清掃員さんとバルガスCAMP!(3/5)

03

 ドワーフ鉱山、そこはかつて魔法石の採掘が行われていた場所である。閉山された今ではわずかな魔法石しか採掘できない場所となり、人の出入りはほとんどなくなってしまった。
 鉱夫たちがいなくなり活気を失ったこの土地を支配するのは豊かな自然と動物たち、そして──

「鬱陶しい!!」

 ヒトハは小さな妖精を追い払う生徒たちを遠くから眺めながら、大変だなぁと他人事のように呟いた。

 ドワーフ鉱山の付近にある湖畔では、課題を与えられた生徒たちが今日の食事となる魚釣りに勤しんでいた。
 道具はバルガス監修のもと充分なものが用意されているし、点検も問題なく済ませてあるから故障もない。生息する魚の数も申し分なく、コツを掴めばすぐに釣れた。
 しかしそこで終わらないのがバルガス流である。彼の用意したもう一つの課題──それは“妖精たちの妨害”だ。生徒たちに与えられた課題にはとにかく妖精たちの妨害が付き纏った。
 よくよく考えてみれば、いきなり現れた他人が家を荒らし始めるのだから妖精たちの気持ちも分からないでもない。かといってこちらも害を加える気はないし、課題なのだから引くわけにもいかない。
 結果的に生徒たちは“妖精たちをなるべく無傷で追い返す”という作業を同時に行うしかなかった。

「ヒトハさん! 見てないで手伝ってくださいよ!!」
「ダメでーす! 死にそうになったら助けますから頑張ってください!」

 ケチ! 鬼! と生徒たちから罵声を浴びせられながら、ヒトハはあくまで見守るだけに徹していた。これでも一応、大きな怪我のないように気を張っているのだから労ってくれてもいいものだが。課題で手一杯の生徒たちにはそんなことは考えつかないのかもしれない。教育の現場とは過酷なものである。
 しかしいくら課題に目を回しているとはいえ、彼らはあまりにもカジュアルにヒトハを頭数に入れたがった。鉱山で「魔法石ってどういう所にあるんですっけ?」と気軽に聞かれたときには、うっかり答えそうになったほどである。さすがはナイトレイブンカレッジ生、油断も隙もない。

「なんで私を頼ろうとするかなぁ……」

 そんなヒトハの呟きに、思わぬところから答えが返ってきた。

「そりゃあ、ヒトハさんが甘やかしてくれる人だからッスよ」

 ヒトハの背後に隠れるようにして釣り糸を垂らしていたラギーは、釣れたての魚を抑えながら釣り針を抜くと、慣れた手つきでバケツに放り込んだ。他の部活の生徒が妖精に襲われる隙をついて課題をこなそうとは、まさに漁夫の利である。

「みーんな甘えてるんスよ」
「そんなに甘いんですか、私……」
「甘いッスね」

 再び餌を引っ掛けた釣り針が水面に落とされる。魚が釣り餌を狙ってうろうろと泳ぎ回る姿が透けて見えた。

「やっぱり甘やかしすぎなのかな……」

 そう呟きながら、ヒトハはクルーウェルから口酸っぱく言われた言葉を思い出した。
 お前は仔犬どもに甘すぎる。すぐ同調するな、同情もするな、手を貸すな、気を許すな、尻尾を振るな。最後のはよく分からなかったが。「お前が身を削ってまで守ってやる必要はない」というのが最新の小言で、あの喧嘩が勃発した日に言われたことだった。

(頭では分かってるんだけど……)

 やらなければ、と咄嗟に、まるでそれが本能かのように体が動くのだ。そのせいで彼に迷惑をかけているのだということも、分かっているのだけれど。
 ラギーは眉間に皺を寄せているヒトハをちらりと見やって、「うーん」と小さく唸った。

「そういえば、ヒトハさんがこの前喧嘩を止めてくれた二人、片方はうちの部員だったんスよね」

 釣り糸をじっと見つめながら、ラギーは世間話をするかのように言った。釣り糸が小さく引いた瞬間に息を止め、上手くかからなかったことにため息をつく。

「強いアタッカーでレギュラー入りしてるけど、血の気が多くて喧嘩っ早いやつなんス。あの喧嘩で相手を怪我させてたら、あいつだけ他校との試合で出場停止になるとこでした」

 大きく竿がしなって激しい水しぶきが上がる。ラギーはそれを勢いよく釣り上げて、思いのほか大きな獲物を手に満足げな笑みを浮かべた。

「つまり、ヒトハさんが俺たちに甘々で過保護なお陰で助かってる生徒もいるってこと」

 ヒトハはラギーの思わぬ言葉に目を瞬いた。元々面倒見の良い子ではあるが、まさか励まそうとしてくれるなんて。
 もしも自分の行いに意味があるとするのなら、きっとこういうことなのだ。未来ある子供たちが躓きながらも良い道へ進めますように。豊かな学園生活を楽しく送れますように。その先に、ただ一言「助かった」と言ってもらえるのなら、たとえ褒められたことではなくても無意味ではないはずだ。

「……ありがとう」
「どういたしまして。クルーウェル先生と早く仲直りできたらいいッスね」

 ラギーはシシシ、とくすぐったそうに笑って、そして続けて言った。

「っていうか早く仲直りしてもらわないと、こっちが気を遣ってハラハラしなきゃいけないの疲れるんスよねぇ」

 ヒトハは潤みかけた目を隠すように片手で目を覆った。どうやら彼らの手助けをするための最善策は、早急に仲直りをすることのようである。

***

 一日目の終わり。生徒たちが焚き火の前で寝ずの番をするという過酷な課題を与えられ、ようやく騒がしさが鎮まった頃。
 ヒトハは彼らと同じくクタクタに疲れたオンボロ寮の監督生とグリムのテント作りを手伝って「お休み」の挨拶をすると、小屋の前にある切り株に座り込んだ。
 目の前ではテントを建て始める前から筋トレを続けているバルガスが終わりの見えないスクワットをしている。彼の大腿四頭筋はまだ成長する気なのだろうか。

「おつかれさまです。まだ夜中に見回る仕事が残ってますし、今のうちに休まれたらどうですか?」

 バルガスは「そうだな」とすっかり忘れていたかのような顔をすると、屈めていた腰を起こした。
 小屋の前に灯る明かりが肌に滲む汗をうっすらと照らしている。この肌寒い中でも汗をかくほど筋トレを続けていたというのに、彼は何事もなかったかのようにけろりとしていた。

「どうだ、少しは気分転換になったか?」
「ええ。もうクタクタですけど。先生のお仕事って大変なんですね」

 ヒトハは切り株の上で膝を抱えた。今日は酷く冷える。もしかしたらここが山だからかもしれないが、キャンプなんてやったことがないから分からない。学生時代にもっと色々なことに挑戦していれば、もしかしたらその機会もあったのかもしれないけれど。思えば今まで生きて一度も経験することがなかったことを、ナイトレイブンカレッジではたくさん経験してきたのだ。

「バルガス先生、今回は誘ってくれてありがとうございました。キャンプって楽しいですね。魚釣りも初めてだし、テントも初めて作りました。それに、生徒たちとたくさん話せる機会もあったし……」

 そこでふと昼間にラギーから言われたことが頭をよぎって、ヒトハは小さく笑いを零した。

「私、やっぱりみんなに甘いんですって」

 クルーウェル先生もよく言うんですよね、と言うと、バルガスは逞しい眉を下げながら苦笑を滲ませた。

「そうだなぁ……。言われてみれば、お前は少し過保護かもしれないな。意外とあいつらは放っておいても上手くやるもんだぞ。なんせこのオレ様が体力育成の授業をやっているんだからな!」

 そして大胸筋と上腕二頭筋の主張を忘れない。三角筋で肩がはちきれそうだ。
 確かにバルガスの言うようにナイトレイブンカレッジは男子校で、魔法力が桁外れの子もいれば身体能力が高い子もたくさんいる。放っておいても上手くやるはずだ。それこそ自分が間に入る余地のないほどに。
 でも本当は、そんなことはこの学園へ来たときから分かっていた。

「私、もしかしたら自分が昔誰かにして欲しかったことをしたいだけなのかもしれません。ダメですよね、みんながみんな同じことを求めてるわけではないのに」
「ダメではないだろう。お前みたいなやつだっているはずだ」

 バルガスはヒトハの前で膝を折った。
 彼は出会ったその日に意気投合してからというもの、熱心に自分と向き合ってくれた。クルーウェルに言いづらいことも彼には言えたし、彼もまた偽りのない言葉を返してくれる。そこには恋も愛もなかったが、信頼はあった。

「だが、誰かに心配をかけるのは感心しないな。俺はお前の力を信じているが、やはり男子校だから心配もある。クルーウェル先生とよく話し合って今後の身の振り方を考えるといいだろう」
「そうですね。でも、先生はどう思ってるか分からないし……」

 ヒトハは膝を抱え直して視線を落とした。
 今朝貰った魔法薬は気にしてくれている証拠で、彼の中で自分の存在が消えていない証拠だ。けれどだからと言って、今までと同じ立ち位置にいられるのかというと、それは分からなかった。
 クルーウェルのことを考えると無性に不安になるのだ。自分と似ても似つかない彼を理解できたと思ったことはないし、どう思われているかも分からなくて、そんな自分に自信がない。
 バルガスは途端に元気をなくし始めたヒトハを見て、これ見よがしにため息を吐いた。

「まだそんなことを言ってるのか!? 正直に言うと俺はもどかしい!」

 そう吐き捨てて、力強く立ち上がる。

「お前も、クルーウェル先生も、もっと情熱を持って向き合うべきだ! そんなことではいつまで経っても平行線でしかない! このオレ様のように! お前も自分に自信を持って強い女になれ!! まずは筋肉からだ!!」
「え?」

 段々と話がおかしくなり始めて、ヒトハは思わず聞き返した。
 どうして毎回話の着地点が筋肉になるのか。ヒトハにとってバルガスは信用のおける親友マブだが、それだけはどうしても理解ができなかった。
 バルガスは至って落ち着いた声でヒトハに問いかけた。

「俺が最初に言ったこのキャンプの目的を覚えているな?」
「え、えっと、適度な運動と、豊かな自然でストレス解消……」
「それから?」
「………………筋トレ」

 まさか、と見上げた先の満面の笑み。筋肉の話になるといつもこうだ。この世で一番筋肉を愛し、愛された者の顔をしている。

「やっ……やだやだやだ! 私、もうヘトヘトなんですよ!?」
「弱音を吐くな! 限界を超えろ! 立て! そして足を肩幅に開け!」
「やだー!!」

 近くに張ったテントの中から「うるせーんだゾ!」とグリムの怒号が飛んでくる。
 バルガスキャンプ一日目のその夜に、焚き火の番をしていた生徒たちは口を揃えて言った。
 ヒトハさんが生まれたての子鹿のような足取りでキャンプ場に見回りに来た、と。

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