容は悪くはなかった。いつも突然丸投げされる宴の準備のことを考えれば、これほどやりやすい“宴”もないだろう。あのそそっかしい性格の割に、仕事ができないというわけではないらしい。
ジャミルはこの企画に対して「面倒だ」と思いながらも、協力することに決めていた。
その理由は、カリムが「やる」と言ったから。それから、彼女にはそれなりの借りがあるから。
小賢しくも闇の鏡に選ばれた子どもを使い、アジーム家の長男──カリムを毒殺しようとした殺人未遂事件。これが未遂に終わったのは、犯人が毒薬を仕込む相手を間違えて、ヒトハに飲ませてしまったから。そして、その事件が無事解決したのは、彼女自身が犯人を捕まえたからだ。
学園は清掃員の毒薬誤飲事件として処理しようとしたようだが、アジーム家が関わる以上、ジャミルがその真相を知らないわけがなかった。
アジーム家からすれば恩があるも同然だ。彼女にはまず、この恩を返さなければならない。
さらにその先を言うのなら、それだけの度量のある人物に、こちらから恩を売ってやるのも悪くない。
それにしても。
ジャミルは広げていた企画書を束ねながら思った。
この極東流バレンタインデーとかいう風習のややこしさといったらない。愛の告白もしくは感謝を伝える日、などというが、相手が勘違いでもしたら一体どうするつもりなのだろうか。それとも極東の人間は、相手の思考を読むのに秀でているとでもいうのか。
まるで不思議なイベントだが、やると決めたからには余計なことを考えるのは時間の無駄というものだろう。
ジャミルは談話室の天井から下がるランプの下で、誰に言うわけでもなく呟いた。
「しかし、どう考えても方向性を間違えてるよな……」
このイベントの主役である教師は、一体これをどう受け止めるのか。想像に難くないが、これもまた想像したところで、時間の無駄というものだった。
***
バレンタインデー当日。
ついにやって来たその日は、ちらほらと雪の降る寒い日だった。しかしふたりのいる空間は冬の寒さとは程遠い、暖かな場所である。
「これは……どういう……?」
「バレンタインデー、ですね」
「バレンタインデー? いや、待て。こんなイベントだったか……?」
ヒトハがクルーウェルを引っ張って来たのは、スカラビア寮の談話室。豪華絢爛な寮内は普段の装飾に加え、一段と華やかに飾り立てられている。談話室の奥にある大きく開いたバルコニーから見えるのは、広い空と美しい寮内の風景、そして遥か彼方まで広がる砂の海。
ヒトハがカリムに声をかけたのは、快く力を貸してくれるだろうという確信と、このスカラビア寮のロケーションが魅力的だったからだ。
とはいえ、ちょっとやり過ぎてしまった感も否めないが。気合を入れて色々な生徒に声を掛けたら、こうなってしまったのだから仕方がない。
室内の装飾についてヴィルにアドバイスを貰おうとしたら、「やるなら徹底しなさい」との一言でポムフィオーレの寮生までもが駆り出されてしまったし、軽食が欲しいとモストロ・ラウンジの三人にお願いしてみたら、用意された立食用の卓上がラグジュアリーになってしまった。彼らの場合はもちろんタダではなく、モストロ・ラウンジの宣伝と、テスト期間中の労働力の提供が対価だ。昨年にも世話になったトレイはケーキのレシピをジャミルに伝授してくれた。料理上手で探求心もあるジャミルは、そこから改良を加えるという気合の入れようだった。
それなりに奔走はしたが、最終的には善意とラッキーと少々の打算が重なりに重なった結果である。
「変ですか?」
「い、いや、見事だが……パーティーはさすがに……想定外だったな……」
クルーウェルは会場に目を向けつつ、口元に手を当てて難しい顔をしていた。なにか一生懸命言葉を探しているようだが、上手く出てこないのか、小さな唸り声だけが指の隙間から漏れてくる。
「だって先生、去年のバレンタインデーで仔犬たちが作ったケーキのこと、『こういうのも悪くないな』って言ってたから」
「あれはケーキのことでは……」
と言いかけて、クルーウェルは自分を見つめる大勢の生徒たちに気がついた。
「……いや、お前たちの気持ちはよく分かった。ありがとう」
彼がそう言うと、普段叱られてばかりの仔犬たちは、こそばゆく笑う。
今日は寮を問わず声を掛けたせいか、広い談話室が少し手狭になるくらいには生徒が集まった。素直に先生を慕っている生徒以外にも、昨年のエースとグリムを彷彿とさせる下心のある生徒や、ただ暇だっただけの生徒もいるらしい。理由は様々だが、みんなちゃんと準備を手伝ってくれた。
「先生ぇ~! いつもありがとう!」
「ありがとう“ございます”だろうが。アジーム、引っ付くな」
彼は両手を広げて抱擁しようとするカリムを引き剥がし、眉間に皺を寄せ、隣に立つヒトハに目で助けを求めた。それを受け流し、ヒトハはにっこりと笑う。
「よかったですね。仔犬の熱い抱擁ですよ、先生」
「いいものか。おい、俺がバレンタインデーを勘違いしていたのか? それとも、お前が勘違いしているのか?」
「まぁ、極東流はそもそも御本家とは違う風習なので、今更ということで」
「お前は本当にそれでいいのか……?」
などという嘆きに似た問いを聞かなかったことにして、ヒトハは手を叩いた。
「これは日ごろの感謝を込めて、私と仔犬たちから先生におもてなしのプレゼントです。ちゃんとバレンタインデーらしくスイーツも用意したので、みんなで楽しく過ごしましょう! ねっ、先生!」
ヒトハが笑顔で見上げると、彼は何とも言いようのない顔で何かを言おうとした。ややあって、ため息をひとつ。困ったように「そうだな」と、口の端を少しだけ持ち上げたのだった。
パーティーは普段生徒を厳しく躾けまわっている教師が中心になったせいか、賑やかながらも落ち着いた雰囲気のものだった。
彼は授業とまったく関係のない話を生徒から根掘り葉掘り質問攻めにされ、たまに饒舌になり、答えたくないときは授業中に見せる“圧”で押し切っていた。
ヒトハはというと、輪の中心から少し離れたところで過ごしていた。あまり近づいては邪魔になるし、今日はなんとなく、彼らの様子を外から眺めていたいと思ったのだ。
こうして静かに過ごしていると、なぜだか知らぬ間に話に巻き込まれている。訳の分からないまま「先生は仲のいいお友達です」と答えれば、生徒はおろかクルーウェルまでもが眉をひそめた。話の内容はよく聞いていないから分からないが、どうやら不正解な回答だったらしい。
ようやく騒がしさが収まった頃、陽の傾きは遠い水平線に近づいていた。ヒトハは生徒との談笑の合間に、ふと外へと目をやった。賑やかな談話室から主役がこっそりと抜け出して、バルコニーの隅で外を眺めている。
ヒトハはその姿を追いかけて、邪魔にならないように静かに並んだ。少し離れたところから生徒たちの楽しそうな声が聞こえてくる。あの輪の中にいるのも楽しいけれど、大人になってしまったせいか、外から彼らの姿を見ているほうが心が安らぐ。
彼もまた同じように考えて静かな場所を選んだのかもしれない。そっと見上げた横顔は、独りでぽつんと外を見ているわりに、穏やかなものだった。
「まさか休日まで仔犬の群れに紛れることになるとはな」
「なんだかごめんなさい。ちょっと騒がしかったですね」
休みの日まで生徒と一緒にいなければならないのは、やっぱり嫌だったのだろうか。不安げにしているヒトハを見下ろして、彼は困ったように眉を下げたまま、小さく笑った。
「バレンタインデーは極東では“女性から男性に愛の告白、もしくは感謝を伝える日″だったな?」
「はい。なのでお世話になってる先生に精一杯感謝の気持ちを伝えようと思って……どうせなら生徒たちも参加したほうが嬉しいかなと、思ったんですけど……」
ヒトハは言葉尻を窄ませ、自信なく答えた。どんなに頑張って用意をしても、絶対に喜んでもらえるとは限らないのに。どこか浮かれてしまって、見誤ってしまっていたのかもしれない。
「気持ちは嬉しいが、仔犬どもは一匹残らず男だぞ?」
「いやあ、突き詰めたら性別関係ないなと思って」
「独創的な解釈だな……」
クルーウェルは苦々しく言った。
「でも、お菓子も飾りつけも、よくできてたでしょう? 全部みんなが手伝ってくれたんですよ?」
今日のことはすべて、自分ひとりでは成しえなかったことだ。特に食べ物なんて用意しようと思ったら出来あいを買って来るしかないだろうし、作ろうものなら、目も当てられないことになったはずである。こうして形になったのは生徒たちのおかげだから、彼らの頑張りだけは認めて欲しい。
クルーウェルはヒトハがむきになっているのを見て「悪かった」と謝りながら、「あいつらが本当に俺だけのために手伝ったかどうかは定かではないがな」と、やっぱり嫌味を添えた。
「だが、今日はいい機会になった。これほどのもてなしを受けることも、もうあまりないからな」
彼は手すりに凭れながら、遠くを眺めた。ナイトレイブンカレッジの各寮がある場所は、この賢者の島には在りえない不思議な空間だ。学園本来の敷地には収まらない広大さがあり、気候は鏡舎の外とは異なる。このスカラビア寮は冬の寒さとは無縁で、着込んでいれば暑さを感じるほどだった。しかし時間の流れは変わらず、夕暮れを迎える空は澄んだ青から燃えるような赤色に染まり始めている。
ヒトハはこのバルコニーの向こうに、生徒たちと魔法の光を飛ばしていた。地道に飛ばした光は夜に移り行く空の中で、次第に輝きをはっきりとさせていく。
「なるほど。ロケーションはお前のほうが上手だったな」
「先生は綺麗なものが好きみたいだから頑張りました。ほとんどみんなのおかげです!」
「わかった、わかった。仔犬どものおかげだ」
「分かってくれたならいいんです」
ヒトハは顎をツンとさせて言いながら、近くにある光を手で引き寄せた。この一番小さくてか細い光は自分の魔法だ。もう消えかかっているから、夜まではもたないだろう。自分の力ではそれが精いっぱいだと分かっていたけれど、それでもひとつ作りたかった。
「……たぶん、この日は普段面と向かって伝えられないことを伝えられる日だから、みんな一生懸命準備をするんですよね」
なんでもない日にこんな事をしようだなんて思わない。少し恥ずかしいし、されたほうもびっくりするし。でも、きっかけさえあれば、ほんの少し勇気が出る。きっと今日は年に一度の、そういう日なのだ。
「あの、先生?」
「ん?」
ヒトハは深く息を吸った。
「いつも私のことを気にかけてくれて、ありがとうございます。あと、一緒にお酒を飲みに行ってくれて……それから、私の我儘に付き合ってくれて、ありがとうございます。私、先生のおかげで今が人生で一番楽しいんです」
彼にとっては取るに足らないことかもしれないけれど、ヒトハ・ナガツキという人間にとっては、共に過ごす毎日がとても幸福なものなのだと知って欲しい。感謝しているのだと気づいて欲しい。ヒトハは手にした小さな光に目を落とした。
すると、それをひと回り大きな手のひらが掬い上げる。
「俺もお前のおかげで愉快な毎日が送れているから、お互い様だな」
クルーウェルはそう言って手の中でヒトハの消えかかった光を強めてやり、再び空に放つ。それは宙に舞う無数の光の中で、ひときわ強い輝きを放っていた。
彼はうまく飛んで行ったのを見届けると、向き直って「それで」と、にやりとした。
「これは愛の告白か?」
「こっ……!? ち、ちが、違います! 心配しなくても大丈夫です! これは、“ありがとう”の気持ちです!!」
「おい、大声を出すな。筒抜けだろうが」
クルーウェルは慌てて、いきり立つヒトハの肩を抑えた。ヒトハはハッとして周囲に目を走らせる。室内の生徒たちの視線が、ちくちくと突き刺さるようだった。
唸りながら恥ずかしさに耐えていると、彼はそれを見て、仕方なく笑った。
「さて、今日のイベントだが、お前は以前『極東以外では逆』と言っていたな?」
言いながら、彼は目の前に赤い小箱を差し出した。それは手のひらにすっぽりと納まるほどのもので、ヒトハはよく分からないまま両手で受け取る。箱は少し重たく、高級感のある素材で覆われている。ヒトハはそれを指先で摘まんで少しだけ開き、恐々とクルーウェルを見上げた。
「えっと、そのぉ……これは、どっちですか……?」
「さぁ? どっちだろうな?」
クルーウェルは笑みを深くすると、くるりとヒトハに背を向けた。カツカツと室内のほうへ向かって行き、バルコニーの死角になる場所を覗き込む。
「で、お前らは一体何を期待して盗み聞きしているんだ?」
首根っこを引っ掴み、生徒を引き摺り出していく。ひとり、ふたりと隠れていた生徒が現れるのを、ヒトハは呆然と眺めた。あの空間によくもまあ、これだけ隠れていたものである。
全員引き摺り出して目の前に立たせる姿は休日スタイルとはいえ仕事中の姿そのもので、生徒たちはいつものように大人しく並んで立たされていた。これは学園でよく見かける光景だ。
クルーウェルはたっぷり時間をかけて全員見渡したかと思うと、「まぁいい」とため息交じりの笑みを浮かべる。彼は一言も咎める言葉をかけず、悪戯な仔犬たちに許しを与えたのだった。
「グッボーイ、仔犬ども。今日は俺の教師人生の中でも特別素晴らしい一日だ。だからといって、これが授業にも課題にも響くことはないからな」
「ええ~」
「当たり前だ。俺をもっと喜ばせたいのなら、次の試験でいい点を取ることだ」
生徒たちのブーイングを涼しい顔で受け流し、クルーウェルはヒトハの腕を取った。そしてそのまま出口に突き進む道すがら、ジャミルを呼び止める。
「今日は実に素晴らしい時間が過ごせた。さすがはスカラビア寮の寮長と副寮長だな。俺とこいつはこの後予定があるから、後は自由にやるといい。ただし、羽目を外しすぎるなよ」
「えっ!? 先生、私ちょっとだけ片づけ……」
なんの前触れもなく帰ろうとするクルーウェルにぎょっとして、ヒトハは慌てて足を止めた。この後は予定があるとはいえ、やりたい放題始めた末に片付けを放っていなくなるのは、あまりにも申し訳ない。
戻ろうとして腕を引っ張るヒトハに、見送りのつもりで駆け寄って来たカリムが明るく笑った。
「行ってこいよ! 今日は日頃の感謝の気持ちを伝える日でもあるんだろ? 今日くらいはオレたちに任せてくれ」
「カリム、お前は何もしなくていい」
「そういうわけにはいかないだろ。ジャミル、オレは何をしたらいいか教えてくれ!」
隣で呆れるジャミルに元気よく言い放ち、カリムはそのままヒトハに向き直った。
「あ、そうだ。えっと、極東ではこういうときなんて言うんだっけ……」
ああ! と閃いた声を上げ、彼は会場に残る大勢の生徒を背に、引っ張られながら会場を出ていこうとするヒトハに向けて、大きく手を振った。
「ハッピーバレンタイン! 素敵な一日を!」
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